【なろう版】料理するなんてと婚約破棄されたけど、試食作ってたらいつの間にか番犬(柴犬系男子)が傍に控えてました
初めまして。
沢山の中から選んで頂き、ありがとうございます。
少しでも楽しんで頂けましたら、幸いです。
どうぞ宜しくお願いします。
「あぁ、あの方が…。」
婚約破棄された貧しい気の毒な令嬢。
それが私、ナタリア・イーストセッド子爵令嬢の呼び名。年末休暇前のパーティーで、全学園生の前で突如婚約破棄された。皆、元婚約者の無粋さに呆れていたが、本人は無頓着だった。
歴史はあるが、今は領地もなく、文官として父と兄が、母は侍女として働く公務員一家だ。そんな私も登用試験に向けて勉強中で、破棄されたからと言っていつまでも落ち込んでいられない身の上だ。
お互いに激しい恋情はなかったが、穏やかな関係を築いていると思っていたが、彼は変わってしまった。というか、多分元からそういう人だったのだと思う。
「私は料理することを恥としない君と添い遂げるなんて御免だ。貴族らしく品がある者同士、手を取り合って支えあえる人がいいんだ。彼女のように。」
そうでなければ、こんな台詞、出てこないと思う。恥というなら、それを全学園生の前で晒さないでほしかった。…私には家族の中で助け合う為に担当できるものが料理だったのだ。お互いが何かを担い、意見を出しあい、お互いを尊重し清貧ながらも穏やかに暮らしていく。そうして家族として仲を深めていく。それが手を取り合うってことだと思うけど、彼は…違ったのだと思う。
「…それって、つまり根付いた昔話には教訓もあるってこと?」
予想される国難について、グループ毎に意見を出してお互いの主義主張を擦り合わせ、まとめることを学ぶ授業での事。まんまるのミルクチョコレート色の瞳をキラキラさせて、彼は食いついた。
「…えぇ。例えば有名なセオドル川の魔物の話は氾濫水域を教えるものであり、魔物が退治された後にその地域が栄えるのは土が氾濫によって運ばれた新たな土によって肥沃になるからだと思うの。百年単位で一度、必ず川の魔物が復活するのはそういう理由があると思うわ。だから、治水をした後の土の問題を解決する必要があると思うの。」
「おもしろいです、その考え方。皆さんは?!討論前だから、どんどんまずは出してみませんか!」
彼は私の考えを否定せず、それを叩き台に他の意見も求めた。それまでは山賊被害、水害、山火事、魔物の大量発生等、真っ当な国難しか、意見としてでていなかったが、彼のキラキラした明るい声がみんなにするりと受け入れられ、その後は活発に新しい意見がでた。結果、私達の班は目線の違った意見が沢山でたので、予想というところから視点をずらして広く考え、優先度に合わせて、対応・研究対象にすべきだと論じて、先生に誉められた。
私達をまとめてくれたのは他国から転校して来たばかりの商家の次男ダイ・ポムジュだった。太陽のような明るいオレンジのくせのある髪に、ミルクチョコレート色の丸い瞳。整った顔立ちなのに、優しさと好奇心とがない交ぜのキラキラした瞳と、屈託のない明るい笑顔で、初対面の相手の固さなんてものともしない。男女問わず、彼はあっという間に人気者になった。
「ナタリア様…では、ありませんか?」
街で男性から声をかけられた。ダイさんだった。私は食材を買い足しに来たところだった。
「ダイさん、こんにちは。お出かけですか?」
ダイさんは仕立ての良い畏まった服を着ていた。私の視線に気づいて、にこっと笑った。
「あはは、残念ながらこれは店の制服なんです。実家の手伝いをさせられてまして。ナタリア…さんはお買い物ですか?」
きっと私の挨拶や衣服が貴族らしくなかったからだろう。お忍びとも聞かず、貴族と周りに気付かれないよう、敬称や言葉遣いも変えている。貧しい私の噂も聞いているだろうに、この方はきちんと気遣ってくださる。私に敬意を払っても何も得することはないのに。私は細く感嘆の息を吐いた。
「食材の買い出しです。これでも料理は得意なんですよ。…でも、材料が手に入らなかったので、もう帰ろうかと思っていたところです。」
「ちなみに何が手に入らなかったんですか?」
「…材料というか香辛料なのですが。」
この国では料理は基本、素材だ。ただ我が家は材料費にかなり限りがあり、味付けで勝負する平民寄りの感覚だ。だから貴族に好まれない他国が使うような香辛料も使用する。元婚約者にはかなり冷たい視線を投げ掛けられたけれども…。
ダイさんはちょっと考えてから、人好きのする笑顔で私に提案する。
「もしよかったら、我が商会に見に来てみませんか?といってもまだ開業準備中なので、倉庫状態なんですが、兄嫁が結構色々仕入れしてるんです。」
「まぁ、よろしいんですか。」
「はい、勿論。でもお探しの物がなかったらすみません。」
そうして思いがけないご厚意で、開業準備中の商会に案内してもらうことになった。
店に入るとど真ん中に細い棚が沢山並べてり、あいうえお順に名札がついてある。どうやらこの棚が香辛料の棚になるらしい。商品自体はまばらにしか納まっていない。
「どうですか、中々の種類ではないかと思いますが、ナタリア様のお探しの物はありますか?」
ダイさんの私を呼ぶ敬称が変わった。本当にこの方は素晴らしい。
「まだ本日買い求めていたものにはたどり着いてはおりませんが、豊富さに心踊る思いです。」
「それは義姉が喜びます。」
今までとは違い、ダイさんは品の良い洗練された仕草で頭を軽く下げた。そして彼から視線を外し、また順に棚を追っていく。
「あ、ありましたわ!ローリエ!よかった、今夜使いたかったのです。今日は寒いし、冷え込む晩の食事は家族に温かい煮込み料理を食べさせたくて。」
私は嬉しさに思わずにこにこして、ダイさんに捲し立てた。一瞬彼は眉を上げて驚いたが、すぐに戻して微笑んだ。
「ご家族もお喜びになるでしょう。美味しい料理に、ナタリア様の愛情が入った料理はとても美味しいでしょう。羨ましい限りです。」
お世辞は入っているだろうけれど、料理をすることを対面で認められて、更に羨ましいと言われて、私は心が温かくなったように思えた。料理は貴族がすることはほとんどなく、我が家のように金銭に余裕がない家がすることだ。料理をすることを公表することもありえなかった。私は二重の意味でお礼を述べた。つい頬が緩んでしまったが、品なく見られなかっただろうか。
「ありがとうございます。ダイさんにお声がけ頂いたお陰ですわ。…ちなみにこの名札の場所に商品を並べて完成ですか?」
「はい。あとは並べるだけなのですが、何せ他にも沢山商品があり、まだまだ先になりそうです。」
私はお礼になるか分からないが、ダイさんにアドバイスを贈ることにした。
「この国の料理は素材その物に価値が置かれています。」
