03 目覚めとダンジョン災害
変異して起きたら施設は何やら緊急事態となっており、事態を確認するために部屋から出た瞬間何かの襲撃を受け吹き飛ばされた。
しかし変異した俺の肉体は驚くほどダメージを受けておらず、吹き飛ばされた体を捻り難なく着地した。
訳も分からず衝撃のあったほうにすぐさま向き直る。
「痛ってぇ!なんっだてめぇ!!石の塊みたいなやつ、って人間かよおい」
襲撃者は足を抑えてこちらに喚いていた。
先ほどの攻撃は彼女が俺を蹴ったもののようで、こちらを確認すると驚いたように固まっていた。
第一印象で言うならその見た目は悪魔だろうか、身長は俺の肩口ほどであり、額からは二本の角が後頭部に向けて捩じれて生えており、浅黒い肌には何やら文様が浮かんでいる。
こちらに向ける目は白目が黒くなっており瞳には金の円環が見える。
更には蛇のような尾が腰から伸びたその人物は、女性だった。
「いきなり何をする!」
思わず上げた声に彼女も困ったように返す。
「あー、ワリィ。この廊下歩いてたら突然扉が開いてアンタが出てきたもんだから、つい反射的にやっちまった。モンスターかと思ってパニクッたんだ」
ワリィワリィと軽い調子で謝ってくるその様子に毒気を抜かれ、こちらも警戒を解く。
しかし彼女の言葉には気になるところがあった。
「モンスター?施設の中でか。それにさっきまでなっていた警報、何か関係あるのか」
「あ?てめぇ何言ってやがる。いや、待てよ…お前さては目が覚めたばっかりか」
ガリガリと頭を掻いて得心が言ったようにこちらに訪ねてきたので、俺がついさっき目が覚めてから変異装置から出たばっかりであることを話した。
ほー、っと興味深そうにこちらをじろじろと眺める彼女に視線で話を促すと、一つ頷いて彼女は話し始めた。
「アタシは秋津アカネってんだ、よろしく。まぁ、色々分かんない事だらけだろうが正直アタシもあんま多くのことがわかってるわけじゃねえ。とにかく確実なのは今この施設はダンジョンの中にあるってことだな」
「…は?すまん、今ダンジョンといったか」
「おう、クソったれなダンジョンだよ。もともとこの施設は機密保持のために都市外に建てられてるってのはあんたも知っての通りだが、どうも何処かのダンジョンが氾濫を起こしたのか、それとも自然発生したかでここら一帯がダンジョンに飲み込まれてるらしい」
軽い口調とは裏腹に彼女の表情は硬い。
当たり前だ、彼女の言っていることが本当ならダンジョン災害に巻きこまれたというわけだ。
なんという事だ、都市外といってもここはそう都心から離れた場所ではないはずだ。
ダンジョンの氾濫などここ数年なかった一大事ではないか。
ヒヤリとしたものが背筋を伝う。
「とにかくあんたは特に変異に時間がかかってる連中の一人ってことか。アタシが目覚めてからもう3日は経ってて、他の奴らはもうちょい早かったみたいで恐らくアタシ達が変異を始めてから1週間以上経ってる」
それだけ時間が経過していることにあまり違和感はない。
肉体の変異にはもともと何日も要するものだ。
「ここがダンジョンの中、か。何が何だかわからないな。オメガテックの職員や研究者たちはここにいるのか。他の奴らと言ったが我々のような変異者のことか、彼らはどこに」
「さあな、普通に考えりゃ避難したんじゃねえか。変異中の事故だ、そりゃ変異装置の電源落としたりなんかもできないだろうから、アタシらはここに置き去りにされちまったわけだ。他の変異者たちは今はそれぞれの部屋か談話室に集まってるな。幸いこの施設はエネルギーのほとんどをソーラーで賄ってるみたいだから、ある程度節約しながら救助を待っているのが現状だな。施設そのものがダンジョンの環境変異から逃れたのはマジで幸運だったな。取り合えず来なよ、えーっと?」
「ああ、済まない。俺は一ノ瀬イザヤだ、イザヤでいい」
