16話 スーパーの店員さんがおかしい
――桃華視点
マンションを出るものの、正直この辺りは会社と駅の往復しかしておらず、あまり土地勘は無いのでとりあえず駅前へと向かってみた。
「どこかに薬局とかスーパーがあればいいんだけど……」
喫茶店に戻って梓先輩か店長さんに聞けば分かるとも思うけど、ちょっと今日は行くのが恥ずかしい……飛び出して来ちゃったし……。
「え、駅前になら何かお店あるかな……」
駅前に向かうと地域の案内板らしき物が目に付いた。近寄ると周辺の地図が記載されており、スーパーも駅の裏手にある事が分かった。広場の方を見ると先ほどまで清掃活動をしていた大学生さん達も居なくなって――
『募金お願いしま~す!』
居た……。
お手製の看板には『目の不自由な方の為の点字ブロックの設置、盲導犬の育成の為に』と書かれている。
「誠意が足りん! もっと心を込めろ!」
迷彩服の方の指導の声が聞こえて来た……。
『はいっ! 募金、お願いいたしま~す!』
その声に答えるかのように三人は見事なハモリを見せていた。またその声に寄せられたのだろうか、周辺には何人かの方が募金箱にお金を入れようとする様子が伺えた。
『ありがとうございました~!』
三人が揃って頭を下げている。店長さんの指導がここまでのものとは……先日とは全く別人に見える。でも、まだちょっと怖い……。
少し大回りをして鉢合わせないように駅の裏手に回り、スーパーへと向かった。
「お薬は置いて無いかもしれないけど……食材はここで買えそう」
スーパーは中々の賑わいを見せており、大きくも無く、小さくも無くといったお店であった。私は近所にスーパーが併設されているショッピングモールが近くにあるのでこういったお店は新鮮に見えた。
買い物かごを持ち、店内に入ると美声が耳に飛び込んで来た。
「いらっしゃいませ~、いらっしゃいませ! 本日もご来店ありがとうございます! 本日の目玉は卵! 産地直送、収穫三日の超新鮮な卵が入荷しております! 数は多く用意しておりますが、沢山のお客様に味わっていただきたいのでお一人様1パックとさせていただいております! 味は私、中沢が責任を持って保証いたします~!」
ワイヤレスマイクを持ち笑顔で店内を歩き回る男性が居た。それにしても物凄い美声……商品の紹介をしているのに、まるでアーティストの歌声を聞いているみたいに聞き入っちゃう。
卵かぁ……風邪の料理としてはいいかも! 買って行こう!
店内に流れる心地よいメロディーに先ほどの駅前での緊張は解きほぐされ、食材をかごに入れて行った。
「えっと……後は飲み物とお米と……お粥ばかりじゃ飽きちゃうだろうからせめて付け合わせでも……」
欲しかったのは塩昆布だったが、初めてのお店なので商品が何処に置いてあるのかがいまいち分からず、うろうろしていた。するとマイクを持った店員さんがこちらに向かって歩いて来た。
マイクを口に当てながら……。
「何かお探しでしょうか?」
店員さんに声をかけられた瞬間、店内の音楽が止まった。
え? 今までのまったりとした音楽ってこの店員さんが歌ってたの!? ひょっとしてボイパで店内の音楽を!?
「あ、は、はい。初めて来たので商品の場所が分からなくて……」
「そうでしたか、ご案内いたしますね」
案内してくれたのは咲矢に似た感じの男性で、私よりも少し年上のように見えた。恐らく、イケメンと呼ばれる部類の方だと思う。スーパーのユニフォームを着ているが、それでもすらっとしていてスタイルの良さが分かる。
塩昆布が置いてある場所まで案内してもらい、商品をかごに入れた。
「今後ともご贔屓に宜しくお願いいたしま――あ、ひょっとして、失礼ですが、なっちゃんが言ってた妹さんでしょうか?」
お姉ちゃ……なっちゃんと知り合い? ま、まあ同じ街のスーパーだし、なっちゃんはその、独特の服装をしてるし、知らない方が珍しいかな……。
「は、はい」
「そうでしたか、となると、葵の看病をしてる訳ですね! あいつ、不摂生を極めてますからね」
通常の会話なのにとても綺麗な声でしゃべりかけてくれる。しかも先輩が風邪を引いている事を知っているのは……なっちゃんが伝えたのかな? 情報の回りが早すぎる言うか、筒抜けと言うか……。
「ちゃんと規則正しい食生活を心掛けるように伝えておいて下さいね。それでは、私はこれで」