「はい、存じております。その為、兄嫁が香辛料や調味料に力を入れて展開したいと申しておりました。食は生命を作るもの、料理の幅が広がるのは絶対に受け入れられると。」
その通りだと思うが、この陳列には致命的なミスがある。そのことには気づいていないようだ。
「仰る通りだと思います。しかし調味料や香辛料に重きを置かないからこそ、使い方が分からないのです。料理名があったとしても、大多数の人間はその料理がどう変わるかすらイメージできないと思います。」
「は?」
「この都の料理店で、お食事は召し上がりましたか?」
「え、えぇ。入居した初日は荷ほどきができていなかったので、その夜と翌日昼の二回ほど…。」
彼は私が何を言いたいか分かっていないようだった。ふふっと苦笑して彼に問う。
「その二店とも、あまり美味しく感じなかったのではないですか?お店の名前は覚えていらっしゃいますか?」
「あ、はい。…一つはサラバトーラという名前のレストランと鈴蘭亭という大衆食堂です。…賑わっていたのと、近所だったということから選びました。」
ダイさんは名前をしっかり覚えていて、選んだ理由も教えてくれた。
「…どちらも美味しいと有名なお店ですね。…塩胡椒、新鮮なオリーブ油と新鮮な素材が基本で、あとは唐辛子や数種のハーブ位でしょうか。他国から来ると味に物足りなさを感じるようです。評判の店ですら、香辛料を使わないのが現状です。」
食べたことがないからピンと来ない、仕方ないことだと思う。我が家に最後に勤めた料理人が他国出身だったらしい。曾祖母が幼少期に辞める前に教えを乞い、記録に残して伝えてくれた。お陰で貧しくとも美味しい料理が食べられる。だが外食は楽しめない…まぁそんなお金はないのだけれど。
「なるほど、食べ比べする必要があるのですね。確かに、美味しいか分からない料理よりわかっている美味しさを求めてしまうでしょうね。」
「更に変革性を求めない国民性もあるでしょうね。」
「…ナタリア様は視野が広い上に、博識だ。卒業後はやはり城仕えの予定ですか。」
「そうです。試験に合格すればですけど。今は家事の合間に必死に勉強してます。」
うっかり、家事を担当していることを口にしてしまったが、きっとこの方は大丈夫だろう。ほとんど知らない方だが、何故か彼にはそう思わせられてしまう。
顎に手を当て、俯くダイさんは少し躊躇いがちに口を開いた。
「失礼をお許しください、もし。ナタリア様の家事を無償で誰かがやってくれて、代わりに少し働くだけで賃金が貰えるとしたら、どうですか?」
ダイさんは思ってもみないことを話しだした。だが彼は至って冷静で、嘲笑している様子もない。働くとはどんな内容なのか、いくら貧乏貴族とはいえ、矜持は捨てていないので、できないことはできないと断らねばならない。
じっと見つめていると、私の考えに気付いたのか、ダイさんは軽く頭を下げる。
「先程頂いたアドバイスを実践したいのですが、お話からすると料理人を探すことも難しそうです。ナタリア様に売り物の香辛料を使った試食を作って頂けないかと思いました。」
「…それは私が思う条件をのんで頂けるのなら、検討しましょう。話し合いの席を設けて頂いても?」
「勿論です。簡単ですがこちらの希望も挙げさせてください。ご家族とも必ずお話し合いください。後日兄夫婦とイーストセッド子爵家へ伺わせて頂きます。」
「わかりました。一旦この件はお預かり致します。では後日。」
後日、お互いの条件を擦り合わせ、私はダイさんの兄夫婦の店で契約の為の試食を作ることになった。料理はこの国で一般的で手軽な物、家で焼く人も多いパンに目をつけた。スッキリとした香りのローズマリーと癖になる甘い香りのシナモンだ。どちらも焼く前にかければいいので、量の調整もしやすいし、初心者向けだ。パンも同じものを使えるので、手間がかからない。ローズマリーは岩塩を、シナモンには粗めの砂糖をかけて試食に出すことにした。
開業直前の昼食時に、関係者に三種類のパンを食べ比べてもらうことになった。ダイさんと兄夫妻、現地採用のスタッフ三人だ。我が家からは兄が参加した。試食が上手くいけば正式に試食作りを契約するので、立会人だ。そして今回の試食のメインターゲットは現地採用スタッフだ。彼らはローズマリーもシナモンも知らない。
「さぁ、どうぞ。」
皆の反応を見る。味を左右しないよう、飲み物は白湯にした。家族以外に料理を振る舞ったこともないので、私は緊張して感想を待つ。
「んんっ!なんだ?!甘い香りがふわっと鼻に抜けるんだけど、表面の砂糖がカリカリして不思議だ。甘い香りもなんだろう!食欲が増すぞ。」
「俺はこっちの葉っぱが載ったものがいい!塩気とほろ苦いような、うーん、いい香りがする。酒がほしいな。」
「いつものパンがこの香辛料をいれるだけで、こんなに変わるのか。これはいいな。」
三人三様の意見だが、概ね好評だ。兄は勿論、ダイさん達も頷きながら食べている。ダイさんは白湯をごくりと喉を鳴らして飲み干し、キラキラした瞳でこちらに身を乗り出す。
「すごいです!俺、実はシナモン苦手で。でもこれなら食べられます。パンももちもちして、美味しいです。」
「それは光栄です。風味に慣れるまではシナモンは少量がいいと思います。慣れたら振り掛ける量を増やせばいいと思います。パンなら日持ちも多少しますから、私も多めに作り置きもできます。」
こうして無事契約となり、試食もできる珍しい調味料を置くポムジュ商会が開業した。
始めこそ、一人も客が来ないという日もあったが、パンを焼くのを店でしてみると、焼き立ての香りが近所に広まり、少しずつ人が来店し始めた。私もそれにあわせ、煮込み料理のスパイス、肉や魚の臭み消しのスパイスと少しずつ試食を変えていった。試食がいつも同じ品ではないことも広まり、満遍なく毎日お客様がくるようになった。ダイさんと同じように店も人気店になった。
だが店が人気があると、中々昼食もとれないらしく、いいメニューはないかと相談された。
「サンドイッチばかりでは飽きるんです。温かいものが食べたいです。」
子犬が耳を下げてしょんぼりするような感じだろうか。ダイさんは疲れたように相談してきた。体が冷えると疲れも溜まりやすい。なんだかスタッフも胃を押さえている気がする。
「うーん。栄養もあって、スパイス使って、温かくて、食べやすいもの。…少し時間をください。考えてみます。」
結構難題だ。
私はかなり悩んだ。試行錯誤した。
「なんだかいい香りがしますね。トマト?」
「ふふ、その通りです。でもダイさんが知る使い方とは違うと思います。」
そうなのだ、この料理のベースは我が家の残り物で食事を済ます時に作るものだ。裕福な方は想像しないと思う。それを使用する水分を減らしたり、材料を何種類か試して試行錯誤して出来上がった自信作だ。いい香りがするでしょ?ふふっ!
