冬の夜更け、とあるバーにて。_case404
からり、と新客の来訪をベルが告げると、ちょうど私の用事相手はマスターとの会話を打ち切ったようだった。
「……、……。」
まずは一目に店内を見渡し、それから簡単にコートを払う。
天候が崩れていたわけではなく、一連の動作はあくまでルーティンに近かった。
そこで、相手も私を見つけたらしい。人気のまばらな店内に気を使ってか、彼は遠慮気味の声量で私を招く。
「遅かったじゃないかい」
それは、ざんばらの髪の下に伊達じみた丸メガネをかけた、鼠色のコートの男であった。
彼は続けて、私に隣席を勧める。
「取っておいてやったんだぜ、さあ座れよ」
言いながら彼は、その席に置かれた皮のバッグと、それを覆っていたマフラーを向こう側の席に置きなおした。
「この店は初めてなんだけれど」
「知ってるさ、俺も似たようなものだしな。マスター、これをもう一つ」
そう言って手元のグラスを揺らす。それはロックグラスに入った、恐らくはウィスキーか、彼の伊達っぷりを思えばバーボン辺りであろうか。私がそう観察していると彼は、「嘘だった。もう二つで」と改めて、半ばまで残っていたそれを一気に飲み干した。
「遅かったからね、先に始めていたよ」
彼は言う。
立場的には奢るわけで、別に文句はないだろう? と。
それから彼は、
……行間を変えるように、敢えて一拍を用意して、言う。
「一応言っておくけれどね。『こういうの』はまず始めに、お茶を濁していくのが大事なんだぜ」
「……、……」
意図を図りかねた私を、彼はお見通しだとでもいうように続ける。
「例えばさ、天気の話だよ」
それと同じだ、わかるだろ? と付け加えて。彼はこんなことを提案してきた。
「ウミガメのスープって知ってるかい」
――本物の話じゃないさ、ここで飲めるのはドリンクだけだよ。
――いわゆるあれだ、思考ゲームだよ。まずはそう、……とある場所、レストランでね、男がウミガメのスープを頂いて、勘定を終えたところだった。
――まずはそれをイメージしてみるがいい。いいから、とにかくさ。
――ああそれで、そいつは勘定ついでに聞いたんだ。これは本当に、ウミガメのスープなのかい? ってね。
――いいから聞けよ。それで、ウェイターは答えた。そうだ、まちがいないってさ。
――それでな、そいつは店を出たとたん、自分の頭を銃で撃ちぬいた。
――突拍子もない話だって? 重畳だよ、その通り、それを当てるゲームだ。
――そう、ゲームだよ。君は俺に、イエスかノーで答えられる質問をする。ちなみに俺は、君にアンノウン(わからない)と答えることもある。重要なことじゃないってことだな。
――そして君が、この物語の行間、つまり真相を当てる。簡単だろ?
――ああいや、別にウミガメのスープを飲んでくたばった何某の話じゃないぜ、問題はいまから出すヤツの方だ、なにせ……
「俺もこの問題の答えは知らない、まあたぶん死にたくなるくらいうまかったんだろうさ」
わかったかねと、彼は問う。
私は、了解したと答える。
「よかろう、それじゃあ始めるぜ」
Q……
曰く、とある日の午後、とある街で、偶然、少年はサンタクロースに出会った。少年はいたく喜んでいたらしい。なにせ彼はサンタクロース、当たり前のようにその肩には、満杯の袋を担いでいたからだ。
しかしサンタクロースはたいそう困った。だってその日はクリスマスじゃあない、ちょうど今日のような、一足先に冬が来たみたいな秋の昼間だった。
だからプレゼントを渡すわけにはいかない。ルールに反しているから。
さて問題です。
――サンタクロースは少年にプレゼントを渡した。なぜでしょう。
「さてと、そうだな。このゲームは初めてだろう? 少し、考えてみるがいい」
そう言って彼は、マスターからグラスを受け取る。それから私の手元にも。
しかしそれには手をつけず、彼の言葉を受けて思索を始めた私を尻目に、彼は一人でグラスを煽り始めた。
私は考える。
そして少し、……私は、聞くべきいくつかにアテをつけた。
(※よかったらみなさんも考えてみてくださいオナシャス!)
