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久々のベッドで迎えた朝は、大変心地よかった。
身支度をする体も、もうだいぶ軽い。
ナオは、朝食の準備をしようと、1階に降りていった。
台所に入ったはいいが、勝手がわからずまごついていると、誰かが台所に入ってきた。
「おはようさん。早いのう、ナオ」
「あ、おはようございます!グエンさん。あの、何かお手伝いをと思いまして」
「そうかそうか、ありがとうな。慣れたら、ナオも食事当番に入ってもらおう。今日はわしのを見て、覚えてくれ」
「はい」
食材や調理器具の場所を教えながら、グエンは3人分の料理を手際よく教えていく。
今日の朝食はパンに肉を挟んだものと、野菜のスープだ。
いい匂いにつられておなかが鳴り、ナオは真っ赤になった。
「うむ、食欲もあるようでよかったのう」
グエンは穏やかに笑った。
「あの、お聞きしたかったんですけど」
「何じゃ?」
「ザントさんって、グエンさんのお孫さんですか?」
昨日から少し気になっていたのだ。孫だとしたら、グエンの両親はどうしたのだろう。
「ああ、ザントか・・・」
グエンは白いあごひげをさすりながら言った。
「あやつも、身寄りがなくてわしが引き取ったんじゃ。小さい頃に、森で見つかってのう。親代わりはいたんじゃが、そいつも亡くなって・・・。まあ、可愛げのない孫みたいなもんじゃな」
「そう・・・だったんですか」
ザントも自分と同じ。血のつながった家族がいないのだ。
「口も態度も悪いが、根っこはいいやつなんじゃ。広い心で接してやってくれ。だいぶ広ーい心が必要じゃがな」
そう茶目っ気たっぷりに言うグエンを見て、ナオは少し笑った。
「なーに朝から下らねぇこと言ってんだ、くそジジイ」
当の本人が急に台所に入ってきて、ナオは慌てた。
こんな話をしていて、ザントは気を悪くしないだろうか。
グエンは気にすることなく、「おう、おはよう」と挨拶している。
「おはようございます、ザントさん。あの、これは、私がザントさんとグエンさんのご関係をお聞きしたから・・・」
「ああ?捨てられて拾われてきたって話か?別に大したことじゃねぇよ。もうほとんど覚えてないしな。くそジジイ、早く、飯」
「そう言うならちょっとは手伝ってくれんかのう?」
ザントは気にした様子もなく、ぶつぶつ文句を言いながら、朝食の支度を手伝うのだった。
「あの、今日は私、森に行ってみたいんです」
朝食があらかた終わったころ、ナオは2人にそう切り出した。
「使える薬草の種類や場所を把握したくって・・・」
「却下」
「何でですか!?」
話の途中で切り捨てたザントに、ナオは食って掛かる。
「まあまあナオ、わしもザントに賛成じゃ。お前さん、まだ、体力が回復しきってないじゃろう?」
「いえ、もう十分休みました。早く仕事がしたいんです。お願いします!」
頭を下げるナオに、ザントの冷たい声が降ってきた。
「却下と言ったら却下だ。今日は狩りに出る。お前は来るな。邪魔だ」
「おや、今日は休みの日じゃなかったかのう?」
「どこかの誰かがぶっ倒れてたせいで、俺は昨日狩れなかったんだよ!」
厭味ったらしく言うザントの言葉が、ナオの胸に刺さる。
「じゃが、マッシート村に納める分はあるんじゃろ?」
「俺の気がすまねーんだよ!だからお前!」
ザントはびっとナオを指さした。
「ぜってぇぇぇぇぇぇ、来るんじゃねぇぞ」
そう言うなり、ザントは足早に食堂を出ていってしまった。
食器だけは、律義にも流しにおいて行ったが。
落ち込んだナオに、グエンがやさしく声をかける。
「まあまあ、村のみんなにも紹介せんといかんし、今日はゆっくりしなさい。慌てなくていいから」
グエンはそういうと、自らの食器も下げた。
「まったく、不器用な言い方しかできんのう・・・」
その呟きは、まだ落ち込んでいるナオの耳には入っていかなかった。
朝食が終わると、リーザがグエンの家に来た。
後ろに、15、6歳くらいの男の子を連れている。
「おっはようナオ!よく眠れた?」
「おはようございます、リーザさん」
「リーザ」
にこにこと笑いながら詰め寄られ、ナオは困惑する。
「え、リーザさ・・・」
「リーザ」
さらに一歩詰め寄られる。
「・・・リーザ・・・?」
「ん、それでよし!もっと普通に話してよ。そんな丁寧じゃなくていいからさー」
「うん、ありがとうござ・・・ありがとう、リーザ」
言い直したナオを見て、リーザはにこりと笑った。
そんなリーザの服を、誰かがつんつん引っ張った。
「リーザ、僕を置いてかないでくれる?」
「あ、ごめんごめん。ナオ、これがトマ。うちの弟」
トマと呼ばれた少年は、ひょいとナオの前に来た。
ナオやリーザより少し小柄で、リーザよりも髪が長い。
といっても、リーザが極端に短いだけで、トマの髪は結べるほどではなかった。
「トマ、こっちが昨日話したナオね」
「初めまして、ナオと言います」
「トマです。よろしく」
「ナオ、トマも呼び捨てでいいからね」
そうリーザに言われたが、ナオは少し困る。