「まぁ、もうすぐですよ、楽しみにしててください。」
私はそう言って仕上げにかかった。
「お待たせ致しました。こちらが本日の賄いです。名前はありません。まずは皆さんが召し上がってみてください。」
出した料理は卵料理だ。バターで黄金色に輝いた卵の上から、数種のスパイスを入れて作ったトマトソースを真ん中から大胆にとろりとかけた。中は…。
誰かが声をあげる。
「こ、米?!赤いぞ?!」
一般的にこの辺りでは米は炊いてそのまま食べる。だが我が家は量を増やす為にスープに入れて、野菜と一緒に煮込む。スープがなくなるまで煮込むと、米は水分を含み、かなり柔らかく仕上がり嵩が増し、満腹になる。
ただ、働き盛りの男性達が食べるなら、ましてや材料費をしっかり貰うなら食べ応えあるものにしようと、最終的には普通に米を炊く水と同量のスープで炊いてみた。同時に小さめに切った根菜と鶏肉、数種のスパイスも入れて炊いたことで、更に満腹感は満たされると思う。炊いている時の香りもつい駆け寄りたくなる程で、自分の空腹にも響いたほどだ。
厚いシート状の卵をスプーンで破り、トマトスープで炊かれた米を一緒にして掬い上げ、口に運ぶ。赤と黄色にオレンジと、色鮮やかさをバターの芳香な香りがより際立たせ、早く口に入れたくなる。
「…っ!!…?!」
「…っまい!…ナタリア様、おかわり、ありますか?!」
「こ、これは!…はぁ。バターの芳しい香り。ホカホカしたスープを吸ったお米…。」
「…温かくて、スプーンと皿一つで食べられるなんて!」
「いやぁ、米に入ってる肉もほろほろとして美味しいなぁ。」
皆、もぐもぐ口を動かし、各々の感想を口にしながらも、皿から誰一人目を離さない。そしてついに無言…。せわしなく食器の音がする。
「おかわり!!」
一番はダイさんだった。
「…何も仰らないから、微妙なのかと思ってました。」
「とんでもない!すみません。あまりの料理の美味しさに、言葉が出なかったのです。この瞬間、僕の一番好きな料理になりました!」
興奮して、顔を赤らめてキラキラした笑顔で答えるダイさんは少年のようで可愛らしかった。
「すみません、俺も。」
「「お、俺たちも!」」
「…私も、いいかしら…?」
スーザンさんまで、ぽっと頬を赤らめ、おかわりしてくださった。私もにっこり笑い、それに応える。
「まだありますよ。ふふ、試食、成功ですね!」
結局全員がおかわりしたので、次回からは仕込みを増やそうと思った。内緒だが、なにせ私の分がなくなったので。
その後、ダイさんと話し合い、この料理はオムレツに似ていること、それと米を意味する共通語のライスとを合わせて、オムライスと名付けた。そして、ダイさん筆頭に皆さんの強い希望で学園の休日は必ず作るようになっていった。
ある賄いがオムライスの日、店が大変混雑し、休憩時間がかなり押してしまった。皆、急いでオムライスにありつこうと、手ずからオムライスを持って席に着き始めた時に、運悪く、ドアベルと共に扉が開いた。
「こんにちはー。イヤー、急に頼まれちゃって、休憩中に申し訳…。何それ。その美味しそうな黄金色の…。」
常連の小売り商人さんだった。彼は新しいものが好きなのと、食べることに情熱を捧げている人だった…。目がオムライスに釘付けのまま、彼は距離を詰めて最寄りのスーザンさんに近寄った。
「やばっ!何これ!バターの香り。オムレツ?!それにしては大きいし、タイム?ローリエ?何のスパイス使ったソースなんだ?!」
スーザンさんの皿を持つ手を上からがしりと掴み、目をキラキラさせている。ひっ!と小声をあげたスーザンさんの手から皿が宙を浮き、見上げると青筋を浮かべたダイさんの兄、キーチさんがいた。スーザンさんの手を彼から取り外し、手の甲をまるで消毒のように撫でている…。
「ガランさん、妻に触らないで貰えます?出禁にしますよ。」
スーザンさんを溺愛するキーチさんを怒らせてはいけない。彼はスーザンさんのことでは身内にも容赦がないのだ。
慌ててガランさんは謝罪しつつも、オムライスのことから離れない。
「キーチさん!この黄色いの、私にも食べさせて頂けませんか?!」
「…これは売り物ではなく、我々の賄いですが。」
「いいです!絶対にこれ、美味しいです。俺の勘が言ってます、今食べないと後悔するって!お金は払いますから!どうか!!」
平身低頭に頭を下げ、どうみても多すぎる代金と出立の友にする予定だっただろう果物まで出してきた。あまりの懇願にキーチさんも折れ、おかわり分を提供した。
「うまい!!やはり俺の勘に間違いはなかった!!ぜひこれを商品化を!!」
急用で来たはずが、ガランさんは是非また食べたいからとキーチさんに語りだし、残ったら全部買うことまで提案し、最終的には休日に限定5食で出してみることになった。
「ナタリア様、すみません。あまりの情熱に絆されてしまいました。」
キーチさんはダイさんによく似た犬系のキラキラした目をしょぼんとさせ、私に頭を下げた。
「…あの情熱には、確かに絆されてしまいます。しかし、私一人では賄い分が限度ですから、それをまわせば───」
「それはダメです!!」
ダイさんが急に大きな声で割って入ってきた。私もキーチさんも、真剣味を帯びたダイさんの声に驚き、ダイさんを見た。
「ぼ、…私が手伝います。ナタリア様に教わって、約束の5食、出せるようにします。兄さん、それでいいでしょう?」
「…分かった。ダイがそう言うなら取りあえず、やってみよう。というか、ナタリア様、それで対応は可能でしょうか?」
子犬と成犬両方からキラキラした目で見つめられ、思わず小さく呻いて一歩後ずさってしまう。そんな私を理解したかのように、スーザンさんが軽く肩を叩いて応援してくれる(気がする)。私も二人の意見を尊重し、不安はあるが取り組んでみることになった。
あまり時間がなかったので、私達は学園の調理室を借りて、休み時間と放課後に練習することにした。