「まず聞きたいんだけれど、このゲームについて」
「うん? まあ、イエスでいいのか」
「ええと、この話って、問題文にもう答えがあると思っていいの?」
「ああ、それは当然イエスだとも」
ほんの少しの会話の空白を捕まえて、マスターが私の手元にビーフジャーキーを差し出す。そのまま彼女は、ナプキンで手をぬぐいながら裏手の方に消えていった。
「それじゃあ、聞きたいんだけれど、『サンタクロースはルールを破った?』」
「イエス」
彼は即答する。どうも返事を用意していたような様子である。
「……、……」
つまりそれは、サンタクロースはルールに抵触せずに贈り物をしたわけではない、ということであった。
「じゃあ次に、『ルールには罰則があるの?』」
「アンノウン。……だけどまあ、強いて言えばイエスだ」
彼は罰則を恐れず、少年にプレゼントを明け渡したんだろうね、と彼は続ける。
「恐れず? 『彼は罰則を恐れなかったの?』」
「失礼、ノーだ。彼は罰則を避けようがなかったというべきだね」
罰則を受けるにもかかわらず、というのが正しい。と彼は改める。
「そう、罰則を受けるにもかかわらず彼は、ルールを破った。それはなぜだろうね」
にやつきながら彼は背もたれに身体を預ける。それはまったく、悪趣味が滲んだ表情であったが、
構わず私は続ける。
「『少年はナイフを持っていた?』」
「ノーだ。ナイフも拳銃も腰巻の爆弾もなけりゃ、実はクンフーの達人だったなんてこともないぜ」
「それじゃあ次に、『少年は乞食だった?』」
「それは、アンノウンだ」
少年の立場は関係がない、ということらしい。
「さてと、……考えごとの進捗はどうかね」
「どうかしらね」
もう一度、私は思考に身を投じる。
まずはサンタクロースについて。
サンタクロースは罰則を受けた。それは彼にとっても、間違いなく好ましくはないものであった。しかし彼は、ルールを破ることを理解して、その上で「渡すか渡さないか」の計りを傾けた。
そして、他方の少年について。
まず脅しの線は消えた。また彼は、施しを受けるような身分ではなかったと思っていい。アンノウンとはそういう意味だ。そしてそれは、つまりサンタクロースが、彼に知られる善性を哀れな少年に発露しての行いではない、ということになる。
登場人物について考えれば、これ以上のバックグラウンドは想像しづらい。二名のプロフィールは出揃ったとみるべきだ。
からり、とグラスが音を立てる。
――氷がとけた音だった。
「……難儀かね?」
「そうね、答えに目算がついてしまったから」
「うん? そうかい」
驚き半分、冷やかし半分という表情。私はもう一度、彼に聞く。
「『そこは、街だった?』」
「イエス」
「『それは昼間の出来事だった?』」
「イエス」
「それじゃあ、……『人通りがあったのね?』」
「そう、イエスだ。なんだ、どうする? 答えを言ってみるかね」
「やめておくわ」
私はコートの裡から封筒を取り出す。それを男は、にやつきながら受け取った。
「急だね。それで、『こっちの』は要るのか」
言って彼が差したのは、向こう側の座席に置きなおしたバッグだ。
私は、
「要らないわ」
そう、即答して、
それに彼は口笛を吹く。
その伊達じみた所作に反応を示す者はいない。マスターは裏に引き払ったままで、また他の客は、不自然なほどにこちらを見ない。
向こう側の席、皮のバッグにマフラーをかけなおして、彼はかっかと笑う。
「それはいい買い物をした。いや全く、さっきのはいい問題だったと思うね、俺は」
「それはよかったわね」
言って私は席を立つ。結局グラスには手を付けないままで、気づけばウィスキーは、ほとんど透明に近いところまで薄くなっていた。
「――ああ、最後にもう一つだけ聞いていいかしら」
「うん? 問題のことだね?」
「ええ」
「なんでもきいてくれていいとも」
彼はそう言って、一気にグラスを煽る。空になったそれを見て、ろれつが回らない声でマスターを呼ぶが、どうにも返事が返らないようであった。
「……ふん。まあいい。暇つぶしだね、付き合うよ」
「ありがとう、それじゃあ一つだけ。――『トナカイはどこへ行ったの?』」
「うん? ……いやまあ、アンノウンだね」
それだけを聞いて私は、改めて出口に向かう。背後では彼の酔いっぽいうめき声が聞こえるばかり。気にも留めずに戸を押すと、もう一度からりとベルが揺れた。
「…………。」
それから、私はふと思いとどまって、ドアに手をかけたまま振り返る。
「ねえ」
「あん? なんだい、用事は終わっただろう?」
「ウミガメのスープを飲んで自殺した男の話。アレね多分、あなたの解釈で正解よ」
そう言って私は、改めてドアを押しのけた。
この店は、路地に面したところにあった。店内でも、扉に近づけば分かるくらいに、今日は冷え込んでいたようだ。確かに、雪が降ったっておかしくないような、それは秋の夜であった。
周囲に人はいない。深夜を回っただろうか、こんな冷え込みでは、わざわざ外出をして飲むのも腰が重いのだろう。
――遠く、車の走行音が聞こえる以外には音のない夜の街で、私はひとりごちる。
「まったく、嘘をつく仕事をしていて、イエスとノーに正直に答えるゲームだなんて」
――それがあなたの敗因よ。まで言ってしまえば、それは流石に伊達に過ぎるか。
それに、敗因は実のところ別にある。
「……、……」
――遠くに聞こえていた走行音が、少しずつ近づいてくる。
そもそもの話。
サンタクロースの手足となって働くトナカイは、彼とセットで語るべきものだろうに。それこそ、肩に担いだプレゼントの袋と同じくらいには。
――路地の向こうに、ヘッドライトの光がちらつく。
それだっていうのに、トナカイの所在を「アンノウンだ」と彼は答えた。
サンタクロースにケンカを売るのなら、それではいけないだろうに。
――背後に気配。裏口から足音を殺して現れた彼女、マスターは私に声をかける。
「お疲れさん、そろそろ薬が効く頃だぜ」
「ええ、お疲れ様、トナカイさん」
「うん?」
――次いで見えた黒塗りの車に、私は手を挙げて応えた。
【このお話の解説】
この作品は、「プリンセス・プリンシパル」を見ながら書いたものとなっております。
あと、その頃一緒にやってた「妹さえいればいい」でウミガメのスープって見て「お洒落な遊びだなあ」と思ったのでそちらにも手を付けています。
さて、男の問題の答えは『子供の夢を裏切れないサンタクロースが、人目を気にしたから』でした。
それを彼女らの状況になぞらえて、「周りの客は俺の味方なんだけど人目気にせず取引しちゃうかい?」というのが彼なりのジョーク。酒を奢らなければいけないというだけあって、男は彼女の上司でした。それが取引という状況になるってことは、つまりどちらかがキナ臭い事をしてたのでしょう。
また、ウミガメのスープの答えはググったら出てきます。ブラックジョークだぜ笑って許してくれよな!
あと、運転手役が今回はトナカイ役だったので、ハンドルは「そういうのが好きそうな子」が握ってました。あの子は凄く可愛いと思います(語彙喪失)。