38話 後夜祭開演
異形種との初遭遇&戦闘突入です。
また、グロテスクな表現がありますので苦手な方はご注意を。
今年の体育祭は一校の優勝で幕を閉じた。
興奮が冷めやらない中で行われた閉幕式も、すでに終わりを告げたあとだ。
そして病院から戻ってきた榊坂から、野々宮が目を覚ましたことを教えられた。
しかし、今すぐに込み入った話をするという訳ではなく、少なくとも野々宮が検査を終わるまで、例の話は待って欲しいそうだ。
という訳で、クラスの連中が「これから打ち上げとかしようぜ」なんて話をする中、俺と歌恋は母さんたちを見送るために港へと来ていた。
もちろん、榊坂からは了承と例の回復薬をもらい、すでに飲み終わってもいる。
「すまんな、見送りまでしてもらっちまって。これから打ち上げするんだろ?」
「いや、まだ話に上がってるだけで確定じゃねえし。それに、別件で二人して寄らないといけないとこがあってさ」
「何? もしかして、このまま歌恋ちゃんとデートでもするつもり? あらー、妬けちゃうわね」
「しねえっつーの!」
面倒だが、一応母さんの妄想を否定しておく。ぶっちゃけ言って、そんな甘ったるい話なんて微塵もおきないだろうしな。
ふと歌恋の方を見ると、どこか残念そうな顔をしていた。いや、そんな顔をされても俺は困る。
「まあなんだ。駿も歌恋ちゃんもだが、無理だけはするなよ? うちの愚息は面倒ごとにすぐ頭突っ込むから、申し訳ないが歌恋ちゃんが頼りだ。うちの息子のことをよろしく頼む」
「あ、はい!」
「む……」
反論をしたいところだが、この島に来てからのことを思い返すと、出来そうにないのがもどかしい。
そんな他愛もない話を続けていたところに。
「わうわう!」
と一匹の真っ黒な犬がやってきた。見た感じだと、犬種はボーダーコリーのようだ。
「わあ! 犬さんだあ!」
「どこから来たのかしら? リードを付けてるから飼い犬みたいだけど……」
「す、すみません! ミーくんがいきなり駆け出してしまって! お怪我はありませんか?」
続けて飼い主らしき女性が小走りで近寄ってくる。
元々そうなのか猫のような糸目をし、綺麗な長い金髪をなびかせる女性だった。服は少しダボっとしたTシャツとジーンズといったラフな格好だ。
「大丈夫ですよ。ただ近寄ってきただけですから。話に混ざりたかったのかな?」
そう言うと母さんは犬の頭を撫でた。
「ほほう? これはまた綺麗なお姉さんだ」
親父は親父でらしいことを口にするが、飼い主の人から見えない位置で母さんから尻をつねられていた。
「ほら、戻っておいでミーくん。あはは……ご迷惑をおかけしてすみません。私の名前は竜胆明菜と言います。この子はミーくんです」
竜胆明菜と名乗った女性は、自分の元に戻ってきた犬の頭をぽんぽんと撫でながら苦笑する。
「竜胆? 歌恋ちゃんと同じ苗字ね?」
母さんが頬を手を当てながら歌恋に視線を送る。
「母さん痛い痛い……。しっかし、偶然にも竜胆なんて珍しい苗字に出会えるとは。もしかしたら歌恋ちゃんの親戚だったりしてな」
「へえ? あなたも竜胆って名前なのね? んふふ、本当に遠い親戚だったりして?」
「えっと……どう、なんでしょうか? うーん、そうなのかなぁ……?」
視線を逸らす歌恋は、困惑したように返事をする。
そりゃそうだ。歌恋の本当の名前はカレン・ゲンティアーナ。
竜胆なんて名前の親族がいるはずがない。あり得る可能性すらないんだ。
「っと、お父さん! もうすぐ出航するみたいだから乗らないと!」
「マジか!? さっさと乗っちまわねえと。……おっと! マイサン! 夏休みには戻ってくるんだったよな?」
「ああ。歌恋と二人で戻るつもりだ。我禅師匠によろしく伝えといてくれ」
「OKだ。二人とも、に明菜さんもアデュー!」
そう言いながら、親父は颯爽と母さんのあとを追って船の中に消えていった。
「えっとぉ、竜胆さんは乗らないんですか?」
「乗らないよ。あと明菜でいいよ。あー、あなたの名前は竜胆ぅ……」
「歌恋です。竜胆歌恋」
「了解。覚えた覚えた。そっちのあなたは?」
「俺は守住駿です」
「うん。そっちも覚えたよ。実は、わたしは仕事でこの島にきたばかりだから、まだ船には乗ることはないんだ。それに今はミーくんの散歩中だからねー♪」
明菜さんはどこか嬉しそうな顔をして、犬と繋いでいたリードを持ち上げる。
「さて、二人にも用事とかあるだろうし、私はそろそろお暇するかな。またどこかで会えるといいね?」
手を振りながら笑顔で歩き出す明菜さん。
その後ろ姿を見送り、俺たちも出航する船を見ながら歩き始める。母さんたちの姿は……さすがに見つけられなさそうだ。
――んふふ、みーつーけたっ♪
「え?」
「ん? どったの駿ちゃん?」
人混みへと振り返った俺を不思議に思ったようで、歌恋が声をかけてきた。
「あ、いや……なんでもない。雨も降ってきそうだから、早めに戻ろうぜ」
曇天の空が目に入り、俺は歌恋を連れ立って歩きを再開させる。
明菜さんの声が聞こえた気がして振り返ってみたんだが、同じように見送りにやってきた人たちの波にまぎれてしまったのか、姿は見当たらなかった。
見つけたって何を? あのミーくんって犬がまた勝手に移動したんだろうか?