「私、ダイさんが料理できるなんて驚きました。我が国では男性はあまり料理しないのが普通なので。」
「…………すみません。僕も、未経験です………。」
「………。」
それなら何故あの時、立候補したのだろうか。てっきり経験があるのだと思っていた私は怪訝に思った。ダイさんは何故か少し慌てた風で、言葉を紡ぐ。
「す、すみません!でも、あぁでも言わないとナタリア様の料理が食べられなくなってしまうと思って、そんなの、耐えられなかったんです!」
終いには手で顔を覆って、そっぽを向いてしまった。そんなにオムライスが食べられないのが嫌だったのだろうか。
「…誰かを新たに雇うより、ナタリア様も私の方が慣れていらっしゃいますし、年も一緒だから学園の延長と思えば接しやすいかと……。…もっと一緒にいられるし…。」
最後はモゴモゴ言ってらして、なんと言ったか聞き取れなかったが、そっぽを向くだけでなく下も向いてしまったから仕方がない。
「確かに私にとって、ダイさんの方がいいですわ。こうして時間もたくさんとれますし。ただ、私は婚約破棄された貧しい令嬢として、決してよい評判ではありません。卒業も近い私達の評判はそのまま持ち越されます。学園で私と一緒にいると…貴方の評判に関わりますが、よろしいのですか。」
私が不安なのはこの事だった。
学園で誰からも人気の高いダイさんが評判を落としては商売にも影響がでるだろう。私は公務員になる予定だし、大して影響はない。だが…。
「心配してくださって有難うございます。」
ダイさんはいつもとは違う柔らかい声音で、だが、はっきりと言った。
「そんな事で落ちる評判なら要りません。そうなったら、移動しちゃえばいいんですから。」
私はその言葉にキョトンとした。え?そんなに軽いの?
「この世界は広いです。僕の出身だって、結構遠いですし、勉強の為に兄夫婦についてきただけですから、出ちゃえばいいんです。商売なんて体一つあればできますから!」
え?そんなもの?信用とか、場所柄とか…。
「知恵と度胸とコミュニケーションで、大体の事は補えます。ナタリア様だって、そうですよ?」
「え、私が?そんな、ダイさんの買い被り過ぎです。」
私は驚いて否定するも、ダイさんは真っ直ぐ私の目を見て、伝えてくる。
「いいえ、ナタリア様の幅色い知識と広い視点で考え、人に伝えられる所、新しく料理を生み出す力。これは貴女の魅力で、財産です。そんなナタリア様を僕は尊敬しています。一緒に、…行きますか…?」
「ダイ…さん…。」
真っ直ぐに私を見つめて伝えてくれるダイさんのストレートな誉め言葉に、私は嬉しくなる。本当にこの人は、私を嬉しくさせる天才だと思う。知識をひけらかすとか、料理をするのは貴族女性らしくないと蔑まれた私にはどんなに嬉しいことか。
「はは、…そんな道もあるって事です。さぁ!ナタリア様!申し訳ありませんが、私に一から仕込んで下さい。宜しくお願いします。」
ダイさんは私に返事をさせないままに、私を急かした。
ダイさんは器用だった。
料理することに躊躇いがないせいか、お米を研ぐ、炊く、材料を切る等、難なくできた。特に卵を焼くことが上手くて、少し火を強くした時に出る黄金色というか、ダイさんの髪色を思い出すようなオレンジがかった焼き色にするのが上手くて、完全に私より上手だった。でも…。
「いえ!必ずナタリア様が毎回一度は見本に焼いてください!それを隣で見て、僕もイメージして焼きますから!」
「じゃあ見本は冷めちゃうので、私の賄い───」
「いえ!僕が食べますから!」
「そ…そう、ですか…。」
と、勢い込んで返してきたので、ちょっと驚きながらお答えした。そしてもう一つ驚くことがあって、絶対料理を完全にはお任せできない事項が発生していた。
「しかし、そんなに器用でいらっしゃるのに、本当に不思議ですわね。何故でしょうか…。」
「す、すみません。どうにも力加減が分からなくて。こればっかりは…ダメなようです。」
ダイさんは卵がどーしても、割れなかった。割ると、ぐしゃりと潰してしまい、殻が入ってしまう。ぶつけて割る、ということ自体ができなかったのだ。当然そのあとの殻を指で割るなんて、高等技術過ぎて出来なかった。
「ふふっ、どなたでも苦手なことはあります。私が傍で卵を割れば良いのですから、何も問題ありませんわ。」
「ナタリア様…。」
ダイさんは何故か顔を両手で覆って踞ってしまった。そんなに卵が割れないのが恥ずかしかったのだろうか、気の毒だったので、そのあとは何も触れないであげた。ダイさんはその後の練習でますます手際が良くなったが、やはり卵だけはダメだった。私からしたら人間らしくてそのくらいはかえって微笑ましかった。
ポムジュ商会は新たに休日限定5食のオムライス販売を始めた。商品化を熱望したガランさんが第1号で食べに来た。毎回大袈裟に感動を伝えながら食べている。そして夕刻に売れていないかを確認しに立ち寄り、食器持参で湯気のたつ作りたてを持ち帰る。それが数回続くと流石に周りもそわそわする。何せ、芳香なバターにバジルやパセリの香りを漂わせ、夕食前にニヤニヤしながら大きな箱を持ち帰るのだから、目立つのだ。ご自身で広告塔のような役割を担ったガランさんのお陰で、あっという間に噂は広がり、オムライスは幻の人気商品になった。キーチさんはそれに加えて、レシピとスパイスセットを売り出した。レシピはオムライス5食分の値段で売り出されたが、スパイスの量だけはお好みで、と表記したので、みんなスパイスセットも購入した。うんうん、馴染みがないものは割高でも間違いないものを買った方がいいと思う。
しばらくして、私とダイさんは学園での調理練習をメニューの開発に当て、人気がでたオムライスの別バージョンを作ることにした。私の卒業後に備えることと、登用試験の日程も近いことから時間を節約する為に開発から一緒にしておこうとなったのだ。そうして私達は学園でもよく一緒にいるようになっていた。
