第15話 幼馴染を支える理由
ベッドに腰かける歌恋を見て俺たちは立ち尽くした。
座ってる? いや、そもそも毎日マッサージをしているとはいえ、たった一人で起きて座れるはずない。歌恋はこの三ヶ月間、寝たきりの生活だったんだぞ。
室内に入った輝美先生が荷物を置き、連絡を取るためにベッド脇のコールボタンを操作する。
俺も追従する形で部屋の中に入った。
「私だ。天城だ。竜胆歌恋がベッドに座っている。誰が座らせた? ……おい! 誰かいないのか!? ……くそっ! 返事がない!」
「だ、だったら俺が直接ステーションに行って知らせてきます!」
「すまん駿坊!」
持っていたビニール袋を置いて俺は入り口へ向かう。
すると、病室を出ようとしたところで自動ドアが勝手に起動した。開くんじゃなく、閉まる方の動作で。
「あれ? くっ! なんだこれ? ドアが開かねえ!?」
力を込めてスライドさせようとしたが、全くもってビクともしない。
まだ本調子ではないとはいえ、俺の力で開けられないのはどう考えても変だ。
「ぐうおおぉぉおお!! かはっ! ちくしょー、ダメだ……!」
「一体、何がどうなってるんだ……?」
俺は疲れてしまい、膝に手を突いて深呼吸をする。その間に輝美先生が周囲を見渡す。
息を整えた俺も周りを見たが、ベッドに座っている歌恋以外におかしな点はない。
そんな中、ベッドに座っている歌恋が掠れた声で呟いた。
「……あなたは……どうして……あたしを……救いたいの……?」
「歌恋?」
「救うだと?」
俺も輝美先生も何事かと歌恋の顔を見つめる。
歌恋は、今度は俺の方を向いてまた掠れた声でしゃべりだした。
「……あなたが……あたしを……救う理由は……?」
「俺がお前を救う理由……?」
「下がれ駿坊ッ! 明らかに様子が変だ!!」
輝美先生が俺を庇うようにして前へ出る。しかし――。
「あなたには……聞いてない……」
「ぐっ!? ――がはっ!?」
歌恋が腕を上げ、そのまま横に振る。すると、輝美先生の体が横に薙ぎ払われるように飛んで壁にぶつかった。
「なっ!? 輝美先生!?」
「げほっ! くっ……その子から目を逸らすな!」
俺は倒れる天城から歌恋へと視線を移す。
「くそ……! なんでこんな……!」
「あなたが……救いたい、理由は……?」
歌恋は変わらず何かを問いかけてくる。これに答えないといけないのか?
考えろ俺。俺が歌恋を救おうとする理由。それは……いや、そんなもんわかりきってる。あいつの両親に誓いを立てたからだ。
俺は意を決し、歌恋を見据えて自分の思いを伝えた。
「俺は、お前の両親と約束したんだ。お前のことを守るって。だから、俺がお前を救おうとするのは――」
その約束を守るため。と自信を持って告げるはずの言葉が詰まった。
何かが違う。歌恋を救いたいと思ったのは、その約束をしたからだったっけか?
誓いという義務感で歌恋を救うのが俺の本心からの願いだって言えるのか?
胸の内に沸き上がった疑問が俺の全身を這い回る。俺が歌恋を救いたい理由ってなんだ……?
守れた。それだけで充分じゃないか。
てか……もしかして俺はここで死んじまうのか? 死んじまったら、こいつはやっぱり泣いちまうよな?
それだけは絶対にダメだ! 俺はそんな顔をさせるために守ったんじゃねえ……!
俺はあいつの笑顔が見たいから守ったんだ!
