第8話 予期せぬ再会
駿が友明との捜索を手伝うよりも、二十分ほど時間を遡る。
食事を終わらせ、歌恋と愛奈は中庭にあるベンチに座って談笑していた。
暖かい穏やかな風が吹き、歌恋が「ふあぁぁ……」と八重歯を覗かせながら欠伸をする。
それを見た愛奈が動物みたいで可愛い欠伸だなぁ。と微笑んだ。
「眠くなっちゃった?」
「うぅー……少し」
「ご飯食べたばかりで風に当たってると、眠くなるものねー。ふぁー……私も眠くなってきたかも……」
歌恋の欠伸につられるように愛奈も欠伸を一つ。口を押えながらも、愛奈はパポスで時刻を確認した。
(一時半か……トモくんの用事は終わったのかな?)
ルネを起動させた愛奈がメッセージを送る。
(もう用事終わった? 終わってるなら教室に向かうよ。っと)
少し待つと友明から返事が来た。
内容は、もう少しだけ時間がかかるからゆっくり来て欲しいとのこと。
「友明くんから?」
通知音を聞き、眠たそうに目を擦りながら尋ねる歌恋。
「うん。待ち合わせ場所にはゆっくり来ていいよーって、返事が来たのだ」
「そなんだ。じゃあ、もう少し休んでから教室に向かう?」
「そうだね。眠っちゃわないようにしないといけないねー……」
と言うものの、眠気に負けてしまいそうな声を出す愛奈。
そこから、ゆったりとした時間が二人を包み込む。
だが、その平穏は思いもよらない事態によって引き裂かれてしまった。
「――っ!」
ベンチに背を預けて和んでいた愛奈だったが、唐突に起き上がる。
その顔は緊張感に包まれ、汗を掻いていた。
「あ、愛奈ちゃんっ?」
愛奈の様子が普通でないことに気付いたようで、歌恋がベンチから背を離す。
「ごめんカレンちゃん。やっぱり、先に教室へ行ってて」
「ど、どして?」
「お願い。私の口から言わせないでカレンちゃん」
ただ事じゃないその声に歌恋にも緊張が走ったようだ。
だが、それを放っておけるほど彼女も薄情ではないようで。
「何かあったのならあたしも手伝うよ。教えて愛奈ちゃん」
「……大丈夫。カレンちゃんを巻き込む訳にはいかないから」
「愛奈ちゃんっ!」
歌恋が泣き出しそうな顔で愛奈に訴える。
「う……わ、わかったよぅ……」
中々引き下がらない歌恋に、愛奈が痺れを切らして事情を話した。
「……トイレに行きたくなった」
「ふぇ?」
「……だから、長くかかる方のおトイレに」
「あー……」
やっと理解が追いついた様子の歌恋。なんとも言えない顔付きだ。
「もしかして、それが理由で先に行けって言ったの?」
「そういうことです……」
愛奈が顔を真っ赤にしながら視線を逸らす。
「……わかった。待つって言うのはさすがに酷だよね。気は進まないけど、一人で向かうことにするよ」
「ご、ごめんよぉ……! うぅっ! お、おなかがやばい……! トイレ行ってくるっ!」
「お、お大事にー…………はぁ……」
お腹を押さえ、そそくさとトイレに向かって走り出す愛奈。
「うぅ……嫌な予感がする。薬飲んでおこ……」
その背後で、歌恋が憂鬱そうな顔で歩き出していた。
「あっぶねー! 間一髪だったー!!」
用を無事に済ませた愛奈。手を洗いながら、女の子らしくない言葉で安堵している。
しかし彼女が手を拭いていると、急に音楽が鳴り響いた。
「うひゃっ!? だ、誰!?」
鳴ったのはパポスの着信音だ。
驚いた拍子にハンカチを落としそうになるが、なんとかキャッチ。愛奈はついでとばかりに画面を見る。
映し出された名前は『マイダーリン』だった。大庭友明のことである。
(トモくん? あ、そうだった! 返事を返してなかったっけ……)
先ほどのチャットで返信をしていなかったことに気付き、愛奈はすぐさま通話に出る。
「と、トモくん? ……今? 今はね――」
とっさに通話を繋いだ愛奈だったが、ここがどこなのかを思い出してしまう。
「ーー℃〇&%×¥#ッ!?」
声にならない声が愛奈の口から出ると、反射的に通話を切っていた。
いくら用を足し終わったとはいえ、デリケートな空間で通話をしてしまったのだ。
その事実が、彼女の冷静な判断を奪ったのである。
羞恥心に苛まれた愛奈は、ショックから友明の通話に出なくなってしまう。