この頃になると、ちらほら貴族もお忍びでオムライスを食べに来ていて、学園でもオムライスの開発者と販売者として私達は認知されるようになっていた。有難いことに、直接美味しかったと声をかけてくださる方々も多くいた。試験も近く、私は販売の手伝いはしていない。ダイさんは休日は朝からずっとオムライスを焼いているらしく、いつの間にか午前中10食、午後20食も作っているそうで、すっかり職人と化していた。だからこの頃、賄いは変わった味付けのオムライスを希望された。
ダイさんの希望を汲んで、新たに二種類を誕生させた。ビーフシチューとホワイトシチューをソースとしてかけることにし、代わりに米はシンプルにバターとパセリのみで味付けした。試験勉強の息抜きに、私は休日になると、このソースを届けに行き、ダイさん達と賄いを食べた。間もなく卒業を迎える私はここで食べる楽しい時間があと少しのことに気付き、寂しく感じながらも貴重な時間を目一杯楽しんだ。
卒業式も間もなくという頃、ダイさんがわざわざ我が家を訪ねてきた。
「急な訪問にも関わらずお時間を頂き、ありがとうこざいます。」
「いえいえ、ところで改まってお越しいただいたということは、何か込み入ったお話しでしょうか。」
ダイさんは大きさが違う包みを私の前に3つ並べた。
「この学園では卒業式は丸一日の行事で卒業祝賀会まであると伺いました。…大変不躾ですが、貴族の方に失礼のないようにしたいので、当日丸一日こっそり私の隣でマナー講師をしていただけませんか?」
「マナー講師として…。」
はて。ダイさんは先生からお誉めのお言葉を頂いていた気がしますが…。返事をどう返すか悩むと、それにダイさんが言葉を重ねてくる。
「座学はそれなりですが、一日気の抜けない中では流石にボロがでます。一番信頼できるナタリア様に私がエスコートしているのを装って、隣でアドバイスして頂きたいのです。」
「なるほど、それは確かに一日気を張りますから。私で良いなら、精一杯務めさせて頂きます。幸い、エスコートしてくださる相手もいませんし。」
「つきましてはお礼を兼ねて先払いでこちらを持参しました。お眼鏡に適うと良いのですが…。」
そう言って並べた箱を私の方へ、押し出した。そして目線はそれを開けろと言っていたので、おずおずとリボンを解き、蓋を開けると、靴にドレス、アクセサリーまで入っていた。
ドレスは上半身はオムライスのような鮮やかな黄色、下半身はダイさんの髪色のオレンジをベースに、腰から掌位の大きな花弁型の黄色とオレンジの二色を幾重にも重ね、ドレスに鈴蘭の様に被せている。重ねた部分はアシンメトリーで右側の花弁が滴のように垂れ下がり、反対側は大きなタックをいくつも寄せ、同じ生地でも表情に変化をもたらせている。トップはウエストから生地を捻り左胸に寄せ大きな花をあしらっている。滴部分と対になるデザインだ。胸元は薄く透けたシフォンのミルクチョコレート色で首まで優しく隠されている。繊細な生地に大胆で新鮮なデザイン、なんと贅沢な作りなのか。
「こ、これでは報酬として多すぎます。かといって、申し訳ないのですが我が家では折半さえも難しそうな品物…。」
ダイさんは真剣な顔を崩さず、視線もそらさない。
「支払い云々のその前に、ナタリア様はこのドレスに抵抗はありませんか?お気に召しましたか?…私の色を纏っていただくのですよ。」
「偽りだとしても、ここまで準備してもらえて幸せです。壁の花になる覚悟でいたのですから。私がダイさんの色を纏って宜しいのですか?」
ダイさんは頬を緩ませ、目を細くし、はにかんで微笑んだ。
「こんなこと、ナタリア様にしか頼めません。…僕の方が幸せです。引き受けてくださり、ありがとうございます。」
「こんな素敵なドレス、貧乏子爵家の娘には一生袖を通すことができないのに…、ふふっ、大変でしたでしょう?用意するのも。」
我が家はもっぱら既製品ばかりで、中々新調もできないので、よくわからないが、それでも用意してくださったドレスは高値だと分かるものだ。
「商人には商人の伝がありますから。それよりも、ナタリア様が嫌がらずに引き受けてくださって、ほっとしました。はぁ、緊張したぁ。」
そう言って、半ば前のめりになっていたダイさんは、ソファーへ深く座り直し、背を預けた。私もくすくす笑って、お茶を入れ直す。
「そうそう、私もご報告したいことがありましたの。」
「何ですか?今の私の幸せが壊れないといいのですが。」
ダイさんはおどけて、淹れた紅茶を飲みながら答える。
「私、登用試験に合格しましたの。」
「っ!おめでとうございます!やりましたね!!」
ダイさんは立ち上がって喜んでくれた。さっきとは真逆で、目を大きく見開いてキラキラさせながら、喜んでくれた。
「ですから、お手伝いも…、登城まで、ということになります。短い期間でしたが、私を支えてくださってありがとうございました。」
「…そんな、大したことではありません。」
実はダイさんは何かにつけて支援をしてくださった。新しい食材の味見だの、実家から届いた品のお裾分けだの、義姉さんがサイズを間違えただの、まぁ色んな理由で食事やら衣類等、支援してくださった。お陰様で私自身も勉強が捗り、そこそこ良い成績だったらしく、こっそり成績を聞いた父がホクホクしていた。
「最後の大仕事、必ずしっかり務めさせて頂きます。」
婚約破棄されたと気の毒がられて終わるかと思っていたのに、優しく寄り添ってくれたダイさんと一緒に卒業行事を過ごせるなんて、本当に私には合格のご褒美のようだ。当日が…楽しみでしょうがない。
「義姉さん、流石です!」
「ふふ、会心の出来よ。」
午前中に式典を終えた私達は夕方からの卒業祝賀会に向けて着付けをしている。なんとスーザンさんは結婚前は化粧・着付け・髪結い等を専門に仕事としていたそうで、あっという間に私を飾ってくれた。
