プロローグ 死に損なった少年の話
死に損なう:死すべき場面で死なず、生き残ってしまうこと
二千二十一年――今から三年前のクリスマス。
俺はその日、心臓を貫かれて死ぬはずだった。
雪が降る中で起きた事故。俺たちの乗る車が追突されることで起きた事故だ。
道路の先に横転したトラックが見えた。それが積んでいたであろう建築用の資材が、山のように積み重なって道路をふさいでいたんだ。
「おじさん! 前! ブレーキ!!」
俺の声で、運転席に座る九郎おじさんがブレーキを踏む。
まさに間一髪。ぶつかる寸前のところで車は止まることが出来た。
けど、後ろから来た車のブレーキが間に合わなかったんだ。
後部座席に座っていた俺はシートベルトを外し、後ろを見れたことでそれに気付く。
反射的に立ち上がって、隣に座っていた幼馴染を守ろうと移動した。あいつを庇うように前へ立ち、後部座席のシートへ両手を突くと。
「がはっ!?」
次の瞬間、背後から追突された衝撃で車が大きく揺れた。ガラスが割れる音に合わせ、もう一回大きく体が揺さぶられる。
追突された衝撃で、ふさいでいた資材にぶつかったのだとわかった。
道路に積み重なっていた鉄筋や鉄骨に当たり、車のフロントガラスが突き破られたのだと。
「あ、ぐぅ……!? 痛っ……?」
合わせて体に痛みが走った。なんでだ? と思った俺は、目を閉じて荒くなった息を吐く。
目を開いて左胸を見ると――鉄筋が何本もそこに突き刺さっていた。
なんだよこれ? え? ははっ……すげえことになってるな……。
その光景と血が滴る音が、当時の俺には他人事に思えて仕方なかった。
「駿ちゃん……?」
呟かれた名前。それが耳に届き、俺は朦朧としながらも顔を上げる。
かすむ目が捉えたのは、金色のポニーテールをした少女。そのおびえたような表情が映り込んだ。
俺を見たせいか? こんな状態だもんな。安心させてやらないと……。
途切れそうな意識の中でそう思い、俺はあいつに声をかけた。
「んな顔すん、な……歌恋。俺は平気だ。……お前は大丈夫か? ケガはな、いか……?」
飲み込む空気に鉄の味が混じっていた。
それでも俺は構わず言葉を続ける。幼馴染を安心させるために。
「……良かった……ケガはない、な」
それが限界。安心したのは自分の方だった。
歌恋にケガがないとわかって気が緩む。血反吐を吐き、俺の意識は暗い闇へと落ちていく。
守れた。それだけで充分じゃないか。と俺は満足していた。だけど――。
もしかして俺はここで死ぬのか? 死んでしまったら、こいつはやっぱり泣くよな?
ああ、それだけは絶対にダメだ。俺はそんな顔をさせるためにこいつを守ったんじゃない。
俺は、歌恋の笑顔が見たいから守ったのに。
浮かんだのは、死にたくないという後悔の念。
そんな俺の思いに答えるかのように、問いかけてくる声が聞こえてきた。
『――汝は生きたいのか?』
意識が途絶える直前で、そんな問いかけが聞こえてきて――。
『俺は……俺はあいつの側にいるために生きたい!』
なんて、意味もわからないまま願っていたんだ。
十三歳のときに迎えたクリスマス。幼馴染を守った俺こと守住駿は、その事故で死んだ――はずだった。
けど、なぜか手術中にバイタルが正常値に戻り、俺は新たな心臓を移植されて生き延びた。
執刀した医者ですら、未だにその理由がわからないらしい。
意識を取り戻した俺は、事故の顛末を聞かされて後悔した。
その事故がきっかけで失われた命と日常は、どうやっても取り戻せないものだと知ったからだ。
あの事故こそが、俺の生き方を変えた原因に他ならない。
だからこそ、俺はもう誰も失わないようにと誓いを立て、強くなることを選んだんだ。
これ以上、選択を間違えることで後悔しないように――。
「――い、大――かね?」
……うん? なんだ?
