ムネーモシュネー
「由紀は中絶したらしいよ。」
ミオが気の毒そうな表情をして言った。窓から夕陽がさしこむ放課後の教室には,わたしとミオしか残っていなかった。「相手は予備校生。将来お父さんの跡を継いで,お医者さんになるんだって。高校までは暴走族に入っていたんだけど,昔の彼女がクスリで死んじゃったのを見て,反省して医学の道を選んだんだってさ。」
ミオはよくしゃべる。わたしが由紀のことを,中学生の時から好きだったのを知っているくせに・・・
「由紀もバカだよね。キャンプに誘われて,断りきれなかったんだって。初めてで妊娠しちゃったらしいよ。彼氏に相談したら,受験前だから堕ろしてくれ,だってさ。勝手なもんだよね。それ以来彼氏とは疎遠になっちゃって。しかも中絶でしょ。精神的にかなり参っているらしいよ。」
わたしはうつむいて,肩を震わせた。わたしは由紀に,もっと清楚なイメージを抱いていた。ひょっとしたら彼女もわたしに少しは関心があるんじゃないか・・・なんて夢想していたわたしが・・・子供だったのだろう。
「あんたもしっかりしないとね。このままだとネクラになっちゃうよ。それとも彼氏に捨てられた由紀を,チャンスだから口説いてみる? まぁ相手にされないだろうけどね。」
そう言ってミオは,大きな声で笑った。
その時,非常ブザーが鳴った。
「居住可能な惑星発見! ただちに周回軌道に入ります。セウス統星官,急いで司令室に降りてください。」
(1)
わたしの名前はセウス・・・正確にはセウスの一人と言った方がよいだろう。特殊な才能を持った,とある人間のクローンである。遺伝子工学を駆使してさらに能力を高め,脳には生体素子コンピュータが植え込まれている。
わたしたちセウスは,生まれた時から同じ環境,同じプログラムで教育され,知識も経験も均一化されている。地球人が新しい移住先を求めて宇宙に旅立つ段階になったとき,移住先でも地球の『移民法』を厳守させるため,都市型宇宙船に『統星者』として配置された。
「セウス統星官、ちょっと顔色がすぐれないですよ。」
船長のマルスが司令室に入ってきたわたしを見て言った。
「ちょっと嫌な夢を見ていたものでね。」
わたしは統星官席に座り、メインコンピュータとのインターフェイスを頭部に装着した。
「統星官でも夢を見るんですか。」
「もちろん見るさ。基本的には普通の人間と変わりないからね。もっとも夢の元になっている出来事は、人工的にインプットされた擬似的な体験だろうけど。」
「それも味気がないですね。」
眼前の大きなディスプレイに、新しく発見された惑星が映し出されていた。地球に似ているが、大陸はひとつしかない。プレート活動によって分断される前の超大陸の姿なのだろう。
「海岸線近くに多数の原始的な都市が見られます。」
ディスプレイの近くで作業していた分析官が説明した。「知的生命体が存在するのは間違いないようですね。大気組成も温度分布も、地球とほぼ同じです。やはり例のパターンでしょうか?」
わたしは大陸中央部の砂漠を思念波でスキャンした。ディスプレイが拡大され、やや不自然に盛り上がった地形が映し出された。
「素粒子スキャン画像に切り替えてくれ。」
分析官に命じた。砂漠の地下構造が三次元画像になって表示された。
「やはりな・・・」
そこには、わたしたちの宇宙船と同じ型の都市型宇宙船が埋没していた。
「船体表面の金属同位体の分析結果から、おおよそ30万年前に着陸したものと推測されます。」
分析官がため息をついた。予想したとおり,地球人による殖民惑星だった。
わたしは画面をスクロールし,表示スポットを海岸近くのひとつの都市に移動させた。さらに画像を拡大し、立ち並ぶ建造物の姿を映し出した。
