06 極彩色の熱帯林
暑い。
あれから森の中を歩いているが非常に暑い。
気温はおそらくそこまで高いと言うことでも無い、ただ湿度がやたらと高いのだ。
踏みしめる地面は苔むしており、体重を乗せるとジワリと水が溢れてくる。
身体中を包み込む様な湿気が髪の間で雫となって首筋を伝っていくのが気持ち悪い。
「あぁーー、マジで最悪な森だよなこれ」
ボソリと隣でアカネがこぼすのに、声を出さずに頷く。
この森はまさに最悪だった。
まずはこの湿度だ、施設の周りはそうでも無いのだが森に深く入るにつれ、水の中を歩いている様な錯覚を起こす程の湿気。
視界も悪い。
暗闇は脳インプラントを行なっているものにとって大した問題では無い。
木漏れ日程度の光があれば輝度調整した映像を視界に映せば暗闇は苦にならないからだ。
しかし、矢鱈と視界を埋め尽くす垂れ下がった蔓や色とりどりの果物、花が視界を極彩色に埋め尽くしている。
更には歩きにくいことこの上ない。
先程の濡れた苔の他に地面は木々の根が伸びており足を取られる。
そしてここはただの森ではなくダンジョンである。
ふと、何かに見られている感覚があった。
首筋に感じる違和感に釣られて上を見上げると、何かが動くような気配があった。
「っ、あぶない!!」
「うぉげぇえ!」
頭上からの強烈な気配に隣でしゃがみ込んでいたアカネを引っ掴んで跳び退く。
襟首を掴まれたアカネが潰れた蛙の様な声を上げる。
モンスターとは、ダンジョンの中に入り込んだエネルギーをダンジョンに還元する為のシステムだと言われている。
即ち、生き物を感知し殺す為の存在である。
上空を覆う木々の中に隠れていたのであろうそのモンスターは、どうやってその巨体を隠していたのかと疑りたくなるような体躯をしていた。
ぱっと見のシルエットはゴリラに近いだろうか。
しかしその薄墨色の肌には体毛はなくぬらぬらとした粘液が全身を覆い、それに周囲の植物が張り付くことでまるで迷彩コートを纏っているようだ。
手足には黒ずんだ鉤爪がついており、二対の腕は周囲にある木々と比べても尚太い。
下顎が突出しており、そこから突き出た牙がゾロリと生え揃っている。
そして異常なまでに大きく丸い目が、ギョロギョロぐるりと一回転しこちらを睨み付ける。
あえてこの怪物を呼ぶなら四腕といった所か。
空気が震える、突如現れた怪物が発する魔素と周囲の純素が共鳴しているのだ。
ダンジョンが生み出したモンスターの魔素はダンジョンに満ちる純素と程近く、当然ながら人間よりもモンスターに味方する。
ゴア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ーーーーッ!!
凄まじい大音声を上げて威嚇するように4つの腕を振り下ろし、ゴンゴンと地面を揺らす。
大きく開けた口には幾重にも渦を巻くように歯が生えており、その声量と合わせてぞわぞわと肌が泡立つ。
「アカネ!立て!来るぞっ!!」
『脳の使用領域を戦闘特化、交感神経を活性、スキルスロットを参照。システムクリア、緊急戦闘を開始いたします』
プラティシアスからのシステム音声に耳を傾ける間もなく、持っていたカバンを投げ捨て戦闘に突入した。
俺の身長の倍ほども在ろうかという大質量が呻りを上げて迫ってくるのを、バラバラに大きく跳んで避ける。
「シャイターン!スキル発動!!」
アカネが自分の支援AIに指示を出している声を聞きながら、こちらも作ったばかりのスキルを発動する。
『第一スキル発動、エイム補助を行います、弾道予測を視界に投影』
人差し指と中指を立て銃口に見立てて四腕へと向ける。
右腕の骨格が瞬時に作り替わり、二本の指先を覆うように突き出た骨が正に銃口を作る。
親指が撃鉄を形作り、鋼のワイヤーのような腱がギリギリと音を鳴らしながら撃鉄を起こす。
視界に現れた赤い弾道予測が敵への射線をつなぐと、左手で即席のライフルと化した右手を支えて力を開放する。
「飛骨旋弾」
人体から出るとは思えない炸裂音と共に撃鉄が落ち、その衝撃と魔素が爆発して成型された骨弾がライフリングされた銃口を通り発射。
アカネと戦った時に指骨を飛ばして即席の弾丸にした攻撃を基に、モンスターにも通用するように改良した俺の第一スキルである。
