第8話 マルキスタンの街と出会いと
「へえ、この街はまだ残ってたんだ……」
「? ヘイル君はこの前までここに滞在してたんじゃないのかい?」
「え? あ、いや何でもないんです、ただの独り言ですから」
「……?」
思わず声に出してしまっていた。危ない危ない。
しかし、この街がまだ残っていた事には驚いた。今より300年近く前に造られた筈なのに。
“キングダム”で最後に転移した街、マルキスタン。“キングダム”でフレンドだったあるプレイヤーが造った街。
マレロの森に近いという事もあり、昔は20レベル程度の初心者プレイヤーやオーク材を採取しに来たプレイヤーで大いに賑わっていた。
今も決して寂寥としている訳では無いが、その光景には違和感があった。
街の中へ入れば商店も開いているし、冒険者らしき人々も通りを歩いている。
衛兵も街中に点在しているし、住人らしき人々も忙しなく街を走り回っている。
けれど――ああ、そうか。
「……人間しか、居ないのか」
「……」
隣を歩く、野草から作った大量の茶葉を入れた袋を背中に担ぐ男性は何も言わない。
ここにはエルフもドワーフも竜人も獣人も、誰も居なかった。
ここに居るのは人間だけ。俺の隣を歩いている、獣人のダンさん以外には。
あの村に住むダンさんは、今回俺と一緒に茶葉や毛皮を売りに来た。勿論頭にはフードを被り、尻尾は長いローブで隠している。
これはヴェスタさんに頼まれた事だ。
何をするつもりなのかは分からないがお金が欲しいのだそうだ。
あの村では外との交流が極端に少ないので、生活するのにお金は必要無いと思うのだが、何か考えがあるのだろう。
因みに今回は手伝いではなく冒険者として“依頼”をしたいそうで、帰れば売って出来たお金から報酬を支払ってくれるらしい。
正直こちらの世界に来て気絶していた所を助けて貰って、その上村に住まわせて貰ってるだけでも相当ありがたいと思うのだが、そこはヴェスタさん達が憚らなかったので一応報酬を受け取る事にした。
ていうか他人にお金を預けるってのも変な話だ。俺が持ち逃げしたらどうするんだろう。いやしないけど。
ダンさんが付いてきてるのもそういう意味合いがあるのかも知れない。
ちなみに付き添いがヴェスタさんじゃないのは当然ラキさんの看病があるからだ。
ともあれ、俺は街に来て少々興奮していた。
街にならば本屋があるだろう。そして歴史書なんかも置いてある筈だ。
何らかの手掛かりがあれば良いのだが。
◆ ◆ ◆
「茶葉を100グラムほど貰える?」
「それなら銅貨2枚です」
「はい、銅貨2枚」
「ありがとうございましたー」
今、俺とダンさんは大通りの一角のフリーマーケットで露店を開き、持ってきた茶葉や毛皮等を売り捌いている。
商店に持って行っても酷く安い値を付けられるか、そもそも買い取りを拒否されるかだったからだ。
ゲームならば常に一定の値段で買い取ってくれたのだが、それと同じ様にはいかないようだ。
この世界の貨幣価値としては
小銅貨10枚で銅貨1枚。
銅貨10枚で小銀貨1枚。
小銀貨10枚で銀貨1枚。
銀貨10枚で小金貨1枚。
小金貨10枚で金貨1枚。
そして金貨100枚で星貨1枚となる。
つまり星貨を除き、各貨幣が10枚で次の貨幣と同等の価値がある。
通貨単位は“ジェル”で、これは“キングダム”でも使われていた。
小銅貨1枚は1ジェル、つまり星貨1枚は1千万ジェルになる。
途中で見た物価からすると、4人家族が1日を食べて過ごすのに銅貨8枚程度。1ヶ月では小銀貨25枚といったところか。
星貨以外は名前の通りだが、星貨は何やら特殊な物質で出来ているらしい。直接見たことは無いので詳細は不明。
因みにグラムだとかセンチだとか、そこらへんの単位は地球と同じらしい。やはり“キングダム”が国産MMORPGで、恐らくここが“アスガイア”だからなのだろう。
さて、陽も傾いてきたし、そろそろ宿へ向かった方が良いかな。
「ダンさん、人通りも疎らになって来ましたし、今日はここまでにしておきません?」
「ん? ああ、そうだね。残りはまた明日にしようか」
隣で荷物を整理しているダンさんに声を掛け、目の前の品を片付け始める。
毛皮は畳んで大きな袋に詰めていく。
茶葉は100グラム毎に分けて、小さな袋に入れている。その袋の口を締めている糸の一部に、順に紐を通していく。