「あれ、同郷か。ここに集まってる連中は国籍が点でバラバラなんで日本人は少ないんだ。見た目も今となっちゃ判断つかねえしな。アタシのこともアカネでいいぞ」
そう言って先導するように歩き始めたアカネに着いて移動を始めた。
ダンジョン災害とは、その名の通りダンジョンの氾濫によってダンジョンの領域が広がってしまう現象である。
ダンジョン化した空間は地形を作り替えられ、モンスターが溢れるようになる。
ダンジョンの境界には奇妙な霧が生じるようになり、この霧はあらゆる通信を阻害してしまうのだ。
これにより外界との連絡手段が絶たれることになる。
その変化は当然地中にも及んでおり地形変化の影響で送電線や無線ケーブルなども断絶してしまう。
つまり俺たちは完全に孤立してしまっているわけだ。
「個人差が大きくて一概には言えないんだけどさ、戦闘に特化した変異を行う奴ほど時間がかかるらしい。アタシもその口でそのせいで起きるのが遅くなっちまったんだ。イザヤもそうだろう、さっき蹴ったときマジで岩でも蹴りつけちまったかと思ったもんな。それにあの動き、とんでもない反射神経だった」
「俺は探索者になりたくてここに来たからな。まだ変異したばかりで正直自分の体に違和感が強い。とりあえず鏡が欲しいところだよ」
分かる!とけらけら笑うアカネと話をしながら歩いていると少し落ち着いてきた。
取り合えず絶望して取り乱しているような状況では無さそうだと感じれたからだ、少なくとも今はまだ。
そんな話をしてる内に談話室へと辿り着く。
だが、部屋の扉の目前で彼女がこちらをふさぐように立ち止まり、硬い表情で振り返る。
「あー、なんて言うかな。唯でさえ皆変異したばかりだし、目が覚めたらこんな状況になってたせいか、ここの連中はなんだか変な雰囲気になってる。その…、上下関係ができ始めてるって感じだ。それを良く思う奴もいれば、そうじゃない奴もいる。どっちにしろ気を付けた方がいい」
突然彼女が発した言葉に少し考える。
緊急事態を前に少ない人数が閉鎖空間で緊張状態を保っていることを考えれば、確かに主導権を握ろうとする人間が現れることは考えられる。
そしてそういうものは大抵の場合早い者勝ちだ。
何だかキナ臭い雰囲気だ。
「気を付けるよ、ありがとう。…ところで、アカネはどっちなんだ」
「…さあね」
ふむ、そういうことを口にもし辛い雰囲気というわけか。
それだけ言うと彼女は扉の方へと向かう。
さて、どうなるかな。
「やぁ、君は目覚めたばかりの人だね。新しい仲間が増えてくれてうれしいよ、なんせこんな時だろう皆で助け合わないと生きていけない。僕のことはマシューと呼んでくれ。取り合えず先に目覚めた者たちの中では僭越だけど取りまとめのような位置にいる。何かわからないことがあれば聞いてほしい」
部屋に入るとにこやかに迎えてくる青年。
何やら他の変異者と忙しく話していたようだが、こちらに気づいて近づいてくる。
華奢でふんわりとした金髪、中性的な美しい顔立ちをしており、一見すると変異者には見えない。
しかし、柔らかな笑顔をたたえている彼の影には天使を思わせる翼が広がっていた。
光を透過しているのなら影にもならないはずだが、どうなっているのかまったく謎である。
変異者には偶に明らかにオカルト的な変異を起こすものもいると聞く。
マシュー・カウフマン、聞いたことのある名前だった。
確か事前インタビューで一際注目されていた人物の一人で、イギリスの資産家の御曹司だったと記憶している。
「イザヤだ、よろしく。すまないがこちらもついさっき目が覚めたばかりで状況が呑み込めていない。良ければ現状を教えてくれ」
周囲にはぱっと見えるだけで十数人の人間がおり、興味深げにこちらを観察しているものや何やら作業を行っている者などそれぞれだ。
そしてその全員がマシューを見る目は指導者に向けるそれだ。
そこで先ほどまで居たはずのアカネがどこにもいないことに気が付いた。
「そうだね、もちろん教えよう。その前に一先ず服を用意させよう、今の服はだいぶきついみたいだから、メーラ!彼に服を見せてあげて」
