#5
その瞬間、時間はゆっくりと流れていた。
『隻腕』の襲撃に晒された村の救援へと駆け付ける為、愛と阿国、そしてお絹と綾の母娘は山道を下っていた。そこへ一匹の《マガツタマ》、『百目』が突如として出現。『隻腕』との戦いで消耗していた愛と阿国は、その気配に気付く事が遅れて接近を許してしまう。
『百目』は大木の如き豪腕を振るい、綾の華奢な身体を吹き飛ばす。骨が折れ、内蔵が潰れる鈍い音が周囲に響き渡り、そして少女の小さな体躯は木の葉の様に宙を舞った。
誰の目から見ても、即死である事は明らかだった。
綾の母、お絹は余りにも悲惨な娘の末路に金切り声を上げ、愛と阿国は《鬼降ろし》によって《鬼》を呼び出すと同時に絶叫する。
愛の《鬼》、『夏雪』が放った幾筋もの光線が『百目』の胴体に無数の風穴を穿ち、阿国の『雲薙』が鋸で脳天から両断。三人の声がこだまして鳴り止むよりも早く、真っ二つになった『百目』は大量の血液を撒き散らしながら地面へと突っ伏した。
しばしの静寂の後、お絹は綾の亡骸の前にフラフラと歩み寄る。震える腕で抱き上げた娘の四肢は力無く垂れ下がり、光を失った愛らしい両目はどこか遠くを見つめるのみだった。
「・・・あや・・あや・・あや・・あや、あや、・・・あや・・っ」
お絹は焦点の定まらない瞳で綾の顔を覗き込み、噛み合わない唇でその名前をひたすらに繰り返す。彼女は雨で濡れた娘の前髪を優しく撫で、徐々に冷たくなっていくその小さな遺体を力一杯抱き締めた。やがてお絹は現実を理解し、土砂降りの雨の中であってさえそれに混じり合う事のない大粒の涙を流し始める。
「なしてっ・・なしてだっ?・・なしてだ、綾ぁぁぁぁ・・っ!」
子に先立たれた親の、身を引き裂く様なしゃがれた叫び。心臓を鷲掴みにされる感覚すら覚える悲痛なその声は、聞く者の耳にいつまでも残って反響する。
嗚咽を漏らし続けるお絹の背中を見つめながら、愛は膝から崩れ落ち、阿国は立ち尽くすだけだった。掛ける言葉など、あろうはずもない。
ごくありふれた悲劇だ。今や三途の河原は、石を積む哀れな魂で溢れかえっている。
だけどそれが嫌で、それを止めたくて戦っていると言うのに。また目の前で命の灯火が消えていく。一体、何度後悔すればいい。
確かに多くの命を救ってきた。自覚はあるし、自負もしている。けれども、全てでないと意味が無い。それが出来ないと言うのであれば、何が《歩き巫女》か、何が《鬼降ろし》か。
阿国は眉間に皺を寄せて俯き、愛は何も言わず静かに泣いた。
雨の勢いは衰えず、苛む様に二人の肌を打ち付ける。彼女たちはただ、贖罪の如く全身でその痛みを受け入れていた。
果たしてそれを妨害する行為というのは、救いだったのか、追い打ちだったのか。
悲しみに暮れる三人と小さな遺体は、瞬きをする一瞬のうちに深い闇の空間へと引き摺り込まれていた。
「・・これは・・っ」
阿国の驚愕した声に、愛もハッと顔を上げる。先程まで自分たちは山道の真っ只中に居たはずだ。それが今や、まるで虚無の世界へと迷い込んだ様な暗闇の中に立っている。
黒はどこまでも続いているが、お互いの姿はハッキリと見て取れる。雨粒は重力から解き放たれ、煌く星の如く空中を玉となって浮かんでいた。自分たちだけが時間の狭間に取り残されてしまったかの様な不思議な感覚。こんな状況でなかったなら、それはとても幻想的な光景であった事だろう。
だがしかし、愛と阿国はこの謎の空間に薄ら寒い何かを感じる。こんな場所へ来た事など勿論無い。初めて遭遇する現象だ。だと言うのに、生物的な本能か、《歩き巫女》としての霊的な勘か。脊髄を駆け上る漠然とした危機感は、鳴り止まない警鐘となって脳内で炸裂する。ここに居てはいけない。一刻も早く脱出しなくては。しかし、どうやって?