「あ……」
あのとき、俺がどんな思いで歌恋を守ったのかを思い出す。
自らの死を悟り、その死が歌恋の心を傷付けてしまうと後悔した。
せっかく死なずに済んだのに、人形みたいになった歌恋を見て心が折れそうにもなった。
それでも、歌恋が生きてることを受け入れ、支えることを選んだのは俺自身だ。
なら、歌恋を救いたいっていうのは俺の願望だ。玲奈おばさんのものじゃない。
そして――俺があいつを守り、救いたいって思った理由はただ一つ。
俺は少しだけ目を閉じる。
そのまぶたの裏に浮かんだのは――「駿ちゃん!」と言って振り向く、嬉しそうな歌恋の笑顔だった。
「……んなもん、お前の笑顔をもう一度見たいからに決まってるだろ! おばさんやおじさんが生きていたときと変わらない楽しそうな顔! それを見たいから、俺はお前の心を救いたいって願ったんだ! 理由なんてそれ以外にあるもんか!!」
玲奈おばさんに託された願いも確かに大事だ。けど、俺が選んだのはシンプルな『笑顔を見たい』という答え。
そもそも、ただの中学生が誰かを救う理由を難しく考えるのがおかしかったんだ。
好きな女の子の心が壊れ、見せることのなくなった笑顔。それを取り戻すために支え、いつかまた笑ってほしいだけ。
「聞いてもわかんねえって言うのなら、お前が納得するまで何度だって答えてやるよ!」
「それが……あたしを……救いたい理由……?」
「ああ、そうだ! だからもう泣くな!! 俺が側にいるから、お前の隣りで支えてやるから、そんな風に泣かないでくれ!!」
「……泣かないで? あなたは何を……?」
疑問を呟きながら歌恋の手が頬を流れる涙に触れた。
それを確認するように顔の前に持っていくと。
「……あたし……泣いてる……? そう、失われた感情が戻って……。あたしは……彼の言葉で泣いてくれたんだ……」
最初は少し驚いた顔をする歌恋だったが、くすんだ目で、愛おしそうに指に付いた涙を見つめていた。
「てか歌恋。お前は何を言って?」
「……ありがとう。あたしは……あなたが側にいてくれるなら、きっと……進んでくれる……。あとはあたしが抑えて……。ありがとう……本当に……っ」
「え!? おい歌恋!」
歌恋は力がフッと抜けたようにベッドに倒れ込んだ。それを見た俺たちはすぐさま歌恋へ駆け寄った。
体を揺すろうとする俺を輝美先生が制し、そのまま歌恋の脈を計る。続けて呼吸を確認すると輝美先生が安堵したように口を開いた。
「……大丈夫だ。気を失っているだけみたいだな」
「良かったぁ……! 俺、てっきり歌恋が死んじまったのかと思った……!」
歌恋に大事がなかったことを知り、俺はベッドに手を置いて座り込んだ。
「縁起でもないことを言うな! しかし、今の歌恋ちゃんの言動が気になるな。私に触れることなく吹き飛ばしたり、自分を他人事のように語ったりと……」
「はい。さっきの歌恋は何かがおかしかった」
「……駿坊、このことは誰にも言うんじゃないぞ。念のために脳の検査をするつもりだが、あくまで今回のことは私たち二人だけの秘密だ。下手したら、何か変なモノが憑りついていたのかもしれない」
ここは精神科の病棟。もしかしたら、危ない霊でもいるのかもしれない。
そんな考えが頭をよぎったが、ここ数日のことを考えると、バカバカしいなんて安易な否定は出来なかった。
「……ん、ぅ……」
二人して難しい顔をしていると、ベッドで横になっていた歌恋が呻き声をもらした。
「歌恋!?」
「……ぁ……しゅ、ちゃ……」
薄く目を開けた歌恋。ハイライトの戻った瞳が、心配した顔で覗いている俺を映していた。
「うぅ……! かれえぇぇぇん……!」
「……ぁぅ……しゅ、んちゃん……くるしいよぉ……」
俺はなんかもう嬉しくて、堪らず歌恋の体を抱きしめる。
本当に嬉しくてたまらなかった。抱きしめながら、俺は自分のまぶたに涙が浮かぶのを実感する。
「おい駿坊! 抱きつくな! 気持ちは分かるが一回離れろ!」
俺と歌恋の抱擁は、脳天に手刀を振り下ろしてきた輝美先生によって引き裂かれた。
渋々離れる俺を尻目に、輝美先生が歌恋に問いかける。
「歌恋ちゃん。気分はどうだい? こいつのことが分かるということは、記憶に問題はないかな?」
「……えっと、はい……だいじょぶ、です。……あの、あなたは?」
「私の名前は天城輝美だ。君の担当医だよ」
歌恋の問いに輝美先生は優しい声で答えた。
俺のときとは段違いだ。……いや、俺のときも最初はこんな感じだったっけ?