こうする事で、紐を持つだけで全ての茶葉袋を持ち運ぶ事が出来るようになるのだ。
しかしキノコが余ってしまったのはどうしよう。
ついこの前マレロの森の中で採ってきた、小さな、しかし濃厚な味わいが特徴のキノコ。非常に美味しいと思うのだが、何故か誰一人としてこのキノコには興味を示さなかった。
もしかするとこの国にはキノコを食する風習が無いのかも知れない。
ならこのキノコは今日の晩飯にでも使おうか。
そんな事を考えながら片付けをしていた時、不意に影が目の前で立ち止まるのが見えた。
「すまない、今日はもう売り終えてしまったのだろうか?」
女性らしき声が頭上から掛かる。
顔を上げてみれば、そこには銀の軽鎧に身を包んだ女性が立っていた。
汚れ一つ無い様に見える彼女の軽鎧。
しかし目を凝らして見ればそこには目立たない程度の小さな傷が、しかし数え切れない程多くの、戦いの記憶として刻まれていた。
腰に帯いた剣は装飾の少ないながらも、その荘厳な雰囲気を醸し出す白銀色の鞘からは、かなり良質な一振りだと言う事が伺える。
数々の修羅場を潜り抜けてきた痕跡の残る白銀の軽鎧と、研ぎ澄まされた気配を放つ白銀の剣。
加えてそれらの装備に引けを取らない、彼女自身の覇気。
間違いない。目の前の女性は相当な実力者だ。
しかし、そんな威圧感とは裏腹に。
肩甲骨のあたりまで伸びた彼女の金髪は、後頭部で一つに纏められている。
沈み始めた太陽の赤みがかった光は弱々しく、しかしその微弱な明かりだけでも彼女の金色の髪は燦然と輝いていた。
シャープな顎から左右に伸びる、なだらかな輪郭。
元々は白かったであろう皮膚は少し日に焼けているが、そこには染み一つ無く、人一人分離れていても肌の艶が見える。
彼女が、一度パチリと瞬く。
こちらを見つめる形の良い大きな目。
色素の薄い、長い睫が彼女の目を一段と大きく見せている。
中心にある金の瞳は、夕陽の光を反射して煌めいていた。
筋の通った鼻は高く形良く、それでいてあまり目立たない程度に収まっている。
ほんの少しだけ開かれた唇から漏れる吐息が艶めかしい。
一つ一つを注視してみれば彼女はとても大人びたパーツを持っていた。しかし視点を引いて見てみれば、それはまだ幼さの残る顔立ちだった。
見た目、年の頃およそ18程度。
艶やかなパーツと未成熟な雰囲気。
矛盾した二つの要素を合わせ持つ彼女は――美しかった。
さらに彼女の身に着ける銀色の武具と金色の髪。
その金と銀のコントラストが犯し難い神聖さを放ち、そして彼女の美貌をより一層引き立てていた。
そして彼女は美しいだけでなくどこか――ひどく懐かしい、匂いがした。
「もし、聞いているか? 何か具合でも悪いのか?」
「…………え? あ、ああ、すみません。少し惚けてしまいました。どうかしましたか?」
どうやら少しばかり自分の世界に入り過ぎていたらしい。
目の前の女性もダンさんも少し怪訝な表情をしている。
しかし彼女から感じる懐かしい感覚は一体……。
「む、何とも無いなら良いのだが。実はケット代わりに使っていた毛皮がボロボロになってしまったのでな、新しいのを買おうと思ったのだが……。今日は店仕舞いかな?」
彼女はそう言って怪訝そうな表情を元に戻す。
毛皮をケット代わりに、というと出で立ちからしても、やはり冒険者か何かだろうか。軍人なら支給される物があるだろうし。
ともあれ。
「あ、店仕舞いはしてますが構いませんよ。どれが良いですかね?」
先ほど仕舞った毛皮類を再び引っ張り出し、何枚か広げて見せる。
既に村の人達に鞣された後の物なので、腐る事は無いし鞣す前よりも柔らかい。
「ふむ、なかなか大きいな。傷も見当たらないし」
彼女は俺の広げ持っている毛皮を手にとって、しげしげと眺めている。
毛を摘んだり表面を撫でて肌触りを確かめているようだ。
毛皮を調べているその腕に無駄な肉は付いておらず、筋肉も引き締まっている。
肉刺の潰れた様な痕の残る手のひらは、確かに剣士のそれだ。
風が吹き、彼女の髪がふわりと躍る。
なんとなく失礼だとは思いつつも、彼女の顔を見つめ続ける。
彼女は正しく美人だ。長い睫も自然に整った眉も、小さな顔も形良い目も。
しかし彼女には、魅力的な容姿以外にも何か惹き付けられる物があった。
それは一体何だろうか。
