第1話 「この子、拾ってもいいよね?」
本日もよろしくお願いします。
人間って、追い詰められるとなんでも出来るんだな。
――私は震える足を必死で踏ん張っていた。
目の前には、地面に倒れた数人の男たち。粗末な服を着たその姿は、どこか荒くれ者のように見える。手には抜き身の短剣。それが地面に転がり、不吉な光を放っていた。
「もぉ、なんなのよ……」
私はぼそりと呟いた。
事故で命を落とした後、何やら神様らしき存在に案内されてここへ。
いわゆるラノベやアニメでよくある異世界転生。まさか本当に転生することになるとは。
見慣れない木々が風にざわめき、少し湿った土の匂いが鼻をくすぐる。頭上では、赤と紫が混ざったような不思議な色の葉が揺れている。
空気が違う。澄んでいて、生々しい。なんか雰囲気が違う、雰囲気が。
(ああ、本当に異世界なんだな)
そんな実感がじわじわと湧いてきた。
川の水面に映る自分の顔を見てみれば、転生前とほぼ変わらない。二十歳なりたてのピチピチ……いや、ピチピチって言うのもなんか恥ずかしいな。
とりあえず老化はしてない、よし。
それはそれで嬉しいけれど……何もない森に転生させるなんて、あの神様、親切とは言いがたいよね。
しかも、この服――なんかボロくない? くたびれたシャツに、擦り切れたズボン。こんなの異世界転生特典としては微妙すぎるんだけど……。
まあ、裸で転生させられなかっただけマシか。
せっかく魔法をもらったんだし、この世界をいろいろ旅でもしてみようかな――なんて期待していたのに。
この世界のルールも、敵か味方かすらも理解できていないのに、いきなり命を狙われるとか。しかも、なんで「あいつはどこへ行った!?」って叫びながら襲ってくるのよ。こっちは何も知らないのに。
「あ……これお金かも」
倒れている男の荷物をそっと探ると、硬貨が詰まった布袋を発見した。手に取ると、見慣れない模様の刻印がある。銀貨かな? やった! これがこの世界のお金なら何とかなるかも。私は布袋を握りしめ、深く息を吐いた。
――そのときだった。茂みの向こうから物音がした。私は固まる。
また敵? でも、足音が違う。小動物みたいに、そっと忍び寄ってくる気配。
やがて、ゆっくりと茂みを揺らして現れたのは――
泥で汚れた服を着た。ひとりの少女だった。いや、正確には人間の少女に、動物の耳と尻尾がくっついたような存材だった。
髪は乱れ、肩で息をしながらで立っている。腰からはふわふわの尻尾が覗き、頭にはピコピコと動く耳。銀色の髪は所々泥で固まっているけれど、わずかに残る光沢が本来の美しさを感じさせた。
(……え、可愛い)
私は思わず、彼女の尻尾に目を奪われた。
触ったらふわふわしてそうで、なんだか無性に愛おしい。
少女はそろりと近づいてくる。
怯えた動物みたいに、耳と尻尾を垂れ下げながら。その姿に胸が痛んだ。
「あなたが……倒してくれたの?」
細い声でそう尋ねられ、私は思わず明るく答えた。
「そうよ! 私が懲らしめてやったの!」
まだガクガク震える足を隠しながら、親指を立てて見せる。
彼女を安心させるためにできるだけ明るく振る舞ったけれど、自分でも声が少し上ずっているのがわかった。さっきの戦いの緊張がまだ完全には解けていない。
「……ありがと」
少女はそっと近づき、私に抱きついてきた。小さな体が震えている。
(……小さい。高校生くらいかな?)
頭の位置がちょうど私の肩くらい。
銀色の髪は腰より少し上まで伸びていて、細い肩が震えている。
汚れた服のせいで細身の体がさらに華奢に見える。その姿はどこか守ってあげたくなるような雰囲気を醸し出していた。
私は彼女の耳にそっと手を伸ばした。ふわふわで、触れるたびに軽く動くその耳が可愛くて仕方ない。温かみのある感触に、少し安心する。
「怖かったね」
そう声をかけると、彼女はこくりと頷いた。
その小さな動きに胸が締めつけられるような気持ちになる。
「お家はどこ? 家族は?」
彼女の頭を撫でながら、できるだけ優しく問いかける。彼女は私の胸に顔を埋めたまま、小さく首を振った。
(……そっか)
震える彼女を、ぎゅっと抱きしめた。
「……苦しい」
「わぁ! ごめん!」
勢い余って締め付けすぎたみたいだ。私は慌てて距離を取る。
「名前はなんていうの? 私は橘塔子。とーこって呼んでいいよ」
少しでも安心してもらおうと思い、穏やかに話しかける。すると、彼女は小さな声で呟いた。
「……16番」
たったその一言で、私の中にすべてが繋がった。先ほどの男たちが叫びながら私を襲ってきた理由も、この子が怯えている理由も。
彼女はきっと「商品」だったのだ。商品と呼ばれる存在がどう扱われるかなんて、前世の記憶からでも容易に想像がつく。だからこそ、この子が泥まみれになりながら必死で逃げてきたことも理解できた。
私はそっと彼女の目を覗き込む。琥珀色の瞳には怯えと疲労がにじんでいて、か細い手はまだ震えていた。
この子を助けなければ――私の心の中に熱いものが込み上げてきた。
前世での私は、特に何かを成し遂げたわけじゃない。ただなんとなく、日々を過ごしてきただけ。
でも、今は違う。
目の前にいるこの子を守りたい。この異世界に私が転生してきたのは、もしかしたらこの子を救うためだったのかもしれない。
「……逃げてきたんだね?」
私がそう尋ねると、彼女は小さく頷いた。その仕草は、まるで小さな動物のようだった。
「ねえ、私と一緒に旅をしない?」
私は力強く言った。
彼女の瞳が少しだけ見開かれる。そして、不安そうに揺れていた耳が、ほんの少しだけぴくりと動いた。
その仕草に、私は小さな希望を見た気がした。
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