「お絹さんっ!」
少し先に座り込んだお絹の背中に愛が叫ぶが、彼女は微動だにしない。綾の亡骸をその腕に抱いたまま、お絹は虚空を見上げていた。その乾いた唇が、微かに動く。
「・・・綾を、助けてくれるだか?」
「・・お絹殿?」
愛と阿国の二人には、お絹が暗闇に向かって独り言を呟いている様にしか見えない。しかしそこには、目には見えずとも何らかの存在を感じる事が出来た。お絹はその何かと会話をしているのだ。恐らく、この空間を創り出した何か。お絹は語り続ける。
「この子は、おらの宝だ。・・おらの・・」
瞬間、闇が引き裂かれ別の空間が現れた。そこには若き日のお絹の姿がある。これは彼女の記憶か、具現化した心の風景か。愛と阿国は全天周に映し出されたその光景に唖然とし、そして次第に見入ってしまっていった。
辺りに《マガツタマ》が出没する事が珍しかった、穏やかな時代。戦国乱世の空気は徐々に迫りつつあったが、山奥の村では平和な暮らしが営まれていた。
ひとりの少女がいた。名をお絹といい、生まれつき病弱な彼女は一日を床の上で過ごす事も多かった。両親も村人たちも優しかったが、彼女は何の役にも立てない自分自身に歯痒さを募らせていく。そんな時だ。あの旅人がやって来たのは。
旅人は豊富な薬草の知識を活かし、お絹を畑仕事が出来る程にまで回復させた。やがて二人は惹かれ合い、旅人はこの村に腰を据える事となる。
二人は仲睦まじかったが、なかなか子宝には恵まれなかった。元々身体の弱いお絹にとって出産はまさしく命懸けであったが、それでも彼女は子供を欲しがった。幾分持ち直したとは言え、お絹が常人よりも虚弱である事に変わりはない。病のひとつでも患えば、自分はあっけなく逝ってしまうかもしれないのだ。だからこそ、彼女は証を欲したのである。
「おらが生きた、あの人と愛し合った、その証を」
それはお絹にとって奇跡だった。自分とは違い、身体が丈夫で元気な女の子。産まれてきてくれた。自分も平気だ。旅人は泣きながら喜んでいる。
ああ、なんて、なんて幸せだ。これ以上無い位、最高の結末ではないか。
「この子の為なら、おらは、命だって捨てられる」
やがて女の子はすくすくと成長し、だがその頃、村の周辺では化け物が頻繁に現れるようになっていた。山へと入り野草を摘む事も、狩りをする事も最早難しい。食料は日に日に少なくなっていき、その煽りを食らうのはいつだってか弱い者たちからだった。
彼女と娘は、同時に倒れた。飢えるまでとはいかなかったものの、満足に栄養を摂れていない身体は僅かな弾みで調子を狂わせる。今や夫となり父となった旅人は、愛しい者たちの窮状を救う為、危険を承知で山中へと飛び込んでいった。
彼は骸となって帰ってきた。その腕に、二束の薬草を握り締めて。
「守っていかなきゃなんねぇ・・あの人の、分まで」
この子は、あの人にとっても命を懸けて守りたい存在だった。この子は、あの人にとっても生きた証だった。途中で投げ出す事など許されない。託されたのだ。受け継がなければ。
心も身体も弱い自分だけれども、それを言い訳にはすまい。立派に育ててみせる。
優しく、元気で、誰からも愛される素敵な女の子に。
命を、知識を、想いを紡いでいく。糸と糸とが絡み合い、やがてそれは鮮やかな模様を描き出す。どうかこの子の未来が、彩り豊かなものでありますように。
「ねぇ、綾」
はらはらと涙が溢れる。痛い程に伝わってきたお絹の想いに、愛と阿国は目を見開いたまま泣き佇んでいた。
