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【連載版始めました!】奇天烈令嬢、追放される ~変な魔道具しか作れないせいで婚約破棄されたので、隣国で気ままに暮らしていこうと思います~





 ファセット王国が首都ルセット、その中央に鎮座する白亜の宮殿であるゲーリッツ城。

 その裏庭の庭園は、ファセット王国の名物となっているほどの幻想的な空間だった。


 驚くほどの躍動感がありまるで生きているように見える鹿の番を模した樹木や、色とりどりの花を咲かせる草花達、涼しさをあたりに振りまきながらさらさらと心地よい音で耳をくすぐる噴水……王がその才に惚れ口説き落としたと言われる伝説の庭師によって、それらが見事に調和しているのだ。


 そんな見る者に感嘆のため息をこぼさせる見事な庭園に、一人の男と二人の女が立っている。

 まるで彼女達の立ち位置を示すかのように一人は男の隣に、そしてもう一人は男に向かい合う形になっていた。


「アリス、君との婚約を破棄させてもらう!」


「――ハイケ殿下、自分で何をおっしゃっているのか、わかっておられるのですか!?」


「ああ、私は至って正気だよ、アリス」


 男の名はハイケ。

 ハイケ・フォン・ザルツブルグ=ファセット。

 ファセット王国の第一王子であり、王位継承権第一位を持つ次期国王である。

 その卵のように丸い顔から、『玉の王太子』のあだ名で呼ばれている。


 彼と向かい合っているのは、アリス・ツゥ・ヘカリスヘイムだ。

 ルビーの赤い右目とラピスラズリの青の左目というオッドアイを持つ彼女は、魔道具作りの名門であるヘカリスヘイム公爵家の次女である。


 彼女は王太子であるはずのハイケよりも有名な異名を持つ、一風変わった公爵令嬢だった。 一体何が変わっているのかといえば……。


「貴様のような『奇天烈令嬢』と結婚などできるか! 性懲りもなく妙な魔道具ばかりを作りおって!」


 彼女は作る魔道具が、なんというか、その……変なのである。


 通常魔道具は、能力と形状にある程度の相関関係があることが多い。

 透視能力を持つ魔道具を作るなら眼鏡型にした方がよく見えるし、防御力を上げたいと思ったら盾や鎧を魔道具にした方が効果は上がりやすいのだ。


 けれどアリスが作る魔道具には、その法則がまったく当てはまらない。


 彼女が透視の魔道具を作ればそれは眼鏡ではなくなぜか靴下になってしまい、防御力を上げる魔道具に適した形はなぜか槍になってしまうのだ。


 なぜ槍を持つと防御力が上がるのか。

 それは制作者であるアリスですらわからない。

 ただ、そういう風にできてしまうのだ。


 アリスは魔道具職人としては右に出る者のいないほどの腕を持っており、彼女の作る魔道具は日夜王国を支え続けている。


 彼女はその作る道具のおかしさから、広く『奇天烈令嬢』の二つ名で親しまれていた。

 二つ名というより、愛称と言った方がふさわしいかもしれない。

 変な魔道具こそ作るものの彼女の国民からの人気は高く、貴族達からの信頼も篤い。


 だがハイケからすると、アリスの奇天烈さが我慢ならなかったらしい。


「見ろ、これがメルシィが作ってくれた結界の魔道具だ。素晴らしい出来だとは思わないか?」


「いやですわ、恥ずかしい……」


 ハイケが首につけているペンダントを軽く握ると、隣にいる女性がいやいやと首を振る。

 頬を赤くしながら派手な身振り手振りで感情を表現するかまととぶった様子は、同性から見れば天然ものでないことが丸わかりだ。


 だが彼女を見るハイケは、今まで見たことのないほどにだらしない顔をしていた。

 どうやらぶりっこの演技に、コロリといってしまったらしい。


 さりげなくハイケの手まで握っている彼女の名は、マルシア・ツゥ・タンネンベルク。

 魔道具職人を排出することで有名になりつつあった、タンネンベルク男爵家の娘だ。


 アリスが頭角を現すまでは、ヘカリスヘイム家の商圏を荒らしていたいわゆる商売敵だった家だ。

 もっとも今ではアリスの名が大きすぎるため、ライバルと呼べるほどの存在ではなくなったのだが。


(もしかしてなんとかして自家を盛り返すために、殿下をたぶらかしたのかしら?)