まさか船に乗った母さんたちを? いや、そんな訳ないか。
なんて疑問を浮かべながらも、俺は一校への帰路を急ぐ。
母さんたちが乗る船が二校の近くの港だったこともあり、ちょっと距離がある。
島内のバスや電車は混んでる時間帯だろうし、急がば回れが正解のはずだ。
俺はもう一度空を見上げる。ああ、これから一雨来そうだ……。
なんだかんだで、島の外周を巡る道を俺たちは歩いていた。
そうして二人して会話を挟みながら歩いていると、少し先に見知った女子の後ろ姿を見つける。
「よう鹿島。こんなとこで会うとは思わなかったぞ。今日はよく出くわすみたいだな」
「え? あ、守住くんに竜胆じゃない。そっちこそ、なんでこんなとこにいるのよ?」
「あたしたちは、駿ちゃんのお父さんとお母さんをお見送りしたあとなの」
「ああ、そういうことか。ウチも同じよ。まあ、両親じゃなく使用人たちを、だけどね」
鹿島は眉毛をハの字にして目をつむった。
単に忙しかっただけなのか、それとも祖母である理事長のときみたいに溝があったりするんだろうか?
「まっ、今はウチの事情なんかいいのよ。あ、そうそう! クラスの子たちが、ルネのグループチャットの打ち上げ話で盛り上がっててね。守住くんたちも一緒に来る?」
「もうやるの確定してるのか?」
「流れ的にほぼ確じゃない?」
「そうか。んー……すまん。ちょっと榊坂と会う約束があってな。そっちの用事が終わったら顔出すかもしれない」
とはいえ、どれくらい例の話に時間がかかるのかが問題だ。
「ふーん? 竜胆も?」
「う、うん」
「あっそ。そりゃ残念」
「残念? えっと、鹿島さんはあたしも来れないのが残念だったり?」
「へ? ち、違うわよ! クラスの女子連中が「竜胆さんも来るかな?」って話してたから、いい報告が出来そうになくて残念だってこと!」
ツンデレ乙。と言いたいところをグッと堪える俺。
「って雨降ってきてる?」
「ん? ……あ、ホントだ。降ってきちゃった」
「降ってきたって言ってもまだ小降りだな。ちょっと小走りで戻ろうぜ。本降りになる前に校舎に着ければ良いんだが……」
そんなこんなで、俺たち三人は小走りで街中を駆けることになった。
いくつかのコンビニや飲食店を過ぎ。
「あっ、ちょっと待って二人とも!」
「どうした鹿島?」
鹿島が脇道の前で足を止めた。
「ここの路地通ると近道なのよ。だからこっちから行きましょ」
「そうなのか?」
「ふっふっふ、もちろん! この島はウチにとっては庭みたいなものだしね。このくらいのマッピングなんて余裕よ」
自信満々で路地裏に入る鹿島。
迷っている時間も惜しいので、俺たちはその後ろについて行く。
「……あれ?」
何か違和感が生まれる。何がと聞かれると困るが、とにかく変な感覚だった。
「駿ちゃん?」
「あ、おう」
先を行く二人と離れる訳にもいかないので、俺はその違和感を拭い去って小走りで追いかける。
「……はあはあ! ま、待ちたまえ!」
「ん? なんだ?」
しかし、少し進んだところで背後から男の人の声が聞こえてきた。振り返ると――。
「待つんだ君たち。その先に行ってはいけない」
スーツを着たサラリーマン風の男の人が俺たちを追いかけてきた。
「何よこの人?」
「さ、さあ……?」
「何の用ですか? 俺たち学校に戻るとこなんですけど」
「すまない、事情は言えないんだ。頼む! 俺と一緒にここを出よう!」
そう言うと、男の人は歌恋の腕を掴んで踵を返す。
「い、痛っ!」
「っ! その手を離せ! なんなんだあんたは!?」
無理矢理歌恋を連れて行こうとする手を解き、俺は間に割って入る。
「くっ! 君なんだ! 君がダメなんだよ! このままだと時間が……!」
男の人は俺を指差して声を荒げるが、すぐにその手で自分の頭を掻き始める。
何を言ってるんだこの男は?
