第8話 嵐の前の静寂
「はあ……はあ……!」
「っはあ……! はあ……! くっ……はあ……!」
周囲も明るくなった朝方。俺と歌恋はジャージに着替えてランニングをしていた。
前を走っていた俺は、目的地である寮に着いたことで足を止める。振り返り、同じく走り終えた歌恋に声をかけた。
「……ふう、大丈夫か歌恋?」
「はあ……! はあ……! ふうぅ……! だ、大丈夫っ!」
歌恋はわき腹に手を添えて荒い呼吸を繰り返していた。俺への返事もやっとな感じだ。
「辛いのなら、距離減らしたりペース落としたりするがどうする?」
「う、ううん! このくらいなら……っ……全然ついて、いけるよ!」
必死に取り繕う歌恋だが息が整ってない。明らかに無理をしているのがわかる。
今回は指摘するより、強引に話を進める方が得策みたいだ。
「お前の気持ちはわかった。けど、距離とペースは落とすからな」
「え!? だ、大丈夫だよ! まだ駿ちゃんより少し遅れてるだけだもん!」
「あのなぁ、コンディションは日によって変わってくるものだ。今日が大丈夫でも、明日は身の調子が悪くなるかもしれない。ギリギリのハードルで続けてると無理が祟るぞ。あと、その榊坂との試合から痛めたままのわき腹! それを治せずに痛めるようなら、早朝トレーニングの話は止めるからな」
「あぅ……ば、ばれてる……」
歌恋が腹部を押さえていたのは、走るときに出るあの症状のせいじゃない。榊坂との一戦で負った傷が痛むからだ。
それを歌恋は隠していたつもりらしいが、俺にはバレバレだっての。
今回のランニングは、歌恋の体力や身体能力を調べる目的でやったもの。正直なところ、加減せずに走ったつもりだ。
最後までついてきても、肝心の歌恋がケガを庇って無理をしてるようじゃ意味がない。
歌恋は優しい性格だ。他人の顔色を伺ったり、我慢したり、すぐ無理をしようとする癖がある。
それを知ってる俺からしてみれば、こいつの本当の限界を知ることが、今後のトレーニングを行う上で必要不可欠だった。
「今日走った感じでお前の限界はわかった。それに合わせて今後のメニューを考えるが、異論はないか?」
「……異論ないです」
「ん、わかった」
俺の言葉に対して素直に従う歌恋。どのみち無理がばれてる以上、下手に言及しても意味がないと察したようだ。
息を整えた俺たちは、揃って男子寮と女子寮の間にある木陰に向かう。
「んじゃ、あとは軽くストレッチして終わりにするぞ。そこの綺麗なところに座って、足を広げてくれ」
「うん……最近してないから、だいぶ固くなってるかも」
「体をほぐすためにやるんだから、固い方がやりがいあるってもんだ」
歌恋が地面へ腰を下ろす。
ゆっくりと足を開き、開脚した姿勢になったのを確認。俺は歌恋の背中を少し強めに押していく。
「ん……くっ……! はぁ……はぁ……あぅ……!」
「ちょっと……というか、かなり固くなってるな。腰の辺とか特に。てか、それじゃあ辛いだろ? 痛い思いをしたくなかったら、もうちょっと力を抜け。俺もやりずらい」
「うくっ……! わかってるん、だけど……あうぅ……! 駿ちゃんにしてもらってるんだって思うと、余計に……力が入っちゃってぇ……! んくぅっ!」
圧迫されて苦しい、というよりも喘ぐような声を発する歌恋。
というか、俺だから喘ぐっていうのはおかしいだろ!
「もうちょっと声抑えろっての……! あと、変な声出すな。こんなところ他の奴らに見られたら噂されるだろ」
「……ごめんな、さい駿ちゃん……! でもダメ……ダメなのぉ……! うぅん! 声、抑えらんないよぉ……!」
「――ッ!」
歌恋の艶めかしい声を聞いて、俺の体が熱くなってきた。
いや待て! 俺も興奮すんなっての!