そう言うとお辞儀をして歩き出すと再び店内に音楽が流れだした……。か、変わったスーパーだな……。
レジを済ませ、商品を袋に入れて店を出た。やはりスーパーにはお薬は置いて無かったので、別に探さないといけない。とはいってもドラッグストア的なお店は見当たらないし……。
駅周辺を散策しながら歩いていると、なっちゃんのラーメン屋さんの前に辿り着いた。
「……なっちゃんならお薬持ってるかな?」
何せ見た目が女医さんだし、サプリがどうとか言ってたから期待出来るかも。
暖簾をくぐると店内にラーメンの良い匂いが漂って来た。お客さんも多く、ほぼ満員状態だった。
「わあ……お客さん一杯……きっとなっちゃんも忙しいだろうから、やめておこうかな……」
踵を返し、店を出ようとした時、背中に元気な声が突き刺さった。
「おっ! 桃華! どうしたんだ? 葵の状態はどうだ?」
振り返るとラーメンを運ぶ女医さんが居た。なんともミスマッチな絵面ですね。
「は、はい、今は先輩、寝てまして……その間に食材とお薬を買いに来たんですが……」
「どれ、見せてみろ……ふむ、いい卵だ。スーパーに行ったんだな?」
なっちゃんが買い物袋を覗くと満足気な様子で答えてくれた。卵、見た目でいい物って分かるんだ……。
「は、はい。中沢さんという店員さんがお勧めしてましたので」
「そ、そ、そうか! あ、あ、あいつのお勧めなら間違いないな! うん!」
あれ? 何か態度が。気のせいかな? あ、そうだ、折角話しかけてくれたんだからお薬の事聞かないと!
「あの、この街にドラッグストアってありますでしょうか? お薬を買いたくて」
「う、うん、ああ。あるにはあるが、私のおすすめの薬があるからそれを持って行きな!」
先程までの焦った顔は無くなり、少し悪そうな顔をして厨房の方に戻って行った。
まさかと思うけど自分で薬を調合でもしているんだろうか……薬剤師の資格とかも持ってるのかな?
程なくするとなっちゃんがお薬を持って来てくれた。
「こいつは効くよ? ただ、物凄く不味いから葵には内緒で食べさすんだよ?」
「あ、ありがとうございます!」
頭を下げてお礼を言ったのだが、少々なっちゃんの顔は不満が出ているのが察し取れた。えっと……あ! そうか!
「お、お姉ちゃん、ありがとう!」
「気にするな! 妹よ! さあ、葵の所に行ってやんな!」
どうやら正解だったみたい。これからはなっちゃんの事はお姉ちゃんと呼んだ方がいいのかな。さてと、食材とお薬も手に入ったし、早く戻らないと。先輩、目が覚めてるかも。
足早にマンションに戻り、お借りしていた鍵でエントランスをくぐり、部屋に戻って来た。
先輩の様子を伺うとまだ寝ているようであった。しっかりと手を洗い、買って来た食材を冷蔵庫に入れた。
「えっと……まずはご飯を炊かないと」
炊飯器はあるものの、米びつ的なものは無かった。先輩……全く自炊してない……。
「冷蔵庫の中もビールとチーズしか入って無かったし……これじゃ体壊しますよ! 全く!」
あ、あれ? なんか……私、押しかけ女房的な感じになって……ち、違いますよ! 私はただ看病をですね!? で、でも、ちょっと幸せかも……。これがカップルの気持ちなのかな……。もしくは幼馴染とかはこんな感じなのかも……『もう、私がいないと全然ダメなんだから!』的な!?
いろいろ妄想をしているとご飯が炊き上がった音が鳴った。早炊きモードだからそんなに時間はかからなかったけど、ちょっと違う世界に行っていたみたい。
「あ、なんかいろんな事考えてた……さ、さあ、おかゆ作らなきゃ!」
卵焼きの下味をつけながらご飯をおかゆに調理している時だった。ふと人影を感じた。もちろん、玄関の鍵は閉めているので、当然ながら先輩なんだけど……。
「ああ……洗濯しないと……というよりも薬……医者に行くべきか……」
キッチンの隣は脱衣所となっている。そこにふらふらとした足取りで先輩が現れた。こちらに気付いている様子は無い。
そのままシャツを脱ぐと大きな背中が視界に飛び込んできた。
え、え? 気が動転して息が詰まった。目の前で先輩が服を……脱いでる!?
そのままズボンに手をかけ躊躇なく脱ぎ捨てた。パンツが丸見え、また……。心臓が破裂しそうな程早く動いている事が分かる。どうしたらいいのか分からない。
更にパンツに手をかけた先輩……そ、それ以上は!! 見えちゃいますから、先輩の全てが!