ダイさんはスーザンさんと一緒に来て、退屈だろうに我が家でそのまま支度もして、家族と私を待っていてくれた。
「綺麗です、ナタリア様。すっごく…、いえ、よく似合っていらっしゃいます。私達を照らし、豊穣の恵みをもたらす太陽のようです。」
真っ直ぐに誉めてくださるダイさんに私達全員が照れてしまう…。ほんと、この方ときたら…。
「本当に、綺麗にしていただいて。ポムジュ夫人、ダイさん、ありがとうございます。」
両親は涙目、兄も優しい笑みだ。ダイさんは家族に深く一礼してから、にこっと笑って私にエスコートの為の手を差し出した。
「お手をどうぞ、ナタリア様。精一杯、エスコートをさせていただきます。」
私達は学園へと向かった。
受付を済ませてホールに入ると、既に沢山の人がいた。事前に相手が決まっていない生徒も多く、早めに来て声をかけるのだ。身分の上下がないのも今夜まで、皆、思いの丈を込めてこの時間を過ごす。横の繋がりを太くしたいもの、顔を売っておきたいもの、片想いの気持ちを伝えるもの、まぁ様々だ。常識の範囲内、相手が困らない程度なら無礼講とされるのも祝賀会の特徴だ。
冒頭の学長、生徒会長からの挨拶が終わり、いよいよ開始だ。
私達もお世話になった先生やクラスメート達と挨拶を交わし、あとはのんびり過ごす時間となった。
「これだけ喋ると、流石に喉が乾きますね。ナタリア様、食前酒かサングリア辺りを貰いましょうか?」
「はい、食前酒がいいですわ。私は例の物、もってきましょうか。ダイさん、あちらの長椅子辺りで待ち合わせましょう?」
実は今夜の立食メニューに私達のオムライスが出されている。小さな四角いクレープ包みにして、ソースは三種用意してある。正式に学園からポムジュ商会に依頼があり、口に入りやすいよう小さく、崩れにくいよう固めに炊き、卵も二重に巻いたものを考案した。何でも高位の方からリクエストがあったらしい。有難いことだ。
「ふふっ、ダイさんはいくつ食べたいかしら?」
私達のオムライスが他の人の手でどういう風にできたか、二人でぜひ検証してみたい。ダイさんが世界で一番好きだと言ってくれたオムライス。こんなところで二人で食べられるなんて、良い思い出になる。
「珍しく着飾ってるじゃないか、ナタリア。中々美しい、やればできるじゃないか。」
珍しい声が聞こえてきた。私は背後から聞こえてきた、懐かしいがなんとも思わない声の主を振り返る。
「声をかけられるなんて、思ってもいなかったわ、ガストン様。」
元婚約者のガストン・オザナリーだった。彼は数人の友人と一緒のようだ。
「私だって、美しいものにはそのまま素直に美しいと言うさ。髪もそうアップにすれば色気もあるし、女性らしい。そんなに私に見直されたかったんだな。よく努力したな。」
「…お褒めの言葉だけは頂いておきますわ。私、人を待たせてるので…。」
そう言って勘違いしているガストンから離れようとすると、行く手を遮るようにガストンが邪魔をする。
「最近は新しい料理を開発して随分有名になったじゃないか。そのドレスやアクセサリーを見たら羽振りの良さも窺えるというもの。…料理が仕事になってそれで儲けられるなら、また私の婚約者に戻してやってもいいぞ。」
「何を…ガストン様?失礼ですわよ。」
「ガストン、お前何言ってんだ?…すまない、イーストセッド嬢。こいつは少し酔っているんだ。今、連れていくから見逃してくれ。」
ご友人も慌ててとりなしに入るが、本当に酔っているのか、彼の手を振りほどき、ガストンは動こうとしない。おまけにガストンは目を細めて上からじろじろと私を舐め回す視線を寄越してこう言った。
「…今夜の容姿なら、私もやぶさかではないから、ナタリアを愛してやれる。」
「なっ?!」
流石に絶句して私は彼を見据えた。恋人を作って婚約を破棄してきたのは自分の方なのに、私の容姿まで過失だったかのような、その言い方に流石にカチンときた。
「ナタリア様はいつだって、どんな姿であっても、凛として美しいですよ。」
その場を明るくするような、だけど爽やかな声がした。飲み物を取りに行っていたダイさんが戻ってきたのだ。私の髪色のプラチナシルバーのフロックコートに、小物や差し色は瞳の色のエメラルドグリーンをあしらっている。クールな印象を与える色味だが、明るいダイさんが着ると、爽やかな清涼を感じさせる。
堂々と歩き、私の隣に来て、にこりと笑いながらグラスを差し出す。一人にしてごめんと小さく言いながら。
「お顔を合わせるのは初めてですね、オザナリー様。ナタリア様のエスコートをさせて頂いているダイ・ポムジュです。皆様も、良い夜ですね。」
ダイさんは瞬時にガストンを止めていた友人達も巻き込んだ。明るくにっこり笑う彼は多くの友人がいたし、憧れている令嬢も少なくない。ガストンの友人達の中にも見知った顔があったようだ。
「…君がポムジュか。ナタリアをエスコートしてくれてありがとう。あとは貴族同士、私がナタリアに添おう。今宵のナタリアなら料理することも不問にできる。」
いちいち角がたつ言い方に流石に周りも眉をひそめるが、あくまでダイさんの雰囲気は変わらない。
「あはは、それは流石にブラックジョークが過ぎますね。…年末の婚約破棄騒動、転校生の私でも知っています。小さな枠に押し込めることしかできない男にナタリア様の隣を譲ってやるなんて、馬鹿なことはできませんよ。…おや。その時に一緒だったと聞くお相手のご令嬢はいらっしゃいませんね。…中々目端が利くようですものね、お相手様は。」
にこにこ笑っていて、場をなごませるような声のトーンだが…言っている言葉は相手の喧嘩を買ってやるということだ。彼女はその美貌で他にも虜にしていた人がいたらしく、本日はきっとそちらにいるのだろう。でもダイさん?!それって、相手の傷にかなり塩を塗り込めてますよね?!
