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名前を呼ぶ声がする。
優しい声。
ああ、これは夢だ。
だってこの声は、もう、この世にはない。
暖かく、優しい夢。
もう二度と、帰ってこない時間。
私のせいで、すべては失われてしまったのだから。
目を開けると、見知らぬ天井が見えた。
「気が付いたかな?」
初老の男性の声が聞こえ、驚いて見ると、ベッドの横に細身で白髪の男性がいた。
「わしはグエン。この村の村長をしているものだ」
落ち着いた声音が、心地よく響く。
グエンは窓に近づき、閉めてあったカーテンを開け、外の景色を見せる。
「ここはタシバ村。お前さんは、ここの南の森で倒れておったんじゃ。覚えとるかの?」
「あ・・・」
ぼうっとする頭から、記憶を拾い集める。
「あの、助けていただき、ありがとうございました。あ、私、ナオ・ミードと申します」
「ああ、正確に言うと、助けたのはわしじゃなくて、あいつじゃ。ザント」
グエンが指差した先は、窓と反対側だった。
ドアの横の壁にもたれかかって、腕組みをしている男性が目に入る。
下を向いているので、表情はよく見えない。
「あの、ザントさん、助けていただいて・・・」
お礼を言いかけたナオの言葉を、ザントは遮った。
「ふざけんなよ、てめぇ」
「・・・え?」
ザントがバッと顔を上げ、ずかずかずかとナオのいるベッドまで来たかと思うと、突然早口でまくしたてられた。
「お前がいたせいで獣がビビッて狩りできなかったじゃねぇか。どうしてくれんだコラ」
「え、あ、それは、すみませ・・・」
「すみませんじゃねぇよ。大体あんな狩猟区域にいて、間違えて射られちまっても文句言えねぇぞオラ。罠にかかったら弁償してくれんのかよコラ」
「あ、あの、その・・・」
ザントの三白眼に睨まれ、ナオはしどろもどろしてしまう。
「ったく、野垂れ死ぬならよそでやってくれ。こっちはいい迷惑だ」
「そ、そんな言い方しなくたっていいじゃないですか!」
急に反撃したナオに、ザントは少し驚いた様子だったが、すぐにその顔には好戦的な表情が戻る。
「ああん?」
「私、たくさん歩いて、何日もまともに食べてなくて、それで倒れたんです。そんな、責めるみたいに言わなくったって・・・」
「そっちの事情は、俺には関係ねぇだろ」
「そ・・・」
そんな、と言おうとして、ナオは思いとどまった。
確かに、目の前の男には関係ないのだ。ナオがどんな理由で、命からがらここに逃げて来たか、なんて。
だが、ナオは言われっぱなしでいるような性格ではなかった。
「じゃあ、そのまま放っておいてくれたらよかったのに」
ふてくされたように言うと、すぐに反撃に遭った。
「んなところにお前がいたら、邪魔で狩りができねぇじゃねえか!」
(理由、そっち!?何だかんだ助けてくれたから根っこはいい人だと思いたかったのに!)
この人にとっては、人の命は狩りより軽いらしい。呆れてものが言えない。
命より大事なものなど、ありはしないのに。
「大体なあ、山の中歩くのになんだその髪は!前見えてんのか、それ?」
とうとうザントは、ナオの容姿に文句をつけ始めた。
ナオは前髪を、目が隠れるくらいまで伸ばしている。
これは、ナオにとって大変重要なことだ。
「あの、私、顔に傷があって・・・」
「ザント、ストックは十分あるんじゃろ?今日1日獲れなかったぐらい、何てことはなかろうに」
見かねたグエンが助け舟を出す。
「そういう問題じゃ・・・」
「グエンさん、準備できたよー!」
バターン!と大きな音を立ててドアを開け、女が1人入ってきた。
背はナオと変わらないぐらいだが、男性と同じような動きやすそうな服装で、髪も女性にしてはとても短い。
むき出しの腕や足はほどよく引き締まり、一見すると少年のようにも見えるが、その豊かな胸が女性であることを主張していた。
「狩りに言って、女の子をハントするなんて、ザントもやるねー」
「うるせぇリーザ。黙ってろこの男女が」
ザントはきつい口調でいなすが、リーザと呼ばれた女性は全く気にも留めていない。
「ふふーん!男共に、この胸のふくらみは出せまい!うらやましいか?ん?」
「・・・お前、もう少し慎みを持てよ・・・」
あのザントが押されている。
それだけで、ナオはこの女性を好きになれそうだった。
ナオが見ていることに気付いたのか、女性がナオの方を向く。
「初めまして。私はリーザ。このクソバカが失礼なことばっかり言ってごめんね」
「聞いてたのかよ男女」
「聞こえたのよ。誰かさんの声がバカでかいから。で、このうすらバカは放っておいて。ずっと歩き続けだったんでしょ?じゃ、お風呂入ってからご飯にしよっか。さ、レッツゴー!」
半ば引きずられるように、ナオはベッドから連れ出される。
「あ、あの、リーザさん」
「んー?」
「これ以上、お世話になるわけには・・・」
「はいはい、ここまで来たら一緒だから。後のことは後で考えよー!どこか行くにしても、このまま出て言ったらすぐに獣に襲われちゃうよー。あ、替えの服は私の使ってね。何だったら背中流そうか?」
「いえ、自分でできま・・・」
「じゃ、行こー!」
リーザはナオを連れ、あっという間に風呂場に連れて行ってしまった。
「ザント。言い過ぎじゃ」
「くそ。分かってるよ、くそジジイ」
「ちゃんと謝れよ」
「・・・」
風呂から上がると、ほかほかの食事が用意してあった。
「本当は私が獲ってきた肉をがっつり食べてほしいんだけどさ!何日か食べてないんでしょう?今日のところはやめといたー」
そう言ってリーザは、米をスープで煮込んだものを出してくれた。
ザントとグエンも、自分の分をよそっている。
久々のまともな食事に、ナオのおなかはぐーっと元気な音を立てた。
「おなかは正直だね。さあ、たんとお食べ!」
ナオが一口含むと、温かさと米の甘さが口に広がる。
「え、ちょ、何で泣いてるの!?」
言われるまで、ナオは気が付かなかった。自分の目から、涙がこぼれていることに。
これには、グエンもザントも驚いたようだった。
「す、すみませ・・・あの、久しぶりで・・・。誰かと、あったかい、ごはん、食べるの・・・」
「そっかー・・・苦労したんだね」
リーザはそっと、泣いているナオの肩を抱いた。
その温かさに、余計に涙が出る。
「ふ・・・う・・・うぇっ・・・」
「泣きたいときは、泣いたらええ」
まったく似てはいないはずなのに、そう言うグエンの声は、優しかった父の声に重なった。




