6話 喫茶店の店長がおかしい
――桃華視点
坂上――葵先輩と一緒に歩いて駅前まで来たんだけど、葵先輩って何気に車道の方を歩いてくれるし歩幅も短くしてくれたり……自然な感じで何気に気を使ってくれる。
ほんとにしてくれる人、居たんだ……都市伝説かと思ってたよ……。
しかもいきなりおすすめのお店に連れて行ってくれるなんて……。
あ、駅前のメイン通りから一つ路地に入るんだ。こんな道があったんだ。
路地を進むと周りの建物とは違った造りのお店が目に入った。レトロな洋風造りの店だ。看板には『chick』と店名が掲げられている。
確か、意味はひよこだっけ? かわいい店名!
「わあ、素敵なお店ですね」
思わず感想が漏れちゃった。若い子向けでは無いかも知れないけど私は好きかも!
葵先輩、こんな素敵なお店知ってるんだ! カフェというよりもなんだか古い喫茶店みたい。でも実際に古い訳じゃなくてアンティーク感を意識して造ったお店って感じかな。
きっとかっこい初老ぐらいの方がグラスを拭きながら『いらっしゃい』とか言って出迎えてくれそう!
……それはバーかな? ちょっといろんな知識が混ざっちゃってるかも。
「えっと、鈴宮さん。このお店ね、料理や珈琲は美味しいんだけど、ちょっと店長がいかつくて。驚かないでね」
え? そ、そうなんですか? このお店の見た目で店長さんが怖いんだ……あ、あまり想像出来ないかな?
「え、ええ。分かりました」
あれ? そういえば昨日梓先輩も店長って言ってたような……も、もしかしてこのお店の店長さんが梓さんの彼氏!? わ、わ、わ! ど、どうしよう!?
当然向こうは私の事なんて知らないんだけど妙に緊張しちゃう! ど、どんな人なんだろう、近くに居るこんな素敵な葵先輩を彼氏にしないで別の人を選ぶぐらいだから……き、きっと優しくてかっこいい人なんだろうなぁ~。
で、でもいかついって言ってたし……どんな人だろう?
ドアを開けると乾いたベルの音が鳴り、店内を見渡すと外装に伴ったレトロな内装が伺えた。
カウンター席とテーブル席がいくつかあったけど時間帯からかな、他にお客さんはいないみたい。
うん、なんか想像していた通りのお店! なんか時間がゆっくり流れてる感じでリラックス出来そう! 葵先輩ってこんなお店に通ってるんだ……なんか大人って感じ! 私なんか珈琲とかはコンビニで済ませちゃうからなあ。
葵先輩がカウンター席に腰をかけたので私も隣に座らせてもらった。
「物凄く味のあるお店ですね。とっても古風な造りでなんか心が落ち着きまっ!!」
言葉が強制的に止まった。カウンターの奥から出てきた男の人の風貌に驚いた。
背は高くて体はプロレスラーみたいで、腕もとっても太い……物凄い筋肉だぁ……。そ、それにお顔がその、とっても怖いですぅ!! しかも髪の毛も無いですぅ! スキンヘッドってやつですぅ!
私の想像の斜め上どころか直角に跳ね上がった方ですぅ!
初老のおじいさんどころか軍隊に所属してそうな方でしたぁ!
も、もちろん梓先輩の彼氏さんだからおじいさんは流石に無いとは思ってましたが……。
梓先輩の彼氏さん、でいいんですよね!? しかもエプロンが可愛過ぎてギャップが大きくなって、その差がより怖さを演出していますぅ!『chick』そこに居たんですね……。
そんな店長さんの風貌に驚いていると、黙って葵先輩の前まで行き、いきなり大きな腕で葵先輩を掴んで持ち上げた。
「うんぎゃああ!!」
「きゃあっ!! 葵先輩!?」
ど、どうして!? いきなり店長さん、葵先輩を持ち上げて……え、今、私、葵先輩って言った……?
ああっ! さっきから脳内でずっと坂上先輩の事、調子に乗って葵先輩って呼んでたからつい口に出しちゃった!!
バカぁ! ある程度親しくなってからじゃないと呼んじゃいけないような呼び名を、私は何を口走っちゃってるの! まだお話だってロクにしてない仲なのに!
