01 まず前提として人間をやめなければならない
「本日は我が社のプロジェクトにご参加頂きありがとうございます。当プロジェクトについては事前にご説明させて頂いていますので、皆さんご承知とは思いますが改めてこの場で説明させて頂きます」
痛いほどに白い部屋だ。
いくつもの長机とその前方にスクリーンが設置されている部屋で、複数の男女と共に俺は席についてスクリーンの前に立つ男の話に耳を傾けている。
「ここに居られる皆様は、我が社の新製品である世界初の合成型変異誘発剤の最終テスターとして、事前にご応募いただいた11万人超の候補者の中から厳正な審査の末、見事30名のみ選ばれた方々です。ご存じの通り変異誘発剤とはモンスターの血液が人間を変異させる作用を利用する為、本来モンスターの血が持つ毒性を抑え、薬として調整したものです」
男は俺たちの反応を確かめるように、言葉を区切りこちらの顔を伺った。
それに釣られる様に俺たち参加者もそっと互いの顔を伺う。
周りにいるのは様々な顔ぶれだ。
壇上の男が語った通り数は30人、俺を含め男性の方が僅かに多いだろうか、一様に期待感が溢れ、やや興奮し、同時に少しばかり不安気であった。
「変異は我々人間をより高次元の存在へと変える手段だと、私共は確信しています。この分野の研究開発は日夜進歩続けており、今回我々OMEGA TECが開発したそれは従来の製品とは一線を画すものであり、世界を変えるものです。」
迷宮がこの世に出現してからあらゆるものが変わったという。
価値観や生活、技術や人間としての在り方もそうだ。
モンスターと戦い接触することで、その血に触れ人間はそれまでの在り方を捨てることになった。様々な特異な力を操る変異者の登場は世界を否応なく変えた。
発生した迷宮は放置しているとそこから現れるモンスターによって民間に被害が発生する。
それを抑制するため武装し、戦力を保有することを認められた存在が探索者である。
そして探索者は迷宮が持つある特性のせいで、その全員が変異者であることが義務付けられている。
だがここで大きな問題が発生する。
変異するだけならばそう難しいことではない。
なんせこの世の中迷宮でであふれており、一般の立ち入りは禁止されているものの、常時増減する迷宮に潜り込むことはその危険性にさえ目を瞑れば誰だって可能だ。
小型モンスターや正式な探索者が戦ったモンスターの血を手に入れれば変異することはできる。
しかし、そうして起こる変異は何も人間にとって有利なものであるとは限らない。
むしろその殆どは視力などの五感を失ったり、使い物にならない力であったり、制御できない危険なものであったりと様々な想定外の不幸を生み出してしまう。
そういった無秩序な変異によっておこる人体の悪影響を”変異障害”と云う。
更には、変異そのものも危険を孕む。
人体が急激に別のものに作り替わるのだ。
痛みや高熱など様々な症状が全身を襲い、若すぎたり年老いているものはその変化に体力がついて行けず、命を落とすものも多い。
つまり変異とはそもそもモンスターが引き起こす災害に近いものであり、望んで引き起こすようなものではなかったのだ。
だがその中でも極稀に現れる優位な変化を引き当てた者たちを研究し、モンスターの血液が持つ毒性を可能な限り抑え、同様の力を手に入れるられるよう調整されたものこそが変異誘発剤であった。
そして現代技術の粋を集めて作られるそれは、当然といえば当然だが目玉が飛び出るほど高価だった。
「従来の変異誘発剤と我が社の新製品が大きく異なる点は変異によって得られる能力を選択することに成功した点です。これまでの変異誘発剤では大まかな方向性を決定することは出来ても、詳しい性能や拡張性については変異者の資質に大きく作用されてきました。しかし、今回制作に成功した我が社の製品はあらかじめ誘発剤が引き起こす肉体の変化や発現する能力をデザインすることができるようになったのです!」
話しながら男もやや興奮した様子を見せる。
そう、変異誘発剤で引き起こされる変異はこれまで方向性をある程度操ることは出来たものの、どのような変異が起こるかは変異してからのお楽しみであった。
所謂”変異ガチャ”などと揶揄されるものであった。
さらに言えば変異とは不可逆なものである。