「もう一つ教えて欲しい。君は、どうして病院のベッドで寝ているのか分かるかな?」
「て、輝美先生!」
起きたばかりでその質問をするのかよ!? と俺は慌てた。
さすがに今の歌恋には酷な質問過ぎる。
「しゅんちゃん……てを、にぎって」
「え? あ、ああ!」
安心したいと、歌恋は俺の手を求めてきた。
俺は優しく歌恋の手を握るが、三ヶ月間も寝たきりだったこいつの手は、触れただけで折れてしまいそうなくらい弱々しかった。
「おぼえて、ます。じこで、パパも……ママも……」
「……そうか。念のために確認を取りたかったんだ。辛い思いをさせてすまない」
歌恋は気にしてないという風に小さく首を振る。けど俺は、握っていた手が微かに震えているのに気付いてしまった。
「…………あのね、しゅんちゃんが……」
「え? 俺?」
「うん。あたし……ずっと、くらいとこにいたんだよ……。パパもママもいなくなって、むねがいたかった……。でも、しゅんちゃんの……こえがしたの……。だから、あたし……ひとりでも……さびしくなかった、よ……」
「歌恋……!」
俺は目頭が熱くなるのを感じた。
自分がしてきたことは無駄じゃなかった。暗く深い底に沈んでいた歌恋の心には、確かに俺の声が届いていたんだ。
それを実感出来たことで、俺のまぶたから涙が零れ落ちていた。
「よかったな駿坊」
「は……はい……!」
「しゅんちゃん……なかないで……」
涙を流す俺に歌恋が優しく声をかけてくれる。そんな当たり前のやり取りが、俺には嬉しくて仕方なかった。
歌恋が目覚めたことで、俺たちの止まっていた時間も慌ただしく動き出した。
リハビリに勉強の遅れ。そして、これから悩ませられることになるPTSDの症状もあった。それでも歌恋は、色々な人の支えを得て日常生活を取り戻していくことになる。
二年後――。
俺たちが集まったのは関東にある船着き場だった。
荷物を持った歌恋の前に立つ母さんが悲しそうな顔で話しかける。
「一人で星燐学園へ入学なんて大丈夫? なんだか私、心配だわ」
「まあまあ、落ち着きな母さん。歌恋ちゃんは一人でもやっていけるさ。薬の方は、向こうの病院でも処方してもらえるんだろ?」
「うん、おじさま。輝美お姉さんが連絡をしてくれたみたいで、すぐにでも受け取れるようになってるって言ってたよ。だからおばさまも、そんな心配そうな顔をしないで。あたしは大丈夫だから」
「うぅ……歌恋ちゃん!」
母さんが歌恋を優しく抱きしめる。二人の抱擁を見てると親父が俺の頭を撫でてきた。
「なんだよ?」
「良いんだな駿? あの子を行かせても」
「良いも何も、紹介状までもらったんだから行くのが当たり前だろ。俺に止める権利なんてねえよ」
「権利とか義務じゃねえだろ。男ならハートだっつーの!」
親父が自分の胸を力強く叩く。言いたいことはわかるが暑苦しいぜ親父。
そう思う俺だったが、ゆっくりと自分の左胸に手を置いてみる。玲奈さんの心臓がトクントクンと規則正しく鼓動を鳴らしていた。
「玲奈さんは大丈夫だって言ってる気がする。……まあ、確かに寂しくなるけどさ。あいつが選んだ道なら、俺にそれを止める気は全然ないんだ。俺に出来るのは、あいつが先に進むのを応援することだけだ」
「まったく……誰に似て、こんな斜に構えたかっこつけ野郎になっちまったのかね」
あんたに似たんだよ。と俺は心の中で呟きながら目を閉じる。
海風が心地良いな。俺の長めなもみあげを風がゆっくりと揺らした。
「駿ちゃん」
「ん? どうした歌恋?」
「あたし、夏休みには戻ってくるからね」
「ああ、わかってる」
「あとね。規則は厳しいけど、電話なるべくするからね。好き嫌いしないで食べるね。がんばって友達も作るよ。あと、えっと……」
まだ何を言おうとする歌恋だったが、出港の時間になっちまった。
「時間だぞ歌恋」
「……うん。あたし、駿ちゃんがあたしを助けてくれたように、この力で困ってる誰かを救ってみせるよ。駿ちゃんが困ってたら、今度はあたしが助けちゃうんだからね! だから応援してね駿ちゃん。……行ってきます!!」
歌恋は満面の笑顔で別れのあいさつを告げた。
ああ、そうだ。あれが俺の見たかった歌恋の顔だ。俺の手で取り戻したあいつの笑顔なんだ。
歌恋の笑顔を見て俺も微笑み返す。
「ああ、がんばってこいよ歌恋!!」
一年後。俺も同じく歌恋のあとを追うことになる。
そして、救いを必要とするあいつのため、俺は何度だって支える存在になってみせると再び誓った。
そう。あいつがずっと笑える未来を目指すのが、俺なりの幼馴染を支える理由なんだ――。