パァアンッ!という音を上げて四腕の側頭部に着弾、しかし貫通はできなかったようで金切り声を上げてこちらを振り向く。
僅かにたたらを踏んだ四腕は怒りの咆哮を上げて俺に向き直る。
「オラッ!喰らえ!!」
そこにアカネのスキルが発動する。
赤い雷がバチバチと渦巻く黒雲から幾つもの大きな腕が伸びて背後から四腕を殴りつける。
衝撃と共にその腕が弾け怪物の身体に電流が走り巨体が膝をつく。
「俺を気絶させた技か、なんという攻撃してくれてたんだ」
「お前ん時はちゃんと手加減したぜ」
隙を見て此方へと来ていたアカネが嘯く。
と、膝をついていたモンスターの身体から蒸気がぶわりと溢れた。
粘液が蒸発しているのか、全身に付着した植物が剥がれ落ちていき怒りに満ちた瞳が異常に血走っている。
ズン、と四腕が足を叩きつけるように踏みしめると波打つように地面が揺れる。
「これは、地面がッ!」
「沈む…っ」
四腕の異能が行使されると、ズブズブと俺達や周囲の植物や木々がまるで底なし沼になったように地面へと飲まれていく。
足がとられて身動きが取れない俺達とは違い、何ら問題なく地面に立つ四腕が大きく吠えるとこちらに駆け始める。
巨大な質量がこちらに敵意を抱いて向かってくる。
VRゲームや体感型のアトラクションとはまるで違う恐怖、死の恐怖。
勢いそのままに、大きく振りかぶられた拳が俺を直撃した。
拳が当たった時、音が消える。
膝まで埋まっていた体が屑の様に吹き飛ばされる。
体を守るため交差した腕が拉げ肉がつぶれる感覚、同時に肋骨が砕けくの字に曲がった身体が背後の巨木に叩きつけられた。
「イザヤ!!」
何時もの四足の魔獣を呼び出したアカネがその背に乗って四腕の拳から退避しながらこちらに叫びをあげる。
焦りと絶望感を感じさせる表情、魔獣はあっちこっちと飛び回ることで体が沈むのをうまく避けているようだった。
『肉体を大きく損傷しています、痛覚への刺激を緩和。意識の喪失による死の危険が高いため強制覚醒を行っています』
衝撃によって体中が裂けており、どす黒い血噴き出している。
血液中に流れるナノマシンが血の中で光を反射してきらきらと光っているのが見えた。
痛みよりも熱を感じる、先ほどプラティシアスが何か言っていたことのせいだろうか。
かすれた思考でそう考えていると、体の中で魔素が燃えるのを感じた。
噴き出していた血が止まり、破裂していた内臓が体の中で音がするほどの速さで修復していく。
砕けた骨が肉を押しのけ再び癒合し、より硬く、断裂した筋肉はより強く修復されていくのがわかる。
思考が瞬く間にクリアになっていき、それと共に肉体の治癒も加速し凄まじい速さで行われる。
俺に使用された変異誘発剤のコンセプトは、恐ろしく単純な構想でデザインされていた。
突撃し、打ち砕く。
身一つで兵器たりうる肉体性能、どれだけ傷ついても立ち上がる不死身の戦士。
肉体を自らの意思で自在に作り替えることができる事こそ俺の異能の本質だった。
傷つく毎に、より強くなる狂戦士こそが俺が身に宿した力。
眼前でアカネが戦っている。
修復した腕で身を起こし、足の裏から突き出した骨芯をアンカーのように木に突き立てかけ上がる。
沈んでいく木から木へと飛び移り、四腕の頭上へと躍り出る。
足のアンカーを怪物の背に突き立て腕を振り上げる。
『第二スキル起動します』
瞬時に腕から突き出した骨が刃を形作る。
背中に張り付いた俺を毟り取ろうとする四本の腕に黒い触腕のようなものが絡みつき阻害する。
「ぶちかませ!」
豹の魔獣をやられていたアカネが力を発動して隙を作ってくれていた。
大段上から叩きつけるように振るった両の骨刀が鋏で切るかのように首を吹き飛ばした。
「撫骨双刃」
一瞬遅れて間欠泉の様に血が噴き出す。
それを避けるように背を蹴って離れると、そのまま四腕の身体が傾いて倒れてしまった。
「「はぁ、はぁ、はぁ…」」
二人してしばらくは荒い息をついて周囲を警戒する。
そして何も変化がないとほとんど同時に倒れこんだ。
「あー、死ぬかと思った。てか、イザヤお前死んだかと思った」
「俺も、内臓ぐちゃぐちゃで死んだかと思った。でもあのくらいならすぐ直るみたいだ」
