第35話 「これって、満月のせい……だけじゃないよね?」
本日もよろしくお願いします。
部屋に蚊がいる
宿に戻り、私はエニをベッドにおろした。
背中に感じていた彼女の体温がなくなると、なんだか妙にひんやりとした気がする。
「……エニ、大丈夫?」
部屋の明かりを灯しながら、私はエニの顔を覗き込む。
窓から差し込む月明かりが、彼女の銀髪を神秘的に照らしている。よく見ると、彼女の瞳には普段と違う輝きがあった。まるで琥珀色の中に金色の光が混ざったように。
彼女は上目遣いで私を見つめたあと、そっと私の服の裾を握った。指先が微かに震えている。
「ん……」
その声には、どこか切迫したものを感じる。いつもの落ち着いたエニとは明らかに違う。
「なんか、いつもと違う感じするけど……疲れた?」
私はエニの隣に腰かけ、おでこを触ってみた。
(ほんのりあったかいような、そうでもないような……?)
エニは少し考えるように黙った後、ぽつりと答えた。耳がいつもより敏感に動いている。
「……わかんない」
そのまま、ふらりと私の膝の上に座り込むと胸元に顔を埋める。彼女の体温が私の膝を通して伝わってくる。いつもより熱い。
……いやいや、ちょっと待って。
これまでも甘えてくることはあったけど、今日のエニは違う。なんというか、より積極的で、より素直で、より……本能的?
「エニ? どうしたの?」
「やだ」
「え、何が!?」
私はなんとかエニを引き離そうとするけれど、彼女はぎゅうっと腕を回して離れようとしない。
エニ、やたらと力が強いんだけど!?
「エニ〜?」
「……いいにおい」
「え、そう?」
私の首元に顔を埋めたまま、くんくんと鼻を鳴らす。
待って、いや、かわいいんだけど、ちょっとこれどうしたらいいの!?
「エニ、ほんとにどうしたの? ちょっと変だよ?」
「……わかんない」
そう言いながら、エニは私の肩にそっと歯を立てた。
「わっ!?」
ふにっとした柔らかい甘噛み。かすかに温かい吐息が肌に触れて、背筋にぞくりとした感覚が走る。
びっくりして彼女を見ると、エニは瞳を細めて私をじっと見つめたまま、またカプッと噛みついた。まるで私の反応を楽しむように、そっと、でもしっかりと。
月明かりに照らされた彼女の表情には、いつものエニとは違う何かがあった。意図的な、でもどこか本能的な行動。その矛盾が、奇妙な魅力を放っている。
「ちょ、エニ!?」
「……ん」
聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で返事をする彼女。その声には、満足そうな響きが含まれていた。
私はエニの肩を持ってグイッと引き離そうとすると、エニは小さく唸りながら、今度は私の手の甲を噛んでくる。
甘噛みされるたびに、ぞくっと変な感覚が背中を走る。そこまで強くないけど、くすぐったい。
「ほんとにどうしたの……?」
困惑しながらも、私は彼女の耳を撫でる。
彼女は少しだけ口を開いて、じーっと私の反応を見ている。
(……え、何この顔。ちょっと満足げじゃない?)
すると、エニは私のほっぺにそっと唇を寄せ――
「……ん」
「えっ!? ちょ、えぇ!?」
ほっぺに柔らかい感触が残る。
「エニ!!?」
さすがに動揺して、私は彼女を引き離す。
だけど、エニはむすっとした顔で、不満そうに耳を倒しながら、また私に抱きついてくる。
「……やだ」
「エニさん! 今キスしたよね!?」
「ん……とーこ、すき」
上目遣いで私を見つめてくるエニ。声は小さいけれど、その言葉にはっきりとした意志が感じられる。
ちょっと頬を染めながら、尻尾をぱたぱたと揺らしている。
なにこの可愛さ、ずるいんだけど……!?
思わず目をそらすと、エニはすりすりと頬を擦り付けながら、さらにしがみついてくる。
(……もう)
観念した私は、ふぅっと息を吐いて、エニの背中に手を回した。
「……はいはい、私も大好きだよ〜」
そう言うと、エニは満足したのか、くすぐったそうに笑った。ふわりと尻尾を揺らしながら、エニの呼吸が静かに落ち着いていく。
――そして、数分後。
エニは、私にぴったりくっついたまま、すーすーと寝息を立て始めた。
「……なんなのもう」
私は呆れながらも、エニの髪をそっと撫でる。
まあ、可愛かったから、いっか。
そっと彼女をベッドに寝かし、私は部屋の隅に置いてあった、リュックから1冊の本を手に取る。
エニの事をもっと知りたくて買った。『狼の生態と習性』――。
エニが近くにいるから何となく読まずにリュックに入れっぱなしだった。
適当にページをめくる。
【狼は相手への愛情表現として相手を甘噛みすることがあります】
「……これはもう、知ってる」
私はページをめくり続ける。
すると、満月に関する項目に目が留まった。
――狼は満月の夜、感情が昂りやすくなる。
――個体差はあるが、怒りや食欲を抑えられなくなったり、甘えたりすることも……。
私はふと、窓の外を見上げる。
そこには、空にぽっかりと浮かんだ大きな満月があった。
月明かりが部屋の中まで差し込み、エニの寝顔を優しく照らしていた。銀色の髪が月の光を受けて、まるで光を纏ったように見える。
「……そっか」
満月の影響ってことか。
それにしても、満月の影響がこんな形で出るなんて。まるで愛らしい別の生き物になったみたいだった。
(……エニって、普段から私にすごく懐いてるし、満月とか関係なく、私のこと好きすぎるよね?)
これまでのことを思い返すと、なんだかもうそれ以外の感想が出てこない。あれだけの好意に気が付かないほど私は鈍感じゃないつもりだ。前世では恋愛なんて経験してこなかったけども。
「……エニ、ほんとに私のこと好きすぎでしょ」
寝息を立てる彼女を見ながら、私はふっと笑う。
月の光に照らされたエニの寝顔は、とても穏やかで、まるで子供のようだ。ただ安心して眠っている。
エニの気持ちがどういう「好き」なのかは、まだわからない。家族のような、友達のような、それとも……。
私はエニと出会ってからは何かが変わった気がする。彼女がいるだけで日々が輝いて見える。
こんなに懐かれてるんだから、今はそれだけでいい気がしてきた。
名前をつけたくないような、でも確かに存在する何か。
それが今の私たちの関係なのかもしれない。
こんな風に誰かを大切に思うことも、大切にされることも、私にとっては新鮮な経験だ。
「……寝よ」
そっと布団をめくり、私は彼女の隣に横たわる。
きっとこれからも、こんな風にエニに甘えられる日が続くんだろうな。
まぁ、それも悪くないか――。いや、むしろ嬉しいかも。
なんだかんだ私もエニと一緒に寝るのが当たり前になってきたし、この温かさがもう離せない。
そんなことを考えながら、エニをぎゅっと抱き、そのまま目を閉じた。
読んでくださりありがとうございます。
ブクマ、評価、感想、よろしくお願いします。
ちょうど1ヶ月くらい前の満月の時に魔法が発現して、牢屋から逃げ出してる。
満月で感情が爆発した。
その数日後、とーこと出会った。