05 いざダンジョンへ
目の前に自分の身体が浮かんでいる。
十分の一程の自分が空中に浮かんでいる様はどこか滑稽だ。
「第二スキル起動」
『第二スキル起動します』
電脳にインストールされたアプリによって作り出された疑似人格であり、補助AIのプラティシアスから応答があり、体内に流れるナノマシンの働きによって視神経を介さず脳に映し出された俺の虚像が目の前で動き始める。
虚像が腕を上げると掌の外側面部から骨が突き出し始める。
緩くカーブしながら伸び続け、肘から肩にかけての辺りまで伸びる。
完全に伸び切るまでに掛かる時間は0.8秒、幅5.2センチ、薄さは一番太いところで1.1センチ外側にかけて薄くなっているそれは、独特の光沢と合わせてまるで曲刀の様である。
そして虚像はその刃を閃かせながら独楽の様に縦横無尽に腕を振るい始めた。
俺がイメージした動きに合わせて正確に挙動するそれは、次第に足からも同じように刃を生やして動きを加速する。
その動きがピークに達した瞬間ぴたりと動きを止め、腕を下すと四肢の刃はするりと肉に戻りまた何事もなかったかのように像は佇み始めた。
「改良の余地はあるけど、先ずはこんなものか」
俺が変異完了して、現在二日目である。
今はスキルツリーの初期スキルを作成しているところであった。
例えば今の様に骨で刃を生成するだけでも、実際に自分でやろうとすれば数十秒程度はかかってしまう。
骨を適度な長さに成長させ、物を切れるほどの満足な出来になるまで密度を変え、薄く延ばし形を整える。
慣れてくると自分でももっと早くなるのかもしれないが、スキルを用いれば一度出来たことは簡単に出来るようになってしまう。
異能というのは変異者の身体能力であり筋肉の様に使用すればするほど、強い負荷が掛かれば掛かる程より強靭で柔軟なものへと成長するという。
ここで言う強い負荷というのは、自分以外の異能との衝突であり、強い魔素を持つモンスターとの戦闘だ。
魔素とは即ち、ダンジョンに満ちるエネルギー物質である純粒子が生物や物資に吸収されエネルギーの質を変化させたものであり、その人特有の色を持つ。
色の違う魔素は互いに反発する性質を持ち、打消し合おうとする。
これが負荷となりそれを打ち消そうとより強い異能へと作り替わっていくわけだ。
そしてこのアプリは、自分で作り出したスキルをもとにそうして強くなった力でより強く使いやすいスキルを自動生成していく機能を持っている。
自分で作り出す初期のスキルを種子として、様々なスキル群を発生させるが故にスキルツリーである。
もう彼是この作業を数時間やっているが、これが面白い。
自分の能力でできることをいろいろ試し、スキルとして記録する。
只管これだけでも延々と遊び続けられそうだ。
そうして居るとBLsに着信が入った。
ダンジョンの中では外部との通信は途絶してしまうが、施設内程度の距離なら体内のナノマシンを媒介に短距離通信は可能である。
つまり、この着信は中からのものであり、俺が連絡先を伝えているのはこの施設には一人しかいない。
『おーい起きてるかー』
『起きてるよ、スキルセットの構築をしてた』
昨日アカネにのされてから、直ぐに目は覚ましたのだがその後は解散することになった。
明日また会って外のダンジョンに出てみないかと提案した所、彼女は快諾し連絡先を交換して別れた。
恐らくその件で連絡してきたのだろう。
『マシューの所の奴らが食堂で飯出してんだ。たかりにいこーぜ』
違ったようだ。
そういえば昨日からまともに食事をしていない。
そう思うと途端に腹が減ってきた。
『わかった、十分後に食堂に向かう』
簡単に答えて身支度をする。
この部屋は施設に来た当初に各自に割り当てられた個室であり、洗面所やシャワー、トイレ等も部屋内部に設置されており、少し狭いことを除けばさながらアパートの一室といったところだ。
因みにだがこの施設の水道設備は基本的に内部で循環するようにできている。
外部の空調設備がモンスターに破壊されたらしく、部屋の暖房は効かないが。
手早く着替えて部屋を出る。
今や2メートルを超える身長の俺は部屋から出ようとすれば屈まなければいけない。
窓が封鎖されていて電力消費を抑えるために薄暗い明かりしかついていない廊下を歩いて、食堂に向かう。
2000年代初頭の映画なんかでは、未来の世界では食事は薄い袋や謎のブロックなんかを電子レンジのような機械に入れたら次の瞬間にはハンバーガーやらシチューなんかが出てくる描写があるが、現実はまだそんなものはない。
限定的な調理ロボット(人型ではない)はどこの家庭でもあるし、それさえ食べてれば生きてくだけなら問題ないっていう高エネルギー高栄養価の保存食はそこらの店で幾らでも売っているが、基本的には一般家庭では人が食事を作ってる。
「おっす、頭は大丈夫か」
「おはよう。その言い方はやめてくれ、別にあれから問題は出てないしナノマシンのメディカルチェックでも異常はない」
食堂前には既にアカネが待っており、声をかけてくる。
頭を殴打され気絶したこともあり異常がないか昨日から気にしているらしい。
今や人類の6割には体内にナノマシンが流れているらしく、変異者からすると能力制御の為の使用が主な目的となっているが、この本来の目的は体調管理だ。