本人が望まない様な変異が起きてしまうのは変異誘発剤を使用した者も、それを提供した企業にとっても不幸なことだ。
まさしく革命的な発明であり、成功したなら迷宮攻略において時代を変えるほどの影響を与えるだろう。
この集まりはその製品化前の最終段階、実際に人間に投与し狙い通りの効果を発揮するかテストする治験なのだ。
テスターへの当選通知が来た瞬間のことは鮮明に思い出せる。
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―ポチャン!―
たっぷりのミルクにレーズンを一粒落とした様な音が辺りに響いた。
ハッと顔を上げるが、周りの人間は誰もその音に反応を示してはいない。
この音は俺の頭の中だけで響いているのだから当然のことではあるが。
脳へのインプラント技術が一般レベルで実用化されたのはまだ20年ほど前にも関わらず、もはや生活、仕事、娯楽に置いて欠かすことのできない技術となっている。
脳幹への極小の有機素材製の機器を移植し、人は電脳空間とダイレクトな繋がりを持つ様になった。
これによって人は思考によってネットへと接続したり、念じる様に通話し、様々な知識を自分自身へとアップロードできる様になった。
電脳通信と呼ばれる技術だ。
そして先程の音は俺のBLs(電脳通信)のメッセージの着信音である。
血液中に流れるナノマシンとBLsが相互に作用し、眼前に俺の視覚にのみ存在するディスプレイが開きメッセージ内容が流れる。
送り主にはOMEGA TECの名前があり、件名が新製品最終テスター応募の件であることを確認した瞬間、ドクリと鼓動が鳴るのがわかった。
―文面はこうだ―
『OMEGA TEC事業部です。この度はOMEGA TECの誇る新製品、世界初の合成型変異促進剤"イヴァンギル"の最終テスターにご応募くださり誠にありがとうございました。本日はご応募結果の発表の為メッセージを送信させて頂きました。なお事前にも公式サイト等で通知した通り、本プロジェクトには110万人を超える方からのご応募があった為、結果発表のご連絡は御当選者様のみとなっております。ですから、このメッセージは"一之瀬 イザヤ"様のご当選をお伝えするものになります。
つきましては是非ご参加いただき、本プロジェクトはご協力願います。また参加される場合以下のURLから事前の情報入力に……』
震えながら当選の文字を何度も見直す、4度見直したところでガタッ!と立ち上がる。
「……どうしたー、一之瀬?突然立ちあがって、ってあ!どこ行く!一之瀬!!」
大学の講義の途中だったが、俺は興奮して外へと飛び出していった。
OMEGA TEC社は、BLsのアプリケーションソフトウェア開発で国内外に置いてトップクラスのシェアを誇っている会社だ。
特に探索者向けの変異者の能力制御に関わるアプリの分野では、世界を二分する程の力を持っている超巨大企業であり、ソフトウェア開発だけに留まらず様々な分野に手を伸ばしている。
その大企業が数年前、力はあったがあまり業績の振るわなかった製薬会社を買収した。
巨大企業のパワーで持って世界各地から実力と実績ある科学者をヘッドハンティングし、変異誘発剤に関わる事業に本格的に参入することを表明した。
そして遂に昨年末、世界初の複数のモンスターの血液から相性の良い要素を合成することで、数種類の能力を混ぜ合わせ、複数の要素を持つ能力をデザインすることのできる新型変異誘発剤の開発に成功したことを発表、世界中が注目するプロジェクト"イヴァンギル"の最終テスターの募集が行われた。
テスターと言っても軍事レベルのAIでのシミュレーションや、新型の変異誘発剤への許可に置いて世界最高レベルの厳しさの認可基準を持つ迷宮省の精査もクリアしており、謂わば製品の先行体験に近いものだった。
全世界からの応募殺到したそのプロジェクトの希望者数は110万人超にも上り、これが肉体を変質させ不可逆の変異を起こす誘発剤のテスターであることを考えれば、どれ程凄まじい数かわかると言うものだ。
応募には、BLsとナノマシンによって得られる本人の肉体の凡ゆるデータやパーソナルな情報が求められ、それを元に最適な人材がAIによって絞り込まれ、その中から更に電子空間での面接等が行われた。
