白き扉の所有者
3章13話の裏話となります。
黒い世界――それはその者の深層心理である。
光すら届かない心の奥底は、誰もがひた隠しにしている秘匿の領域だ。
覗けるとすれば、それは心の底から許された者だけだろう。
しかしリンクと呼ばれる力は、本来存在する他人との溝を埋め合わせ、深層心理同士を繋げることが出来た。
二千二十五年。守住駿が星燐学園で過ごす現在も、その理由については判明していない。
少なくとも、リンクプロジェクトの機関からはそう明言されていた。
――三年前、三月某日。
その黒い世界に一人の少年がいた。いや、正確には唯一存在する白き扉に彼は腰かけている。
黒き髪に褐色の肌をした少年。彼は目を閉じ、扉の上で何かを待っているようだ。
しばらくすると、ノブを回す音に合わせてゆっくりと扉が開かれた。
待ち人が来たか。少年はそう確信して扉から飛び降りる。
着地と同時にくるりと反転し、赤い目でその存在を見据えると。
「良くぞ戻ったなレーナ」
「はい。ただいま帰ったのですよ」
扉の中から現れた女性、竜胆玲奈を出迎えた。
「どうであった? 無事に駿と話せたか?」
「もちろんなのです。あれならきっと立ち直ってくれるのですよ。けど、無理を言って申し訳ありませんでした。どうしてもあんな状態の駿ちゃんを放っておくことが出来なくて……」
「別に構わぬ。元より我も承知してのことだ。謝る必要などない」
彼女は墓参りにやってきた駿を励まし、この場に戻ってきたところである。
心が壊れそうになっていた彼を気にかけ、玲奈は居ても立っても居られずに駿と接触したのだ。
今の彼女はいわゆる精神体である。故に、外の世界に現れた彼女は幽霊と呼ばれる存在に違いない。
しかし何故、死んだはずの玲奈がこんな状態になっているのか?
「汝は我が計画に必要な存在だ。わざわざ、心臓に残っていた残留思念を復活させねばならないほどにな」
「ええ、わかっているのです。けど今でも信じられないですね。自分が死んで幽霊になるだなんて……。こんなの思いもしなかったのです」
「何を今更……汝は生まれた瞬間から非日常と付き合ってきた側の人間であろうに」
少年は少し呆れた顔で言葉をかける。
玲奈はこの少年によって蘇った。魂が肉体に定着し続けることに諸説あるが、駿に移植された心臓から彼女は魂を呼び起こされたのだ。
魂だけとはいえ、あんな死を遂げた者を蘇らせるなど、正に神の御業に他ならないはず。
「それはあたしが望んだことではないのですよー。生まれた家柄が特殊で、たまたま素質が秀でてしまっただけですから……」
そう言いながら玲奈は手を開く。すると、何もなかった手の平に火の玉が現れた。
「見事だな。無詠唱で使用するか。それは我とて易々と出来ぬ所業だ。謙遜せずとも良いぞ」
「褒められると照れてしまうのです。あたしの場合、頭の中でイメージすることで使うことが出来るのですよ。まあ、確かに他とは異質なのかもしれないですが」
「だがそれも」
「はい。あなた様から事実を教えてもらった今なら、あたしにもわかるのです……あたしが持つ力もキアナのせいかもしれないと……」
玲奈は火を消し、手の平を見つめながら呟く。
「魔女としての一種の継承であろうな。キアナの双子に当たるディアナは力を搾取されたようだが、末娘である汝の場合、胎盤に残っていた力を引き継げた。血縁の因果とでも言うべきか」
「ハタ迷惑なのです! ディアナが目覚めてれば今頃は……。あたしは巻き込まれたくなかったし、ゲームやアニメを堪能出来ればよかったのに」
「そうだな。汝からすればとんだ災難だったか」
少年は申し訳なさそうな顔をする。
「でも、それに関して嘆いていても仕方ないのです。結果的にこの力があるおかげで駿ちゃんが助かり、世界を救えるのですから!」
