夜のバス停で君と踊る
「夏のホラー2011」飛び入り参加作品です。このような企画に参加するのははじめて。果たして、これはホラーと云えるのか? オチが読めてしまうのではないか? いろいろと不安はあるのですが、どうぞお手柔らかにお願いします。
バスに乗るなんて何年振りだろうか。
そういえば、小学生のときに何度か乗った覚えがある。あの頃の僕にとって、バスはちょっとした冒険だった。待っているときも、バスに揺られている間も、果たしてきちんと目的地に着くのだろうかと、そればかりを考えていた。
情けないことに、そんな不安感は、身体が大きくなった今でもあまり変わらない。電車は平気で乗れるようになったが、バスは駄目だ。レールに支配されている電車とは違い、バスは何処から来て何処に行くのか分からない。いつ来るかもいつ着くのかも、交通事情によって大きく左右される。
そんな不確かさへの嫌悪もあって、僕は現在、自転車で通学している。学校から自宅までは、歩きでは時間がかかりすぎるほどの距離があり、自転車でもそれなりには疲れる。ただ自分の力でどこまでも行けることの感動は疲労を忘れさせてくれる。
逆に、そんな翼が壊れた日には、つまり今夜のような日には、やはりどうしようもないほどの気だるさと不安感の中に引き戻されてしまうのだった。
茂みで細くなった歩道を進むと、小さな待合室が見えてきた。あれだ。
暗闇の中で時計を確認すると、午後九時五十分である。最終バスは午後十時に十八分だと調べてあったので、だいぶ早く着いたことになる。僕は安堵とも落胆ともつかぬ溜め息をつき、暗い待合室に足を踏み入れた。
その瞬間。
カチ。
と小さな音がして、白い光が降ってきた。
赤外線センサーで明かりが点灯する仕組みのようだった。
田舎のくせに、ハイテクなつもりなのかなんなのか。むしろ、ローテクというか、とてもレトロなふうにすら感じて、僕は笑う。とはいえ、明かりがあることには、とにかく心底ほっとする僕だった。
お世辞にもきれいとは云えないプラスチックの椅子に腰を下ろし、何気なく周囲を見渡す。
虫の張り付いた掲示板、空き缶が転がるコンクリートの床。無機質な、それでいてわずかに人の営みの感じられる室内がぼんやりと照らし出されている──。
「わっ」
僕は、多分、肩が飛び上がるほど驚いたことと思う。
少女。
入口からは見えなかった位置に、少女が居た。
暗闇の中に居たこと、そして見覚えの無い制服を着ていたことなどが相まって、僕は一瞬、彼女を幽霊だと思い怯えた。少女は長い黒髪を揺らして僕のほうを向いた。
「こ、こんばんは」
僕は、絞り出すようにそう云った。
「こんばんは」
少女は静かなアルトの声で答えた。地味だが、そこには確かに血の通った温かさがあった。
こんな夜中に、こんな辺鄙なバス停を利用するこの少女。素性が気にならないこともなかったが、とりあえず幽霊ではなさそうだ。
何にしても会話も途切れたことなので、僕は少女から目を反らした。時刻表を見つけたので、バスの到着時刻を確認する。ダイヤの改正などは無かった。
あとは、時間が過ぎるのを待つだけである。僕は鞄を開き、文庫本に手を伸ばした。
カチ。
一瞬で、待合室は真っ暗になった。僕は驚きながらも押し黙り、ゆっくりと立ち上がった。
カチ。
再び、明かりが点いた。
そういうことか。僕は苦笑いする。このセンサー、動くものにし反応しないのだ。これで少女が暗闇の中でぼうっとただ座っていたことにも合点がいく。
それにしても参った。これでは文庫本など読めそうにない。それ自体が発光する電子書籍や携帯ゲーム機があれば、どうにかなるかもしれないが、あいにく僕はそういったものを持ち合わせていない。あと三十分余り、一体何をして過ごせばよいのだろう。
僕はどうにかして本を読もうと、右手に本を持ち、空いた左手でセンサーの相手をしようと考えた。だが、どうも長続きしない。少し油断した瞬間、明かりが消えてしまうのだ。第一、物語に集中できないので、元も子もない。
明かりの持続時間は意外と短かった。試しにちょっと測ってみると、十秒ほど動きが無ければ、消灯するということが分かった。
僕はこの仕掛けの設計者を恨んだ。設計者は、夜、この椅子に座ったことが無いのだろう。省エネだか何だか知らないが、これでは本来の機能を果たせているとは云えない。むしろ小馬鹿にされているような感じがして、悪趣味と云う他にない。
しかしそんな憤りに身を任せて、がむしゃらに腕だの脚だのを動かしても、ちょっと疲れて休むと電気は落ちる。
僕はすぐにそれらの行動の虚しさに気付いた。また、短い間隔で明かりが点いたり消えたりを繰り返すことが、目の前の少女にとっても目障りであるような気がして、僕はついに読書を諦め、暗闇の中に沈んだ。
「困りましたね、これ」
僕はなんとなく、少女に話しかけてみた。
「そうですね。困っちゃいますよね」
少女は小さく笑い、応えた。思いがけず和やかな雰囲気になった。僕はおどけた風に大げさに腕を動かして、また明かりをつけてみた。蛍光灯の光の中に、少女の笑顔が浮かんでいた。僕は少しばかり、少女を観察してみた。女性の歳は識別しにくいというが、制服を着ているところを見れば、そう離れた歳でもあるまい。同い年か、一年生かと僕は推測した。
「運動部だったら、筋トレでもすれば良いかもしれないけれどね」
