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きみとせつなに  作者: 蒼依
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21.紫蒼の秘密

 紫蒼の出ておいでという掛け声を得て、彼の手のひらから新しい蝶が生まれた。雪勿の指先にとまるものより体が二回りほど大きく、羽根の模様が繊細に刻まれた深い闇色の黒蝶だ。


 夜闇の支配者のように静かな、だが圧倒的存在感を示す黒蝶に雪勿の目は釘付けとなった。そっと紫蒼の手から離れた大きな黒蝶が、直後目を覆いたくなるほどの眩い光を放ち暗い中に明かりを灯す。雪勿の両親がひた隠しにしていた禁断の部屋の全貌が、その光によって明らかにされようとしていた。この目を開けた瞬間から未知の領域に足を踏み込んでしまう。事態の直前、今更になって怖気付く雪勿は目を開けられずにいた。まぶたを閉じたまま深呼吸を試みたがそれすらもままならず、異常な緊張感に雪勿は自分自身を嘲笑った。


「雪勿…?大丈…」


「大丈夫です!すぐ、済みます」


 紫蒼の声さえも遮って、雪勿は自己を制御できるようにこの沈黙の影で形が曖昧な感情と戦う。ふうー…と吐き出した息が、雪勿の中に燻るあまり気持ちの良くない感情を外に押し流していった。雪勿は腹をくくった。隣で見守る紫蒼は、雪勿の視線を追って顔を上げた。


 巨大な卵型のカプセル。それがふたりの目に最初に飛び込んできた。


「これは…」


「多分、蘇生対象を沈めるものだと思う。ほら、中に液体が入ってる」


 雪勿にとっては印象的な言葉だった為、すぐにそれが防腐液だとわかった。


「本当に…あったんだ…」


 ぽろりとこぼれた雪勿の本音に、紫蒼は不意をつかれたような顔をした。


 雪勿は紫蒼の手を離れ、ふらふらと吸い寄せられるようにカプセルに近づく。当たる光はおぼろげなのに、まるでステージに立つの主役のように輝いている巨大なたまご。すぐそばによってそっと手のひらで触れると、人肌ほどの温かさを感じた。


「不思議です」


 訝しげに眉をひそめる紫蒼には目もくれず、雪勿は甘えるようにたまごの表面に頬をすり寄せた。


(なんだろう……)


 カプセルの中から液体が動く音が聞こえる。紫蒼とは違った種類の、心を落ち着かせる音だ。この感覚の名前を、雪勿はまだ知らなかった。


 雪勿は靄がかかる記憶を手探りで辿る。


(何かを、忘れている気がする─────)


「雪勿」


 雪勿の体が無意識の内に半回転し始めたその瞬間、視界を塞がれた。直後背中越しに感じたのは、いつの間にか背後にいた紫蒼の体だった。


「……紫蒼?」


「戻ろう。ここは空振りだった」


「え?でも…」


 紫蒼は雪勿の言い分も聞かず半ば強引に雪勿を後ろから抱き上げ、卵型カプセルに背を向ける。雪勿が何度名前を呼んでも、紫蒼は足を止めない。


「ここには何もない。全てただの実験器具だよ。それも壊れている。悪霊の手掛かりは無い」


「そう決めつけるのは、もっとちゃんと調べてからにしましょうよ。ほ、ほら!もっと細かく探せば何かあるかも…」


「雪勿」


「う……はい…わかりました…」


 いい子、と鷹揚に微笑む紫蒼の前方数メートル先に、大きな黒蝶の光が見える。小さいほうは、紫蒼の顔の横で忙しなく羽根を動かしていた。


 結局何も分からないまま、両親の秘密が遠ざかる。横抱き状態の雪勿は、紫蒼の表情をこっそり盗み見たが、闇の中で一層麗しさが際立って見えること以外、そこからは何も読み取ることが出来なかった。


「雪勿、夜も遅い。今日はもうおやすみ」


「……はい」


 そんなふうに底知れない優しさで包まれたら、受け身にならざるをえない。雪勿は紫蒼の腕の中で静かに目を閉じた。


 気がかりがひとつ、またひとつと増える。悪霊のことが少しでも分かればいいと思い帰ってきたが、いつの間にか雪勿の頭は両親のことでいっぱいになってしまっていた。


(あんな計画書を見つけたせいだ)


 雪勿は目を閉じたまま、口を開いた。


「紫蒼…ごめんなさい」


「……どうして?」


「紫蒼のお仕事邪魔しないって決めてたのに、わたしお父さんとお母さんのことばかりで…だから…」


 雪勿は自分の体を抱える紫蒼の腕に、力が込められたのを感じた。


「構わないよ。気にしなくていい」


 そう聞こえた後、また髪に触れられた。額のあたりに前髪の上からふわりと降りる感触。雪勿はそれが嬉しくて、ふふと笑った。


「紫蒼は…本当にわたしの髪が…好きなんですね…」


「…うん…好きだよ」


「へへ…嬉しいなぁ……あれ…でも紫蒼…今手が塞がって……」


 雪勿の意識はそこで途切れた。


「おやすみ、雪勿」


 完全に夢の中へおちた雪勿を、紫蒼は大事に抱きしめて歩く。すぐ先を行く黒蝶が進行をやめてこちらを見据えていた。出口の扉が近い、そう確信する紫蒼だったが、その背後には気配を消した漆黒の闇が静かに迫っていた。


 しかし紫蒼にそれは通じない。


 闇は大きく波打ち、紫蒼ごと飲み込む勢いで押し寄せるも、果たして目的(雪勿)に辿り着くことはなかった。


「何度来ようとも、この子は渡せないよ」


 刹那、小さな黒蝶が黒い波の前に飛び出し眩い金の光を放った。


「純白の光に、影が入る余地など無い」


 闇は逃げるように霧散して消えた。


 闇は悪夢の象徴。その逆も然り。悪霊はまだ、雪勿を諦めてはいない。けれど彼女の傍らには一人の男がついている。


 彼女の眠りを妨げる一切を振り払うほどの強大な力を持ち、静かな闘志を燃やす男。彼は自らの命よりも、彼女を守ることを優先する。


 そんな彼には秘密があった。


「いっそ全てを祓えたらいいんだけど……なんて、ね…」


 キィキィと鼓膜を貫く何者かの鳴き声が無数に響き渡る。何も語らない黒蝶とはかけ離れた、野性的でおよそ人のものではない音は、だが全て紫蒼のほうから聞こえた。


 眠る雪勿を抱き直し、突き当たりの壁を手で押すと回転式の隠し扉が開く。そして紫蒼がその先に一歩踏み出した瞬間、バサバサと羽音をたてながらそれらは群れをなして一気に飛び出した。


「こんな力、本当は忌み嫌っているんだけれど、俺にはこれしかないから…仕方が無いね…」


 でも、と切なげに目を伏せる紫蒼は、腕の中で何も知らずに夢を見る雪勿をまるで割れ物を扱うかのように優しく抱きしめた。


「せめて、貴女にだけは知られずに…」

 そっと雪勿の額に唇を落とす紫蒼を囲むのは、不気味な姿をした虫。その大群が粗野な羽音と赤い目を煌々とさせながら飛び交っていた。

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