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4話 一夜明けたら、後輩ちゃんが来た


 ――葵視点


「痛てて、くそ、歯磨き粉が染みる……あ~あ、口の端、紫色になってるし……」


 翌朝、鏡の前で昨日の殴られた傷跡の痛みを我慢しながら顔を洗っている。昨日は儚くも散った初恋を肴に深酒をして枕を濡らした。おかげで起きたのは10時過ぎとなってしまった。


「まあ、可憐な女性を助けられただけでも良しとするか。美女は世界の財産だしな」


 ふとスマホを見ると一件のメールが入っていた。宛先は梓だ。昨日から入ってるな、気付かなかった……。


「うん? なんだ? 仕事の事か?」


 休日なのに仕事の事を考えてしまう。やはり俺は社畜なのだろうか。なになに……。


 咥えていた歯ブラシが床に落ちた。それと同時にテレビラックに向かって走った。メールの内容『AVぐらいちゃんと隠しとけ!』と書かれた事実を確かめる為に。


「……終わった。そうか、あの時の妙な返事の原因はこれか……」


 無造作に置かれたAVのDVD。こともあろうに巨乳系のやつ……そうか、週明けはセクハラで訴えられて俺は会社を後にするのか。恋は破れ去り、会社からも追い出されるんだ。


「ふふ、ハローワーク行かなきゃ……」


 落とした歯ブラシを拾い、口をゆすいだ。痛みは感じなかった。確か小さな痛みはより大きな痛みにかき消されるんだっけ? この心の傷に。


「店長の所で雇ってくれないかな……」


 そんな事を考えているとチャイムが鳴った。こんな朝早くから誰だ? 俺は今それどころじゃないんだ。ここは居留守を使わしていただこう。


 ソファーに座り込み、頭を抱える。その間もチャイムは間隔は違えど鳴り続けている。


「だああ! 五月蠅いな! 出ますよ、出ればいいんでしょ!」


 しつこく鳴り続けるチャイムに嫌気がさし、諦めて玄関のドアを開いた。


「はい! どなた!?」


「ひっ! あ、あの……」


 ……鈴宮さん? あれ? 俺はまだ夢を見てるのかな?


「きゃああ!!」


 叫ばれた? うん、俺の格好はロンTにトランク一丁……。ああ、おまわりさんの所に行かなきゃ。


「ちょ、ちょっと待って下さいね!!」


 玄関のドアを閉め大急ぎでズボンをはいた。俺はどうやってこの修羅場を乗り切ればいいのだろうか……。




 何はともあれ、改めて鈴宮さんを部屋に招いた。可愛らしい白色のスカートに淡い青色のシャツ。大きく膨れ上がった胸に視線を行かないようにするのが地獄のような苦しみである。


 はっきり言って好みの服装だ。なんたる透明感……どストライクだ。


 それにしても可愛い。流石は俺が恋した女性だ。さて、地の底まで落ちた好感度をどう上げたものか……。


「あ、あの、すみません、急に訪ねてしまって」


「い、いえ、こちらこそすぐに出れなくて」


 なんだろうか、テレビラックの方を……って! まだエロDVD直して無かったわ! なにとどめ指しちゃってるの俺!?


「す、鈴宮さん!? 朝食は食べました? 俺、おすすめの店知ってるんでご一緒に如何ですか!?」


 もういい時間なので朝食は食べてるだろうけど最悪珈琲だけでも問題無い筈だ! 早くこの部屋を出なければ! すでに手遅れ感が半端無いが……。


「え、ええ!? よ、喜んで!」


 もう、やだ。神様はなんでこんな死体蹴りを楽しみたいのでしょうか。ねえ、面白いの? こんなに打ちのめして?