少年の悲愴な雰囲気を跳ね飛ばすように玲奈は笑顔を浮かべる。
必要だったと彼女が肯定してくれることが、少年には救いとさえ思えた。
その上で、彼女の死が世界を救う運命として不可欠なことに、やはり申し訳なさを感じてしまう。
「さあさあ、湿っぽい話はここまでにして、改めて今後について話しましょうです」
「ああ、それには賛成だ。では確認も兼ねて話すとしよう」
少年は黒い床へと腰を下ろす。玲奈を見上げる形で彼は話を続けた。
「現状、一番の弊害はキアナであろう。混沌以外の邪神共が動き出すのが三年後の秋だ。しかし、この世界線ではアベルが代わりに消えることで駿は生き残った。だがそれこそが、キアナを動かす要因となってしまう」
「本来なら駿ちゃんは事故で死ぬ。イースの力でそれを乗り越えても、キアナが夢の中で接触して駿ちゃんが寝ている間に殺害する……ですよね?」
「その通りだ。キアナは、幼い頃のカレンに自分の因子の一部を埋め込んでいた。駿がカレンとリンクで繋がることで因子が反応し、こやつが死に損なっていたことが感知される」
少年は床をコンコンと叩きながら語る。おそらく駿を差しているのだろう。
「事故によって汝とクロウ、カレンを殺すのがキアナの目的だった。これにより、あやつはソフィアを宿していた汝も、その継承者となるクロウとカレンも潰した。……はずだった」
少年が中継ぎとして息を吐く。
「あやつの誤算はカレンが生きていたことだ。だがカレンの心が壊れ、乗り移ったソフィアも覚醒しないと判断し、キアナが手を引いたのが先日。しかし、同乗していた子供がカレンの心を救ったとなれば話は別だ。三年後、死んでいた者がリンクを繋ぎ、カレンを支え続けていた。それを知ったキアナはもう一度カレンの心を壊すため――駿を殺しに来る」
説明を聞き、玲奈は唾を飲み込んだ。
「あたしとパパの思惑は筒抜けだったということですか……そのせいで駿ちゃんまで……」
「嘆いていても仕方がないのだろう? 我が知る範囲では、そんな駿が秋まで生き残っていた世界は一つだけだ。それ以外の世界では五月五日までには必ず死んだ。キアナが関わってな」
となれば、駿が生き残った世界とはどんな未来なのか?
玲奈が浮かべているであろうそんな疑問に、少年は目を見つめて答える。
「生き延びた駿と出会ったのは……カレンが事故で死んでいた世界だ。大抵の場合、駿はシートベルトを外す際に後方へ目を向ける。結果的に、車の衝突を察知してあの娘を守る形になるのだが……その世界では、運悪く先に外へ出てしまったのだ。その直後に追突されて駿は道路へ転がった」
「では、駿ちゃんが割って入らなかったことで歌恋は……」
「うむ。汝を貫いた資材が後ろに座る娘をも貫いた。それを駆けつけた駿が目撃し……」
その世界では駿の心が壊れた。目の前で幼馴染一家が死んだのを見て、駿は大層荒れたという。
しかし竜胆一家との接点がなくなったことで、その世界の駿はキアナの標的から外れることが出来たのだ。
そして駿は、アベルを宿したまま『千の顕現の支配者』を覚醒させた――。
「力に目覚めた駿は、狙って現れた榊坂家の令嬢と知り合った。榊坂家に引き取られてリンクと邪神について知り、駿は対邪神の切り札として頭角を現すことになる」
「榊坂家の令嬢って……まさかカサルナちゃんですか?」
「ほう? 汝は知っているのか? ……まあ良い。それは後々聞くとしよう。令嬢と共に星燐学園に入学した駿は、一年半後に邪神たちと戦うことになる。その戦いの果てに我と邂逅した。この世界以外で我が会ったのはその一度きりだ」
少年は言い終えると小さくため息を吐く。長々と話したせいで少し疲れてしまったようだ。
「駿ちゃんが本来取らない行動をした結果、生き延びてあなた様と出会った。それこそが、この世界の運命に抗う始まりとなったのですね?」
