第3話 「異世界の通貨、まさかの円!?」
本日もよろしくお願いします。
「ほらエニ、好きなの食べていいよ」
太陽が少し傾き、影が長く伸びる昼下がり。
村の小さな宿屋で、私たちは4人掛けの席に通された。エニは向かいではなく、私の隣に座る。
渡したメニュー表をじっと見つめる彼女の横顔がどこか慎重で、それでいて控えめな可愛らしさが滲んでいる。
時々、メニューの上でエニの耳がぴくぴくと動く。何か美味しそうなものを見つけるたび、そわそわと揺れる耳に目が奪われる。
「……とーこと一緒のでいい」
彼女の小さな声に、心の奥がそっと温かくなる。
この子は、どんな環境で生きてきたんだろう。何を食べていたんだろう。そんなことを考えていると、ぎゅっと抱きしめたくなる衝動をこらえるのが大変だった。
「……ん?」
じっと見つめていたことに気づかれたのか、エニが首をかしげる。
その仕草がまた可愛いのなんのって。
「せっかくだし、違うのにしてシェアしようよ。エニはどれがいい? お魚? お肉?」
私が「お肉」と言った瞬間、ふわふわの尻尾がゆらりと揺れた。
これほど分かりやすい反応があるだろうか。
その尻尾は、まるでメトロノームのように左右に揺れ続けている。
「エニはお肉好きなんだね。じゃあ私はお魚にしよっか」
「……そんなに顔に出てた?」
エニが頬をぺたぺた触る仕草に、つい吹き出しそうになる。
「ううん、顔っていうか……尻尾がめっちゃ揺れてた」
「……知らなかった」
エニは尻尾をちらりと見下ろして、もぞもぞと動かした。
普段から自分でコントロールできてないのかも?
その姿があまりに愛らしくて、私は思わず頭を撫でてしまった。エニは少し驚いたような顔をしたけれど、嫌がる素振りは見せない。
それからしばらくして、運ばれてきた料理がテーブルに並んだ。
山盛りの肉が乗った皿と、香ばしく焼かれた魚。湯気が立ちのぼり、ほんのり漂う香りが食欲をそそる。
「いただきます」
エニは勢いよく肉にかぶりついた。
その豪快な食べっぷりに、周囲の客たちがちらちらとこちらを見ている。
頬を膨らませながら一心不乱に食べる姿は、まるでリスのよう。
「いいぞ! いいぞ!」
陽気な声が響き、乾杯の音が聞こえた。
エニは一瞬だけ驚いたように目を丸くしたが、すぐに再び肉に夢中になる。
私も魚を食べながら、彼女の姿をぼんやり眺めた。
「美味しい?」
「……うん」
小さく頷く彼女の尻尾がぶんぶん揺れている。
言葉以上に雄弁なその動きを見て、私は笑みをこぼした。
「これからは、いっぱい美味しいもの食べようね」
エニがふわりと笑った。その笑顔が妙に儚くて、同時に胸が温かくなる。彼女がこんな風に笑えるようになったことが、何よりも嬉しかった。
「ごちそうさまでした!」
食事を終えた私は、会計のために布袋を取り出した。
(うーん、どの硬貨がいくらなのか全然わかんない……。てか、お金だよね?)
仕方なく、布袋ごと店主に差し出す。
店主はちらりと私の顔を見たあと、布袋の中身をじっと見つめる。
(え、もしかして……お金じゃなかった!?)
一瞬、胃がきゅっと縮こまる。
しかし、次の瞬間、店主はにっこりと微笑み、数枚の硬貨を取り出した。
「はい、お釣り150円ね」
――150円!?
(……えっ、ちょっと待って。この世界の通貨、円なの!?)
思わず絶句する私をよそに、店主は何事もない顔でレジのような箱に硬貨を放り込んだ。
「そっちの嬢ちゃんいい食べっぷりだったね。またのご利用、お待ちしてるよ」
――普通に流された。いや、異世界で「150円」とか言われるとは思ってなかったんですけど!?
こ、これはつまり、「円」が標準通貨 ってこと……?
(異世界の通貨単位とか考えるのめんどくさかったのかな、この世界の創造主……)
納得いかないまま、私たちは店を後にした。
宿屋を出ると、夕方の冷たい風が私たちの頬を撫でた。エニが満足そうに耳をピンと立てているのを横目に、私は布袋の中そっと覗く。
中には硬貨が二枚。なるほど、これで150円ね。ってそうじゃない!
「なんで二人分の食事代くらいしか入ってないのよ! あいつらは高校生か!」
思わず声を上げると、エニが驚いたように私を見上げた。
耳がぴんと立ち、尻尾が疑問符のように曲がっている。
「お金、無くなっちゃったの?」
不安げにそう尋ねる彼女に、私は苦笑いを浮かべながら布袋を振って見せる。
「ほぼスッカラカン。服も買いたかったし、宿にも泊まりたかったけど、これじゃ無理かな」
エニはしばらく考えるように俯き、ぽつりと呟いた。
「……あたし、服とか宿とか別にいらない」
その控えめな声に、私は思わず彼女の肩に手を置いた。
「ダメだよ。その服だと寒いでしょ? それに、ちゃんと休んで元気にならなきゃ」
そう言って笑いかけると、エニは微かに頷いた。
そのとき――
「助けてくれぇ!」
村の奥から突然、けたたましい叫び声が響いた。
「……魔物だ」
エニの声は震えていた。
振り返ると、大きな黒い体毛に覆われた四足の獣が村へとゆっくり足を踏み入れる。赤く光る目と鋭い牙が異様な威圧感を放ち、地面に大きな足跡を刻んでいく。
「……タイガーベアだ!」
村人たちが口々にその名を叫ぶ。
虎なのか熊なのかはっきりしてほしい――と言いたいが、今はそんな余裕はない。
私はエニを背後に隠しながら、魔物と向き合った。
エニの耳が完全にペタンと倒れ、尻尾が震えている。怯えている。このままじゃ彼女を守れない。
「エニは隠れてて!」
「――でも、とーこは?」
彼女の不安げな瞳を見て、私は笑顔を見せる。
「大丈夫。私に任せて!」
……本当に、そう言い切れるのか?
足元がわずかに震えているのを自覚しながらも、私は自分に言い聞かせる。
「頼むぞ、私!」
この世界に来る前、願ったこと――「私の言葉を信じてほしかった」。それが私の魔法になったなんて思いもしなかったけれど……。
「とんでけぇぇぇ!」
言葉が力を帯び、空気を揺らした。
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