20.霊祓いも楽じゃない
本当にお久しぶりです。
蒼依です。
『きみとせつなに』続きです。
宜しくお願いします。
コツコツと、ふたり分の靴音が長い通路内にこだまする。廊下は雪の積もる外より幾分かは寒さも和らいでいたが、着てきたコートを家の中に置いてきたことを雪勿が公開するほどには空気が冷えていた。先程暖を分けてくれていた黒蝶たちは、この長い通路を照らすことに忙しそうだ。
「ねぇ雪勿」
「なんですか?」
「やっぱり生きた人間っていうのは、死んだ人間を恋しく思うものなのかな」
よもや紫蒼からそのような話題が出てくるとは思わず、雪勿は内心で驚いた。
「……それは、まぁ…家族とか友達とか、身近な人が死んでしまったら思う時もあるでしょう、普通」
「普通…か」
「紫蒼は、そうは思わないんですか?」
「……。どうだろう」
「紫蒼?」
進む方向を見る紫蒼の、その黒い瞳には何も写っていない。…ような気がした。
「ここまできても、こんなに霊を祓っても、そういうものには辿り着けない。もうずっと長いこと人の死と近いところにいるはずなのにね」
「…じゃあ紫蒼は、幽霊を祓う時何を感じるんですか…?」
「何を…んー、強いていうなら、疲労感かな」
紫蒼は苦笑を浮かべた。
違う、そこはそんなふうに笑っていいところではないはずだ、なんて言葉は何も知らない雪勿には言えなくて、ただ悔しさともどかしさが募っていった。
「ごめんなさい。わたし漠然と紫蒼のお仕事は、困っている人を助けるお巡りさんみたいな素敵なものだと思っていました」
「パトロール的な意味で捉えるなら、あながちその言い方も間違いではないけどね。ただ助けるっていうのは、少し意味が違ってくるかもしれない」
「え、でも…」
「あのね、雪勿。幽霊が誰でも、彼岸に行けずに彷徨うような、道が分からず困っている人のような存在ってわけでもないんだよ。俺の仕事はお巡りさんが迷子の子供を助けるみたいに単純なものでもない。あの世に行きたくないって強く思っているから、その霊魂がこの世に留まり続けているものも沢山いる」
むしろそれが大概だと紫蒼は淡々と告げた。そして紫蒼の様な霊を祓う者を毛嫌いする幽霊も多いとも。
「けれどそれは当たり前の事なんだよ。誰だって簡単に死んでもいいなんて思わないでしょう?死を拒んで抗うその意志が、幽霊という形をとっているだけで彼らも生きた人間と同じ。ただ実体がないっていうだけ。感情だって持ってる。けれど俺たちの仕事は幽霊をこの世から祓うことで、たとえこの世に留まるだけの強い理由がその幽霊にあろうと、俺たちは祓わなくてはならない。消さなきゃいけない」
「紫蒼…?あの、消すって…そんな言い方…。紫蒼はその力で幽霊をあの世におくっているんですよね」
「さっきも言ったね。雪勿、俺は幽霊を助けてまわっているわけじゃない。この世から幽霊を消す。それが俺の仕事だよ。雪勿のお父様のような、人に褒められるものじゃなくて、ごめんね」
「そ…そんな…つもりで言ったんじゃ…」
「うん。わかってる。雪勿を責めることはしない、出来ないよ…」
紫蒼は雪勿と繋がっていないほうの手を人知れずぐっと握った。道標のごとく一定間隔に整列していた黒蝶の群れが、急にその隊列を乱し始め、それはまるで今の紫蒼の心を表しているかのようだった。雪勿には想像しえない何かが、紫蒼を内側から揺さぶっている。同時に、雪勿の中で我慢していたものが、決壊の予兆を示した。
「俺の力だって、本当は目を逸らしたくなるような醜い姿態なんだよ。それをわざとこうして、綺麗に見せているんだ。偽りの面を被せるように、俺はずっと雪勿の目を誤魔化して」
「紫蒼っ!」
はっとして我に返ったように、紫蒼はようやく雪勿を見下ろした。紫蒼の一歩後ろで雪勿は眉間にしわを寄せ、瞳から溢れるものをこぼれ落ちないように必死にこらえていた。
