09
マシューが手を離すと、キャメロンはフラフラになりながらも、泣きながら逃げるように彼らの元を立ち去った。最初は周囲の人の目があったものの、今は落ち着いた。もう気にされていない。このあたりはあまり、警察にも警戒もされていない。ジャックとの電話は、いつのまにか切れていた。
精神的にどっと疲れたせいか、立っていられなくなったギャヴィンは歩道脇の石柱にもたれ、座りこんでいた。キャメロンが去ってからしばらく沈黙があったのだが、やっと口を開ける状態にまで回復し、隣に立つマシューに切りだした。
「お前、兄貴いねえじゃん。姉貴と妹だけじゃん」
彼が笑う。「いや、ちょっと脅すつもりだったんだけどさ、言いだしたら止まんなくなって。だってあいつ、マワすっつった次の瞬間からガクガク震えてるんだもん。想像力豊かで助かった」
「怖いよ、お前」
ギャヴィンはけっきょく、なにもしていない。腕を振りほどこうとはしたが、触りたくもなかったので、腕を振りまわすようなことしかできなかった。マシューが引き離してくれてからも、ただ見ていることしかできなかった。
マシューもしゃがんだ。石柱にもたれ、立てた脚に伸ばした両腕を置く。
「ま、あんだけ言っとけば、たぶんもう大丈夫だろ」
あれで懲りなければ、真性馬鹿だ。
「──なんで、言わなかったわけ?」
「なにが」
「今も電話きてるなんて話、しなかったじゃん」
「だってお前、ずっと女つくらねえじゃん。あんま言ったら、一生女作らない気がして」
確かにそうだ。一年前キャメロンと別れてからは、もう二度と恋愛できないと思っていた。“女”という存在そのものがイヤになっていた。どうにか女性恐怖症にはならずに済んだが。
「──お前、そんなやさしい奴だっけ」
「さー、どうだろ。どっちかっつーと、お前のためって言うより、しつこく電話された俺のウサを晴らしたっていう。あとちょっと、責任も感じてる。俺が拾ってきた合コンで、あいつと会ったわけだし。まあけっきょく、また出てきたわけだけど。それにあいつ、俺よりお前選んだわけだし」
意味がわからない。「お前に行ってたら、どうなってたんだろ」
「さあ。想像したくもない」
それもそうだ。
マシューが続けて言う。「学校もそうだけど、お前の家、交番のすぐ近くでよかったよな。そのおかげであいつ、さすがに家にこなかったのかも」
ギャヴィンは力なく笑った。「じゃあ俺、一生あの家に住み着く。姉貴なんかに渡さない」だがあの部屋は、いつかぶっ潰してやる。
「そうしろ。──あ、ジャックだ。タクシー」
マシューの視線を追った。本当にジャックがいた。通りを渡って彼らのほうへと歩いてくる
「ああ、無事でよかった。なにがどうなってんの? なんか、わけわかんないんだけど。」
立ち上がると、マシューはジャケットのポケットに両手を入れた。
「散々脅したから大丈夫だろ。っていうか、一人?」
「うん。ライアンは放置してきた。ジェニーとレナもいるし。それにあいつ、ほとんど知らないもん。っていうか全然?」
ライアンは、ギャヴィンが一年前、相手の浮気が原因で女と別れたということ以外、なにも知らない。ギャヴィンはジャックにも言うつもりはなかったのだが、いつだったか、愚痴なのか、彼にはぽろっと言ってしまった。
「へー。んじゃこいつ、連れて帰ってくれんの?」マシューが訊いた。
「かまわないけど。っていうか脅しって。散々って。捕まるなよ」
「そしたらあのアホ女も訴えてやる。ストーカー行為。とりあえず、俺はこれから女口説きに行ってくる。あとよろしく」
「うん。また学校で」
「ん。じゃな、ギャヴィン。もう忘れろよ」
今度こそ本当に終わったのだという実感がさらにこみ上げたせいか、ギャヴィンには顔を上げる動かす気力すらなく、どうにか手を振って応えた。
「ん」
マシューの背中を見送るジャックが言う。「相変わらずだな。大丈夫か、あれ」
「さあ。でもあいつから女を奪うなんて無理なわけで」
マシューはとてもタフだ。しかもなぜか、女運がやたらといい。イヤな思いをしたことがないというわけではないが、するとしてもそれはギャヴィンと違って苛立ちのほうが大きいイヤな思いで、その点を考えれば、女性恐怖症になることもなりかけることもないし、おそらく、今後も一切ないだろう。
ジャックは苦笑った。「確かに。ライアンよりすごい。とりあえず、タクシー乗るよ」