18.人体蘇生計画
雪勿は次の一枚を捲る。記されていたのは、誓約書の文字。
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この計画は、蓮雀の名をかけた、壮大かつ危険を伴うものである。よって下記の事項を了承しこれに携わることを承諾する。
一、承諾した者は、この計画を他言することを禁ずる。
二、承諾した者が計画進行の最中にこれを放棄することを禁ずる。
三、計画の途中放棄者は誓約違反と見なし、他人と接触される前に速やかに処分する。
四、誓約者が死亡した場合、この計画に関する一切の遺産を破棄する。
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「本人署名…蓮雀穂高…蓮雀結鈴音…」
雪勿の心がざわざわとうるさく騒ぎ出す。無意識に、足は紫蒼のもとへと駆け出していた。
「紫蒼……紫蒼っ!」
「おっと…こら雪勿。急に後ろから抱きつかない。危ないでしょう。どうしたの」
その問いかけに雪勿は見つけた計画書を、紫蒼の背中に顔を埋めたまま無言で差し出した。紫蒼は一瞬固まったように動かなくなったが、持っていた本を本棚に戻し警戒した様子で雪勿の手からそれを受け取った。白紙の表紙を捲り、二枚目、三枚目と目を通し、ページを捲るにつれて紫蒼の形相は厳しいものとなっていった。
「雪勿は、もう見たの…って聞くまでもないね…」
雪勿は返事をする代わりに、ぎゅうっと紫蒼を強く抱きしめた。
「雪勿」
「……紫蒼。そこにある誓約書の本人署名の欄に、お父さんとお母さんの名前が書いてありました…。それぞれの…文字で…」
雪勿の父、蓮雀穂高と母、蓮雀結鈴音。誓約書に書かれた名前はそのふたりのものしかなかった。蓮雀家の当主とその妻が、秘密裏に進めていたことを証明する書類。それを見つけたのは幸か不幸か彼らの一人娘だった。
「ふたりは死んだ人を、蘇らせようとしていたんですか……?」
輪廻の枠を外れた、想定外の不合理な『人体蘇生計画』。
命を亡くした者を蘇らせる。雪勿の両親はそんなこと本当にをやろうと…否、今も進めているというのだろうか。
いったい何故…どこで。
「雪勿、一旦離れて。このままじゃ俺も貴女も動けない」
「あ……すみません」
くっつきすぎていたことを今更ながら自覚し、雪勿は慌てて紫蒼と距離をとった。
「し、紫蒼…あの…わたし……」
「大丈夫」
紫蒼は強くそう言い切って、雪勿の手を握った。じんわりと伝わるその体温が、予想もしない現実に強張り緊張する雪勿の心を解していく。
「場所を移そう。まずはここから出て外の空気を吸えば、少しは落ち着けるかもしれない」
彼はいつだって雪勿を一番に考える。
手を引かれるままに雪勿は蔵を出た。計画書を隠していたローテーブルの天板は、九十度に回転したままだった。
ふたりについてまわる黒蝶の光があたたかい。冬の夜は凍えるほど寒いはずなのに、その光のおかげか不思議とそれを感じなかった。けれども当然空気が冷たいことに変わりはなく、息を吸い込めば内臓から冷えるし、吐く息は白い。冬の空気は、喉の詰まりものをすっきりと流し去ってくれそうに澄んでいたが、完全には洗い流してくれない。
「落ち着いた?」
「……はい」
夜の九時半すぎ、まだ家には誰も帰っていないようだった。だが丁度いいと雪勿は思った。今両親に会ったところで、どんな顔をすればいいのか雪勿にはわからなかった。
蔵の中ではしばらく離れていた双方の手は、今は強く繋がれている。どちらも離そうとは考えていなかった。離したくなかったから…違う。離れてしまえば相手が、自分が混乱によって崩れ落ちてしまいそうだったからだ。
紫蒼は思いつめた顔で俯く雪勿を、縁側へと誘った。座ったほうが落ち着けるだろうと告げて。
計画書に書かれた内容は、ほぼ計画名を見れば推測できることと差異なかった。死んだ人間をもう一度生き返らせる。その方法は、医療機器開発において決して長くはない蓮雀の歴史の中、進歩してきた知力を総動員させたものらしかった。といっても見つけた書類には見たこともないような数式が並べられているばかりで、何かを証明しているものなのだろうが雪勿にはもちろん紫蒼にも理解不可能だった。
ところどころに散らばった、脳死、心臓、血液、防腐液などという言葉が生々しい。
「その様子では、雪勿は何も知らないみたいだね」
肯定の意を示す雪勿。紫蒼はまあ当たり前かと計画書に目を落としたが、雪勿はその返答にいささか違和感を覚えた。
「……どうして…紫蒼がそう思うんですか…」
「……。雪勿の話を聞く限りでは…ご両親は一人娘である貴女をとても大切に育て、接してきたように感じる。それだけに、家の名をかけ、ましてや危険だと分かっている事柄から、貴女を徹底的に遠ざけたかったんじゃないかと思ってね」
目の前の彼は、何故顔も合わせたこともない人間の頭の中をこんなふうに分かりきったような言い方ができるのだろう。それはきっと、彼も同じように考えるからだ。大切で、そう思うからこそ段々と隠し事が増えていく。
結局雪勿は紫蒼にも両親にも、一番大事な事を隠され続けている。