言うなれば、既視感のような、親近感のような何か。
ハッキリとはしないが、確かに彼女には“何か”があった。
「うん、これにしよう。一枚売って欲しいのだが、いくらになる?」
そう言って彼女は一枚の毛皮を手に取る。確かこれはブラックウルフと言う、その名の通り黒い体毛が特徴的な狼の毛皮だ。
ブラックウルフ自体はさしてレベルも高くなく、村の人達でも十分に狩れる程度のモンスターだ。
しかしこの付近には個体数があまり多くなく、毛皮が手に入り辛いらしい。
ならば値段は少々高くても構わないだろう。
「そうですね、この辺ではブラックウルフの毛皮は手に入り辛いので……小銀貨5枚、500ジェルでどうですか?」
少々ふっかけた値段を提示してみる。
“この辺りでは珍しい”だけで、そもそもブラックウルフ自体はそれほど希有な存在ではない。
初心者時代に東の方でよく狩っていた覚えがあるほどだ。
ただ、商売は最初に高めの値段を出して交渉する物だと聞いた事があったので、それを少し実践してみようと思ったのだ。
だがしかし。
「ん、分かった。では小銀貨5枚だ」
「……あ、どうも」
あっさりと払われてしまった。
ヴェスタさんからブラックウルフの毛皮は小銀貨2枚で売れれば良い方だと聞いていたので、正直拍子抜けてしまう。
高く売れたのは良いけれど、なんか悔しいです。あとちょっぴり後ろめたい。
代金を受け取って彼女に毛皮を渡す。
すると彼女は早速ふわりと毛皮を羽織って見せる。
「うん、これは良いな。とても暖かい。これからの季節にぴったりだ」
黒と金と銀の彼女は、嬉しそうに顔を綻ばせた。
自然、それに釣られてこちらも頬が緩む。
先ほどまでとは打って変わって、花の様な笑顔。ほぼ無表情だった人が、急に笑顔になるとこんなにも可愛いのかと感心してしまう。
これがギャップ萌えと言うやつなのか。おそろしや。
そしてふと顔を見ると、彼女の目は俺の腰のあたりに向いていた。
そこにあったのは、締めた筈の袋の口から顔を出しているキノコの姿。卑猥な意味ではない。
「……それも売り物なのか?」
彼女はじいっとキノコを見つめながらそう言う。
「えっと、一応そうですけど……何か?」
彼女はふむ、と顎に手を当てる。
先ほどの笑顔はどこへやら、一転して何やら難しい顔をしている。
「……農民の様な服装をしているが、貴方達はこの近辺の人間ではないのか?」
「……? あの、言っている意味がよく……」
確かに今の俺の格好は見た目農民のそれだが、何の関係があるのだろう。
「いやなに、この国では“キノコ類の摂取禁止令”なる物があると聞いたのでな。確か発令は1年前だったか。商人が他国から運んでくる分には問題ないが、この国で採ったキノコ類を食するのは違法なんだそうだ」
……何だそれ。それもあれか、例の愚王がやってんのか。
ダンさんの方を見ると、やはりそんなふざけた法令は初耳だったらしく、フードに隠れた顔に驚いた様な色が見える。
まああの村は外との交流をほぼ絶っていたみたいだから、聞いた事が無いも仕方ないだろう。
しかしマレロの森では別段キノコ類が絶滅する様な雰囲気は無かった。というかあの一日だけでも数十種類は見つけた。
一体何の目的でそんな事をするのかは甚だ疑問である。
ただそういう事なら、誰一人キノコにだけ興味を示さなかった事にも頷ける。
どう見ても他国の商人には見えないこの格好でキノコを売っていれば、それは国内で採った“違法な”商品だと思うだろう。
実際そうだし。
「そうだったんですか。教えて頂いてありがとうございます」
「礼はいい。……ただ、気をつけた方が良い。恐らく、貴方達がこれを売っていたと言うのは“街”の方にも伝わっているはずだ」
そう言った時、彼女は“街”の部分を特に強調していた。
それが何を意味するのかは分からないが、“街”に捕まらないように、と言う事だろうか。
「分かりました。気を付けます」
頭を下げて礼をする。
再び顔を上げた時、彼女は少しだけ微笑んでくれた。
「うん。それではな。良い毛皮をありがとう」
手を振って見送ると、彼女も軽く手を挙げて応じてくれた。
暫くその後ろ姿を目で追っていたが、やがて彼女は人の流れの中に消えていった。
――名前だけでも聞いておけば良かったかな。
そうしなかった事に軽く後悔しながら、目の前の商品の片付けを再開したのだった。