やっとわかった。ここは、かつて自分たちの母親も招かれた場所だ。子を思うが故に、その子供の為なら彼女たちは神にも悪魔にも縋る事だろう。彼女たちがそれらと取引した場面を直に見た訳ではないが、この空気感は知っている。これから何が起きようとしているのかも。だからこそ、この空間が恐ろしくて堪らなかったのだ。部外者でありながら当事者でもある、自分たちにとっては。
呼び寄せてしまったのだ。四人の少女たちのものでもない、敵として現れた『隻腕』でもない、第六の《鬼》を。
お絹という女性は、自らの命と引き換えに綾を蘇らせようとしているに違いない。
「・・お絹さんっ!」
流れ出る涙を拭う事もせず、愛が叫ぶ。
「・・それでも、やめて下さい。確かに、それでその子は生き返る・・っ!」
自分たちが、かつてそうであった様に。
愛の言葉に阿国が続く。
「・・だが、幸福にはなれんぞ!決して・・っ!」
自分たちが、今尚そうである様に。
《鬼》を宿した人間は、一生を戦いに費やす運命にある。その相手は《マガツタマ》であり、ともすれば同じ人間であり、向けられる恐怖と羨望の眼差しであり、二度と普通の人生を歩む事の出来ない自分自身でもある。いっそ死んでしまった方が幸せだったのではないか。そう思える程の辛い目に、何度遭ってきた事だろうか。
修羅の道を歩まなければならない少女が、目の前でまた新たに生まれようとしている。そんな必要がどこにある。自分たちだけで十分だ。どうして、安らかに眠らせてやれない。
愛と阿国の必死な言葉に、それまで無反応だったお絹がゆっくりと振り返る。その表情はとても穏やかで、彼女の微笑みの前に二人は絶句するしかなかった。
「それでも、生きてて欲しいんだぁ」
慈愛に満ちた笑顔のその頬を、一筋の涙が伝う。
「だって仕方ねぇ。おらぁ、この子の母親だがら」
周囲が眩い光に包まれ、闇の空間は消失していく。
それは、母から託された《呪い》だった。
かまいたちの様に吹き荒れる《マガツタマ》たちの攻撃を掻い潜り、白百合は『隻腕』へと肉薄する。もう何度目の突撃だろう。『隻腕』を守る様に立ちはだかる『豆笠』や『百目』による妨害、何よりも巨体に似合わぬ素早さと隙の無い『隻腕』の立ち回りに、いずれも効果的な打撃を加える事も出来ずにいる。村人たちを気に掛ける必要が無く、二人掛かりで火力を集中出来たとは言え、愛と阿国はこんな怪物の片腕を落としたのだ。まだまだ未熟なんだな、と白百合は思った。
馬鹿の一つ覚えなのかもしれない。もう少し頭が切れれば、別の戦術を採る事も出来たろう。頭の片隅ではそんな思いを抱きながら、だがそれでも尚、彼女は愚直な前進を繰り返す。
この行為が『隻腕』の力を削いでいると信じて。状況を打開する何かしらの為の、時間稼ぎになっていると信じて。
『百目』の脳天を『黒曜』の左拳が叩き割り、それを踏み台にして白百合は『隻腕』の目前へと躍り出る。振りかぶった右腕の杭打ち機に渾身の力を込め、『隻腕』の鳩尾に狙いを定めたその瞬間。だが彼女は身を投げ出す様にして上体を逸らし、杭打ち機を真上に放ってその反動で背中から地面に自らを叩きつけた。
白百合の顔の上を『隻腕』の突きが通り過ぎ、光の剣の熱が彼女の髪先を縮らせ焦がす。その先に居た『豆笠』が蒸発して破裂し、白百合は泥の上を転がりながら距離を取って衝撃波と血風から逃れて起き上がった。
間を置かず放たれた『隻腕』のつま先が白百合の眼前に迫り、彼女は『黒曜』の腕を交差させてそれを防ぐ。不安定な体勢から繰り出されながらも体重の乗った強烈な蹴りは、『黒曜』の両腕の上からでさえ白百合を吹き飛ばし、彼女の身体は宙を舞った。