「あうあう……」
うめき声を出すのがやっとだった。目を逸らす事や目を瞑る事も出来ず、ただただ目の前で起こっている事を眺めている事しか出来なかった。
視線が刺さったのかな、先輩がこちらを向いた。時間が止まった……そこでやっと私の堰が決壊した。
「きゃああっ!!」
そのまま目を覆い叫んだ。
ちょっと先輩! いきなり過ぎますぅ! パ、パンツ一丁じゃないですか!? 私、全く動けずにじっと見て……じっと見てた!? 悪いのは私ですぅ!
ああ……完全にやらしい女の子って思われた……もう、無理……。
「ひいっ! ど、どうして!? 鈴宮さんが!?」
勢いよく脱衣所の扉が閉められた。どうしよう……完全に純度100%の痴漢行為……お巡りさんの所に行かなきゃ……お母さん、お父さん、咲矢、私……犯罪を犯しました。
そのまま放心状態でキッチンに立ち尽くしていると先輩が脱衣所から出て来た。
「あ、あの、あああの……」
自分でも何が言いたいのか全く分からない。頭の中は真っ白になっていて、まともに先輩の姿が見れない……背中、大きかったなぁ……。ふふ、私、この期に及んで何を思い出しているんだろう。
言い訳のように必死に弁解させていただこうと思ったけど、先輩はふらふらしていたのでまずはベッドの方に行ってもらう事にした。
なんとか事情を説明し、再びキッチンに戻った。
「ううぅ……情けないよう……」
恥ずかしくて顔から火を噴きそうな状態だったが、なんとかおかゆと卵焼きを作り終えた。塩気も必要と思い、昆布を添えて。
「挽回しなきゃ! うん、さっきの事は忘れよう! しっかり看病して早く良くなってもらわないと!」
気合を入れ、キッチンを後にした。
先輩に起き上がってもらい、再びレンゲでおかゆをすくい、冷まして先輩に口に運んだ。食欲はあるみたい……しっかり食べてもらってお薬を飲んでもらわないと。
「ふぅふぅ……はい、あ、あ~んして下さい……」
「あ、あ~ん……」
や、やっぱり何度やっても恥ずかしい……でも、さっきの失態を取り返す為にも頑張らないと!
「とっても美味しいです。ありがとうございます」
必死になっていた表情がその一言で崩れた。強張っていた体が楽になった。嬉しい……美味しいって言ってくれた。
思わず笑みがこぼれた。だって、凄く嬉しいだもん……。あれ? 先輩、ずっとこっちを見てる?
「ん? どうしましたか?」
「いや、か、可愛らし笑顔だなって……」
はふ!? か、か、可愛い!? そ、そんな!? せ、先輩ってば! ほ、本気にしちゃいますよ!? あれ? 見えて……ます?
「そ、そんな……あ、眼鏡……かけて……」
先輩はしっかり眼鏡をかけてる……私の仕草や顔……全部見られた?
「は、恥ずかしいですぅ!!」
思わず持っていたなっちゃんが用意してくれたであろう小さい土鍋を投げ出してしまった。
「あづうぅぅ!!」
「きゃあっ! 葵先輩!!」
土鍋ひっくり返しちゃた! しかも先輩の名前呼んじゃったし! もう、嫌……私ってなんでこんなにドジなんだろう……。
おかゆをこぼした布団をどけ、火傷の様子を見たが問題は無いと先輩は言ってくれた。でも自己嫌悪は止まらない……。
私ったら迷惑をかけてばっかり……私のせいで顔を傷つけられて、私のせいで風邪引いて、私のせいで、私のせいで……。
涙が滲んで来た。不甲斐ない自分が心底嫌になった。しかもまた葵先輩って言っちゃった……。
「すみません、すみません……私、いつもご迷惑をかけて……」
葵先輩……最後に、言ってみようかな……もう、失う物なんて無いし……。
「い、いえ、お気になさらずに、さ、さあ、薬を飲もうかな?」
「……あの、葵……先輩?」
「ぶふぉ!?」
お薬と一緒に噴き出しちゃった……知ってました。私みたいな子に名前で呼ばれたからですよね。
「あ、あの……嫌ですよね……」
でも、先輩と会えて良かったです。こんなに心がドキドキしたの初めてでした。じゃあ、私がいつまでも居ても迷惑なので帰りま――
「いえ! じゃんじゃん呼んで下さい! 先輩……いい響きだなぁ……」
……嘘、良いんですか? 葵先輩って呼んでも。涙が……溢れて……あ、ダメ、葵先輩が見て……あれ? 寝てる? なっちゃんのお薬飲んだ途端……。
だ、大丈夫かな!? このお薬……。
少しの不安感から緑色の粉薬を手に取って眺めた。大丈夫だよね、お姉ちゃん……?