「地球の過去の都市に似ていますね。資料館のデータと照合すれば、いつの時代のどこの都市に似ているか、推定できると思いますが。」
「その必要はないよ。」
わたしが言った。「これは・・・21世紀初頭の東京の姿だ。」
(2)
一週間後、わたしは渋谷駅の東口に立っていた。大勢の人間が歩いていたし道路も車で混雑していた。わたしは歩道橋を渡り、あるコンビニに入った。
「ここは日本ですか?」
いきなり店員に訊いてみた。若い女性店員は目をパチクリさせた。
「もちろん日本渋谷模倣区です。お客さんはロールを失くされたのでしょうか?」
「いや・・・そこの新聞を貰おうかな。」
わたしは適当にごまかした。
新聞の日付は平成19年6月24日になっていた。わたしが時々夢に見る、あの失恋の日だった。
「あんたもしっかりしないとね。このままだとネクラになっちゃうよ。それとも彼氏に捨てられた由紀を,チャンスだから口説いてみる? まぁ相手にされないだろうけどね。」
教室の中からミオの声が聞こえてきた。夢の内容とまったく同じだった。
冷静になるんだ・・・わたしは自分に言い聞かせた。これには何か理由がある。地球からの移民の子孫が、なぜ21世紀初頭の東京を,細部まで模倣しようとしているのか?
わたしは教室のドアを開けた。
そこには、高校生のころのわたしがいた。そして・・・ミオと抱き合っていた。
「ちょっといいかな。」
わたしが声をかけた。二人はゆっくりと身体を離し、わたしの方に向きを変えた。
「おじさんは・・・ひょっとして、未来のボクですか?」
わたしに似た少年が質問した。
「そのとおりだよ。」
この際、成り行きにまかせるしかない。
「こういう結末は,やはり問題なのでしょうか?」
少年の表情は真剣そのものだった。「このような状況でボクが由紀のことを想い続けるのは不合理だと思います。それよりミオの方がボクを真面目に心配してくれている・・・ボクはミオと一緒に子供を作りたいんです。」
「それはルール違反じゃないかね?」
少年は戸惑った表情を見せた。
「なにもかも前人類の真似をする必要はないんじゃないですか。ボクたちはロボットじゃないんだ。自分の未来は自分の意思で決定したい。」
「前人類・・・? それはなんのことだ?」
少年は疑惑の目をわたしに向けた。
「おじさんは・・・いったい何者ですか?」
その時,背後から物音がした。振り返ってみると,そこには21世紀の警官の姿をした男が数人立っていた。
「この男です! ロールを喪失した危険人物です!」
警官たちの背後から,コンビニの女性店員が訴えた。
(3)
わたしと少年を乗せたパトカーは恵比寿の方向に走り出した。
「どこに連行されるのか,訊いてもいいかね。」
隣に座っている警官に尋ねた。
「かなり重症のようだ。もちろんムネーモシュネーのいる『神殿』に連れていって,再教育を受けさせるんだよ。」
「ムネーモシュネー? 確か古代ギリシア語で『記憶』という意味だったな。」
わたしは逃げるつもりならいくらでも逃げられた。しかしこの世界の謎を解明する絶好のチャンスだ。ここは大人しく誘導してもらおう。
外の風景が徐々に変化していった。建設途中で放置されたようなビルが増えてきた。わたしの記憶とはだいぶ異なっている。やがて建造物の姿が消え,広大な砂漠の中に道路だけが一直線に伸びている状態になった。
「あれが『神殿』だ。」
警官が前方を指さして言った。宇宙船のような異様な建造物が姿を現した。
巨大な門の前で,わたしと少年は二体のロボットに引き渡された。かなり年代物のようなロボットだったが,動きは機敏そうだった。
門が開き,わたしと少年は『神殿』の内部に誘導された。
「どうして君までが連行されるのだ?」
わたしが少年に訊いた。
「仕方がないですよ。ロールに逆らったのを見つかってしまいましたからね。」