『豆笠』たちの追撃。全方位から振り下ろされる鉈に対し、空中の白百合は身を捻って一匹を杭で貫く。しかしそれ以上の凶刃を躱す事は叶わず、彼女の身体は無数の斬撃に晒されながら墜落。引き裂かれた手足から吹き出す血が地面に染み込むよりも早く、更に『百目』による突進が白百合に襲い掛かった。
白百合の背後から放たれた弾丸が『百目』の顔面の中央を撃ち抜き、白百合は勢いそのまま転がって来る『百目』の巨体を『黒曜』の左腕で払い飛ばす。それは数匹の『豆笠』を巻き込みながらあばら家に激突。家屋は倒壊し、瓦礫の下敷きになったそれらはピクリともしないまま沈黙した。
背後に駆け寄って来た茶々が白百合と背中合わせに立ち、肩で息をする二人は周囲を取り囲む《マガツタマ》の軍勢を見回す。今この瞬間にも『隻腕』の影からは新たな《マガツタマ》が生まれ続け、その勢い、その数は一向に減る気配が無い。
村の男たちは既に半数が死んだ。これがただの戦なら、部隊は修復不可能なまでに壊滅している。しかし退く事は出来ない。逃げ場など、とうに無いのだ。
『隻腕』が振るった光の剣が衝撃波を生み、女子供が立て篭った茅葺き屋根を吹き飛ばした。壁の向こうで繰り広げられていたはずの惨劇が突如として目の前に現れ、半狂乱に陥った彼女たちは震えて竦み、互いの身体を強く抱き締め合う。恐怖から逃げ出したひとりの女房が背中から『豆笠』に斬り倒され、物心もつかぬ赤ん坊の鳴き声が耳をつんざく。
「させぬっ!」
ひと組の親子に襲い掛かろうとしていた『豆笠』の前に邑長が立ちはだかり、彼は鋭く研がれた杖の切っ先でその胴体を貫いた。だが『豆笠』の振り下ろした鉈もまた邑長の上半身を袈裟斬りに抉り、刃は彼の胸の中央で止まる。相討ちだった。長い間この山村を守ってきた賢く勇敢な老人は、こうしてあっけなく人生の幕を閉じたのであった。
同様に女子供の盾となって戦う男たちもまた、次々とその数を減らしていく。白百合と茶々も奮戦するが、最早彼ら彼女らのはたらきだけで化け物たちを押し止める事は出来ず、女性や子供までもが《マガツタマ》の標的となって血の海に沈んでいった。
場はいよいよもって煉獄の様相を呈する。未だ抵抗の意思を見せる者たちは、地獄の釜に投げ入れられる順番を待っているだけかのように思われた。
突如として青い閃光が『隻腕』を取り囲む様に炸裂し、夜の黒と炎の赤に染められた面々の顔を眩しく照らす。突然の出来事に《マガツタマ》たちまでもが動きを止め、嵐に煙る向こう側にじっと目を凝らした。強烈な気配だけが周囲を支配する。
果たして、この絶望的な状況を覆したのは誰だったのか。多くにとってそれは、余りにも意外な人物であった事は言うまでもない。
現れたのは、背中に《鬼》を宿した綾だった。
その顔を、涙と鼻水でぐしゃぐしゃに歪ませたまま。
冷たい岩の上で意識を取り戻した綾は、それは自らに取り憑いた《鬼》がもたらした知識だったのか、瞬時に全てを理解した。《鬼》の名前、能力。今の自分に何が出来るのか、何をすべきなのか。
そして、何が起こったのかを。
母親お絹は、自らの命と引き換えに自分を蘇らせた。
お絹の魂は輪廻の輪を外れて《鬼》に隷属し、八千代の責め苦を強いられる。
一方で、綾には《鬼》を背負った者としての尋常ならざる宿命が課せられた。
誰が救われたんだ。誰が望んだんだ。この結果を。
「・・勝手だよ・・っ!」
私は、二人で生きていたかったのに。