「あのね、リーザ、私がいた村、若い男性がいなかったから、その、男の人を呼び捨てにしたことってないの・・・」
「そうなの?気にしなくていいのに・・・」
「慣れなくって・・・。えっと・・・トマ君って呼んでもいいですか?」
どう見てもナオより年下のトマに、さん付けは返って失礼かと思い、君付けを提案する。
「僕は構いませんよ」
「よかった。よろしく、トマ君」
にこりと笑って握手をするナオを見て、トマの頬が少し赤く染まったのを、リーザは見逃さなかった。
「おはよう、2人とも」
「あ、グエンさん、おはよう」
「おはようございます」
「ちょうどよかった。2人とも、手は空いてるかの?ナオに村を案内してほしいんじゃが」
「あれ?グエンさん、ザントは?」
「狩りに出るそうじゃ」
「ええー!今日休みだから、新しい罠を一緒に作ろうと思ったのにー」
「残念でしたー。トマも一緒に行こう?」
リーザに言われ、トマも「そうだね、そうする」と頷いた。
「ちょっと待ってて、支度してくるね」
ナオはパタパタと階段を上がっていく。
そんなナオを目線で追いかける弟を、姉は肘でつついた。
程なくして、ナオが戻ってきたので、3人はグエンの家を後にした。
結果的には、森に行った方が疲れなかったのではないかと、ナオは思った。
村は小さい。人口も、十数人だ。
しかし、初めてましての人に何人も会うというのは、それだけで疲れる。
しかもナオの場合は、目を隠しているため、余計に警戒されやすい。
特に、幼い子供がいるオミット、エレンナ夫妻は、一人息子のアロムを決してナオに近づけようとはしなかった。
それが、ナオにはショックだった。仕方がないことだと分かってはいたが。
道中、村のことをリーザとトマが教えてくれた。
ここ、タシバ村は、主に狩りで生計を立てている。
男たちが狩りをし、女たちが肉や毛皮、牙などを加工して、近隣の村と物々交換しているのだ。
その他の者は、畑で野菜を育てたり、家畜を飼ったりしているらしい。
一通り村を回り、グエンの家でお茶を飲みながら、ナオは尋ねてみた。
「2人のご両親は?」
聞いてから、これは聞いてもいいことだったかと不安になったが、2人は答えた。
「あー、生きてるよ、たぶん」
「うん、元気だよ、たぶん」
2人の返事にホッとしつつ、その曖昧さに疑問が残った。
「たぶん?」
「あのねーナオ。うちの両親、どこにいるか分からないの」
「旅人なんだよ。世界中回ってる」
「今は、南に行くって?」
「あれ?西じゃなかった?」
「そうだっけ?」
姉弟も正確には把握していないらしい。
「まあそんなわけで。何年かに一度、ふらーっと帰ってくるの。だから、たぶん元気としか言えないんだけど。ま、何の連絡もないから、元気なんでしょ」
「へえ、旅人。活動的なご両親なんだね」
「そこらへんはリーザが受け継いだよね」
お菓子をつまみながら、トマが笑って言う。
リーザは、村で唯一の女狩人である。
そもそも、女性が狩人になること自体、前例がないらしい。
「リーザは、どうして狩人になろうと思ったの?」
ナオもお菓子を一口食べる。甘くてほろりと口の中でとろける。
トマの手作りなのだそうだ。
「あのねあのね!憧れの人が狩人だったの。すっごく上手でね、私もこの人みたいになるんだー!って、小さい頃から決めてたの」
「それで、実力つけて文句言うやつ全員黙らせたんだからすごいよね」
トマがしみじみと言う。
「文句、言われたの?」
今のリーザを見ると、とてもそうは思えない。
「もーうすごかったんだよー!『女なんだから』『女のくせに』って、みんなそればっかり!言わなかったのは、家族とグエンさんと、ザントくらいね」
「ザントさんが・・・?」
意外な名前に、ナオは驚きを隠せない。
「あ、ザントは『女のくせに』は言わなかったけど、『お前みたいなうるさいやつが狩りなんかできるか』とは言われたわ」
「ま、事実だよね」
軽口を言う弟の頭をぽかりと叩いて、リーザは続ける。
「そんなわけで、猛特訓して狩人になったわけ」
見た目以上に、リーザは努力家らしい。
きっと憧れの人に認めてもらうために、頑張ったのだろう。
いったい誰だろう。ナオが今日会った人だろうか。
トマはと言うと、手先が器用なため、狩りそのものよりも罠を作ることに長けているらしい。
料理や裁縫もこなすというので驚きだ。
「そうそうナオ、私が着ない服あげるよ。トマに仕立て直してもらえば、着られると思うんだ!」
「そんな、悪いよ」
何から何までお世話になりっぱなしで、申し訳なさが募る。
「いいっていいって。服だって、しまい込まれてるより誰かが来てくれた方が嬉しいはずだし!」
「じゃあ一着、ナオさんサイズに直そうか。他のはそれに合わせればいいし。ナオさん、今からうちに来れます?」
トマは頭の中で、早くも算段を整えているらしい。
「グエンさんに聞かないと分からないけど・・・たぶん、大丈夫と思う」
「じゃ、聞きに行こっか!」
リーザはナオの手を取り、グエンがいる裏の畑に向かう。
昨日も手を繋いでもらったが、そういえば誰かと手を繋ぐのはずいぶん久しぶりだと、ナオは思った。