 たしか彼女本人も魔術師ギルドに席を置く魔道具職人だったはず。

 もっともその腕は、そこまでのものではなかったと記憶している。

 だがどうやら恋に盲目なハイケから見ると、自分よりもマルシアが作った魔道具の方がよく見えるらしい。


「対して――見ろ、お前が作った結界の魔道具を!」


 そう言ってハイケが手に取ったのは、以前誕生日に彼にプレゼントしたアリス謹製の結界の魔道具――『結界のナイトキャップ』だった。


 ファンシーな水玉模様をしているが、たとえ街を灰燼に帰すような超強力な攻撃魔法だって防いでみせる、アリス渾身の一作である。


「なんでナイトキャップなのだ! お前はふざけているのか!?」


 ナイトキャップを、王子は思い切り投げつける。

 自分が作った魔道具がぞんざいに扱われる様子を見て、アリスの中にある何かが壊れた音がした。


 たしかに『結界のナイトキャップ』は、王太子が常日頃から身につけるにはあまりにも寝間着過ぎる。

 でもアリスがかつて王命で色々と試した結果、最も結界の硬度が上がる形がこれだったのだ。

 自分の婚約者に最も効果の高い魔道具を渡したいと考えるのは、魔道具職人であれば当然のことだった。

 ただ、どうやらハイケにとってはそれは不正解だったらしいが。


 ハイケの持つマルシア謹製のペンダント型の魔道具は、おそらくは攻撃魔法を一度か二度弾き飛ばすくらいが関の山のものだ。

 たしかに宝石が象眼されており見た目は美しいが、その内実が張りぼてであることは、アリスから見れば一目瞭然だった。


「それに攻撃力の上がる耳栓に回復の効果のある傘など、例をあげればきりがない! こんな変なものばかり作りおって……頭がおかしいのではないか!? アリス、貴様は公爵令嬢として恥ずかしくないのか!」


「――恥ずかしくなど、ありません」


 たとえどれだけ性能の高い魔道具を作ることができるからといって、アリスにだってなんでもできるわけではない。

 一流の魔道具職人の彼女であっても、使う材料や形状に関してはどうしようもないのだ。


 弘法筆を選ばずというが、彼女の場合は弘法筆を選べずといった方が正しい。

 アリスにできるのは、性能の高い魔道具を作ることだけなのだ。


 けれど彼女は、そんな自分を恥ずかしいと思ったことは一度もなかった。

 公爵である父や国王陛下、それに自分のことを親しみを込めた愛称で呼んでくれるファセット王国の国民達。

 アリスは自分が彼らにしてきたことを、胸を張って誇ることができる。


「むっ……」


 アリスの毅然とした態度を見たハイケが、眉間にしわを寄せる。

 恐らく彼はアリスが頭を下げて、婚約破棄を解消してくれと懇願するとでも思っていたのだろう。

 そしてそれを一蹴し悦に浸ろうという魂胆だったに違いない。


 自分の価値のわからない人間と一緒にいたいと思うほど、アリスは馬鹿ではなかった。

 女はいつだって、自分の価値を本来の自分以上だと信じさせてくれる人と共に在りたいと思う生き物なのだ。


「いいだろう、フィアンセの言葉も聞けん女に用はない。アリス・ツゥ・ヘカリスヘイム――貴様を国外追放処分とする」


 王国が信奉する神聖教では、離婚だけではなく婚約の破棄も禁じられている。

 故に王権神授を標榜する王族が婚約破棄を行うのは、通常の手段では不可能だ。


 であるからこそ、このように婚約破棄をされる場合には尋常の埒外の手段を取られることがほとんどだ。


(国外追放なら……まだマシな方ね)