 駅前のひとつ路地に入った所にある古い造りの喫茶店。看板には『chick』(チック)と書かれている。


 俺の行きつけの店でもあり、ここの店長とは仲良くさせてもらっている。今日はどの道寄るつもりだったのだが、まさか鈴宮さんと一緒に来るとは夢にも思わなかった。


「わあ、おしゃれなお店ですね」


 純洋風の古めかしい作りに駅前の近代化した建物とギャップを作りだし、見事に差別化出来ている。知る人ぞ知る隠れた名店だ。


 店の窓から店内の様子を伺うと、今の時間はモーニングの時間も過ぎ、ランチには早い時間なのでお客は居ないみたいだ。


 好都合である。店長と話をするには。でもその前に鈴宮さんに前知識を伝えておかないと。


「えっと、鈴宮さん。このお店ね、料理や珈琲は美味しいんだけど、ちょっと店長がいかつくて。驚かないでね」


「え、ええ。分かりました」


 古めかしいドアをくぐると乾いたベルの音が鳴り響く。とても心地良い音色である。そのまま歩みを進め、カウンターに席をかけた。


「物凄く味のあるお店ですね。とっても古風な造りでなんか心が落ち着きまっ!!」


 鈴宮さんの言葉が止まり震えている。まあ、事前情報を知っていても初見はこうなる。


 カウンターの奥から出て来たのはまるで熊のようなガタイをした男。鬼軍曹と称しても何ら語弊は無い。確実に何人か殺ってると思う。


 唯一のチャームポイントはムキムキの胸襟から垂れ下がるひよこのエプロンだ。これは梓の趣味だろうが。


 ちなみに店名の『chick』はひよこを意味するが、梓が少し前に店名を変えるという暴挙をしでかしたのは今となっては笑える話である。


 個人的には戦場に咲く一輪の花のようで似合っていると思うが、俺はアザラシ派だ。アザラシのエプロンに変えて欲しい。


 そんな店長がこちらを見た途端、目を光らせ、身を乗り出し俺の両腕を掴み子供を持つかのように軽々と持ち上げた。


「うんぎゃああ!!」


「きゃあっ!! 葵先輩!?」


 みしみしと軋む両腕、やばい、持ってかれる!?


「……誰にやられた? その傷。まさかそこのお嬢ちゃんじゃあるまいな?」


 おい! やめろ店長! 鈴宮さんがまじでこの世の終わりみたいな顔になっちゃってるから!


「違う! とりあえず下ろして! 力抜いて! じゃないと俺は二度とここの珈琲が飲めない腕になっちゃうから!」


「おお、すまねえ。俺とした事が」


 そっと椅子に戻してくれたのだが、両腕がマジで痛い。口の傷の痛みがかき消されている。ほんとやめてほしい……。


 あのまま力を込められてたら両腕骨折だよ! こっちの方が重症になってしまうところだよ!?


「と、とりあえずいつものと彼女に珈琲を一つ……鈴宮さん。大丈夫? 鈴宮さん!?」


 いかん! 完全に蛇に睨まれたカエル状態になってる! くっ! 若い女の子に店長の見た目はハード過ぎたか!?


「はっ、えっと……殺さないで……」


 うん、みんな初めてのお客さんは店長に向かってそう言うね。




「すまねえなお嬢ちゃん、お詫びと言ってなんだがその珈琲はおごりだ。俺のスペシャルブレンドだ」


 震えながらカップを持つのだが明らかに店長の眼差しを警戒している。まるで目線を逸らせば殺られる。みたいな。うん、懐かしいな。


「……お、美味しい」


 そう、そして店長の珈琲を飲めばそう言う。


 さて、俺も一口頂こう……うん、美味い。そして腕の痛みが引いてきたので口が痛い。


「ところでその傷、どうした?」


 モーニングの時間は過ぎているのだが、特別に用意してもらったトーストを、傷の付いていない方の口で小刻みに食べている所で店長から質問が飛んできた。


 昨日、まともに食べて無いからこれを食べ終わってからにして欲しかったのだが。


「実は昨日、会社の後輩である鈴宮さんが裏通りで三人組の男に襲われてさ。そいつらに一発貰って。ああ、俺は手は出してないから。全部寸止めして向こうがビビって逃げて行ったから」


 途端、店長の顔色が変わった。まるで人を殺すような目に。ねえ、ほんとに悪い事して無いですよね?


「ひいっ! 怖いです、怖いです、怖いですぅ!」


 店長の顔色に恐怖してか、鈴宮さんが腕にしがみついてきた。や、柔らかい……。胸当たってますよ!?


 それにしても若い子に対して店長なんて事を……お礼を述べさせて下さい、貴方は神です!


「……特徴は?」


 その後、名残惜しいが怯える鈴宮さんの極上の感触と共に掴まれていた腕を優しく離し、店長へと情報を渡した。


 するとスマホを手に取り何処かに電話し始めた。この時点でミッションコンプリートだ。地獄が生ぬるいと感じる程の、新天地への招待状が届く事だろう。


 地獄ってどんなところか知らないけど。


「二時間以内に確保しておく。処罰は俺に任せてくれるか?」


「あ、うん。でも犯罪は犯さないでね?」


「ああ、もちろんだ」


 にやりと笑う店長、おそらく法のギリギリオンラインを狙うつもりだろう。というかこの人が一番の凶悪犯だと思う。


「ところで、そこのお嬢さんは葵の彼女か?」


 思わず珈琲を噴き出した。誰が俺の傷を深くえぐり込んで下さいとオーダーしましたか? それ一体いくらですか? ほら、鈴宮さんも同じ事になってるし。


 二人しておしぼりでテーブルを拭きながら答えた。


「店長、今の流れ聞いてました? 襲われていた所を助けた会社の後輩です。彼女ではありません」


 まったく、鈴宮さんに失礼でしょ? ただでさえ現時点で俺の評価は地の底なんだから。


 俺は地下室を造るつもりはありませんからね!?


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