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きみとせつなに  作者: 蒼依
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27.黒蝶の妖精

風に乗る花弁のごとく舞い遊ぶ紫蒼の黒蝶が、今は彼と雪勿を取り囲む黒雲のように渦を巻く。腕や足、背中…紫蒼の全身から、漆黒の羽根を持つ蝶が生まれる奇怪な状況。雪勿は放心した。



「…う…っ…」



突然紫蒼の体が雪勿からずると滑り落ちた。



「紫蒼?」



そのまま倒れ込む紫蒼は、その美しい顔を苦しそうに歪めている。



「紫蒼…!大丈夫ですか!?紫蒼!」



返事はない。



「え…ぅ…ど、どうしよう…」



倒れる前に紫蒼が言った、頬の傷が何か関係しているのだろうか。薄く切られた傷は触ると少しだけ痛む。膝の上に頭を置いて横たわる紫蒼は、顔面蒼白で呼吸も荒い。黒蝶が絶え間なく紫蒼の体から生まれては飛び立っていく。



「猫……。この傷をつけた猫を探せば、何かわかるかな…。でもさっき追いかけているうちにどこかに行っちゃったから、見つからないかも」



雪勿はぶんぶんと頭を振った。



「み、見つけなきゃ…わたしが…!」



雪勿は紫蒼の頭をそっと持ち上げ、その隙に枕になっていた自分の足を抜く。



「…せ…つな…」



呻くような声を出し、紫蒼は薄く目を開けた。雪勿は急いでスカートのポケットからハンカチを出し、汗ばむ紫蒼の額に優しくあてた。



「この傷をつけた猫を探してきます。何かあるんでしょう?見つかるかは分からないけど、でもわたしも紫蒼の力に」


「行かないで。雪勿…」


「……。すぐに戻ります」


「駄目…」


「だ、だってこのままじゃ紫蒼が…!」


もどかしさと焦りが雪勿の怒りを育てた時、紫蒼はゆっくりと体を起こした。そのまま雪勿にもたれるような体勢でひとつ息を吐く。


するとふたりを取り囲んでいた黒蝶の群れが、一斉に紫蒼の元に集まってきた。蝶たちは大群を成し、やがて一匹の大きな黒蝶へと変化した。驚く雪勿の視界をその漆黒の羽根で覆い尽くす巨大な蝶。それが次第に紫蒼の背に近づき、そして───



「……はっ…ぁ…」



ズズズと紫蒼の体の中に潜っていく。まるで放出した力を元の場所に戻すように。


紫蒼は胸のあたりでこぶしを強く握っている。その辺りのシャツには皺ができていた。荒い息遣いが、密着する紫蒼の体から伝わる。隠しきれない息苦しさが紫蒼を襲っているのに、雪勿に出来ることは何も無かった。