これはストレッチだ。柔軟運動だ。決してやましくない行為だ。
「駿ちゃぁん……!」
「うっ……!」
卑猥なことをしてる訳じゃないんだが、歌恋のセリフと息遣いのせいで変なスイッチが入りそうになる。
てか、このままだと色々まず――。
「もうそろそろ戻ってくると思って顔を出してみれば……」
「うひゃあっ!? エッチぃよ! トモくん! あの二人エッチぃことしてるっ!」
「な、なななっ!? お前ら、なんつータイミングで現れるんだよっ!」
と、そこへ運悪く、というよりもジャストなタイミングで現れたのは友明と愛奈だった。
友明の手には缶のスポーツドリンクが握られていて、隣に立つ愛奈は手に持つタオルで顔を隠している。
「と、友明くんに愛奈ちゃん……? はぁはぁ……なんで二人が……?」
俺が退いたことで、上体前屈から解放された歌恋。俺と同じように頬が赤く、焦点の合わない目で呆けていた。
「なんでって、二人が早朝トレーニングしてるの知ってるからだよ。そろそろ戻ってくる時間だろうと思って、キミたち二人労いに来たんだ。ってことで、これは歌恋ちゃんのぶんね」
そう言うと、友明は自分が持っていた缶を歌恋に手渡した。
「あ、ありが――冷たっ!?」
お礼を言いながら受け取るが、思った以上の冷たさに驚く歌恋。
まあ、今ので意識もハッキリしただろ。
「で、こっちは駿くんの。ほいっ!」
「よっと! サンキューな友明。ありがたくいただくぜ」
友明が放り投げた缶をキャッチした俺は。
「一応言っておくが、別にエロいことしてた訳じゃないからな」
と言って、缶のプルタブを開けた。友明も理解しているようで苦笑している。
「え、えっと……カレンちゃん! これで汗、拭いて……っ!」
愛奈が持っていたタオルを歌恋に手渡す。顔はのぼせたように茹で上がっていて、勘違いしたままなのが手に取るようにわかる。
「あ、ありがと愛奈ちゃん! ……あ、あの! そのねっ! こ、これは一種の気の迷いというか、なんと言いますでしょうか!」
「き、気の迷いなら仕方ないでござるね! 仕方ない仕方ないっ!」
って、何やってんだよお前ら……。
二人がアタフタしてるのを見かねて、俺も仕方なく会話に交ざった。
「えと、もう一枚は俺のぶんで良いんだよな?」
「へ? あ、うん! こっちはシュンくんので合ってるよ! こ、これ使って!」
愛奈はもう一枚のタオルを俺に手渡してきた。
「すまんな。なんか催促しちまったみたいで」
「いいよいいよっ! 元から二人のために持ってきたのだし……!」
愛奈に礼を言い、俺はスポーツドリンクを飲みながら汗を拭く。
煽るようにして飲み切り、そのままパポスで時間を確認した。
「そうか。もう七時半を回ってるのか。軽くシャワーを浴びて飯食うと……朝礼には間に合いそうだな」
「思ってたよりも時間が経ってるね……ゆっくり出来なくてごめんね」
俺の独り言を聞いて歌恋が謝ってきた。
「初日なんだから仕方ねえって。これから適切になるように調整するつもりだ。そんなに気に病むことじゃねえよ」
「うん。ごめ――つっ! 弱気になってすぐに謝るの、あたしの悪いクセ……!」
言いながら、喝を入れるように頬を叩く歌恋。気弱な発言を取り消すように気合を込めたらしい。
「でもすごいよ歌恋ちゃん。僕も愛ちゃんも、駿くんにはついていけそうにないからね。そういえば、二人はどれくらいの距離を走ったの?」
「時間としては……一時間半くらいか。距離は、えっと……二十キロくらいだな」
俺はパポスの歩数機能に関するアプリを開き、今回の移動距離を友明に伝えた。
「えっ!? 二十キロも走ったの!?」
「そ、それってカレンちゃんもだよね!?」
「うん。そだよ」
俺たちが走った距離を聞き、友明と愛奈が口を開いたまま固まった。
「ちょ、ちょっとシュンくん! いきなりそんな距離を走らせるなんて、カレンちゃんに対してスパルタすぎじゃないかなっ!?」
「だ、大丈夫だよ愛奈ちゃん! 今回はあたしの地力を測るために駿ちゃんのペースでやったんだけど、今日のであたしが無理してるのがバレてて……。走る距離やペースを少なくするって、さっき駿ちゃんが言ってくれたもん」