 最悪の場合、覚えのない犯罪で拘禁されそのまま斬首というところまで彼女は考えていた。

 先ほどアリスは、そうなっても構わないという覚悟を持って発言をしたのだ。


 今回の処分は最悪のケースと比べれば、比較的穏当な部類ではあるだろう。

 生活能力なんてあるはずもない公爵令嬢を国外追放処分にする時点で、ありえない話には違いないが。


「謹んでお受け致します」


 ただ何事にも例外はある。

 アリスはそんじょそこらの公爵令嬢とは違う。

 『奇天烈令嬢』の二つ名は、伊達ではないのである。















 アリスが婚約破棄を言い渡されてからも、彼女は不服をこぼすでもなく父である公爵やハイケの父である国王ヴァナール二世に抗議をするでもなく、粛々と国外へ向かうための準備を整えていた。

 一連の騒動から三日が経った日、アリスは本当に家を出ていった。


 供回りを一人として連れて行くこともなく、馬車を使うこともなく王都の城壁に背を向け北へと向かっていった。

 子飼いの兵士達から情報を得られたことで、ハイケはふーっと大きく鼻で息を吐く。


「まったく、ようやくあの気持ちの悪い女と別れることができた……待たせてしまってすまないな、マルシア」


「いえ、そんな……うれしいです、殿下」


 目にもとまらぬ一瞬のうちに手を取ったマルシアが、ポッと頬を赤く染める。

 その様子を見て庇護欲をそそられたハイケが、その華奢な腰に手を回す。


 ハイケは元々、アリスのことが嫌いだった。

 公爵家の次女の分際で、自分より国民に気に入られているというのが気に入らなかったからだ。

 父であるヴァナール二世が彼女のことを気に入っているせいで、なかなか婚約にケチをつけることはできなかったのにも腹が立っていた。


 本当に好きな人であるマルシアと出会ったのは、運命だったに違いない。

 彼はマルシアに奮い立たせられる形で、アリスへ最後通牒をたたきつけ……そして見事国外追放を勝ち取ったのだ。


「やってみると案外他愛なかったな……ふふっ」


「そうですね、これで私のタンネンベルク家も……うふふ」


 マルシアにもらったペンダント型の結界の魔道具に触れながら、高笑いをするハイケ。

 それにつられて笑うマルシア。


 ハイケは今後、魔道具をアリスの実家であるヘカリスヘイム公爵家からマルシアのいるタンネンベルク男爵家へと切り替えていくつもりだった。


 魔道具の違いなど、所詮は些細なものだ。

 落ち目だと言われていても、タンネンベルク家もかつてあと一歩のところで天下を取れるところまでいったのだ。

 しっかりと地力は持っているのだから、入れ替えても問題などあるはずがない。


「俺が王になったあかつきには、マルシアを王妃として迎え入れてみせるぞ!」


「うれしいです……ハイケ陛下」


「ハハッ、陛下はよせ。気が早いぞマルシア」


「あらいけません、私ったらついうっかり」


「まあそう遠い話ではないかもしれんがな……フハハハハッ!」


 そう高らかに宣言するハイケ達は、正しく人生の絶頂の真っ最中であった。

 それが束の間しか持たぬ仮初めの幸せであることを、彼らはまだ知らない――。









 ハイケが父であるヴァナール二世に呼び出されたのは、それから更に三日ほど月日が流れてからのことだった。


 今回の追放劇は、父の許可を得ていないハイケの独断専行だった。

 兵士や侍女達に厳重に口封じは行っていたが、アリスの姿が数日も見えなければ、さすがにバレる。

 数日というのは、むしろもった方だろう。


(だが……何も問題はない)