紫蒼は上げた顔に笑顔をつくり、大丈夫と緩く弧を描く口で伝えてくる。けれどそれは、心配して泣きそうな雪勿を前に無理に取り繕った刹那の強がりだった。



「…っ…!」


「紫蒼っ」



紫蒼は再び苦しみに顔を歪ませ、浅い呼吸を繰り返す。黒蝶の体は頭から腹まで紫蒼の中に入り込み、背に黒い羽を背負うような姿の彼はまるで黒蝶の妖精のようだった。


雪勿が紫蒼の名を呼んだ時、彼はもう一度小さく呻いた。そして漆黒の羽が金の光の粒を振りまきながら羽ばたいたその直後に、羽は割れるようにして消滅した。

軽く仰け反った紫蒼は、脱力するように雪勿にもたれた。



「し、紫蒼…大丈…」


「…大丈夫」



紫蒼は重たい体を起こし、雪勿を見つめるダークチェリー色の目を細めた。



「だから泣かないで…」



いつの間にか、雪勿の両の目からは大粒の涙が零れていた。雪勿はしゃくりあげながら叫ぶ。



「紫蒼がっ!…紫蒼が…絶対違うのに大丈夫とか言うから…!っ…あんなに…苦しいそうな顔して…わたし…何も出来なか……っ」


「雪勿。雪勿がそんなに気にする必要はないよ。さっきのは、俺の能力が暴走した、みたいな……」


「……本当ですか?本当にもう何ともない…?」


「俺は、貴女に嘘はつかない。ほら。もう元気!」



両腕を広げ、なんとか雪勿の涙を止めつつこの主張が嘘ではないことを分かってもらおうと必死に笑ってみせる紫蒼。雪勿はそんな紫蒼を正面から真っ直ぐに見た。



「……嘘…じゃない…」


「うん」



紫蒼は雪勿の涙を拭い、頭に手を添える。雪勿はほっと息をついた。



「……能力の暴走ってなんですか…」


「そのままの意味だよ。何かの拍子に能力のコントロールが効かなくなる時があるんだ。俺の場合は、さっきのように体から無数に虫が湧く」


「…蝶々たくさん出てました」


「……蝶だけでよかった…」


「…?他にもなにか…」


「ううん。何も」


嘘だ、と雪勿は内心で呟く。だが何も寄せ付けないような紫蒼の笑顔に、言葉を飲み込んだ。


すっと表情を引き締める紫蒼。



「雪勿。もう一度、隠し部屋に行こう」


「え?はい、いいですけど…いきなりどうしたんですか?あの部屋は外れなんじゃ」



紫蒼から思ってもいなかった言葉が飛んできて、雪勿は目を丸くして聞いた。



「その傷をつけた猫、ただの猫じゃないかもしれない」



紫蒼はそれだけ言うと、立ち上がって奥の方へ行ってしまう。追いかける雪勿は、ふと自分の頬の傷に触れた。




□□□□□□□□




ふたりは黒蝶の放つ光を頼りに、互いの手を繋ぎ暗い道を進む。

隠し部屋に向かう長い通路を歩きながら、雪勿は隣を歩く紫蒼の顔をちらりと見上げた。気付かれないように盗み見ていたはずなのだが、紫蒼には通用しなかった。



「なぁに?」


「あっ…いいえ…」


雪勿がそう言い淀んでいると、紫蒼は前方のまだ見えない目的地を見据える。



「貴女を振り回してばかりだね…俺は」


「そんなことないです。むしろ存分に振り回してください。それくらいなら、わたし全然構いません」



紫蒼は顔をほころばせた。



「そんなこと言われたら、連れ去ってしまうよ」


「……どこにですか?」


「さあ…どこがいいだろうね」


「……」



先程からなんとなくの、漠然とした不安が雪勿の中に燻っている。この男が刹那に見せる切なそうな、儚い表情。だがその心は未だ閉ざされたまま、これまで雪勿に打ち明けられることはない。



(でもさっきは、何かを伝えてくれようとした、よね…?ちょっとトラブルあったけど。紫蒼、何を言おうとしたんだろう。もしかして、紫蒼もわたしと同じ……)



勝手にひとりで赤くなる雪勿のことなんて全く気にしていない紫蒼は、猫のことだけど…と淡々と切り出した。



「どこで見つけたの?」


「蔵の中です。紫蒼を探しに行こうとした時に」


「そう」



他に何かされなかったかと聞かれたので、雪勿は横に首を振る。頬につけられた傷も、きっと数日後には綺麗に消えるだろう。



「……紫蒼。わたしこの家に来てから何度も転んでいるんです」


「…怪我をしたの?どこ?」


「いえ…怪我とかはないんですけど」


これは紫蒼に言おうか迷っていた事柄だった。口にしたら襲い来る魔を呼び寄せてしまいそうな気がして、雪勿は伝えることを躊躇っていたのだが、不安材料は無いに越したことはないと思い直した。



「何も無いところでつまづいたりとか…頭を見えない何かにぶつけたりとか、そんなことがこの家に来てから何回もあって、その…ひょっとしてあの猫が何かしてるんじゃないかって…。もしかしてあの猫、悪霊…とか…」


「違うよ」



そう一言言い放つ紫蒼の声は優しく、だが雪勿の中にくすぶる不安ごと打ち払う強さを含んでいた。繋ぐ手に力が込められる。



「雪勿、それは悪霊の仕業じゃないよ。貴女に悪霊が近づけば俺が真っ先に気付くからね。雪勿が転ぶのはきっと別の原因があるんだよ」



その原因って何ですか?と雪勿が聞くと、紫蒼は眉を下げた。



「それは…俺には分からない」


「猫は悪霊じゃないんですか…?この傷もすぐ治りますか?」



紫蒼はその手で雪勿の頬を包み込む。そして瘡蓋になりかけている頬の傷に唇を落とした。



「し、紫蒼!?」


「大丈夫。ただの引っかき傷だ。跡も残らずに消えるよ」


「のろ…呪いとか…」


「無いよ。安心して。俺が隣で、貴女を守るから」



雪勿の胸がきゅううと音を立てて締め付けられる。紫蒼から与えられるこの感情は、無条件に雪勿を安心させる。



「…はい」



雪勿が顔を上げると、見下ろしていた紫蒼の視線とぶつかった。



「行こう」


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