ゆっくりと上体を起こす綾。隣には自分の顔を覗き込む愛と阿国の姿があり、降りしきる雨は未だ衰える事を知らない。お絹の遺体は無く、それは綾が目覚めるよりも早く光の粒となって虚空に消えていた。
立ち上がった綾は何も言わず村に向かって歩き出し、愛と阿国も無言でそれに続く。粛々と歩を進めていた三人は、あっと言う間に村を見下ろす高台にまで到達していた。『隻腕』の影と赤く燃える家々。暴風雨の中であってさえ、響き渡る轟音と絶え間ない悲鳴。
気付けば綾の手のひらには、独特の文様の鈴がひとつ、握られている。
「・・《鬼降ろし》・・。我々二人は、あと一度が限界だ」
「綾ちゃん・・」
「・・・村を、みんなを守ろう。化け物を、倒そう」
愛と阿国の手が両側から綾の肩に添えられる。同時に、みっつの鈴が鳴動し始めた。
「・・・行くよ、『織霰』」
三人と、そして三体の《鬼》が切り立った崖を飛び降りていく。遠ざかる台地はもう戻れない何かを暗喩している様に思えて、綾はまたひとつ、小粒の涙を風に乗せた。
「・・さよなら、母っちゃ」
綾の背中に巣食った《鬼》『織霰』は全身の装甲をガバッと開くと、無数の筒状の物体を『隻腕』に向けて発射する。それらは矢や種子島の様な直線的な射撃ではなく、縦横無尽に空を駆ける生き物の如き複雑な機動で『隻腕』へと殺到した。
幾重にも連なる火球が生み出され、『隻腕』の全身甲冑が熱を受けて融解する。それは表面を微かに撫でる程度のものでしかなかったが、絶え間無い波状攻撃によってじわりじわりと『隻腕』の装甲を削いでいった。『隻腕』の足元に展開していた《マガツタマ》たちも、爆発の炎と衝撃波に次々と飲み込まれていく。生まれ出てくる新たな個体も、現界した矢先に消し炭へとその姿を変えていった。
愛の『夏雪』が放つ光線や、茶々の『火冠』による連装銃。それら貫通力に優れた攻撃とは異なる『織霰』の爆発筒は、まさしく三次元的な制圧能力に長けた空間兵器であった。
『隻腕』を牽制しつつ周囲の《マガツタマ》たちをも駆逐していく『織霰』の放つ爆発筒。更に綾の隣に立った愛が、『夏雪』による光線で化け物たちに追い打ちを掛ける。怒涛の攻撃を掻い潜って彼女たちに接近した数匹の『豆笠』も、阿国の『雲薙』によって真っ二つに切り裂かれていった。
三人の姿を見た白百合と茶々は、愛と阿国が生きていた事に安堵し、心強い援軍の到着に奮い立つ。そして綾の身に起こった出来事を察すると、静かに目を伏せ、お絹という女性の面影に想いを馳せた。
人間側は、息を吹き返した。五人の《歩き巫女》による全力攻撃の前に、《マガツタマ》たちは次第に劣勢に立たされていく。彼らの主である『隻腕』ですら最早防御に徹する以外に術は無い。怯えるだけだった女性や子供たちまでもが、落ちていた武器を拾い上げて戦いへと参加していた。殺戮の加害者と被害者の立場は完全に逆転し、生き残った村人たちは狂った様に苛烈に、しかし機械的なまでに冷静に化け物たちを屠っていく。
そして遂に、この狂宴の終幕を告げる合図が鳴り響いた。『隻腕』が膝をついたのだ。
「茶々っ!綾ちゃんっ!」
愛が叫んだ。遠距離武器を備えた三人は『隻腕』の立膝に攻撃を集中させ、『隻腕』はその膝の側面から炎を吹き出しながら体勢を崩す。無意識に掲げられた光の剣を持つ右腕。その肘を阿国が両断し、『隻腕』は両腕を失った。最早残されているのは足の一本のみ。
容赦の無い止めの一撃が、ガラ空きとなった『隻腕』の胸部へと迫っていた。杭打ち機を振りかぶった白百合だ。