 アリスと婚約破棄して疎遠になった公爵家に代わり、タンネンベルク家を重用すればいいだけの話だ。

 そう軽く考えていたハイケは父の私室に入り、その父の顔を見て……言葉を失った。


 普段から温厚で『慈愛の王』の異名を持つはずのヴァナール二世は――憤怒の形相を浮かべていたからだ。


「ハイケ、貴様――自分が何をしたかわかっているのか!!」


「な、何をと言われても……なんのことでしょうか?」


「アリス嬢に婚約破棄を言い渡し、国外追放したことに決まっている! ふざけているのか、ハイケ!!」


「ひ、ひいっ!?」


 悲鳴を上げたハイケを見たヴァナール二世が、大きな大きなため息を吐く。


「育て方を間違えたのではないかと今まで何度か思うことはあったが……今回は極めつけだ。まさかお前がここまで愚かだったとは……」


「お、愚か!? 俺は何も間違ったことはしておりません! たしかに公爵家との関係が悪化してしまったのは悪いと思っております。ですがその分はタンネンベルク家と近づくことで――」


 口答えをするハイケを見て、再度のため息。

 国王は説得することを諦めた様子で、そのままゆっくりと椅子に腰掛けた。

 そしてごそごそと何かを取り出したかと思うと、机の上に乗せる。


「貴様はこれを知っているか?」


「知っているも何も! もらったことがあります。あの女は、まったくふざけたものばかり作りおって……」


 そこにあったのは――模様こそ違えど間違いなく、つい先日ハイケが投げ捨てたあの『結界のナイトキャップ』だった。

 それを見ると、ハイケの胸のうちから怒りがふつふつと湧き出してくる。

 その様子を見た国王は、顔から表情を消しながら淡々と告げた。


「――金貨百万枚だ」


「……はぁ?」


「この魔道具の値段が、だよ」


「金貨百万枚……金貨百万枚ッ!?」


 何を言われているかわからず頭の中で反芻してから、思考が追いついたハイケが飛び上がる。

 金貨百万枚というのは、とてつもない大金だ。


 ハイケは王太子として何不自由ない生活を送ってはいたものの、最低限の金銭感覚くらいは身につけている。


 金貨百万枚というのは、いくつもの街を持つ領地貴族の税収に匹敵する。

 下級貴族では裕福なことの多い子爵家の中でも、この額を稼いでいる者の数は片手で数えられるほどしかいない。


「アリス嬢はこの魔道具を、我が国に惜しげもなく提供してくれていた。ここ数年、魔境からのモンスターフラッドが起こっていないのを不思議に思ったことはないか? あればすべて、アリス嬢が善意で魔道具を提供してくれていたからなのだよ」


 魔境とは濃密な魔力が満ちる、凶悪な魔物達が巣くう地域だ。

 魔物は成長が早いため、急速にその数を増やしていくことが多い。

 すると増えすぎた魔物達は、新たな生息域を求めて本来の生息地帯を飛び出していく。

 その現象のことを、モンスターフラッドと呼ぶのである。


「馬鹿な……あの奇天烈女の魔道具が、そんな高い効果を持っているはずがない!」


 半狂乱で叫び出すハイケ。

 彼を見る国王の視線は、自分の息子に向けているとは思えぬほどに冷たいものだった。


 たしかに言われてみれば、ここ数年王国では魔物による被害が話題に上ることはなくなっていた。

 それ以前には街や村の壊滅の被害などの話を耳にする機会も少なくなかったというのに。


 だがその減少その理由が自分が追い出した女などという話を、ハイケに信じることができるはずがなかった。


「『結界のナイトキャップ』だけではない! アリス嬢の職人としての腕は本物だ! 彼女が作ってくれた魔道具は王国のインフラを支え、彼女が仕立てた武具によって王国の戦力は大いに向上した!! 国にあれだけの貢献をした彼女を追放するとは……貴様にはほとほと失望したぞ、ハイケッ!!」