ガストンの方もその言葉に黙っていなかった。
「何だと?商人の息子風情が、マナーがなっていないようだな。」
「マナーがなっていないのはオザナリー様の方でしょう?不粋な真似をしておいて、綺麗になったからといって、今度は掌返しで女性に上から目線で声をかける。男の風上にも置けない。大事にしないうちにこの場を離れて頂くのが賢明ですよ、オザナリー様?」
明るいダイさんの言葉とは思えない、場馴れした堂々として落ち着いた声で淡々と語る彼に、私達だけでなくこの騒動を遠巻きに見ていた見物客達からも、ほぅっと感嘆の声があがる。
「ナタリア様は努力家で懐も深く、機知に富んでいる。登用試験にも合格している才女です。貴方が蔑む料理だって、この国の食文化の向上に貢献しているんだ。そんなナタリア様の内面に気付かないアホは容姿だって語る資格はない。」
怒りで顔を真っ赤にしているガストンだけでなく、誉められている私にも十分攻撃性の高いストレートな言葉の数々に、私も顔を赤くし、周りも生温かい目でダイさんと私を見守っている。…守ってくださるのは嬉しいけど、私の許容量も満杯になりそうだ。
「貴様っ、いい加減その軽口は閉じろ!私と勝負し───」
「あー、何を騒いでいる?…ダイ、お前か?」
そこに凛とした涼やかな女性の声が聞こえ、一斉にギャラリーは軽く頭を下げる。そこには生徒会長のキース王子と、昨年卒業した元生徒会長で姉のマリアベル王女がいた。
「お二人とも…、持っていくって言ったのに、我慢できなかったんですか?仕方ない人達ですね。」
「いやいや、お前が遅いからだろう?俺も姉上も空腹なんですけど?!」
くだけた軽口をダイさんと言い合うクールな筈のキース王子に、皆、頭の中は疑問符だらけだ。
「ホントだよ、ダイ…。怒りを抑えろ。お前が暴れたら面倒だし、料理が食べれない。…私がやる。」
王女殿下は扇子の先でダイさんの額を小突き、金髪のふわふわした後れ毛を靡かせ、くるりとガストンに向き直る。
「オザナリー男爵子息…。間に入ってやった私に感謝しろよ。こいつは各国王族にパイプがある上、旅の警護を減らせる位、体術剣術が優秀だ。お前では歯がたたん。こいつのにこにこしてる顔を見ながら、気付いた時には空を見上げていて、喉元には刃があるぞ。」
「ちっ。マリアベル様は平和主義だから。」
「…いや、お前、ヤル気だったろう?料理に埃がかかってはやってられない。」
私達は全員ポカンとし、言葉の掛け合いをしている王族とダイさんを見つめる。その視線に咳払いをしたキース王子が私達に説明をしてくれる。
「…以前僕らが留学した先で同級生でね。ダイは懐に入るのが上手いからね、姉弟ともに仲良くなったのさ。ほんと、体格も普通なのに、ダイは強いから。…見たら驚くよ?」
とりなしを受け怒りを抑え込んでいるガストンに、ダイさんはにっこにこの笑顔で、…初めて見る目の奥が笑ってない笑みで、最後通告をする。
「二度とナタリア様の前に現れないでください。私は番犬なんで、次は噛みつきますから。…容赦できませんよ。」
ガストンは友人達に引っ張られてその場を辞した。翌日以降、彼の友人達は少し距離を置いたと聞いた。
ガストンが去ったが微妙な雰囲気のままで、誰も次の言葉を発しない中、それを破ったのはやはりダイさんだった。
「殿下方、ありがとうございました。お陰様でナタリア様も私達の大切なオムライスも守られました。」
「はいはい、それはいいから、早くオムライスと、ナタリア嬢を紹介しろ。」
マリアベル王女のジト目もなんのその、今度は私にも困ったような微笑みを浮かべ、なんと、オムライスを二人分取り分けながら私に殿下方を紹介した。
「あー…ナタリア様。今更ですが、今回のオムライス招致発案者のマリアベル王女とオムライスの噂を王女に伝えたキース王子です。殿下方、こちらが…私の敬愛するナタリア・イーストセッド嬢です。」
「お前ね、相変わらずだね…。イーストセッド嬢、ダイの友人のマリアベルだ。」
「キースです、初めまして。学園でのお二人、よくお見かけしていました。友人達がオムライスが美味しいと騒いでまして、今夜は私も楽しみにしていました。」
高位の方の要望だと伺ってはいたが、まさか殿下方だとは思っていなかった。はいどうぞ、とお二人は手渡しされた皿を品よく持ち、オムライス特別バージョンを召し上がる。
「んっ…。これはハーブが効いて懐かしいな。早くこのソースを一般に広めたいものだ。」
「あー、ほんと!ソースもだけど、トマトソースで炊いてある米が美味しいねぇ。私達若い男子学生にとってはこの上ない!」
二人ともあっという間にソース三種と共に、オムライスを食べ終えた。
「ナタリア嬢、よくぞ開発してくれた!私はこの国の料理文化を変えたいのだ。シンプルすぎる料理だけでは単価が高いのだ。…あぁ、美味しい!」
「勿体無いお言葉。ありがとうございます。」
「…望みは達成してる気もするけれど、ダイ。希望の皿、用意しておいたぞ。」
私とマリアベル王女の会話後に、キース王子が横からダイさんに向けて思い出したように言い、合図をしてクローシュを被せたトレンチを持ってこさせた。それを受け取ったダイさんはクローシュを取ってから、私の前にそれを出して跪いた。
「ナタリア・イーストセッド嬢。貴女をお慕いしています。どうか、私と結婚してください。」
オレンジ色の宝石が乗せられた指輪が濃紺の重厚感あるスエードの小さな箱に納まって、チョコや花で飾られたデザートプレートの中央に鎮座している。
「遠方の風習で、求婚する際に宝石を嵌めた指輪を贈るのだそうです。…婚約破棄された気の毒な令嬢…。そんなナタリア様の不名誉な噂や渾名を払拭したかった。ですから、断って頂いてもいいです。今回のことで間違いなく払拭できます。…でも、もし受け取って貰えるなら、いつか一緒に広い世界を見てみませんか。ナタリア様に見せたい景色がたくさんあるんです。」
ダイさんは見たこともない甘い瞳で、こちらをじっとみつめている。
「…私、試験に合格したんです。折角だから城勤めしたいんですけど、それでもいいですか。」
「勿論です。」
「…私、今夜みたいに一人では綺麗に着飾れないんですけど、普段はご存じのように平凡ですがいいですか。」
「着飾ったナタリア様も美しいですが、いつもの制服姿でもエプロンをつけた貴女でも、私には最高に可愛らしいです。」
「…あの、名ばかりの貴族ですが、宜しいですか。」
「私は平民ですし、全く気になりません。」
「…えぇっと…。」
「ナタリア様!」
「ひゃいっ!!」
心配で、私でいいのか不安で、ダイさんから大丈夫だと言ってほしくて、…とにかく上手く言葉がでてこない。そんないっぱいいっぱいなところに、強く名前を呼ばれ、思わず変な声が出た。
「どんなナタリア様だって、私は受け入れたいです。気になる所はお互い理解できるように、話し合って歩み寄りましょう。ナタリア様だって、…卵一つ満足に割れない僕でも受け入れてくださいますか?」
「勿論です!そんな卵が割れないことなんて、ダイさんの魅力の一つ位にしか思っていませんわ!」
そんなの、私が割ればいいのだ。この人の素晴らしい所なんて、あげたらきりがないくらいなのに!