「まじかよ人間やめてんな。あぁ、クッソ。こんなデカくてつえー奴今までここらで出なかったのに。運が悪いぜ」
「そうなのか。正直このレベルが雑魚でわらわら出てくるならどうしようかと思った」
確かにアカネに聞いていた話では、今まで拠点に来たのは四足歩行の毛のない犬のようなモンスターや大きな虫のようなモンスターが主で、こんなモンスターの話は出ていなかった。
異能の力もあり、あの巨体と合わせた攻撃は最初に受けたのが俺でなければ簡単に死んでいただろう。
ひょっとしたらダンジョンが本格的に活性化し始めているのかもしれない。
何はともあれ、俺たちの最初の戦闘は何とか勝利することができたわけだ。
『戦闘終了、各種バイタルの確認を行います』
「そういやモンスターの血って売れるんだよな」
しばらくしてそんなことを言いながらアカネが首の飛んだ四腕を足で小突く。
「いや、確か専用の容器が要ったはずだ。異能を使えるモンスターの血は結構高く売れたはずだけどな」
流れ出ているモンスターの血は緑色であった。
ゲームの様にモンスターの皮だの骨を剥ぎ取って換金したり装備なんかに使えればいいんだが、現実にはそんなことは極一部の例外を除いてないし、普通に現代科学を用いられて作られた武装の方が優秀だ。
まぁ、高級財布などモンスターの皮製品なんかはあるがそれも専門の人間の仕事。
血に関しても、俺たちを変異させた変異薬の材料としては欠かせないため需要は高いが、それ専用の容器や採集手順などがあったはずで、素人の俺たちが手を出せるものじゃない。
改めて互いのありさまを見てみると、アカネは直接攻撃を受けていないこともあって大きな怪我もないが、泥と化した地面に埋まっていたことで泥だらけだ。
俺に至っては体こそもう傷は塞がっているが、服はズタズタで泥と血を吸って酷いものだ。
分かっているつもりではあったが、モンスター一匹倒すのにも簡単にはいかない現実があった。
「さて、そろそろ動くか」
「どうする、もう帰るか」
「そうだな、もともと今回は軽く見てみるだけのつもりだったんだし、一旦帰ろう」
もう少し装備を見直した方がよさそうだしな。
BLsに来た道を視界表示させて警戒しながら帰る。
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「何か聞こえるな」
拠点の近くまで来ると強化された聴力が不自然な音を聞き取った。
「どんなんよ」
「人の騒ぎ声となんかの唸り声、あと色々な物音かな」
拠点まではまだ距離があるが、聞こえてくる音からすると恐らくモンスターが襲ってきたのだろう。
「え゛、まじかよ。どうする、行った方がいい感じか」
「いや、もう終わりそうな感じだしそこまで急がなくていいんじゃないか」
少し速足で森を抜けると、そこには施設の前で5人の変異者達が一匹のモンスターを囲んでいた。
カニのような甲殻を持った6足の獣で、既に相当に痛めつけられておりその周りに同じ姿のモンスターの死骸が2体転がっていた。
モンスターが誰かに攻撃しようとすると他の者たちが攻撃を行い動きを封じているようだ。
「うまいもんだな。自分たちより数が少ないとああやって封殺できるわけだ」
「全員槍みたいなもの持ってるな、誰かの力で作ったんかな。やっぱ武器は必要だよなー」
武器か、俺自身はあまり必要性を感じていないがアカネには確かにいるかもな。
そうしているうちに、円陣を組んでいる者たちの中で一際体格のいい短髪の男が輪の内側へと進み出た。
男は左腕が異常に大きく石炭の様に黒ずんで罅割れており、魔素の動きと共にその腕がまるで内側から火が入ったように赤熱する。
熱量で空気が揺らぎ、腕の罅から煌々とした炎が舌を伸ばすように洩れだしている。
モンスターがその男目掛けて飛び掛かると同時に迎え撃つように左腕を叩きつけると、モンスターの虫のような甲高い鳴き声とボジュゥゥゥ!という甲殻が煮え立つ音が響き渡った。
凄まじい痙攣をおこして崩れ落ちるモンスター、周りの者たちが歓声を上げる。
そこで男がこちらを振り向いた。
「会ったことないやつらだな。いや、それよりボロボロだな。モンスターにやられたのか!怪我はないか」
そう闊達な声で話しかけてきた。
戦闘描写楽しい