「ひ、ひいいいいいっっ!!」


 腰の引けたまま部屋を飛び出していくハイケを見て、ヴァナール二世は何も言わずどしりと椅子に座った。

 彼が首をかしげれば、そこには丁寧に剪定された庭木の並ぶ庭園がある。


「ふぅ……」


 国王がここまで怒りをあらわにしている理由は、実はもう一つあった。

 彼が気に入り、必死になって口説き落とした庭師のマーカス……彼が暇乞いを出したのだ。

『アリス様の作る魔道具の価値のわからない人間に、俺の庭師としての価値がわかるとは思えない』


 普段寡黙な彼は、そう言って辞表を叩きつけると、どこかへ消えてしまった。

 侍女達から話を聞いてみると、どうやらアリスは寡黙な彼と仲良くなり、庭園造りに有用な魔道具を融通したりしていたらしい。


「この光景が見れるのも、これで最後かもしれないな……」


 彼が大好きだった、執務室から見える庭園の風景。

 心の憩いになっていたこの風景が見れるのは、あと何度だろうか。


 庭園は庭師によって顔を変える。

 新たな庭師が作り上げるそれは、きっとマーカスの作るものとはまったく異なるものになってしまうに違いない。


 アリスにマーカス。

 才にあふれた若者を、この国は二人も失ってしまった。


「――落ち込んでばかりはいられない。まずは間違えた子育ての清算からせねばなるまいな……」


 国に多大な貢献をしてくれていたアリスを、ただ惚れた女と結ばれたいからなどという私利私欲で追放したハイケは、激怒したヴァナール二世により王位継承権を剥奪されることになる。


 そして修道院送りとなった彼は、王になるという己の野望を成就することなく、同じく追放劇に加担したマルシアともども、権力を失い没落していくのだった――。



















 ファセット王国を北に進んでいけば、その先にあるのはガーランド帝国だ。

 王国と比べるとその歴史は浅く、建国から未だ百年も経っていないが、帝国はこのバーンガイア大陸で今最も勢いのある国といえる。


 ファセット王国は四方を国と接しているが、アリスがセカンドライフを送る場所として選んだのは帝国である。

 当然ながらそれにも理由がある。


 帝国を治める皇帝が標榜しているのは、徹底した実力主義。

 実力さえあればスラム上がりの孤児を官僚として迎え入れ、冒険者崩れのごろつきを騎士見習いとして雇うと噂の帝国であれば、身分を隠した状態でも上手くやっていけるだろうと思ったからだ。


 アリスの北へ向かう旅は、供回り一人いないせいでまともに進めずに苦難の連続……なんてこともなく、至って順調に進んでいく。


 実は彼女は定期的に、身分を隠して冒険者として活動していた。

 魔道具に必要な素材は、自分の手で集めた方が手っ取り早いことが多いからだ(ちなみにアリス追放の話が国王にまで伝わるのに時間がかかったのも、彼女が定期的に長期間家を空けることが結構な頻度であったからだったりする)。


 アリスは冒険者達にとって一流の証明であるBランクの称号を持つくらいには、野営や移動に慣れている。

 更に言うと彼女は人がギチギチに乗っている乗合馬車でも平気で寝れるタイプの公爵令嬢なので、道中ストレスが溜まるようなこともなく、サクサクと段取り通りに国を出ることができた。