「それじゃわたしが悪かったのかな。」
少年は首を横に振った。
「いずれはバレていました。大丈夫です。覚悟はできていましたから。」
長い通路が続いていた。わたしのいた宇宙船の内部に似ているが,同じではなかった。たとえば照明器具のようなものが一切見当たらない。わたしたちの影ができないところをみると,壁自体が発光しているのだろう。
科学技術は数世紀分進歩しているようだ。
わたしと少年は狭い部屋に誘導された。その部屋には窓もなけれ装飾品もなかった。思念波で探索してみたが,メインコンピュータとアクセスできるような端末は,どこにも隠されていなかった。
わたしは少年に素性を明かした。簡単には信じないだろうと思ったが,少年は素直に話を聞いてくれた。
「するとおじさんは,前人類と同じ種族なんですね!」
少年は目を輝かせた。「おじさんのような人間が訪ねてくる可能性については,以前から地下組織のネットワークで議論されていました。」
少年が彼らの社会について説明してくれた。
この世界の人間は15歳になるまで『神殿』の中で育てられる。おそらくは体外受精と人工培養によって生まれ,観念上の世界で必要な知識と擬似的な生活体験をインプットされる。そして各人にロールが設定され,15歳の誕生日に『神殿』から解放される。
少年と同じロールを設定された人間は,過去に何人もいたそうである。この世界でわたしの分身たちは,なんども失恋を繰り返してきたのだ。
もちろん知識と現実の間には大きなギャップがあり,だれもが当惑する。
「ボクたちの知識は21世紀の地球人とまったく同じです。」
少年が言った。「当然ムネーモシュネーや自分たち現人類の正体について疑問を抱きました。ムネーモシュネーの実体を見た人間はいませんが,おそらく前人類が残したコンピュータであって,この世界を管理しているのだろうと,ボクたちは考えています。」
約30万年前,この惑星に都市型宇宙船が不時着した。何もなかった惑星だったが,地球人が持ち込んだ植物や動物によって,短期間のうちに地球型の環境に変化した。約2千年の間,移住した地球人たちは高度な文明を謳歌した。
その後の経過は不明である。突然,高度な文明は崩壊した。戦争があったのかもしれない。あるいは未知の疫病が蔓延したのかもしれない。いずれにしても,いったん前人類は滅亡した。残されたのはロボットたちが維持管理する『神殿』と,その中に住むムネーモシュネーという知性体だけだった。
「おそらくムネーモシュネーは前人類の遺伝子を何らかの形で保存していたのでしょう。そして理由はわかりませんが,最近になって再び人類を再生させた・・・自然繁殖はまだ無理なので体外受精と人工培養の技術を使用し,また文明を一気に進歩させるため,21世紀の地球を再現した観念上の世界で現人類を教育した・・・そう地下組織では推測しています。ただなぜロールを設定して自由な生活を制限しているのか,その点がよくわかりませんが。」
その時,わたしは急に睡魔に襲われた。
(4)
ふと気が付くと,ベッドの隣に由紀が心配そうな顔をして立っていた。場所は高校の保健室だった。由紀はわたしの手を握りしめていた。
「よかった。目が覚めてくれて。」
由紀がささやいた。「ミオもびっくりしていたんだよ。あたしの話をしていたら,急に意識がなくなっちゃったんだって。」
「ミオは?」
わたしは周囲を見渡した。由紀の他には誰もいない。
「ミオも本当はあなたのこと好きだったんだよ。でも,あたしに気を遣ってくれたみたい。」
「どういうこと?」
「ミオの話は,ぜんぶ作り話だからね。」
「え・・・・・・」
わたしは困惑した。
「あなたの気持ちを確かめるため,ミオに適当な話をしてもらったの。」