このことが、事情をややこしくさせる原因の一つとなっていた。乙女心とは、かくも複雑である。
一方、歌恋は指定された教室を目指して廊下を歩いていた。
「はぁ……」
校内を歩いていた歌恋は、中庭から何度目かとなる溜め息を吐き出す。
(誰もいない。夜じゃないからマシだけど、やっぱり不安になるよぉ……)
愛奈と別れてから五分ほど経っていたが、ここまで誰にも会えていない。
「……うぅ」
彼女の心に不安な気持ちが押し寄せる。誰かに側に居て欲しい。一人は嫌だ。
そんな自分を誰かに理解して欲しいと、支えてもらいたいという欲求に襲われる。
これは、彼女を蝕む一種の病気だった……。
歌恋にも症状の原因は分かっているし、すでに病院から薬も処方済みだ。
だが薬の効き目が現れるよりも先に、さらなる症状が不安になる彼女を襲った。
「――あっ!? だ、ダメ……! やだ……嫌ぁ!」
耐えきれずに歌恋は自分の肩を抱きかかえる。
脳裏にこびり付く彼女の忌まわしい記憶が蘇った。
視覚が、聴覚が、嗅覚が、味覚が、そして触覚が。彼女のトラウマである『事故の日』の記憶を呼び覚ました。
――お前があんな提案をしなければ、今頃みんな。……お前のせいだ。
――彼まで傷付けておいて、あなたがのうのうと生きてるなんて……。
あの事故で失ってしまった母親と父親。その二つの死が、自らの心に重くのしかかる。
(嫌ぁっ……! うぅ……あの日のことが忘れられない……! パパ、ママごめ……ごめんなさいっ! あたしだけーーぐうぅっ!?)
感覚に耐えるよう歌恋は自らの頭を抱え込んだ。
「はあっ! はあっ! っはあぁ……!」
時間にして十秒ほど。なんとか歌恋はその脅威から脱した。
欠乏した酸素を求め、肺がすぐさま活発に働く。
それに伴って開かれていた瞳孔が、震える手足や唇が、正常な状態へと戻っていった。
(うぅ……! は、早く……友明くんがいる教室に行かなきゃ……! 怖い……怖いよ駿ちゃん……!)
自然と駿の顔が浮かんだ。歩行の速度が上がり始めたところで、パポスの着信音が鳴った。
驚く歌恋は、不安を押し殺しながらも通話に出る。
「も、もしもし友明くんっ? 今そっちに向かってるよ!」
知り合いからの着信で若干の余裕が生まれる歌恋。即座に通話に出た歌恋だったが、繋がったはずの友明から返事がない。
「……? と、友明くんっ!?」
早まる動悸を抑えながら尋ねるが何一つ反応が返ってこない。
「な、なんでっ!?」
不審に思った歌恋が、腕を持ち上げてパポスの画面を確認した。
「……あ、あれっ?」
モニターが展開されない。というよりも、時計自体の画面や側面のボタンを押しても、起動すらしなかった。
なんとなく察した歌恋だったが、念のために起動ボタンを長押しする。
時計の画面に出てきたのは『充電してください』と意味するアイコンだけだった。
「そんな……充電切れ? あ……」
昼食前に寮へ戻ったときにパポスを充電するつもりだった歌恋。
しかし、買ったばかりの靴を試着しては感触を確かめるのに夢中になっていた。
気付いたときには学食に向かう時間になっており、愛奈もいるから充電しなくても大丈夫なはずだ。と油断したのがこの結果である。
(ど、どしよう……愛奈ちゃんにも友明くんにも連絡が取れないよぉ……!)
一度は堪えた歌恋の心が再び不安で膨れ上がる。
「と、とにかく教室に行って合流しなきゃ! 友明くんに会わないとっ!」
そう結論付け、歌恋は急いで教室へと歩を進める。
本人すら知らぬ間に、進む速度は早足から駆け足へと変わっていた。
俺は壁にもたれて目を閉じる。別に寝ようって訳じゃない。精神を研ぎ澄ませて集中してるんだ。
周囲の気に意識を傾けることで、気のやり取りが行われている場所を確認した。
呼吸によって行われる変化。生命の放つ気配を逃さないようにして探る。
……あれから時間が経ってるおかげで、追ってきた奴らはいなさそうだな。
改めて周囲の気配を探り、対象をここへ向かう人間だけに絞り込む。
範囲内に入ってきた該当者が――ビンゴ! 小走りで近付く存在があった。
焦りが感じ取れるな。急いでこちらに向かってる感じか?