頭に声が響く。けど体は鉛のように重たく、少しも動いてくれない。
「ーーおい。おい君、大丈夫かね!?」
「え?」
体が揺すられる感覚。そして、大きめな声に反応して俺はまぶたを開ける。
目の前には心配そうな顔をした初老の男性。覗き込むその瞳には、黒髪で赤い目をした俺の姿が映っていた。
「えっと……あれ? 俺は――」
とっさに胸元を見るが、何の変哲もない黒いシャツを着ているだけ。鉄筋で串刺しにされていなければ、血も流れてはいなかった。
俺はまだぼんやりする頭を軽く振る。それにならうようにして、長めなモミアゲがあごに当たった。少しくすぐったい。
って、そんなことは今は良い。まずは状況の把握をしないと――。
俺は被っていた帽子のつばを上げて周りを見る。
目の前にいる男性の後ろには青く澄み渡る海。空を飛び交うウミネコの姿。
それに加え、潮が混じった匂いが鼻を刺激してくる。
俺はベンチに座っていた。ベンチの上には持参したスポーツバッグが置かれている。そこから記憶を辿るに。
「そうか。船に乗ったんだったな」
俺がいたのは船の甲板だった。
ある理由で船に乗っていたんだが、いつの間にか眠っていたみたいだ。
「うなされていたようだが、悪い夢でも見ていたのかね?」
「あ、その……よく覚えていなくて」
「ふむ……気分の方はどうだ? 辛いようなら人を呼ぶが」
「そっちは大丈夫です。気持ち悪かったりはしないので」
男性の心遣いに対し、俺は笑みを浮かべて答えた。
確かに精神的な部分での問題はない。けど、夢については覚えていた。
見ていた夢は過去に自分が体験したもの。忘れようもないトラウマと言える記憶だった。
「確かに顔色は悪くはなさそうだが……そうだ! さっき買った水だが飲むといい。汗をかいていたようだから、水分補給をしなければ」
「え? いや、でも……!」
男性は旅行カバンからペットボトルを取り出すと、それをこっちに差し出してきた。
断りを入れようとするも、男性は「いいから飲みなさい」と言って、無理矢理気味に手渡してくる。
「あ、ありがとうございます。じゃあ遠慮なく」
せっかくの好意を無下にするのもどうかと思い、俺は礼を言って受け取った。
未開封だったペットボトルに口をつけると、のどを通る水が体に染み込んでいくのを感じる。
「どうだね? 落ち着けたかな?」
「ふぅ……ええ、もう大丈夫です。あの、あなたの名前は?」
「私の名前かい? 私の名は十六夜凪。ただのジェントルマンだ」
冗談めかして微笑む顔は、初老でありながらも貫禄があった。
染められた髪も、薄く残る白髪と合わせて紳士的な印象だ。
声は力強くも優しさを含んでいて、より一層、この人の人となりを表しているように感じさせた。
「ジェントル……ユーモアのある方ですね。お水、ありがとうございました」
「何度も礼を言われるほどではないさ。そういう君はなんという名前だね?」
「俺は守住駿です。今日から白銀島にある星燐学園に転校することになっていて。それでこの船に乗ってたんですけど……どうやら眠ってしまったみたいで」
俺は言ってるうちに気恥ずかしくなり、頬を掻いて苦笑いをする。
「そうか。君が例の転校生……」
「え?」
「ああ、すまない。実は、私は星燐学園の教員をやっていてね」
「そうなんですか!? ってことは、俺が行くことになっている第一校に?」
「うむ。私もそこに向かう途中だ」
笑みを浮かべる十六夜さんの話を聞き、俺は嬉しさから頰が緩む。
学園に着くまで一人旅かと思っていたが、どうやら意外な同行者が現れたみたいだ。
「む? どうやらもうすぐ着くようだな」
「え? ……おお! でっけえ!」
俺は思わずベンチから立ち上がる。目の前には巨大な島が佇んでいた。
人工物と自然が七対三くらいで出来た島だ。とある特殊な能力を開発、育成する学園のために造られた巨大な人工島。
俺の前に立っていた十六夜さんが、その島をバックに両手を広げる。
「ようこそ守住君。国家プロジェクトによって造られた島。リンクの養成校、星燐学園を有するこの白銀島へ」
春の暖かな日差しが降り注ぐ四月。星燐学園で過ごす俺の学園生活が始まる……んだが、このときの俺はまだ知らなかった。
この島で過ごす一年が、俺や世界の運命を決めるなんてことを――。