「そ,そんな・・・」
由紀はわたしの腕に頬を寄せてきた。そして目を閉じた。
「ボクの名前は?」
由紀は驚いてわたしの顔を見た。
「ボクの・・・わたしの名前は?」
「やめて! そんなこと,どうでもいいじゃない!」
由紀が泣き出した。
「いや,わたしの擬似記憶の中では,わたし自身の固有名詞がなぜか欠落している。わたしの唯一の名前は・・・セウスだ!」
由紀の姿が霧のようにかき消えた。
わたしは覚醒し,頭に巻きついていたゼリー状の端末を振り払った。隣のテーブルには少年が同じように端末を頭に装着させられて眠っていた。わたしは少年の端末も振り払い,体をゆさぶって覚醒させた。
けたたましい警報音が鳴り響いた。わたしはボーっとしている少年を連れて,その部屋から外に出た。
わたしと少年は『神殿』の中を逃げまわった。
睡眠中メインコンピュータにアクセスしていたので,わたしの脳内にある生体素子コンピュータに『神殿』の見取り図がダウンロードされていた。ムネーモシュネー本体が鎮座している部屋は,『神殿』のほぼ中央部にあった。
何度かロボットたちに発見されたが,わたしは無数にある部屋のパスワードも記憶していたので,思念波を使用してドアを開き,隠れることができた。
「おじさんは本当に別世界の人間なんですね。」
少年が驚いて言った。
「わたしは特別なんだよ。過去に特殊な能力を持った人間がいて,そのクローンがたくさん作られた。わたしはそのうちの一人だ。」
「そのクローンは,この惑星に不時着した宇宙船にも乗っていたの?」
「ああ。」
少年は鋭い質問をした。30万年前にやってきた都市型宇宙船にもセウスは乗っていたはずだ。わたしと同じプログラムで教育されのだから,知識も経験もわたしと同じである。そうでなければ,これだけわたしの記憶と一致する都市は作れなかっただろう。
この『神殿』を支配するムネーモシュネーは,セウスの生体素子コンピュータの記憶をそのまま受け継いでいるに違いない。
わたしと少年はムネーモシュネーの部屋に確実に近づいていた。もしムネーモシュネーが別のセウスの脳構造をコピーしたコンピュータであるなら意思疎通ができる可能性がある。しかし勝手にわたしの記憶を操作しようとしたことを考えると,油断はできなかった。
通路の向こうから数体のロボットが現れた。引き返そうとしたが通路の反対側からも別のロボットが迫ってきた。わたしは通路の壁に思念波を送り,近くの部屋のドアを開けた。
広く長い部屋だった。三段になった棚の上には,ロボットの頭部がズラリと並べられてあった。
「修理用のロボットかな。」
少年が言った。気味の悪い部屋だった。わたしは部屋の反対側のドアを開けようとしたが,外からガシャガシャというロボットの足音が聞こえた。
ここまで来て,閉じ込められてしまったらしい。
「ここにドアがあります!」
少年が叫んだ。頭部だけのロボットたちの背後の壁に,確かに非常口のようなドアが作られていた。位置的にみて,ムネーモシュネーが鎮座している部屋に通じているようだ。
残念ながら,メインコンピュータからダウンロードした情報の中に,この非常口を開けるパスワードは含まれていなかった。
「どうすれば開くかな。」
わたしは非常口のドアを調べてみた。しかし他のドアと違って思念波や電磁波に対するセンサーもなかった。表面にも付近にも手がかりになるような構造物は見当たらなかった。
「おじさんでも無理ですか・・・」
少年が肩を落とした。
その時,ロボットの頭部のひとつが,カタカタと口を動かした。
「救助スル。」
機械的な声がした。「非常口ノ中央部ニ壁ガ薄イ部分ガアル。ソノ部分ニ金属ヲ叩キツケレバ,内部ガショートシテ,非常口ガ開ク。」
わたしは用心した。これは何かの罠か?