 国境沿いの関所を抜け、そのまま北西に向かうこと二ヶ月。

 アリスはようやく、目的地へとたどり着いた。


「あれが……帝都ガルシュヘイム」


 高く、見上げるほど高くそびえ立つ城壁によって囲まれた城塞都市。

 万の魔物の侵攻でもびくともしないとされるその黒塗りの城壁の威容に、思わず息を飲む。

 検問を抜け中に入ると、また一つ小ぶりな城壁が見えてくる。


「なんで城壁が二重になっているのかしら?」


「都市の拡張計画があったからだよ。前の城壁の中に人が入りきらなくなったってんで、皇帝陛下が新しい城壁をこさえてくれたのさ」


 アリスのつぶやきに、行商人らしきおじさんが答えてくれた。


 中にある小ぶりの城壁は、帝国がまだできたばかりの頃に作られたものなのだという。

 ただ帝都が大きくなるにつれて明らかに手狭になっていき、城壁の外に多数の居住区画が作られるようになっていた。


『城壁の外に暮らす者達もまた、帝国の臣民だ。皇帝である私には、彼らを守る義務がある』


 そんな時の皇帝ラングルト二世の鶴の一声によって作られた新たな城壁が、外側の黒塗りの城壁――通称『黒壁』なのだという。


(市民のことも考えてくれる国っていうのは、どうやらホントのことみたいね)


 アリスは王国の選民思想的な貴族にはうんざりしていた。

 帝国であればのびのび暮らすことができそうだ。

 そんな風に期待に胸を弾ませて宿を取る。

















 来客があったのは、その日の夜のことだった。

 こんこんと、アリスの私室の部屋が控えめに二回ノックされる。


 アリスはそのオッドアイをパチリと開き、ベッド脇に置いてある自作の魔道具を装着していく。

 そしていつでも逃げ出せる準備を整えてから、


「どちら様でしょうか?」


 警戒もあらわにそう問いかける。

 夜這いかとも思ったが、夜に狼藉を働くにしてはいささか行儀がよすぎる。


「ここはアリス・ツゥ・ヘカリスヘイム嬢の私室で間違いないか?」


「――ええ」


 早すぎる、とアリスは内心で歯がみした。


 彼女の姿はたしかにかなり目立つ。

 個人的にチャームポイントと思っているオッドアイもそうだが、彼女は自身の戦闘能力を上げるため魔道具をフルで装備しまくっている。


 ただ能力と形状があべこべなせいで、完全防備にもかかわらずその見た目は奇妙奇天烈になってしまう。


(遅かれ早かれいずれ帝国の人間に感づかれるとは思っていたけど……まさか当日のうちに気付かれるなんて)