友明の知り合いが、急に連絡が取れなくなったとかでこっちへ向かってる?
順当に向かっているのなら、三十秒と経たずに着く感じだ。
俺は目を開き、これから顔を合わせる相手への質問を考える。
友明が捜しに向かったこと。一人で来たのなら、もう一人の知り合いはどこにいるのか。
可能なら同行してもう一人を捜す必要もある。
さてさて、友明の知り合いとやらにご対面だ。
壁から背を離すと、予想通りのタイミングで扉が開かれる。だが、その人物までは予想していなかった。
「と、友明くんいるっ!?」
「友明は今探しに――」
「「……え?」」
俺は一瞬で頭が真っ白になった。なんでだ? なんでこのタイミングなんだと自分の目を疑った。
「歌恋なのか?」
「駿、ちゃん……?」
シーンと静まり返った教室。俺も歌恋も固まったまま動けない。
それでも歌恋は、信じられないものを見たかのような表情をし、サッと顔を逸らしてしまった。
「歌恋……」
俺は距離を詰めるようにして、一歩また一歩と近づく。
歩きながら、最初に顔を合わせたときもこんな風によそよそしかったなぁ。と記憶を掘り返す。
出会った頃の歌恋は人見知りが激しく、自分から主張するタイプじゃなかった。
そんな歌恋が道場に来た初日。まだ幼かった俺は、師匠から歌恋の世話係に付くように命じられた。
いきなりのことだったのもあって、俺はあいつの挙動を指摘した。それがあいつを見た瞬間、一気に態度が変わったんだっけ。
西洋人形のような可憐な顔立ちと真っ白なワンピース。どこか儚げな姿のあいつを見て、俺は可愛いと思って顔が熱くした。
まごうことなく一目惚れってやつだ。
それから、自分から何も言わない無口な歌恋に対して、少しやきもきすることもあった。
だが、格闘術への飲み込みが早いこと。そして、話していくうちに少しずつ懐き始めたことが嬉しかった。
俺自身、そんな歌恋に惹かれたのは恥ずかしくもあるが、当然だと思ってる。
そんな幸せな日常はあの日を境に壊された。今から三年前に起きたクリスマスの事故でだ。
歌恋の両親が亡くなり、そして俺たち二人の価値観と人生も変わってしまった出来事……。
「……どう、して? どうして駿ちゃんがここに、いるの……? あたし、駿ちゃんに会わないようにって、ずっと我慢……してたのに……」
昔のことを思い出し、感傷的になりながらも俺は歩く。そんな俺に、今にも消えてしまいそうな歌恋の声が届いた。
あいつの表情は、俯いてしまったことで確認することは出来ない。きっと、いろんな感情が混ざった顔をしているはずだ。
「歌恋……俺、リンクの能力に目覚めたんだ」
「え……?」
歌恋が反射的に顔を上げる。その顔は悲痛な、それでいて焦燥したような表情だった。
「リンクに? ……なんで? なんで今なの!?」
歌恋が信じられないと言いたげな顔で聞いてくる。
「それは……」
歌恋のこんな表情は久し振りだった。必死な顔を見て俺は言葉を詰まらせてしまう。
「地元を離れて、一年経つんだよ……?」
「ああ」
「遅い……遅すぎ、るよ……!」
そう言うと歌恋は再び俯いてしまった。
遅い? 遅かったのか……?
俺が会って話がしたいと思ってたこいつには、この再会は遅すぎたってことなのか?
「ごめん。けど、俺にもどうしようも――」
「わ、わかってるもん! どうしようもないことだって……! リンクの覚醒は、願って叶うものなんかじゃないって……!」
堪え切れなくなった歌恋が、ゆっくりと膝から崩れ落ちた。
「歌恋……!」
遅かったという歌恋の言葉が、胸に刺さって痛い。
この一年で、歌恋は俺に激情をぶつけるほど追い詰められていたのか?
冬休みの帰省のときも変だった。春休みの電話もそのせいで?
「なあ、教えてくれ歌恋。何かあったんだな? お前に何があったんだ?」
片膝を突いて歌恋と目線を合わせる。
「……っ」
「歌恋頼む! 教えてくれ!」
「…………あたしね、今は誰ともバディを組めてないの……」
俺の思いが届いたのか、俯く歌恋がゆっくりと口を開いた。