「え? そうなの?」
フォローする歌恋の言葉にキョトンとする愛奈。
「ああ、次からは歌恋の体力を考えて走るつもりだ。だから安心してくれ」
「そ、そういうことだったとは……。は、早とちりしてたのだ。ごめんシュンくん」
「別に良いっての。気にすんな」
「あはは! なんだかんだで、駿くんは歌恋ちゃんを中心に考えてる訳だね」
申し訳なさそうしてる愛奈の頭を友明が撫でる。
さり気なく、言葉と行動でフォローしているのは友明らしい。
「さて、汗も引いてきたし、部屋に戻ってシャワー浴びるか。二人とも色々サンキュー!」
「「いえいえ、どういたしまして」」
俺は友明と一緒に部屋に戻り、シャワーを浴びるのだった。
校舎へと向かう途中で、当たり前のように合流するいつもの俺たち。
別々のクラスである友明たちと別れ、二年B組へと足を踏み入れる。
俺は自分の席に辿り着くと、前の席に座る美鏡へあいさつし、カバンの中身を机にしまった。
といったところで、教室の窓際で歌恋が鹿島に話しかける場面を目にする。
そういえば、鹿島に朝一で謝れって約束させたからな。有言実行してくれたか。
二人の様子を、机に置いた手にアゴを乗せてボーっと眺める俺。
「えと、あの……そのね。か、鹿島さん! き、昨日はご――」
「ねえ竜胆」
「め……え? な、何……?」
歌恋が意を決して謝ろうとしたところで鹿島が制止した。
二人の会話に耳を傾けていた俺は、その続きを聞いて絶句することになる。
「この際、はっきりさせようと思う」
「は、はっきり?」
「そう。今日の放課後……ウチとリンクバトルしてよ」
「り、リンクバトル? あたしと鹿島さんが……なんで?」
は? 今あいつ、なんて歌恋に言った? リンクバトルだって?
「え? 何々? 鹿島サンたち何かするんスか?」
「なんか、あの二人が決闘するって話してるんよ」
「はあ? マジで?」
「ねえねえ! どっちが勝つか予想しない?」
「いやいや、あれじゃあ賭けにならないっしょ」
と教室内で各々が好き勝手に騒ぎ始める。
俺も黙っていられず、思わず立ち上がっていた。
「お、おい! それは一体全体どういうことだっ!?」
「……守住くん。そのまんまの意味よ。ウチと竜胆のどっちが上なのかはっきりさせるの。リンクバトルで」
「いや、だからはっきりって何をだよ! 実力か? リンク係数か? こいつがどんな立場なのか知ってるお前なら、証明も何もねえだろ!」
「違う。これはウチとそいつのプライドを賭けた戦い。どっちの威信や想いが上なのか、相手にわからせるための戦い」
ぷ、プライドって……女のプライドって奴か?
あまりにも突拍子もない言い分に、俺は困惑してしまい口を閉ざした。
「で、どうなの竜胆?」
「……どうって……言われても……」
「ウチの挑戦を受けて戦う? それとも守住くんの目の前でウチに負けて、彼から愛想を尽かされるのが怖い?」
「……っ!」
確信的な挑発だ。けど、それはあまりにも露骨過ぎる。
そんな安い挑発に乗るのは余程のバカか、純粋な憤怒に苛まれているのか。そのどちらかしかいない。
「……受ける。その挑戦受けるよ」
「お、おい歌恋!」
けど、歌恋はその挑発に乗った。
振り向いて俺を見る歌恋。その目は申し訳なさと一途な強さを宿していた。
俺を引き合いに出されたせいか。ったく、簡単に挑発に乗りやがって……。
仕方ねえ。んじゃ、俺がやるべきことは歌恋を全力でバックアップすることだな。
歌恋が下した決断に俺も覚悟を決めた。
あいつ自身が対峙する道を選んだんだ。それなら、バディである俺はそんな歌恋を後衛として支えるしかない。
「そう。じゃあ、放課後に校舎の入り口で集合ね。そこにあるオープンスペースのリングで決着をつける」
それだけ言うと、鹿島は自分の席へ戻った。
間を空けず、朝礼を知らせる鐘が鳴り響く。ドアから現れた春日部先生の一声で、二年B組は静寂を取り戻していく。
しかし俺には、それが嵐の前の静けさに思えて仕方なかった。




