22.彼女の葛藤
真夜中の街に鈴の音。
あらゆる生き物と意思疎通が出来るのは、土御門晴花の幼い頃からの能力だった。
「あー、駄目だ。こいつも眠ってら」
真冬の夜は、雑草でさえも眠気には勝てない。街路樹は葉を落として眠り、じっと春を待っている。晴花の声に応えるものはいなかった。
シャツ一枚に白衣姿の晴花は体を撫でる乾風のあまりの寒さに身震いし、縮こまるように腕を組んだ。すると胸に当たる違和感に、いけねと呟く晴花は慌てて白衣の下に手を入れた。取り出したのは、一本の試験管。中には小さな植物が入っているようで、試験管の口はコルクで固く閉じられていた。
「おぉ良かった。順調順調」
煙草の煙を吐く晴花はそれを月明かりにかざし、ひとしきり眺めると満足げに口の端をつり上げた。
その晴花の耳に、チリンという微かな鈴の音が届いた。
「お、見つかったか」
そう言い振り返る晴花の目線の先には、だが何もない。それでも彼には何かが見えているように思われた。
「……大事なものはちゃんと隠さねぇとなぁ…」
試験管を白衣の下に入れ戻し歩き始める晴花。
閑散とした住宅地に、彼の姿を見かける者は月を除いては誰もいない。
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雪勿はぼんやりと考える。この先の紫蒼との関係について、どうするのが一番お互いにとって良いのか。
紫蒼が何を隠しているのかすらも分からないから、それを伝えるのにどれだけの覚悟がいるのかも、雪勿には想像がつかない。
(ていうか、紫蒼はああ言ってたけど、本当に話してくれるのかな……)
だいたい彼が言ってきた『いつか』とはいつだ。明日?明後日?もしくは数日後、いや数年後かもしれない。
(なんか、今になって上手くはぐらかされたような気がしてきた……)
「───────」
雪勿はそこで目を覚ました。ソファの上で起き上がり数秒呆けた後、恥ずかしさで急激に顔が熱く火照っていくのを感じた。遂に夢の中でも彼のことを考え始めてしまったことが、この上なく恥ずかしかった。雪勿はうぅと唸りながら体をひねり、背もたれに顔を埋めた。
「……もう手遅れだ…末期症状…」
でも今は駄目だぞと、雪勿は己を戒め必死にその気持ちに固く蓋をする。
足を引っ張りたくはない、けれどおいてけぼりも嫌だ。踏み込みすぎて拒絶されるのも怖い。
「何も知らないのは、もっと嫌だ…」
世の中にはこんなに難しく結ばれる絆があったのか。結び目が複雑すぎて、どこを引っ張っても間違い、絡まりそうで手が出せない。
「でも、もしかしたら…このまま曖昧な関係を続けていれば、紫蒼と離れずにいられるのかな…」
紫蒼はこれからのことをどう考えているのだろうかと、それを考えるだけで雪勿の胸は不安でいっぱいになってしまう。
もし、彼が目の前から忽然と姿を消してしまったら。
あの学校には悪霊を追いかけて来たと言っていたからには、この件が片付いてしまえばもうあそこに用はないはずだ。彼の仕事はこの世の霊を祓うことで、またどこかでさまよう霊に進むべき道を示すために雪勿のもとを離れていってしまうことだって大いに考えられる。
彼にとって自分はどんな存在なのだろうか。雪勿は聞いてみようと何度も思ったけれど、その度にただの霊関連の被害者のひとりと一蹴されたらと怖くて聞けずにいるのだ。
雪勿にとって、自分を悪夢から救い出してくれた紫蒼が自分の手の届かないところに行ってしまうことは、何より受け入れ難かった。
だから紫蒼の中に真実を伝えることをある意味使命感のように思わせて、それを果たさずに離れることを許さないと釘を打ってしまえば、優しい彼のことだ。きっと遠くに行ってしまうことはない。どうだろう。これはこれで丸く収まっているようにも思えるではないか。…と思案したところで、雪勿は首を振る。
「だ、だめ!駄目だそんなこと。紫蒼がやっと言おうとしてるのに、わたしがこんなこと考えてるなんて知れたら、それこそ幻滅されて嫌われちゃう。待つって言っちゃったし、わたしにはもう出来ることはないんだぞ。今更遅いんだぞ」
ぼそぼそと独り言を呟く雪勿は、ふと足元に落ちている紺色のブレザーを見つけ拾い上げた。紫蒼のものだ。この家に学校の制服を着ている人間は彼しかいない。
雪勿は先程から姿が見えない紫蒼の名前を呼んだ。返事はない。代わりに応えたのは、金光を連れて現れた黒い羽根の蝶だった。これも紫蒼のものだと雪勿にはすぐに分かった。
「ふふ、やっぱり綺麗だね、あなた達」
ここに花がないのが少し残念だと雪勿は思った。花粉に埋もれながら花の蜜を吸う姿は、さぞかし愛らしいことだろうと。この羽根の色が映えるように、花の色は白や淡い色が良さそうだ。
そこで雪勿は思い出したように、留めていた蓮の花の髪飾りに手を伸ばした。
「おいで」
髪から外したそれを手のひらに乗せる雪勿は、反対の手のひらで黒蝶を誘う。雪勿の周りを踊るように舞っていた黒蝶は、彼女の手に怯えることもなく、誘われるままひらひらと作り物の花の上にとまった。
「この髪飾りね、わたしのお父さんとお母さんがくれたんだよ。綺麗でしょ。わたしのお気に入りなんだ」
黒蝶は雪勿の言葉を理解しているのか、相槌を打つようにその美しい模様の羽根を大きく一回羽ばたかせた。雪勿はなんだか嬉しくなって、話を続けた。
「わたしのお父さんはね、血とかおばけとか怖いものは苦手だけど、人の病気を治す知識はすごいんだよ。この蔵の本もきっと全部お父さんのものなんだ」
見ると周りに散らかっていたはずの本が、全て片付けられていた。紫蒼が本棚に戻してくれたのだろうか。けれどローテーブルの天板は九十度回転したままだった。
「お母さんはね、とっても優しくて明るい人なんだ。いつもわたしとお父さんを笑わせてくれるの。わたし二人のこと、大好きなんだ。本当だよ?でもさ……」
次第に焦点が合わなくなっていく雪勿の瞳には、少し前に見た光景がありありと甦る。
「二人がどうしてあんな計画を立てていたのか、わたし全然分からないよ」
おそらく液体の入ったあの卵形のカプセルの中に死体を浮かべて、蘇生を試みていたのだろうと雪勿は思案する。カプセルには数本の太いコードがのびていて、それらは天井に吊るされたミラーボールのような形態の装置に集結していた。
「あんな大掛かりなものを作って、二人は誰を生き返らせようとしているんだろう」