ナノマシンが一般に普及してから病気の発症率や肥満などの生活習慣病はとてつもなく減少しており、風邪などというものは俺も罹ったことがない。
寝ている間に精密検査した結果特に問題はなさそうである。
ただし、変異者の身体は普通の人間の基準では測れないことは注意しておかなくてはならないだろう。
食堂に入ると10人ちょっとの人達がそれぞれ食事していた。
食事は学校の様にトレイを持って何品かまとめて作ってあるものから自分で勝手に取れるようになっていた。
俺達はスープとパンを取って隅のテーブルに座った。
「そう言えば、ここのダンジョンはどんな感じなんだ」
「どんな感じってなんだよ」
「そうだな、環境とかモンスターの傾向とか」
食事をしながら軽くダンジョンの様子について聞いておく。
ダンジョンと言うのは本当に多種多様な環境を構築する。
元の景色が何であれ、完全に別のものになることもあるし地球上で観測されないような特異な環境を形成することもある。
「アタシもあんま深いとこまでは行ってないけど、まぁぱっと分かる変なものは底の方に見えるデカい玉だな」
「玉?いや、それ以前に底の方というのはなんだ」
「そっかしらねーんだよな。あのな、今この施設は馬鹿でかい穴の中腹くらいにあるんだよ」
「穴、ここは地下だったのか!」
「そうだな、デカすぎてあんま地下って感じでもないんだがな。ただ基本的に森だな、そんで渦を巻くみてーに下に道が出来てるのさ。他にも穴の向こう側の淵につながる道が何本も通ってる」
「なるほどな、玉というのはなんだ」
そう尋ねると、うーんと腕を組んでうなりだす。
「わかんねぇ、雰囲気的に大事そうなんだがそれ以上のことは特に言えないな。あ、色は緑っぽいな。詳しく見ようとして視界の倍率上げてもなんかぼやけちまって見えねぇんだよ」
なんだその明らかに怪しい物体。
何らかの力場が発生して光を歪めているのか、はたまた何か別の理由があるのか。
真ん中にあるというなら、それはダンジョンコアの可能性が高いが。
ダンジョンコアとはダンジョンの発生源のことであり、ダンジョンをダンジョン足らしめる要素はそこから発生している。
ダンジョンは外部から何らかの形でエネルギーを得てそれを基に外部に向けて新たなダンジョンの種を蒔く。
ダンジョンの種、即ちダンジョンコアを持った特別なモンスターである王位個体とそれに追随する大量のモンスターが各地へと移動し、如何なる基準でかその移動を止めると王位個体は他のモンスターを食い始める。
この追随するモンスター達もまた特別な個体であり、その血は土地に広がると瞬く間にその環境を作り替えダンジョンを形成する。
そしてその中心でモンスター達から栄養を得た王位個体は新たなダンジョンを育てるという。
ダンジョンコアも色や形は様々だが基本的にデカいらしい。
他にも出会ったモンスターの特徴なんかを聞いているうちに二人とも食べ終えてしまったので、簡単に片づけて動き始めた。
一度部屋に戻って鞄を空にしてから、必要になりそうなものを詰め込むとアカネと合流し出口の方へと向かう。
「よし、それじゃちょっくらダンジョン探索と行きますかね」
彼女は軽くそういうと若干の緊張を感じていた俺に構わずあっさりと出て行ってしまった。
初めてのダンジョンか、と感慨に耽っていたところをスルーされなんだかなぁと言った感覚も外に出ると吹き飛んだ。
巨大な大穴だ。
ぽっかりと空が丸く切り抜かれており、カッと光る日が照っている。
穴の中ほどから迫り出した地面がひどく緩やかなカーブを描いて俺の足元まで続きそして穴の底へと伸びている。
大穴の入り口はまるでネズミ返しの様になっているようで徒歩でのこの穴からの脱出を難しくしているのがわかる。
その返しから様々な植物が垂れ下がっていて、花や果実なんかが大量になっていることで色とりどりに光を反射し上の方は美しく幻想的な光景が広がっていた。
更に建物はせり出た地面の穴よりに位置しているようで、壁側といった方がいいのかそちらの方には森が広がっている。
秩序なく乱立する木々がその足元に暗闇を作っており、その奥からは生き物の蠢く気配があった。
苔やシダが足元まで伸びており施設の壁にもやや浸食されている。
湿った匂いはどこか甘いような気もした。
「こっち来て見てみろよ」
声の先には穴の縁に立つアカネが居り、近づいて穴の底をのぞき込むとまた違った光景があった。
なんとこの穴は下に向かうと雪が降り積もっており、氷に包まれていたのだ。
そして底には例の丸い物体があった、周囲の光景がやや屈折しており光があまり届いていないこともありはっきりとは何なのかわからない。
注視していると視界の違和感に気分が悪くなりそうだった。
「これが…」
ダンジョンなのか。
動画や画像、探索者たちの書いた書籍で見た情報だけではわからない。
生のダンジョン匂い、音、温度、生き物の気配、噴き上げるような魔素の感触。
「すげぇよな」
へへ、と隣で笑うアカネの方も見ずに頷く。
だがいつまでもこうしては居られない。
どんなに幻想的だろうがここは、人類の大敵たるモンスター蔓延る魔境なのだ。
「そろそろ行こうか」
言って、背後の森へと向かい探索を開始した。