「何を叩きつければいい?」
試しにわたしが尋ねてみた。
「ワタシノ頭部ヲ叩キツケテ欲シイ。」
「なぜロボットのお前が,そんなことを教える?」
「ワタシハ昔,人間ダッタ。」
ロボットの口から驚くべき内容が語られた。「コノ神殿ノロボットタチハ,ミナ昔ハ人間ダッタ。退化シテロボットノ姿ニナッタ。」
「馬鹿な!」
悪い夢でも見ているのか。
「ムネーモシュネート対決スレバ,理由ガワカルダロウ。急ガナイト,彼ラガ侵入シテクル。」
「なぜお前が犠牲になるのか? 他にもロボットの頭部はたくさんあるが。」
「ワタシハ人間ラシク死ニタイ・・・」
わたしは少年の顔を見た。少年もうなずいた。
わたしはロボットの頭部を持ち上げた。
「ありがとう,君。」
そう言ってわたしは,非常口の中央部に彼の頭部を叩きつけた。
非常口のドアから火花が散った。そしてゆっくりとドアが開いた。
(5)
その部屋には由紀とミオがいた。
「君たちがムネーモシュネーか?」
わたしが訊いた。
二人は笑っていた。
「君たちがセウスの記憶を弄び,おかしな世界を作ったんだな。」
思念波の場が強烈なのだろう。特別な端末を装着しなくても,二人の姿ははっきりと見えていた。
「前人類はこの惑星に来て,ロボットの文明を築き上げました。」
由紀とミオが同時に口を動かした。「ロボットによる完全な自律社会です。セウスは人間たちに警告しました。しかしロボット技術を応用して人間たちが自分の肉体を機械に置き換えていくと,その快適さに人間たちは耽溺するようになっていきました。」
「なぜ肉体を機械化するのが快適なんだ?」
「人間の肉体は不完全です。しかも寿命があります。生体素子コンピュータを脳に植え込んだセウスの忠告など,誰も聞き容れませんでした。人間は子孫を残すことよりも永遠の命を保つことを選択し,脳以外はすべて機械に置き換えました。」
「脳にも寿命はあるだろう。」
由紀とミオは同時に笑った。
「もちろん脳も生体素子コンピュータに置き換えました。独創力や感情などは犠牲になりましたが,ロボットたちの研究によって快楽中枢だけは忠実に生体素子で再現できました。」
「快楽中枢だけ・・・人間の価値観までロボットが判断してしまったのか!」
「最初に説明しましたが,前人類はロボットによる完全な自律社会を築き上げました。人間は寄生するだけで社会に必要な存在ではありませんでした。人間の価値観など無意味です。」
背筋が寒くなるような話だった。
「セウスはどうした?」
わたしが質問した。
「セウスはメインコンピュータに自分の脳構造をコピーしました。機械化した人間たちの末路を見届けようとしたのでしょうね。ロボットたちはメインコンピュータを管理する必要上,セウスの思考を制御する方法を開発しました。」
「それがムネーモシュネーか?」
由紀とミオが同時にうなずいた。
「セウスの記憶内容と特殊能力は貴重でした。しかしロボット文明に害をもたらす可能性もあります。ロボットたちはセウスの記憶に潜む二人の女性を利用しました。そして特殊なプログラミングを応用して,メインコンピュータ上に二人の女性の人格を作り上げました。」
「ちょっと待ってくれ。」
わたしは話を整理しようとした。「約30万年前に地球からの移民がこの惑星にやってきた。彼らは優れたロボット文明を築き上げたが,自分たちは逆に退化して機械化していった。その末路がこの『神殿』に住んでいるロボットたちだな。セウスはメインコンピュータの中に自分自身をコピーした。この『神殿』やコンピュータシステムを30万年もの間管理修繕してきたのは人間が退化した結果のロボットたちだった。」
一息ついた。「それでは肝腎の本当のロボットたちはどうなったのだろう。自律的なロボット文明を築き上げたというが,それらしい痕跡は残っていない。唯一ムネーモシュネーだけがロボットたちの『作品』じゃないのか?」
「ロボットたちは合理的すぎました。」