それでも尚、『隻腕』は執念を見せる。残った足を振り上げ、空中の彼女を撃退しようと試みた。だが、遅い。
口角を大仰に釣り上げ、白百合は邪悪な笑みで『隻腕』へと迫る。『隻腕』の赤い双眸に映っていたのは、背中に《鬼》を従えた、《鬼》だった。
「決めろ、白百合!」
阿国が叫ぶ。
「終わらせましょう、白百合!」
「この、悲劇をっ!」
愛が、茶々が叫ぶ。
「やっちまえ、巫女様っ!」
村人たちが叫ぶ。
「みんなの、母っちゃの・・っ!白百合――っ!!」
綾が叫ぶ。
この《鬼》を、『隻腕』を倒せば全てが終わる。『隻腕』に宿る《黄泉比良坂》は閉じられ、村には平和が訪れる事だろう。犠牲は余りにも大きかった。村人たちと、とあるひと組の母娘が払った多大なる代償。万感の想いを、この一撃に乗せて。
ツケを払わせてやる。さぁ、覚悟はいいか。
《鬼》よ。
「貫け!『黒曜』――――っ!!」
放たれた巨大な杭。
それは青い炎を、吹きすさぶ暴風雨を、破魔の力を、そして人々の悲しみを纏い。
『隻腕』の胸の中央を、貫いていた。
紅葉が色付き始め、黄金色の稲穂がさわさわと揺れている。吹き抜ける微風は優しく涼やかで、背負って運ぶ虫の声は姦しい蝉のものではなくなっていた。空は高く、たなびくイワシ雲の隙間をカラスが飛んで行く。季節は本格的な秋へと移り変わっていた。
「じゃあ、行くね」
旅支度を終えた綾が言い、村人たちのひとりひとりと別れの挨拶を交わしていく。その表情は少しだけ大人びて見え、微笑みの裏には微かな翳りが覗いていた。抱き合い、握手し、頭を下げ、しかし決して涙を流す事のない彼女の立ち振る舞いを、白百合たちは少し離れた場所から何を言う訳でもなく眺めている。
戦いから二週間程。十分な療養期間を経た四人の少女たちは、《マガツタマ》の残党狩りついでに綾を訓練、《歩き巫女》としての戦い方を徹底的に彼女に叩き込んだ。特に愛のシゴキは殊更厳しく、笑顔を絶やさない優しいお姉さんは鬼教官へと変貌。毎夜ぼろぼろになって帰って来る綾の姿に、他の三人は同情を禁じ得なかったという。
それでも綾はめげる事はなく、必死にしがみついていった。彼女の想いを理解している少女たちは何も言わず、その頑張りを見守り続ける。そうして綾は一端にはまだ及ばないものの、少しずつ学び、そして着実に成長していった。
村の復興は続いている。人は減り、田畑は散々に荒らされてしまった。それでも村人たちの顔には晴れやかな笑顔が浮かび、彼らは前向きに生きていこうとしている。それは生き残った喜びよりも、化け物が消えた喜びよりも遥かに大きい、義務感から来るものだった。
自分たちが笑わなければ、自分たちが幸せにならなければ、死んでいった者たちに申し訳が無い。余りにも深い悲しみに見舞われた村人たちの間には、不思議とそんな感情が芽生えていたのであった。
村の外れには無数の墓が建っている。遺体の無い仏も多い。混乱の中で行方不明になった者、光の剣に焼かれて蒸発した者、そして、《鬼》と契約し陽炎の様に消えたお絹。
木漏れ日に揺らめくその墓石に手を合わせた綾は、絶対また来るね、と呟くと四人の元へと足早に駆けていった。白百合の隣に立ち、そして歩き出す。
「それで、姉っちゃたちの本拠地って何処にあるの?」
「そんなに遠くはない、同じ信州だよ。って言っても、北の端っこだけれども」
雪が降る前には辿り着かないと大変だ、と白百合が答える。
綾を一人前の《歩き巫女》にさせる為には、本拠での更なる訓練が必要だ。頭領への目通りや、今回の任務の報告もしなくてはならない。
