プロローグ とある少女の深層心理
――少女はただ温もりが欲しかった。
名家と呼ばれる家柄のおかげで、少女の周りには常に誰かがいた。しかし、誰も彼女の心を満たしてくれない。
両親は仕事が忙しく、一人っ子だった彼女には兄弟もいない。側にいるのは雇われた家政婦のみ。
温もりを与えてくれない他人。それらを遠ざけていたら、いつしか少女は一人ぼっちになっていた。
そんな日々が続き、寂しいと感じ始めた頃。俯く少女が顔を上げると、シワくちゃな顔で笑う祖父がやって来た。
祖父は、親戚の集まりで見た彼女の悲しげな顔が忘れられず、居ても立っても居られなくなり会いに来たと言う。
少女はあとで知るのだが、彼女を元気付けるためだけに、遠方に住む祖父は近所のアパートを借りただなんて言うのだ。
突拍子もないことを平然とやってのける、顔見知り程度の老人。少女は、そんな豪快な性格の祖父をすぐに気に入った。
休みの日には、祖父が仲良くなった老人会の人も交え、昔の遊びなどを教えてもらった。
メンコにベーゴマ、羽根つきやあやとり。今まで一度もしたことのない古臭い遊びが、誰かとやるだけでこんなにも面白い。一人でやるゲームソフトよりも何百倍も楽しい。
幼い頃の少女の記憶は、優しき祖父との笑いが絶えない思い出ばかりだった。
しかし、少女が小学校五年生のときに祖父は亡くなってしまう。わき見運転による交通事故だった。
突然起きた祖父の死。彼女にはその意味が分からなかった。
「おじいちゃんが何か悪いことをしたの? ううん、そんなはずない! だって、あんなにも優しかったおじいちゃんが悪い訳がないよ。なんで……なんでなの神さま!?」
神様がいるのなら、なんでこんな酷いことをするのだろうか?
少女は祖父の遺体を見て思ってしまう。また自分は一人になっちゃった……と。
だが、ふさぎ込む彼女に向けて手を差し伸べる者がいた。それは祖父の妻である祖母だった。
幼い頃の彼女の記憶では、祖母はいつも眉間にシワを寄せ、鋭い眼差しを向けて指示を出す人。
プライベートでも、身内に対して線を引くような厳しい性格だった。祖父とは真逆の人間だ。
それでも少女の心を救おうと祖母は彼女の側にいてくれた。
そんな祖母は多くの人から慕われるカリスマ性を持ち、政界にも顔が利く存在。
祖母の地位を目当てに、取り入ろうとする大人たちは後を絶たなかった。
だが、彼女に相手をされなかったことで、今度は側にいた少女に取り入ろう画策する者たちが現れた。
あらゆる手を使い、少女のことを懐柔しようと企んだのだ。
少女は身に迫る恐怖を何度も体験した。知らない男に捕まりそうにもなったし、内緒でお金を手渡されたこともある。
もうたくさんだった。誰も自分に構うなと、嫌気と吐き気が湧いてくる。
そして、いつからか少女は『人間が汚らわしい』と感じ始めた。まるで残飯に群がるハエのようだと。
――やがて、少女は温もりを拒み始めた。
「自分に近づく者は道具だ。利用すべき価値がある。利害が一致しなければ、他人なんて、切り捨てるだけの存在に過ぎないでしょ?」
だから人なんてものを信用しない。
どうせ、どいつもこいつも上辺ばかりを取り繕うクズなのだ。それで生まれる孤独なら、ありがたく受け入れてやる。
温もりなんていらない。誰も与えてくれないなら、自分には必要のないものなんだ。
しかし、そんな風に思っていた少女が、初めて人を好きになってしまった。相手は名前すら知らない初めて見た転校生。
見た瞬間、胸の高鳴りを感じてしまうほどの高揚感に襲われた。一目惚れだったのかもしれない。
彼女にとって、それは初めて芽生えた未知の気持ちだった――。
暖かな朝日が降り注ぐ中、一人の女子生徒が桜並木を歩いていた。彼女は、星燐学園と呼ばれる高校に通う二年生だ。
染めたような茶色い髪。ボブ程度の長さの髪は、軽くカールさせたカジュアルな髪型をしている。
そんな彼女の十メートルほど前を、六人の生徒が歩いていた。男が三人に女が三人だ。
髪の色が誰一人として被っていないのは、ある意味奇跡だと言えよう。
楽しそうに談笑している六人の生徒。その中にいた一組の男女に、彼女の視線は釘付けとなった。
(あれは……)
少年の方は黒い髪をしており、少し長めなモミアゲが特徴的。
少女は外国人のようなブロンド色の髪だ。ポニーテールと呼ばれる髪型をしている。
その髪はとても長く、腰にまで届くほどだった。
(守住くん……に欠陥品の竜胆……!)
彼女は恨めしいと言わんばかりに歯ぎしりをする。すぐに何かを感じ取ったようで、少年が後ろを振り返った。
しかし数秒後。感じた違和感がなくなったのか、少年は引き戻されるように話の輪へと加わる。
「……鹿島さん。大丈夫でありますか?」
隣を歩いていた太めな男子生徒が、少女へ声をかける。
髪は黒の短髪。特に特徴的ではないが、顔付きはとても穏やかで、彼の性格が見ただけで分かってしまうようだ。
彼から鹿島と呼ばれた少女、鹿島桜花の視線が動く。
少しだけ隣を見て、彼女は冷めた顔付きで受け答えをした。
「は? あんた如きに心配されるいわれはないんだけど。調子に乗らないでほしいわね。布施部のくせに……」
「す、すみません。言葉が過ぎました」
威圧的な彼女の態度に臆したのか、布施部と呼ばれた少年は謝罪の言葉を告げた。
彼の態度を然程も気にしない桜花は独り言を呟く。
「あんたがいなければ……」
「え? 今何か?」
「違う……なんでもないわよ!」
「は、はい?」
問題はこいつじゃない。こんなやつなんかよりも、彼の隣に並び立つあの女が問題だ。
そう彼女の心がざわつく。
(あいつさえ、あの竜胆さえいなければ、きっと守住くんはウチに振り向いてくれるはず……!)
彼女の不穏な空気を布施部も感じ取ったようだが、それを指摘する勇気は、彼にはなさそうだった。
「……そうだ。あの女が消えればいいんだ。あんな、この学園じゃ使い物にならない存在なら……いっそのことお婆様に言って……」
ブツブツと誰にも聞こえない声で呟き続ける桜花。
その態度に異常性を感じているであろう布施部は、無言で彼女の隣りを歩き続けた。
死に損なった少年に訪れる新たな試練。その幕が、この瞬間からゆっくりと上がり始めていく。