「はいマシュー、どうもメーラです。イザヤさんですよね、こっちに幾つかあなたのサイズに合いそうな服があります。といってもこの施設にもともと置いてあったものですけど」
メーラと呼ばれた女性はマシューの指示に従って俺を促すと、奥にあるパーテーションで区切られた区画へと案内した。
よく見ると部屋には何やら保存食が積まれた区画や、日用品が置いてある区画などがある。
おそらくは目録も作られてきちんと管理されているようだ。
災害時の避難所かはたまた何かの軍事拠点を思わせるものがあり、まだこの事態となって日も浅い中驚愕すべき統率されようだ。
碌に面識もなく国籍も姿かたちも違う人間たちが混乱の中短時間でまとまりこの環境を作り上げたのだと考えると、それをまとめた人物に空恐ろしいものさえ感じる。
渡された服は黒いゆったりとした上下で、靴はサイズ調整機能の付いたものだった。
もともと変異した後に服のサイズが合わなくなることを見越していたのか、施設には様々なサイズの服が置いてあったそうだ。
着替えながら後ろを向いたメーアヘと話しかける。
「随分とマシューは信頼されているようだが、彼とは以前から面識が?」
「いえ、私たちが目覚めた当初は本当に混乱していて。何が起きているのかもわからないまま建物は厳重封鎖されていました。外にも出られず現状の確認もできない中、モンスターが侵入してきて。きっと建物の装備もこんな事態まで想定していたわけじゃなかったと思うから、不十分だったんだと思います。先に目が覚めてた人たちは私も含めて戦えるような変異者じゃなくて本当にひどい混乱になりました。その、…死んじゃった人も中には出て。そんな中、目覚めたばかりのマシューがモンスターを倒してみんなを守ったんです。それからは彼がここを纏めてバリケードを作って、モンスターが入ってこないように警戒態勢を作ったり、とにかく彼がいなかったらきっと皆今頃…」
なんだそのスーパーヒーローは、確かにそんなことがあれば彼を中心に人がまとまるのも納得は行く。
彼女にとってマシューとは、混乱と絶望の中現れた救世主というわけだ。
その声には熱が篭っており信頼感があった。
「ありがとう、マシューは確かにすごいやつなんだな」
着替え終わり彼女に声をかけ、マシューの元へ向かう。
「またせたな、それでさっきの話の続きを聞きたい。一先ずここがダンジョン災害に巻き込まれたことは聞いたが詳しい状況がわからない。外からの連絡や避難したここの職員達からの伝言などはあったのか」
「うん、そうだね。まずこの施設に残っている人間だけど君を含めて27名、内未だに変異を行っているのは3名、軽傷者は何名かいるけど幸い重傷者はいないよ。僕が起きた時はモンスターが施設内に侵入して暴れていてね、その攻撃自体は何とか退けたんだが、3人は助けられなかった」
先ほど死者が出たと言っていたが、3人も死んでいたのか。
探索者を目指す以上俺も命を懸けることになる。
しかし、このような形でダンジョンに遭遇し死ぬかもしれない事態になるとはな。
あまつさえ先に目覚めていた者たちのほとんどは戦闘能力を持たない変異者だったというから、きっと探索者になるつもりでここに来たわけではなかっただろう。
そんな彼らが受けた衝撃は凄まじいだろうな。
少し言葉を区切って彼は続ける。
「それと、この施設には完全に僕ら以外の人間はいない。職員の方々は全員退去してしまっているようで、誰も見ていない。何人かのBLsには直接メッセージが残されていて、モンスターの氾濫が発生し幾つかの街が被害を受けていること。それがこの施設にも届きそうなので施設を緊急ロックダウンすること、事態の鎮静に国防隊が動くだろうことが知らされていた」
国防隊は変異者で組織された対モンスター用の国営自衛組織であり、その主な任務は国内でダンジョン災害が発生した場合の住民の避難・救出とモンスターの殲滅。