はは……きっと変な子を通り越して面倒な女の子って思われたよ……そうだよね、いきなり名前で呼ばれても困るよね。そっか……この恋、早めのゲームセットだね……。
来週からどんな顔して会社に行けばいいんだろう……居づらくなって辞めちゃうかも。ははっ、そうなったらハローワーク行かなきゃ……。
それに今、私どんな顔してるんだろう……。絶対変な顔してるんだろうなぁ……。
完全に我を失ってたけどなんとか状況を確認した所、店長さんは葵――坂上先輩を掴んでいた太い腕をゆっくり下げ椅子に戻していた。
「と、とりあえずいつものと彼女に珈琲を一つ……鈴宮さん、大丈夫? 鈴宮さん!?」
あ、なんか呼ばれてる……ちょっと放心状態になっちゃってました。えっと、何だっけ。坂上先輩が持ち上げられて、葵先輩って声に出して呼んじゃって。えっと店長さんが。
ふと店長さんの方を向くとスキンヘッドの怖い顔がこちらを見ていた。
「はっ、えっと……殺さないで……」
すみません、失礼なのは十分に承知だけど自然にこの言葉が出ちゃったの……。
店長さんが珈琲を差し出してくれた。とっても手が大きいので珈琲カップが小さいのかと思ったけど、私の手の元に来ると普通のサイズだった。一瞬おままごとのカップかと思っちゃいました。
それよりもどうしよう……葵先輩って呼んじゃった事……もう顔も見れないよ。嫌われちゃったよね……やだよぉ、折角おすすめのお店に連れて来てもらったのに、これでお終いなんて。
カップに注がれた珈琲を見ると微かに揺れ続けている。
手が小刻みに震えてるんだ……店長さん、どうしよう……なんとかならないですか!? どうしたらいいですか!?
藁にもすがる思いで店長さんを見つめながら珈琲を口に運んだ。
「……お、美味しい」
この珈琲、凄く美味しくて心が穏やかになるような。なんか落ち着いてきた……。店長さんって見た目は怖いけど梓先輩が選んだ彼氏さんだもん。実はとっても優しい人なのかも!?
とりあえず坂上先輩の事を間違って呼ばないようにしなきゃ!
それに坂上先輩は昨日の事を店長さんにお話してくれている、やっぱりこの人は梓先輩の彼氏さんで間違いないみたい。
店長さん! 坂上先輩、昨日かっこよく助けてくれたんですよ! それはもうヒーローみたいに――
坂上先輩の話が終わると店長さんの顔色が更に険しさを増した。
ただでさえ鬼神のようなお顔なのに、まだ上の段階がおありなのですね!?
私の人生で一番恐怖を感じた瞬間だった。昨日の事が可愛く思えるぐらいに。
「ひいっ! 怖いです、怖いです、怖いですぅ!」
人としての防衛本能が働き、無意識に近くにあるものに捕まった。坂上先輩の腕に。
あまりの恐怖に思わず、腕にしがみついちゃった……。
私ってやつは!! さっきから何してんの!? 名前を大声で呼んだあげく次はいきなり腕に抱きつくなんて! もう完全に軽い女の子に見られてるよぉ……坂上先輩、信じて下さい、私、男性と付き合った事すら無いんですよぉ、なんなら未だに処女ですしぃ……。
あ、腕をどけられちゃった……うん、迷惑ですもんね。すみません、ずっと掴んでて……。でも最後に少しでも坂上先輩を感じれて良かったです……。
よし、来週、机を整理して辞表を出そう。もうこんな環境じゃ私、働けない……。
その後、店長さんは昨日の三人を確保するって言ってた。しかも二時間以内で。その上処罰するって……店長さんが何かするのかな? 坂上先輩も言ってたけど法は犯さないで欲しい。
さてと、美味しい珈琲でも飲んで心の整理しなくちゃ……。机の整理は休み明けにして明日は辞表を書――
「ところで、そこのお嬢さんは葵の彼女か?」
ぶふっ!? て、店長さん! 何をいきなり!? こ、珈琲噴いちゃったじゃないですか! ほ、ほら坂上先輩だって!
で、でも坂上先輩が私の事をどう思ってくれているのかが分かる!? 店長さん! とっても素敵なアシストですぅ! ありがとうございます!
「店長、今の流れ聞いていました? 襲われていた所を助けた会社の後輩です。彼女ではありません」
……うん、知ってた。
そうだよね、それ以上もそれ以下も無いですよね……で、でも彼女じゃないけどまだ後輩の位置付けは守れてる!?
そ、それに別段嫌ってたり、めんどくさそうな素振りや口調も見られないし!
よ、良かった! 数々の失態をやらかしたからそれすらも危ういと思ってました! い、今はそれで十分です! 尻軽女とか思われていないだけで!
よし、辞表を書くのは止めよっと!