「嫌です。そんな言い方」
「っ…ごめん…ごめんね。もう言わない。許して」
紫蒼は雪勿の目元に指先で優しく触れた。外にいた時よりも冷たく冷えた手だった。
「色々と考え込んで、俺も混乱しているのかもしれない。貴女に良く思われないことを言うなんて…。ああ、どうか泣かないで、雪勿」
「…まだ泣いてません。人のことからかうのは好きなのに、泣かれるのは苦手なんですか」
「貴女に対してだけだ」
不意にそんなことを言われ、驚いて見開いた雪勿の瞳から堪えていた雫がこぼれる。
頬を包む紫蒼の手に自分の手を重ね、雪勿は涙をこらえてえへへとはにかんだ。
大丈夫、もういつもの彼だ。優しく微笑みかけてくれている。雪勿の両親が企てているあの計画が、あまりにも非現実的で彼の中で到底認められないものだったから扱いに困っているだけだ。雪勿はとりあえず、そう思うことにした。
「またひとつ紫蒼のことがわかった気がします。とっても心配性で、自己評価が低い」
「……参ったな。なんだかどんどん格好悪い方向に向いている気がする」
「そんなことないですよ」
ふたりが笑いあった時、一足先に奥へ進んでいた一匹の黒蝶が紫蒼の元に戻り、強い光を放ちながら頭上を旋回し始めた。しきりに振り落ちる光の粉を手のひらで受け止めた紫蒼は、まぶたを揺らした。
「向こうの方で何かを見つけたみたい。きっと隠し部屋だ」
この蝶が知らぬ間に調べてきたということか。文字通りの虫の知らせというのが、若干心配ではあるが。
黒蝶は紫蒼の指先に止まって羽根を休めている。雪勿はその様子をまじまじと見つめた。
「そんなことも出来るんですか?賢いですね、蝶々さんたち」
感心するような口調の雪勿に紫蒼は、そこは俺を褒めてよと残念そうに言った。
それから五分ほど歩いたところに、突然開けた場所があった。隠し部屋だと思われるこの部屋の中ほどまで歩いていっても、紫蒼は明かりを入れようとはしなかった。振り返ると、廊下を照らしていた黒蝶は役目を終えたように、一匹を残し忽然と居なくなっていた。残った一匹は、部屋の存在を先に知らせてくれたあの黒蝶だった。今は紫蒼の肩にちょんととまっている。雪勿が試しに指先を近くに寄せると、黒蝶はひらひらと飛び移ってきた。蝶一匹分の光だけでは、紫蒼の顔がぎりぎり確認できるほどだったが、近くで感じるその光はなんとも言いがたく、例えるものが思い浮かばないほど優美な光だった。雪勿は思わずクスと笑ってしまった。
「紫蒼。わたしはまだ紫蒼の力をよく理解出来てないので、さっき紫蒼が言ったことの全部は分らないけど…でも」
先程彼は言った。自分の力は醜いものだと。けれど今雪勿が見ているのは、この美しい蝶だ。それがもし本来の姿とは別物であったとしても関係ない。
「わたしはこの蝶々たちのことが好きです」
「え…」
誰もが振り返るような麗しい面差しの男と、金の光がいっそ神々しく感じる黒蝶が、雪勿の視界の中に同時に写っている。この瞬間を永遠に残しておきたいとすら思える美景に、誰が目を奪われずにいられようか。
雪勿は見惚れて、恍惚に微笑む。
「紫蒼みたいに綺麗なので」
黒蝶の光越しに見えた紫蒼の表情が、秒ごとに面白いほど羞恥の色に染まっていく。
けれど紫蒼にはこの胸をくすぐられるような感覚に覚えがなかった。今自分がどんな顔をしているのか、それすらも紫蒼には想像も出来なかった。
先程言われた「綺麗な人」という言葉よりも、紫蒼の中の何かを深く射抜く力が圧倒的に違う。
「…………なにそれ…仕返しの続きなの……?」
「え、なにがですか?」
「…何でもないよ」
紫蒼は雪勿から顔を逸らし、聞こえるか聞こえないかの小声で、ありがとうと言った。そしてさらに嘆息一つついて、ひたすらに無自覚の恐ろしさを痛感していた。