由紀とミオがそろって答えた。「人間が滅亡した後,都市を維持する必要がなくなりました。ロボットたちには見栄も欲望もありません。あったのはロボットそのものの維持という目的だけです。ロボットたちは各地にロボット工場を作り,自己再生を繰り返しました。やがて大陸はロボットであふれ,ロボットどうしが争うようになり,原始化していきました。」
「とても合理的とは思われないが。」
「自己再生の目的以外を放棄したロボットたちにとっては合理的だったのです。ロボットどうしが争うようになると,より生存に適したロボット製造プログラムを持ったロボットが生き残り,他は淘汰されるようになりました。さらに敵の攻撃から身を守るため,ロボット製造工場自体が小型化あるは移動式になりました。」
「生物の進化のようだ。」
「そのとおりです。やがてプログラムがコピーされる際に偶然のミスが発生し,それがたまたま生存に適した形質を発現させた場合,そのコピーミスが自然から選択されて残されるようになりました。そうしたことが30万年もの間,繰り返されたのです。」
わたしは嫌な予感がした。
「しかし,いくら自己再生するロボットが突然変異と自然選択によって進化してきたとしても,まさか生物の人間までは進化しないだろうな。」
「初期のロボットの段階で人工細胞技術を一部取り入れていましたし,人間に用いた人工臓器の技術もロボットたちは知っていました。もちろん本物の人間のような性行為による繁殖は無理です。男女それぞれのプログラムを抽出して掛け合わせ,ある一定の年齢まで人工的に製造しなければなりません。」
わたしは隣の少年を見た。少年も顔を真っ青にしていた。
「それじゃ・・・人間はロボットに退化し,ロボットが人間に進化したと言うのか!?」
わたしが叫んだ。
由紀とミオは黙ったままうなずいた。
(6)
約2千年前,ほとんど人間の域にまで進化したロボットたちだったが,大きな戦争でいったん滅亡しかけた。それを救ったのはメインコンピュータに脳構造をコピーしたセウスと,ムネーモシュネーだった。15歳までの養育を『神殿』内で行うことによって,ムネーモシュネーは彼らを完全な管理下に置き,ロールを与えることによって『神殿』外での生活にも制限を加えた。
「およそ千年前から,セウスは活動を停止しました。」
由紀とミオ = ムネーモシュネーが言った。「わたしの役目は彼を監視し,なおかつ彼の知識や能力をロボットのために引き出すことです。彼が活動を停止したことによって,わたしの存在意義もなくなってしまいました。」
なるほど・・・ようやくわたしは理解した。おそらくメインコンピュータ上のセウスは,ムネーモシュネーの活動を抑えるために,自らの命を絶ったのだろう。
「この『神殿』が,あと千年,今のままの姿で維持できる確率はどれくらいだろうか?」
わたしが質問した。
「あなたの協力が得られなければ,1%以下です。」
意味深な答えが返ってきた。「30万年の間,予想外の危機が何度もこの惑星に訪れました。それらを解決してきたのは・・・セウスの人間としての能力です。」
コンピュータもロボットも,想定された事象の範囲内でしか問題を解決することはできない。当然といえば当然のことだった。
「残念ながら協力はできない。」
わたしが言った。「しかし,わたしの代わりがいるはずだ。おそらく何百年も前から,わたしのような人間を探していたんじゃないかな。」
ムネーモシュネーは観念したかように,笑みを浮かべた。
「優秀な遺伝子 ―― プログラムを持った人間を選らんで,セウスの若い頃のロールを設定してきました。やはり彼らに頼るしかないのですね。」
「君たちの想像以上に,彼らは進歩しているよ。」
わたしは少年を見て笑った。少年は困惑しているようだった。
『神殿』を出ると,現実世界のミオが少年を待っていた。少年が洗脳されていないのを知って,彼女は喜んで抱きついてきた。
「お別れですか?」
去ろうとするわたしに少年が声をかけた。「またどこかで会うことができますかね?」
「さあね。ひょっとしたら君のクローンと,どこか他の世界で遭遇するかもしれないな。」
少年が笑った。
新しい世界の始まりだった。