 自分は隠密行動には向いていないらしい。

 がっくりと肩を落としながらドアを開けると――そこには騎士の甲冑に身を包んだ男の姿があった。


 兜は取っており、その顔は月明かりに照らされて光って見える。

 黒髪黒目の鋭い顔つきをした男性だ。

 がっしりとした体つきは巌を思わせ、その鋭い瞳と雰囲気は獰猛な鷹を想起させる。


「ヘカリスヘイム嬢とお見受けするが、いかに」


「ヘカリスヘイムの名は捨てました。先ほどはああ言いましたが、今の私はただのアリスです」


「……どういうことだ?」


 鷹を思わせる鋭さを持つ黒髪の男が眉をしかめる。

 どうやらアリスの正体を突き止めるところまではできても、詳しい事情までは帝国には伝わっていないらしい。


 アリスはハイケに国外追放される際、国家擾乱罪の名目で公爵家としての立場を剥奪されている。

 なので今の彼女は自分で言った通り、ただのアリスなのだ。

 彼女はこの帝国で、一から己の人生をやり直すつもりだった。


「私は国外追放の処分を受けましたので。なので貴族令嬢として歓待してもらう必要はありません。これから帝国で……魔道具作りでもしながら過ごしていくつもりです」


 アリスは立場こそ非公式なものであったが、王宮専属の魔道具職人として働いていた。


 労働条件がそこまで悪かったわけではないが、何せ彼女に作成を依頼される魔道具は数が膨大だった。

 それらを宮仕えという肩の凝る環境下で作り続けることは、正直かなりのストレスだった。


 ハイケの婚約破棄は、そういう意味では良い機会だったのだ。

 アリスは帝国ではそういった俗世のしがらみから解放されて、自由に生きていくつもりだった。


 冒険者として活動をして困っている人を助けたり、魔道具を作って誰かを喜ばせたり……彼女は第二の人生を、そんな風に誰かのために過ごすつもりなのだ。


 だからアリスは目の前の騎士に、自分の正直な気持ちを告げることにした。

 これ以上要らぬお節介を焼かないでくれという意味も込めて、しっかりと自分の考えを伝えたはずなのだが……悲しいことに、彼にはその真意が伝わらなかったらしい。


「なるほど、民のために生きる……か」


 男はその鋭い目つきで、アリスのことをじっと観察し始める。

 居心地が悪くて身じろぎをするが、彼は面白いものを見るような目でじっとアリスのことを見つめていた。


「悪くない考えだと思うぞ。お前のような考え方を持つ貴族がもっと多ければ、俺もこれほど苦労せずに済むのだがな……」


「なので主とその周りに伝えてくださいまし。私は市井で生きていくので、余計な干渉は不要と」


「……主? 一体なんのことだ?」


 眉間にしわを寄せながら、首を傾げる騎士。

 凜としている彼のちょっと間の抜けた態度は、なんだかおかしみがあった。


「主も何も、俺より上の人間はいないが」


「……へ? あなたは騎士なのでは?」


「……そういえば名乗りがまだだったな。俺はラケル――ラケル・フォン・ガーランドだ。即位してからはラングルト二世を名乗っているが、気軽にラケルと呼んでくれて構わない」


「ラングルト……って、えええええ――もががっ!?」


 黒髪の男の正体が――今上帝のラングルト二世ッ!?


 目の前にいる人物が皇帝だと気づいて叫び出そうとするアリスの口を、ラケルの手がぐっと押さえる。

 大きな手のひらなので、鼻のあたりまですっぽりと収まってしまった。


「あまり騒ぐな、バレると面倒なことになるだろう」


「は、はあ……陛下とお呼びした方がよろしいでしょうか?」


「今更猫の皮を被っても遅いと思うが」


「ね、猫の皮なんてかぶってませんっ!」


「『奇天烈令嬢』の名は伊達ではないということか……正直、想像していた以上に面白いやつで俺もびっくりしている」


 ラケルはつま先から頭まで、もう一度アリスのことを観察する。

 そして……ぷっと噴き出した。


「ちょ……何がおかしいんですかっ!」


「何がって……全部が」


 今の彼女のコーデを見ていけば、その理由はわかるだろう。

 履いているのは虹色の靴下と紫に染色されたとんがりブーツ。


 そして背中にはアリスの細腕では抱えられないほど大きな盾と槍を背負い。

 額にねじりはちまきを巻き、頭の上にはナイトキャップをつけている。


 これが現状のアリスの最硬装備である。

 こんな格好をしていれば、そりゃあ一日で見つかるだろう。


「それに……面白いだけのやつではないこともわかった。アリス、俺はお前の考えを尊重するぞ」


 アリスの考え方は、平民をただの書類上の数字としか捉えていない王国貴族としては異端であった。

 民のためを思い魔道具を広く普及させようとする考え方を、彼女は否定され続けてきた。


 けれど――今こうして、帝国の皇帝から認めてもらえた。

 たったそれだけのことで、今までしてきた苦労が、少しだけ報われたような気分になってくる。


「では……またな」


 初めて肯定してもらえたその喜びにアリスが言葉を失っていると、ラケルが踵を返す。

 肩につけているマントが、ひらりと風になびいた。

 ミルク色の月光に照らされるその横顔は、思わず見とれてしまうほどに美しい。


「はい……また……」


 ラケルは夜の闇に紛れて消えていった。

 その後ろ姿を見ていると、とくんと胸が高鳴る。


 自分のことを肯定してくれた皇帝の治める、ガーランド帝国。

 ここでなら、きっと……。


 期待に胸を弾ませながら、アリスは部屋へと戻る。

 再び布団をかぶった彼女は、実家でいた時からすれば考えられないほど、ぐっすりと眠りにつくことができたのだった――。

好評につき、連載版を始めました!

↓のリンクから読めますので、引き続きよろしくお願い致します!

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