25.義母と息子
紫蒼が通信を切ると、翠李の指先にとまっていた黒蝶は形もなく消えてしまった。ベッドの上から、翠李はすぐに部屋の外で待機している使用人に、松帆をここに呼ぶように言いつけた。
翠李の部屋にいくつも並ぶ翡翠。それらは大きさも、加工の有無も仕方も様々だ。
大きな振り子時計が鐘を六度鳴らす。
松帆は五分と経たずに翠李の部屋にやってきた。
「当主。松帆です」
「お入り」
扉を開け入ってくる松帆の服装は、まだ早朝だというのに漆黒のスーツだった。髪も既にセット済みで、綺麗にオールバックに整えられている。翠李は着崩れた寝間着を気持ち程度に直し口を開いた。
「悪いね。こんな朝早くに呼び出して」
「いえ。私も丁度起きていましたので」
「そうかい。それにしても…」
翠李はじろじろと松帆を品定めするように見つめる。
「松帆。お前またその髪型を」
「こ、これが一番落ち着くんです」
「来な。直してやる」
来い来いと、翠李は松帆に手招きする。
「いいえ…」
「いいから」
「…はい」
渋顔の松帆が翠李のベッド脇に片膝をつく。翠李は松帆の髪に手を伸ばし、雑に指を突っ込み掻き始めた。
「痛っ。…と、当主、やるならもう少し優しく」
「うるさいね。何度言ってもあたしの言うことを聞かないお前が悪いんだよ。全く、養子にしたての頃はあたしの背中ばっかり追いかけていたくせに、いつからこんな反抗するようになったのかねぇ」
「反抗をしているつもりは…」
「ほら、出来た」
翠李は最後に前髪を整え、満足そうに口の端を釣り上げる。一度も染めたことなどない松帆の髪は生粋の日本髪だ。広い額が前髪で隠れ、後ろで固めていた時よりもこうして自然に流していた方が幾分幼く見える。目や耳にかかる髪が気になる松帆は、何度も指で毛先をいじった。
「お前にはこのほうがいい」
目の前で異母がにこやかに笑うので、松帆は諦めて話を切り出す。
「そろそろ私を呼んだ理由を聞いてもいいですか?」
「ああそうだったね」
一度静かに目を閉じる翠李。再び開かれた翠李の翡翠色の瞳が松帆の硬い表情を映す。
「お前に今すぐ向かってほしいところがあってね」
翠李の口から飛んできた思わぬ言葉に、松帆は平静を装って尋ねた。
「……一体どちらに?」
「蓮雀家の屋敷だ」
松帆の眉が釣り上がる。
「何故、今……」
「蓮雀の蔵の鍵を持っていった奴にたった今接触した」
「なっ!?」
「そいつが、全てが片付いたら鍵を返すから、あたしの力を貸せと言ってきてねぇ。あたしはそれに同意した」
松帆はついていけないとでも言いたげな、困惑した表情で翠李を見つめている。
「あたしらが必死になって探していたのに、面白いことにあちらの方からわざわざ現れてくれたというわけさ」
「ま、待ってくださいっ!」
なんだい?と本心で聞いてくる異母を目の前にして、松帆は思わず頭を抱えた。
「何故相手の提案に乗るようなことをしたのです?捕まえて奪い返してしまえばよろしかったのでは?」
「それも考えたんだけどね、見つけちまったらしいんだよ。蓮雀の秘密の部屋をさ」
「秘密の部屋って…」
松帆ははっと思い出したように顔を上げた。
「あの…人体蘇生装置があると言われる部屋が…!?」
翠李はそうだと静かに頷いた。松帆は益々混乱に陥った様子で、前髪を雑に掻きあげた。
「そんな…どうして…私たちがいくら探しても見つからなかったというのに、何故よりにもよって素性の知れぬ盗人なんかに…!!」
「落ち着け。まだあたしの話は終わっていないよ」
翠李に制され、松帆は申し訳ございませんと口を噤む。
「それにね、素性なら既に知れている。お前も目にしたことくらいはあるだろうよ」
それが誰なのか、松帆が翠李に聞いても翠李は行けばわかるとだけ言い、名言を避けるのみだった。
「ところで松帆。お前どうしてこんな朝早くに背広なんて着てるんだい。今日は早朝会議の予定はないはずだよ。どこかに出掛けるのかい?」
「ああ、そうでした。早急に当主の耳に入れておかねばならない事態が発生しまして。…その、大変申し上げにくいのですが…」
首を傾げる翠李。松帆は眉間のしわを深掘りにして言った。
「土御門晴花の足取りが……昨夜途絶えました」
「……なん…だって…?」
見開かれた翠李の双眸。次第に重くなっていく空気感。松帆は背筋を伸ばした。
「松帆!何処だ。何処で奴は姿を消した!?」
「…さ、最後に確認したのは、昨日の夜です。私と校内で話をした後に、追跡用に放っていた式神が消され、気づいた時には、もう…」
翠李はそうかと短く答える。
「大変…申し訳ございません…」
「よりによってこんな時に……。はあ、まぁ仕方が無いことだ。もういいよ」
翠李はこれから訪れるであろう苦労の日々を思って、肩を落とす。
「さて、忙しくなるね……」
口元に手をあてる翠李。松帆は薄く目を開けた。
「当主。もしや土御門晴花は、鍵を盗んだ奴と繋がっているのでは」
「いやそれはない」
「では奴が自らやったとか」
「それもない」
「…何故そう言いきれるのですか」
翠李は答えなかった。松帆は構わず言葉を継ぐ。
「土御門晴花が行方を眩ませることは珍しいことではありません。数日後、また何事も無かったように我々の前に姿を現すでしょう。ですが今は話が違います。土御門晴花の失踪と蓮雀の蔵の鍵の件、私には到底無関係には思えません」
翠李は一種の諦めのような笑みを松帆に向けた。
「キレすぎる脳みそを相手にするのは厄介だねぇ」
「当主」
「話は以上だ。ほら、さっさと行け」
――結局翠李が口をわることはなく、松帆は疑念を拭いされないまま翡翠が並ぶ部屋をあとにした。
「――松帆」
彼を呼ぶ、人ではない者の声が物陰から現れる。白い札で顔を隠し、ゆらりと浮かぶ体を真っ黒な装束で包んだそれは、松帆の使役する式神だ。
無気味な姿態の式神は主の松帆に問うた。
「土御門晴花はどうする」
「その件は後回しです。今から蓮雀の屋敷に向かいます。準備なさい」
わかったと、白札の黒装束はまたゆらりと影に消えた。
「ああ鬱陶しい」
松帆は視界に入り込む前髪を手で雑にかきあげた。
(土御門晴花に蓮雀の蔵の鍵、そしてそれを盗んだ犯人…いずれにしても現場に行ってみないことには何も進みませんか…全く)
「明日の授業の準備もまだ終わっていないというのに」