ダイさんはクスリと笑って小首を傾げる。えぇ?ダイさんってば、なんだか余裕そうに見えるんですけど…。クスクス笑いながら立ち上がり、ケースから指輪を外して、私の左手首を引っ張り、指輪を薬指に近づけた。キラキラした瞳で幸せそうな顔をして、ダイさんは私にもう一度、乞い願ってくれる。
「…きっとナタリア様なら、そう言ってくださると思ってました。改めて言わせてください。ナタリア様が大好きです。どうかこの指輪を貴女の指に嵌めさせてください。」
私からもストンと声がこぼれる。
「はい。私こそ、ふつつかものですがどうぞ末永く宜しくお願いします。」
その瞬間、ダイさんは私の指に、まるで太陽のように輝く彼色の宝石の指輪を嵌めた。同時に周囲がわあっと歓声をあげて拍手が起こった。楽団は軽快な音楽をかけ、殿下方を始め、皆が笑顔で私達を見守ってくれていた。正気に戻った時には女性陣は涙ぐみながら私を囲み、ダイさんは胴上げをされて宙に舞っていた。
その日は後に過去最高に賑わった卒業祝賀会と言われた。
用意周到というか。
ダイさんは両家両親から結婚の承諾を既に貰っており、全て今夜の私の返事次第としていた。ダイさんはライバルが増える登城前に入籍をしてしまいたかったと説明し、貴族籍を抜ける面倒な婚姻届手続きまで、全てマリアベル王女に根回ししており、その場でオムライスの報奨として承認印を貰った。
お開きの際はキース王子のご好意で、色とりどりの生花が敷き詰められた王家の馬車に乗せられ、なんと宿に連れていかれた。
「実はハーブを育てたいと申し出てくださった薬草園がありまして、何を植えるか等、直接相談したいんだそうです。ナタリア様が動けるのは勤めるまでの短い間でしょう?新婚旅行を兼ねて打合せにと思ったんです。」
ということで、明日から私達は打合せ兼旅行に行くそうで。
「鉄は熱いうちに打て、という外国の諺もありますからね?」
にっこり笑ったダイさんに私は寝室に連れてこられました。
「ナタリア様…僕を選んでくれて有難うございます。名実ともに、貴女を妻にしていいですか。名前も呼び捨てにしたい。…いいですか、……ナタリア…。」
怒濤の展開です。
「あ、あの…?!名実ともに…とは、その、あの名実ともに…?」
「そうです。あの名実共にです。つまり急ですが、初夜です。あはっ、真っ赤になったナタリア…可愛いです。…まぁ、そう固まらないで?張本人の僕が言うのもなんですが、色々ありすぎて疲れましたよね?妻の体調管理も夫の仕事の一つです。ほら、ちゃんと休みましょう?」
「あれ…そ、そうですね?確かに目まぐるしい一日でしたわ。」
「でしょう?ね?」
それからどんな時間になったかは内緒だ………。
「おぉ、戻ったか。して、今回はどうだった?」
「はい、マリアベル様。生育は順調で、夏には沢山の葉が生い茂ると思います。」
私は出張視察の結果を上司であるマリアベル王女に報告していた。
なんと、新婚旅行から戻り、新人として出仕すると、早々に王女から声がかかり、直属の部署に入れられた。そこはガチガチで働きたい数少ない女性官吏が集められていた。王女の発案でできた、結婚後も出産後も働きたい女性官吏を育てる部署なのだという。私は雑草のように強く、育てやすいハーブを選び、荒廃地などの隙間耕地を緑地化し、量産を試みる仕事をしている。誰もやっていなかったことなので、試行錯誤だが、やりがいがある仕事だ。
「失礼します。…ナタリア、おかえり。迎えに来たよ。」
そう言ってにこにこ現れたのは夫のダイさん。彼は実家の仕事を引き継ぐべく、忙しくあちこちを動き回り、しょっちゅう留守にしている。
「ダイではないか。お前、私にも挨拶ぐらいしろな?」
「あれ?ごめんごめん。見えてなかった。あはは。」
「こいつは…ったく。ナタリアを長期出張させるぞ?」
「やめてやめて!ちゃんとマリアベル様にお土産あるから!」
私は出掛けることが多いダイさんの要望で、城の独身寮の部屋を一室借りており、ダイさんがいるときだけ、二人の家へ戻る。だから行き違わないよう、必ずダイさんが迎えに来る。なんと過保護な(笑)。
二人で家事をこなし、料理をし、義兄夫婦の店に顔をだし、毎日忙しく過ごしている。子供は…ダイさんのつよーーい希望で、今は作らないことになっている。とにかく私を愛することが優先なんだそうで、溺愛愛妻家として顔が知られている。
貧乏で家を助ける為の料理で婚約破棄されたけど、そのお陰で最高の旦那様と素敵な人達に囲まれ暮らせている。悲観していた私自身に、今の幸せを伝えてあげたい。私はそのままでいいのだと、いずれ、わかってくれる人に出会えるからと。
そして将来できた子供には、きっと母の味はオムライスだと言われることだろう。
今はまだまだたくさん、ダイさんと愛し合っていかないとね!
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
少しでも楽しんで頂けましたら、いいねボタン、高評価、ブックマークの程、宜しくお願いします。は作者の心の栄養になります。 誤字脱字等のご指摘はお手柔らかにお願い致します。