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きみとせつなに  作者: 蒼依
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03.夢……ゆめ……?

「こんにちはっ!」


 雪勿が勢いよく旧生徒会室の引き戸を開けると、ソファに寝転んでいた紫蒼は目を丸くした。


「雪勿。ドアはもう少し静かに開けておくれよ。いつも言っているだろう」


「先輩!今日もぐっすり眠れました!あの夢をもう一週間も見てない!」


 喜びをあらわにして興奮気味の雪勿は、紫蒼の両手首を掴んで引っ張る。無理やり起こされた紫蒼は、まだ眠たそうに目をこすり大きな欠伸をした。


 雪勿はあの日、紫蒼に夢のことを打ち明けてから、毎日のように旧生徒会室に通うようになっていた。時間はきまって昼休み。紫蒼はいつも気怠げで、雪勿が遊びに来てもソファに横になっているばかりだが、彼女を拒むことはなかった。


「同じセリフを一週間も聞いているよ。あと俺の名は紫蒼。先輩なんてという名前じゃない。これも一週間前から言っている気がする」


「紫蒼!」


「はいはい」


 なにかな、と紫蒼は呆れたように笑った。


「お礼がしたいんです。紫蒼はわたしを救ってくれた恩人だから」


「俺は何もしてないよ」


「嘘です!最初は少し苦手でしたけど、あの言葉を聞いた時からずっと思ってたんです。この人はわたしのことを助けに来てくれたんじゃないかって。それは間違いじゃなかった。実際あの日からわたしは…」


「ほら、お昼ご飯は?ここで食べるんでしょう、いつものように」


「またそうやってはぐらかすんですか!」


「はぐらかしてなんていないよ」


 雪勿の弁当箱を勝手に開ける紫蒼は、ピックに刺さったうずらの卵を雪勿の口元に運ぶ。


「はい。あーん」


 雪勿は不服だとでも言いたげに、眉間にしわを寄せた。しかし紫蒼の圧倒的な美しさを前にすると、文句の言葉も引っ込んでしまう。その落ち着いた雰囲気と眉目秀麗な面差しは、例えるならばあの最後の悪夢の片隅で見た黒蝶だ。神秘的で思わず魅入ってしまう。


「美味しい?」


 雪勿が口をもぐもぐしながら頷くと、紫蒼は自分で作ったものでもないのに嬉しそうに笑った。

 檸檬色の弁当箱が空になると、紫蒼は雪勿を寝かしつける。雪勿の頭の定位置は、きまって紫蒼の膝の上だ。


 雪勿が紫蒼のことを先輩と呼ぶと、彼はいつも名前で呼んでと言ってくる。先輩ではないのだろうか。しかし同級生にも、ましてや年下にも見えない。


「紫蒼はいつもここにいるんですか?」


「そうだね」


「どうして?」


 幽霊だからと、雪勿の頭を撫でながら紫蒼は言った。その優美な微笑がふざけているようにしか思えず、雪勿は口を尖らせた。授業をさぼっているだけだろうと。


「嘘つき」


 紫蒼は自分のことを語りたがらない。幽霊であることを否定したはずなのに、いつもこうしてはぐらかすのだ。雪勿が紫蒼について知っていることといえば、紫蒼という名前と、蝶のように美しい容姿と、そして自分を悪夢から救ってくれた恩人である、ということくらいだ。出会って約一週間。日が経つにつれて、紫蒼という人物がどのような存在なのか、知りたい気持ちが募っていく。この一週間降り続け、積もっていく雪のように。


「紫蒼のここは魔法の枕みたいです」


「ふふ。なぁにそれ。一体どんな魔法が?」


「最初は眠くないって思うのに、気がつくと、瞼が重い…ここに頭を置くと、誰でも、眠くなる…魔法…」


 ああ、また何も聞けずに時間が過ぎていく。


 雪勿は必死に眠気と戦うが、体は重くなる一方だ。頭もぼうっとする。髪を撫でる紫蒼の手の温もりが気持ちいい。第一印象は決して良いものでは無かったはずなのに、雪勿は今紫蒼の傍が何よりも安心すると感じていた。