ちょっとタメ口を試してみた。
「そうですね。動き回ってなきゃ、ですね」
少女は少しも悪びれる様子は無く、僕との会話を楽しんでくれているようだった。僕は少し嬉しくなった。それに、良く見ると少女はとても可愛らしかった。なんとか会話を続けて、彼女のことを聞き出せないだろうか、と僕は考え始めていた。もっとも、馴れ馴れしいのも良くない。
「いつも、バスで帰っているんですか?」
僕は当たり障りの無いように続けた。
「ええ。本当は自転車で通いたいんですけど、体力的にちょっと…」
確かに線が細く、儚げな印象だった。
「友達は皆、自転車で通っているんですけどね」
「そうですか。僕も普段は自転車なんですけど、昨日、壊れちゃって」
「あ、そうなんですか。大変ですね」
「いや、まあたまにはバスも良いかもしれません」
こういう出会いもあるわけだし、などという言葉は飲み込む。
カチ。
辺りが暗闇に包まれる。僕はあわてて足を伸ばし、光を呼び戻す。
「でも、やっぱり、コレは困りますね」
「そうですね」
「いつもは、どうしているんですか?」
「私も、いつもちょっとはジタバタしてみるんですけど、結局何もできないです」
少女はそう云って屈託のない笑みを浮かべた。そっかー、などと云いながら、僕も笑った。そうしてまた会話が途切れ、明かりも消えた。
「あの…、ここ、出るらしいですよ」
唐突に、少女が口を開いた。
「え」
僕は絶句する。顔を上げた動きで、明かりが灯った。
「出るって、幽霊?」
「あ、ごめんなさい。苦手でした?」
「い、いや、別に。良かったら聞かせてよ」
「え、ええ。あの、このバス停から一キロくらい行くと、お墓があるじゃないですか」
「うん…」
確かに、あったかもしれない。
「幽霊って、暗くて、じめじめしたところを好むそうです…。実際、友達は何度かここで視たって…。だから、皆、あんまり近寄りたくないみたいなんですよね」
少女はそう云い、乾いた笑いを零した。
暗くてじめじめした…。僕は室内を見渡す。椅子の下には、中身が少し残ったコーヒーの缶。辺りには雑草の匂いが満ちている。十分にじめじめしていると云える。なかなかぞっとしない話だ。
「そう云われると、ちょっと怖いかもね」
「こ、怖いですよね!」
云いながら少女は、手をパタパタと動かしていた。
そうか…。怖いのか…。幽霊に怯える可愛らしい少女。勝手なことだが、自分が守ってあげたいという、使命感ともでも云うべきか、運命的な何か、僕は感じた。
「い、いや、まあ、大丈夫でしょ」
僕自身、幽霊はそれなりに怖いのだが、少女の前でそう云うわけにはいかない。とりあえず、僕が今できることは、動き回って明るさを維持することだけだった。
僕は立ち上がり、タップダンスの真似をして見せた。
「明るければ、大丈夫だろう」
僕は少し調子に乗ってそう云ってみた。
すると、少女は声を出して笑い、答えの代わりに、トン、トンとコンクリートの床を蹴った。
とても粋な返事だった。言葉は無かったが、確かに気持ちが通じ合っている気がしてきた。暗闇に対する不安感が、僕と少女にささやかな同盟を結ばせたのだ。
僕らは交互に足を踏み鳴らした。ときどき顔を伺うと、少女も僕の顔を見て笑っていた。なんだろう、とても良い雰囲気になってきたではないか。まるで夢のようだ。
田舎の道路の一角に、ぽつりと浮かぶ一軒分の明かり。それは僕と彼女だけ小さなダンスホール。そんな非日常的でロマンチックな妄想が、些末な足音から広がっていく。僕らは、煌びやかな明かりが消えないように踊り続けた。
踊りながら、僕はふと、ある恐ろしい想像をした。
次に明かりが消えたとき、目の前の少女が消えてしまうのではないか──。つまり、彼女はやはり幽霊で──誰も利用しないこのバス停に住む幽霊で──淋しく──話し相手が欲しかっただけとか──。
ばかばかしい。
僕は自嘲気味に笑う。そんな神秘的な、優しい幽霊なら、怖くは無いかもしれないけれど、少し切ない。
「あ、バスが来ましたよ」
云われて顔を上げると、外から強い光が差し込んでいた。彼女を見ると、少し汗ばんだ顔が、バスの明かりに照らされて光っていた。
「ああ、本当だ。これで、帰れるね」
僕は鞄を手に取った。
「行こう」
「あ、私は、もう少し後です」
「え」
僕は心臓を鷲掴みにされたような思いだった。
このバス停、他の便があっただろうか──。しかし僕は、それを確かめることが、どうしてもできなかった。
「そ、そう。それじゃ、ね」
僕の背後で、プシューとけたたましい音を立てて、バスのドアが開いた。僕は踵を返し、ステップを上がった。バス停側の椅子に腰を下ろして少女のほうを見下ろすと、彼女は笑顔で僕を見送っている。
彼女の背後で、待合室の明かりが落ちた。車内から零れる光が、彼女だけを暗闇の中に浮かび上がらせていた。
バスが走り出す。僕が行くと、彼女はまた一人になってしまう。僕は少し申し訳ない気持ちになりながら、バス停のほうを見ていた。彼女は少し俯きながら、待合室の中に戻っていった。音も無く白い光が灯る。
そして僕は、恐ろしいものを視た。
待合室の中は、突如現れた老人たちで一杯だった。
その中に、彼女は入っていった。
END
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。