こうして五人となった一行は村を出立、再び旅路へと就いたのである。
「私の訓練を耐え切ったんだもの。きっと大丈夫よ、綾ちゃんなら」
「がっ・・頑張ります・・」
「・・怯えているぞ。どんだけ厳しかったんだ、お前は」
阿国のツッコミに、愛はアラアラと困った様に微笑む。綾にとってはその笑顔こそが恐怖の対象でしかないのだが、愛本人は特段気にした様子も無かった。白百合は前を向いたままケタケタと笑い、茶々は溜息をひとつついて綾の身体を愛から隠す様に抱き寄せる。
でこぼこした山道を歩き、小川を越え、急峻な峠をひたすら登り続けた。両足は瞬く間に熱を帯び、疲労は確実に蓄積されていく。それでも綾にとってその行程が想像よりも楽に感じられたのは、事あるごとに展開される少女たちの他愛の無い会話のお陰だった。
《歩き巫女》である彼女たちも、戦いの場以外ではただの少女だ。話題は美容の秘訣、華やかな衣装への憧れ、美味しい料理、理想の男性像など多岐に及ぶ。そしてその悉くに笑い合う少女たちの輪に、気付けば綾も自然と加わっていた。
やっぱり優しい人たちなのだな、と綾は改めてそう思った。
少女たちが何者かの気配を感じて唐突に歩みを止めたのは、すっかり急ぎ足になった太陽が傾き始めた、そんな時だった。野営に適した場所はないものかと談笑していた彼女たちはビタリとその動きを止め、山吹色に染まった木々の間を隈なく警戒する。
愛による訓練の賜物か、綾にもその気配が感じ取れた。《マガツタマ》ではない。人間の気配だ。だからと言って油断して良い訳ではなく、例え人間であっても自分たちに害を為そうとしている存在ならば、それは敵だ。相手が何者かを見極めなければ、この戦国乱世を生きていく事は難しかった。
近付いて来たのは、軽装だが武装した若武者が四、五人の集団だった。誰もが立派な太刀を履き、羽織の下には胴丸と篭手が覗く。何よりその表情は一様に険しく、ゆったりとしていながら隙の無いその立ち姿は、彼らが戦場の空気を知る者たちである事を物語っていた。
果たして何者だろうか。綾は腰の後ろに手を伸ばし、護身用に取り敢えず持ち出してきた包丁の柄の感触を確かめる。何が起ころうとも少女たちの足だけは引っ張るまい。そう自分に言い聞かせ、そして彼女は緊張の度合いを高めた。
しかし陽の光の中に彼らの顔を見た白百合たちは、一斉にその警戒を解く。
肩透かしを食らった綾は困惑した視線を隣の茶々に向け、彼女は平気だと優しく微笑んで頷いた。どうやらあの若武者たちは彼女たち知り合い、味方らしい。
少女たちは各々の武器から手を離して若武者の一団に歩み寄り、彼らもこちらの姿を認めると手を振りながら近付いて来る。先程まで場を支配していた緊迫感は消え失せていた。
「帰りが遅いというのでお迎えに。父上も千代女殿も心配しておられましたよ」
先頭に居た若者が爽やかな笑顔で語る。そして彼は綾を見ると一瞬悲しげな表情を見せ、しかしすぐさま元のにこやかな顔に戻ると、彼女の前に跪いて目線の高さを合わせた。
「君は初めましてだね。自己紹介しても?」
若者の紳士的な振る舞いに、ドキッとした綾は赤面しつつも小さく頷く。おませさんね、と愛が言うと、より顔を赤くした綾を除いた全員が小さく笑った。
「僕は真田・・真田源二郎信繁だ。よろしくね、おちびさん」
時は戦国末期。少女たちの戦いは、歴史の歯車に組み込まれようとしていた。
読んで頂いてありがとうございました。