「なんか…ずるいです…」


 ぽつりと零れた言葉が、紫蒼に聞こえていないことを願って、雪勿は瞼を閉じた。



□□□□□□□□



 聞きなれない音が耳に届いて、雪勿はぼんやりと目を開けた。唸りながら寝返りを打つと、雪勿の頭の下には眠る前とは違うものが置かれていた。


 紫蒼がいない。雪勿の枕になっていたはずの紫蒼の膝は、彼が羽織っていたブレザーに変わっていた。目を覚ませば一番に見えるはずの紫蒼の姿も、そこには無かった。


「……さない…」


 だが声が聞こえた。部屋のどこかで、紫蒼の声がする。何かを叫んでいるようだったが、まだ起き抜けの雪勿の頭はうまく働かなかった。

 掠れた声で紫蒼の名を呼ぶと、彼の驚いたような息遣いが足を向けた方から感じられた。


「雪勿?どうしたの。今日は随分と早いお目覚めだね」


 紫蒼は雪勿のそばに寄ると、床に片膝をついて雪勿の顔の輪郭を手の甲でなぞった。


「でもまだだよ。まだ起きるには早い。ほら、お眠り。俺がそばに居るから」


 うんと頷いて、雪勿がもう一度目を閉じようとした、その時。雪勿は紫蒼の背後に、影を見た。黒い炎のような異形のそれは、雪勿をあやす紫蒼の左腕を掠めて、視界から消えた。


 入れ替わるようにして目に飛び込んで来たのは、真っ赤な血潮。


 紫蒼の白いシャツが血の赤に侵食されていく。一瞬で、紫蒼の腕があの黒炎のような影に切られたことが雪勿にもわかった。痛みに歪む紫蒼の表情。腕を抑える指の隙間から血が滴る悲愴な光景に、雪勿は青ざめた。



□□□□□□□□



「……紫蒼!」


「おっと」


 雪勿の伸ばした手が、危うく紫蒼の頬をはたくところだった。急に飛び起きた雪勿に、紫蒼は驚いたように目を見開いていたが……何かが違う。紫蒼の少し固めの腿が雪勿の頭の下にある。


「あ、あれ?紫蒼…?」


「なに?」


 なんで、どうしてと雪勿が疑問詞を連呼すると、紫蒼は困ったように眉を下げた。


「だ、だって、今紫蒼が黒い影に襲われて」


「落ち着いて。大丈夫だから」


「でも怪我…血、出て…シャツが赤く…それで…それでっ」


「怪我なんてどこにも無いよ。また怖い夢を見たんだね。おいで。抱きしめてあげる」


 そう言って腕を広げる紫蒼。雪勿は一秒でも早く紫蒼の存在を確かめたくて、紫蒼の体温を感じたくて、その胸に飛び込んだ。


「大丈夫大丈夫」


 紫蒼はしゃくりあげる雪勿の背中に手をまわし、もう一方の手で優しく頭を撫でながら、いい子いい子と幼子をあやす様な口調で言った。


 全身に紫蒼の温もりを感じる。雪勿は紫蒼の肩に頭を預けた。そのまま彼の背に両腕を回し体を密着させて、雪勿は紫蒼の鼓動を体で感じ取ることに全神経を注いだ。紫蒼の心臓は、雪勿と同じ速さで脈を打っていた。一抹の安心感が、雪勿の怯えて強ばっていた体をゆっくりと解した。


「落ち着いた?」


「…はい。あっ、だめです!まだ、離れたくないです」


 雪勿の言葉を受けて、紫蒼は離しかけた手をもう一度彼女の背と頭にまわした。


「本当に、怪我してないですか」


「してないよ。何なら触診してみる?」


 からかうような紫蒼の視線に雪勿は一瞬たじろぎつつも、手を伸ばした。紫蒼の左腕には傷一つ見当たらず、シャツにも血の跡は見つからなかった。


「もういいの?」


「…はい。もういいです」


「そう。残念」


 紫蒼はクスクスと笑って、雪勿を三度抱きしめた。

 その時昼休み終了のチャイムが鳴った。

 授業に出ないわけにはいかない。本音はもっと紫蒼と一緒にいたかったのだが、そこはぐっと我慢して、雪勿はソファから立ち上がった。


「また明日」


 紫蒼はけして雪勿より先には教室を出ない。いつものように紫蒼に見送られて、雪勿は旧生徒会室を後にした。


「本当に全部夢だったのかな」


 だとしたら、妙に現実味のある夢だったように思えるのは自分の気のせいだろうか、悪夢にしてもタチが悪いと、雪勿は口を結んだ。

 後ろを振り返ると、旧生徒会室の引き戸は既に閉じられていた。

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