15.夜が更けても
紫蒼はふいに立ち上がり、そのまま足は蔵へと向かう。いつの間にか彼の両足は革靴を履いていた。
「ほ、本当に行くんですか…っ」
紫蒼の袖口をつかむ雪勿の必死の抵抗も虚しく、紫蒼は蔵を黒蝶が探し当てた鍵をもって解錠した。古い南京錠が軽い音を立てて外れた。
この蔵に何があるのか雪勿には全く想像出来ない。紫蒼が一番怪しいと感じるのも無理はない。思えばこの蔵の重い扉が開くところを見たことがあるだろうか。答えは否だ。だが今確かに、雪勿の目の前でその分厚い扉が家主の許可なく開こうとしている。
「……お、怒られる…」
「大丈夫。雪勿は何もしてないって俺が言っておくから」
「それじゃあ紫蒼が怪しい人認定されちゃいますよぅ…」
「学校の生徒でもない男が制服着てる時点で既に怪しいから、そこは問題ないよ」
それを自分で言ってしまうのかと半目の雪勿だが、全くなんの解決にもなっていない紫蒼の言い分を、今は黙ってのみこむしかない。
扉が開くにつれて、雪勿の胸の高鳴りも大きくなっていった。
そうして見えてきた開かずの扉の向こう、蔵の中に詰められていたのは予想を超える量の書物だった。紫蒼は何も言わずにどんどん中に立ち入っていく。雪勿は顔の周りを舞う埃を払いながら、そんな彼の後ろをついて歩いた。
蔵の中は外から見るよりも広かった。何よりも思っていたよりちゃんとした部屋として使われていたようで、ローテーブルやソファもある。雰囲気のある本屋みたいだと雪勿は思った。
高い天井、小窓は入口向かい側の壁に一つあり高い場所にあるため二階に上がらなければ開けることは出来ないが、月がそこから光を運んできているおかげで、明かりがなくても困らない程度には明るい。壁一面の棚には二階までびっしりと書物が収まっており、雪勿は軽い目眩を覚えた。
「この中から手掛かりを探すんですか…」
「そうだね。まずはこの辺りのものから見ていこうか」
手近な棚から漁りにかかる紫蒼を見て、本気でやるのかー…と雪勿は零れそうになるため息をすんでのところで抑え込む。雪勿に出来ることはこれくらいしかなさそうだった。悪霊に目をつけられたのは完全に意図しえない不運だが、降りかかる火の粉は自分で払わずにどうしよう。
紫蒼に頼ってばかりもいられないのだ。
「わたしはこっちの棚から見てみます」
雪勿は棚から適当に十冊ほどの書物を腕に抱え、ローテーブルまで運ぶ。
ふたりが動けば動いただけ埃が宙を舞う蔵、もとい書物庫の中で、悪霊の恨みに関する手掛かり探しが始まった。
現在夜の6時を過ぎたあたり。明日の夕方、遅くともこの時間までには何とかして見つけたいところだ。
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土御門晴花。37歳。性別、男。職業は高校教師、生物学担当。
「会議長すぎんだよあのババア」
昼過ぎに始まった緊急の職員会議は、夜の七時を過ぎて終わった。約六時間会議室に拘束され、さして仲良くもない同業者と堅苦しい話し合いに付き合わされた晴花の機嫌はひどく悪かった。そしてその矛先は全て会議を召集した校長に向いていた。
「俺の休日を会議で終わらせやがって」
女の校長がまだ珍しいと言われるこの時代の風にも負けず、気の強い晴花の上司は少なくともこの高校の一種の支配者だった。校長が会議を召集すれば、休日だろうがどこに居ようが出席しなければならない。それは暗黙のルールだった。
だがここまで長い時間の会議というのは、十年務めている晴花にとっても初めてのことだった。すっかり肩と腰がバキバキになってしまっている。
「う、ああぁぁあっ…はああ…」
この街の冬の夜は尋常じゃなく寒い。そんな中でも黒いシャツに白衣という薄着で出てきた晴花は、校門の前でひとり盛大に凝り固まった体を伸ばした。
「どこへ行くのです。土御門晴花」
「んあ…その声は松帆だな」
振り向いた先で深緑色のシャツに黒いスーツをかちっと着こなす糸目の男がしゃんと立っており、晴花はその姿を確認すると、はーいビンゴ!と言って軽快に指を鳴らした。