「そういうことだ。しかし、この世界を選んだのはアベルが消え、駿が生き延びたという条件が合ったからに過ぎぬ。まあ、元をただせばアベルのせいだがな。こんなものを神風特攻で付けよってからに……」
少年は着ていたシャツをまくり上げて腹部を玲奈に見せる。
彼の腹には赤い五芒星の印が付いていた。リンクを繋がれる側に現れるものに近いが、中央部に見開かれた眼のようなものが描かれている。
「エルダーサイン……」
「アベルが付けたこの呪縛があるおかげで力は封じられたが、同時にここへ入れるようになった。あとは駿が力を行使出来るようになり、これを解呪してくれるのを願うだけだ。どのみち、こやつが覚醒するまではゆっくり待つしかない」
そう言って少年は床に寝転んだ。玲奈は彼の行動を見てなんとも言えない顔をする。
「神としての威厳も何もないのですよ……」
「この姿になっている時点でそんなものなどない。まあ、まだまだ時間はあるのだ。何もないところだが、キアナが現れるまでは汝もゆっくりするが良い」
「うーん、ゆっくりと言われても…………ゲームしたいのです……アニメ見たいのです……デジカイザーの写真撮ってないのです……」
「……ふむ、オタクというやつだな。ならば頭の中で何かを想像してみよ。さすれば汝はそれに浸れようぞ」
言葉に従い、玲奈は頭の中で何かを想像するような顔をした。すると、何かに閃いたように顔を輝かせ。
「ふぇ!? す、すごいのです! 死んだ翌週のパラキュアの内容が頭に浮かぶのですよー!」
「こんな姿になったあげく、力の多くを封じられたとはいえ、我は時を司る神だ。いつどこにあるものでも、汝の望むがままに体験させてやろう」
「すごい! ああ……あたしはあなた様に一生付いていきますのです!!」
「ふむ、死んでいるのに一生とは……これがギャグというものか。まあ良い。この件の報酬はそれだ。飽きるまで堪能するのだな。代わりに――」
「はい! キアナのことは任せて欲しいのです! 必ず駿ちゃんを助けてみせるのですよー!」
興奮した玲奈が少年の声に答えた。
彼女の返事に気を良くし、少年は口元に笑みを浮かべて腹の印を撫でる。
(なあアベルよ。最強を名乗りし邪神が汝の代わりに邪神殺しを育てるなど、生前に知ったら卒倒ものであろうな。だが我は、彼の英雄の願いをも叶えるつもりだ。我の望みもただ一つ。もう一度、あの血湧き肉躍る戦いを所望することのみ……!)
時を超越する邪神は望む。かつての世界で、英雄と認めた邪神殺しとの熱き戦いをもう一度果たしたいと。
彼は笑みを浮かべて寝転んだまま、玲奈に向かって言葉をかける。
「汝には期待している。必ずや大望を成し遂げてくれるとな。頼むぞ、西洋の第三王女よ」
「ええ、お任せを! 竜胆玲奈……いえ、このレーナ・ゲンティアーナ。ヨグ=ソトース様のためにも、駿ちゃんを必ず守ってみせるのです!」
空間、時間、次元。それら全てを超越し、操る神がクトゥルフの神話にはいた。
その邪神の名はヨグ=ソトース。彼が所有する扉はどの時代にでも、どの時空にでも繋げられる。
故に彼はどこにでも居て、どこにも居ない。存在を超越せし神なのだ。
しかし、彼が持つ今の力はあまりにも矮小。その扉も、心の内と外を繋ぐくらいにしか使えなくなった。
クトゥルフ神話においても最強の一角と呼べる彼の力を封じたのは、こことは別の世界にいた一人の男子学生とイースの民だ。
ヨグ=ソトースにとって宿敵となる少年。邪神の心を震わせた少年を、ヨグ=ソトースは『邪神殺しの英雄』と呼んでいた。
この世界での少年は、そんな大層な存在ではない。
二千二十五年現在――彼は幼馴染を支え、友のために戦わんとする正義感が強い学生に過ぎないのだ。
そんな最強の邪神を心の内に宿す少年、守住駿。彼が異名の力を使いこなすのは、まだまだ先のことである。