また市街地で発生する異能絡みの事件にも出動する。
彼らは間違いなく戦闘においてはエリートであり、世界的に見てもこの国の国防隊の力はトップクラスを誇っている。
しかし、幾つかの街が被害にあっているということなら状況はあまり良くないな。
ダンジョン化した領域がどれほどのものかわからないが、限りある戦力を投入するならば俺達のようなごく少数の者たちよりも、周囲の市街地に住む者たちが優先されてしまうことだろう。
実際に既に1週間以上経っているというのに助けはないことからもそれがわかる。
「そうだね、だがこの計画は世間の注目も高く世界中で報道されていたものだ。それに僕らの中にはそれなりに立場のあるものもいる。この国としても完全に無視するわけにはいかないだろうから、救助は行われていると考えている。問題はそれまで僕たちが持つかということだ」
俺の懸念に答える彼の言葉には自信があった。
実際彼の言う通りではあるだろう、彼自身世界的に有名な資産家の息子であり、このプロジェクトには話題性の為か彼のようなものたちが何人か混ざっている。
ある意味では上流階級の驕りのようではあるが、自分が見捨てられるわけがないという確信があるのだろう。
「さっきの警報もそうだけど、ここは今断続的にモンスターの攻撃に逢っている。それを減らすために今目覚めた戦闘型の変異者たちに指示して周囲を警戒している。非戦闘員はここで物資の管理や食事の準備なんかをやっているよ。見たところ君も戦闘型だと思うけど、出来れば僕たちに協力してほしい。全員で生き残るために」
みんなの為に、か。
気づけばこの部屋にいた恐らく非戦闘員の者たちが皆こちらを見ている。
アウェーな空気感だ。
人の目があるところでみんなの為にという言葉を突っぱねることができる者は少なく、また一度約束したことをやっぱり嫌だということも精神的苦痛を感じるものである。
恐らくこれは目覚める者が現れるたび何度か繰り返されてきたやり取りなのだろう。
同調圧力での支配か、これは彼らが嫌な人間であるということではない、単純にそれだけ必死なのだ。
それはそうだ、命が掛かっている。
そしてそれはもちろん俺にも言えることだ。
「なるほど、だが簡単に任せてくれとは言えないな。実際問題、俺自身まだ自分の異能を把握していないんだ。それに自分でも外がどうなっているのか確認したいしな」
俺の返答に対して彼は少し沈黙してからにこりと笑って続ける。
「確かに、僕も少し焦りすぎたようだ。そうだね、変異装置のある区画にトレーニングルームがあるから、そこで色々試してみるといい。ところでBLsはもう立ち上げたかな、オメガテックから変異の際に能力制御用のアプリがインストールされているはずだから確認するといい」
「ありがとう早速試してみるよ、またな」
「うん、また」
周囲の視線を振り切って部屋を後にする。
部屋を出ると大きなため息が出てしまう、彼は急いで俺を自分の仲間に引き入れようとした。
と言うことは、敵対者ないしは彼に反発する者たちがいるということだ。
勿論、単純に外からの脅威に怯えているだけとも考えられるが、あれは政治の臭いがした。
俺が寝ている間にダンジョンだけでなく面倒なことが起きてるみたいだ。
「面倒だな」
「おう、まったくだな」
口から洩れた独り言に返事が返ってきた。
実は部屋を出てから直ぐ彼女がいることはわかっていた、変異して感覚が鋭くなっているのだ。
「さっきぶりだな、どうよここの状況は」
「さっき言っただろ、面倒だよ」
ケラケラと笑うアカネを見てこれからどうするか考えるのだった。
・Tips.3
電脳通信技術《BLs》が民間で使用されるようになる以前、21世紀中期から既に言語の壁は世界を隔てることはなくなっていた。同時翻訳技術は成熟しきっており、ナノマシンが本格的に使用される現在では文字情報でさえ何の違和感もなく操れるようになっていた。