2 僕を殺して
「うそだ、そんな・・・・・・まさか」
ただ見ていることしかできなかった男は、両手を石畳についたままうめいた。
「諦めろ、高志」
先ほどまで昂奮して声を上げていた父親は、威厳をもって息子に話しかける。
「わしに逆らうから、ああいうことになるんだ」
這いつくばっている息子に、父親は手を伸ばした。その瞬間、高志は懐に持っていたナイフを取り出し一閃した。が、カツン、と乾いた音がしただけだった。
魔道士が、「透明な盾」の術か何かで依頼主を守ったらしかった。
「高志。今はまだ受け容れられないかもしれないが」
父親は優しい声を出して言った。
顔を上げた高志の頬は、涙でぐしゃぐしゃになっている。握りしめたナイフを、それでも諦めきれずに父親に向け続けている。
「よくも・・・・・・よくも」
「落ち着け高志。今は難しいかもしれないが、時間が経てばこれでよかったと思うようになる」
「そんなわけ・・・・・・」
「親の愛情というものは、後になってからそれとわかるものだ」
「ふざけるな。真理亜を殺しておいて、何が。何が・・・・・・」
「おまえの幸せを思ってのことだよ。あんな下賤な魔術士女と一緒になっては、おまえは幸せにはなれない」
高志の目から、再び涙があふれ出す。「だからって・・・・・・何も、殺さなくったって」
「わしだって、殺したくはなかった。だがあの女は再三の説得にも応じず、何度もおまえを連れてこの街を出ようとした」
「それは俺が」
「あの女にそそのかされたから、だろ?」
「ちがう、俺が!」
高志が振り回すナイフが、虚しく空を切る。
「いいか高志。わしはこの街では王のようなものだ。王に逆らう者は処罰されなければ示しがつかない。ましてやおまえは王子だ。王子をたぶらかすなど言語道断。この街にいる限り、おまえは何の不自由もなく」
「何が王子だ!俺はそんなものは望んでいない!俺の望みは」
「おまえの望みは何だというんだ」
「望みは・・・・・・」
高志の目が、虚ろに空中に向けられた。それからうつむくと、石畳に両膝をついたまま、高志は握りしめたナイフの先を自分の喉元に向けた。
けれども手は震えばかり増して、一向に動かない。
「高志。わしはおまえの父親だ。母親が早くに死んだおまえを、わしはたった一人で育てた。おまえのことは何でも知っている。おまえの弱さも、おまえにとって何が幸せかも」
諭すように父親は言った。
高志は涙に濡れた目を、たった一人の肉親である父親へと向けた。
「いい子だ。いい子だな、高志」
「僕は・・・・・・」
「帰ってゆっくり休もう。なあ高志」
「僕は」
「今すぐに誰かを呼んで・・・・・・」
背をかがめて再び手を差し出した父親に、高志は言った。
「僕はもう、父さんに従って生きたくはないんだ」
父親は、思わず動きを止めた。
「お願いだ!」
高志は叫んだ。父親の背後に立っている、魔道士に向かって。
「お願いだ、魔道士雷夜。僕を、僕を殺してくれ!」
その瞬間、真理亜を殺してそのまま消えたかと思われた火炎鳥が、再び三人の頭上に姿を現した。父親と高志の間の空間が透明な板でも挟み込まれたように遮断され、それと同時に高志は舞い降りたその火の鳥に呑みこまれた。怪鳥は高志を喰らうように首を左右に振り、その炎の中で高志の姿は見えなくなった。
魔道士のバリアを通してさえも伝わる熱と目を開けていられない程のまばゆさに、高志の父親は声を上げることもできなかった。