このテスターの選考については守秘義務があり、面接が行われたことすら他者に知らせてはいけない為、家族にすらこれまで話していなかった。
面接を受けた時点で誰もがもしかしたらと思うものだ。
俺も今日までずっともしかしたら、ひょっとしてと期待と不安で気が気でなかった。
一ノ瀬イザヤというのが俺の名だ。
幼い頃から探索者に憧れた、彼らは現代の英雄だ。
モンスターという目に見える脅威に対抗する人類の盾であり剣、特別な力を奮って戦う自分を夢見る人間は少なくない。
現代のエネルギー産業や鉱物資源、技術研究を支えるのが迷宮という極上の資源であり、常人には立ち入れない魔境を切り開く偉人達が探索者だ。
だが矛盾することではあるが、憧れると同時に忌避されるものでもある。
この時代、探索者と言っても昔の小説の様に力こそ全てとわけにはいかない。
彼らはどう言いつくろってもやはり武力を行使するものには他ならない。
憧れのボクサーであっても実際に会うと少し怖いと思ってしまうものであり、それと比べ物にならない殺傷の力を持っている探索者はやはり往来での扱いは少しばかり他と違う。
命の危険も高く、とにかく初期費用もかかる。
俺が本気で成りたいといっても、家族も周囲の人間も本気で相手にはしないだろう。
何かそうなりたいという大きな出来事があったわけではない、誰かと約束したわけでもない。
それでも少年の頃からの憧れは消えなかった。
二十歳を前にした今なお本気で探索者になりたいと考えた俺の希望ともいえないほどの小さな希望が今回のテスターへの応募だった。
それから数日後、公式ページにも30名の当選者が決まった事、その当選者たちの顔写真と氏名が発表された。
そこからの日々はまさに怒涛の展開を見せた。
両親への報告に始まり、プロジェクトの参加の為に大学の休学手続きを行い、各メディアからのインタビュー、変異するために発生する様々な手続きもそうだ。
とにかく忙しい日々だった。
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そして今日、ついにこのOMEGA TEC社で俺は探索者になるための力を得る。
その為に人である事を辞めるのだ。
変異によって起こるのは外見的、能力的なものだけではない。
モンスターの血液に含まれる寄生生物が分泌する体液には寄生したモンスターの遺伝情報の一部が含まれており、これが人に接触する事でヒトゲノムに強烈な変異が起きるのだ。
モンスターの塩基対の一部が融合し三重螺旋構造をとるようになり、いわば半人半魔のキメラと化す。さらにこの追加される3本目の遺伝子情報は有機物ですらないと言う。
ダンジョン内で発見された未だ詳しいことの分からない物質が人を作り変える。
それは遺伝学的に見て最早人とは言えず、また実際に変異者は変異者との間でしか子孫を残せない。
法的にも変異者と人は明確に区別されている。
そこまでして変異を求めるのには様々な理由がある。
例えば純粋に異能の力を求めて、例えば人外の美貌を求めて、異形の肉体に対する憧れ、信仰のため。人の欲と趣向に限りは無く余人に理解の及ばない理由で人である事を辞めるものも多い。
そして、全ての変異者が探索者であるわけではないが、全ての探索者は変異者である。
ダンジョンは外部からのエネルギーを蓄える性質を持ち、生き物の持つカロリーや爆薬の熱量や電気的なエネルギーですらダンジョンという空間に保存される。
ダンジョン内の空気中に溢れるピュアマテリアルとも呼ばれる粒子が、持ち上げた石が位置エネルギーを保存するように、あらゆるエネルギーを空間そのものに保存してしまう。
変異者の肉体にはダンジョンの持つこの無形のエネルギー、俗に魔素と謂われるエネルギーをダンジョンから奪い蓄え、能力として消費する力を持つ。
つまり、変異者が能力を使いモンスターと戦闘を行い、モンスターとダンジョンの蓄える魔素を散らし活性を抑えていくことでダンジョンを無害化する事が、探索者の目的であり意義であると言える。
だからこそ探索者は変異者であることが義務付けられてるおり、前提条件として人である事を辞めねばならないのだった。
自分は設定厨なトコがあるのでどの程度設定を書き込んでいいのか、迷ってしまいます。あまり書き過ぎると読み辛さにもつながってしまうと思うので。でも色々書きたいっ!