もしかしてクスリとかやってる危ない人なのか?
考えても仕方ない。ここは俺が後詰を務めて二人を先に行かせよう。
「二人とも走れ! 俺もすぐに追う!」
その言葉に歌恋が即座に反応した。
鹿島の手を取り、路地の奥に向かって走り出す。
「ちょっと竜胆!?」
「なっ!? くそっ!!」
「あんたは行かせねえよ!」
俺はこの男を行かせないように立ちふさがる。
しかしマズいな。魔力は回復出来たものの、体力なんて今日一日のせいでガス欠状態なんだっつーのに。
なんとか歌恋たちを逃して、俺自身もこいつを撒かねえと。
「今は事情を話してでも……! いやしかし、ここであの方の名前を出しては計画が……! それに奴に気付かれてしまっては元も子も――」
なんなんだよいったい?
この男はどうしたいん……だ? うっ!? なんだこの匂い!?
俺は堪らず鼻と口を手で押さえた。
苦いようで甘いような。それでいて酸味があって、鼻にツンとくる刺激臭みたいな匂いがする。
まとまらない感想だが、とにかく気持ち悪くなってくる匂いだった。
「おえっ! 気持ちわるっ……!」
「うぐっ!? この独特な匂いはまさか……!」
男の人は背後を振り返る。俺も気になって男の人の後ろを凝視した。
そこには黒いスモッグみたいなものがあるような気が……。
「あ、あああ……! 最悪だ……よりにもよって奴だなんて! 俺では相性が悪すぎる……! あの方の伝令役なのがバレて? それともすでにこの少年に狙いを定めて? ……違う。誘われていたのか? 初めから俺もこの少年も……くっ…………走れ……」
「へ?」
「走れえッ!! このまま女の子たちと一緒に路地を抜けて逃げろ!! 死にたくないなら行けえッ!!」
状況が良くわからない。何を言っているのか意味不明だ。
なのに俺の体は、何かに弾かれるようにして自然と歌恋たちのあとを追っていた。
さほどの時間もかからずに歌恋たちに追いつく。
肺や足が痛みを訴えるのを無視して、振り返った二人が無事なのを確認する。
「あ、駿ちゃん!」
「え? あー、よかった。あの男は撒けたの?」
大丈夫だ。こいつらに何かがあった訳じゃなさそうだな。
ならあの人は何に怯えて? 怯え……ん?
「ひっ……!?」
「な、何よそれ……!?」
俺を見ている二人の表情が引きつったものに変わった。明らかな怯えだ。
しかし、正確には俺の背後を見たことで顔色を変えたんだと気付く。
俺も二人の視線を追うようにして振り返ると。
「……は……?」
薄暗い地面に頭が転がっていた。
え? いつからそこにあったんだ? 音はしなかったぞ。
俺は偽物じゃないかと目を凝らす。
目は虚で口はだらしなく開いている。そして、頬は何かに噛みつかれたのかえぐられており、中の歯茎が剥き出しになっていた。
「……っ!?」
そうして気付く。これが、さっきまで話をしていた男の頭なんだと……。
噛み千切られたように切断された首からは、まるで水道の蛇口を閉め損なったように液体が滴り、地面へと広がっていく。
そう。見間違うこともない赤。血そのものだった。
鼓動が早くなる中、俺たちが走ってきた路地の方からカチカチと、さっき会った犬と同じ、爪を鳴らしたような足音が近付いてくる。
「グルウウウ……!」
低い唸り声。イヌ科の動物のような声だ。
野犬? はたまた野生の狼とか? いやいや、こんなとこにいる訳ないだろ。
そんな安直な予測をした自分を、数秒後には殴りたくなった。
もっと早く気付くべきだったんだ。犬とかそんな生易しいものじゃないと。
「グルウフゥゥ……アグゥガアアアアアァァ…!」
目が慣れてきたのか、動物のような何かの顔がわずかに確認出来た。それが口を上下に開き、開いた下顎の部分が左右に割れる。
そして、口の中から現れた矢印のような形をした長い舌が、コンクリートの地面に転がる生首のこめかみを貫くと、巻き取られるように口の中へと収納されていく。
そこから聞こえてきたのは……グチャ、バキッと頭部を噛み砕いていく耳障りな音。
その咀嚼音と口元から滴る血の色が、俺の神経を逆撫でする。吐き気が止まらない。
そんな中で本能が告げる。心臓が叫ぶ。
俺たちは、今からあのバケモノに殺されてしまうんだと――。
「はあ……はあっ……! 逃げろ……二人とも逃げるんだ……」
「し、駿ちゃん……?」
「早く逃げろおッ!!」
俺の声に反応したのか、バケモノの鋭い舌がこっちに向かって一直線に伸びる。
「――くそがッ!! 風盾ッ!!」
俺はとっさに、防御魔法である風盾を展開させて応戦した。




