第7話 一日経って
「ヴェスタさん、居ますか?」
木製の扉をノックする。
堅い音が響き、タタタタと小走りする音が扉に近づいてくる。
ゆっくりと扉が開かれると、そこにはキイが立っていた。髪もボサボサで、どことなく顔色も優れない。
「あ、ヘイル……」
「おはよう。……キイはもう大丈夫?」
「うん、おはよう。私は大丈夫だよ」
そう言って取り繕う笑顔はぎこちない。
よく見れば目の下には隈が出来ている。一晩中看病していたのか。
もう命に危険は無いのだから、流石にそこまでしなくても……と考えてしまうのは、俺が家族でないからなのか、それとも心が冷たいからなのか。
キイにとって、それだけラキさんが大事なのだろう。
「そっか、良かった。ラキさんはどう?」
「……お母さんはまだ寝てる。けどヘイルのおかげで傷も治ったし、心配ないよ。ヘイル、ありがとう」
その言葉にチクリと心が痛んだ。
ラキさんは今だに寝込んだまま意識を取り戻していない。
多くとも数日中には目を覚ますだろうが、こうなってしまったのは完全に誤算だった。
あの後、三人の元へ駆け付けた時に見たのは、気絶しているラキさんに上手くポーションを飲ませられず、焦るヴェスタさんとキイの姿だった。
少しずつは飲んでいたが、如何せん気絶している人は自発的に嚥下してはくれないのだ。
俺を見た二人は驚いた顔をしていたが、魔物は遠くにおびき寄せた後に撒いたと説明しておいた。
実際あのアウトベアの攻撃力や耐久力はそれなりの物だったが、素早さだけならばヴェスタさんの方が上回っているくらいだった。撒けたと言っても大して怪しまれないだろう。
倒した、と言わなかったのは勿論実力を隠す為だ。
30レベルだと言ってあるのに60レベルの魔物を素手で、しかもこの短時間で倒してしまったら不自然な事この上無い。
だからわざわざ風の上級魔法を使って死体を遠くに飛ばしたのだ。
ただ“戒めの指輪”を外したのには他にも理由がある。
一つは純粋に怒ったから。
“初めての戦闘”で頭に血が上っていたのもあるが、自分の友達が危険に晒されて怒らない訳がない。
もう一つは、自分の実力を正確に把握する為。
記憶から大体の予想は出来るのだが、ステータスも伸びているし、何より一度は身を持って体感しておきたかった。その結果がアレだった訳だが。
しかしやはり実験しておいて正解だったと思う。
“キングダム”では周りの木々を切り刻み、吹き飛ばしてしまう様な二次的な被害は無かった。
ゲームなのだから当然と言えば当然なのだが、しかし現実として起こってしまったのだから、その事実を認めざるを得ない。
あんな無差別に被害を出すような危険な魔法を、味方がいる時に使う事は出来ない。守るべき者まで傷付けてしまうだろう。そういう時は物理的な攻撃か、低級魔法だけで対処するべきだ。
それが分かっただけでも十分収穫はあった。
そして今回、その収穫とは対照的に、誤算による失敗があった。
それはあのアウトベアに毒があった事。
到着してすぐに、苦しむラキさんに『治癒』を掛け、傷口を塞いだ。その間もヴェスタさんが少しずつポーションを飲ませていた。
一連の治療が終わって一息ついた時、異変に気付く。
傷は全て塞ぎ、ポーションで体力も回復している筈だった。それにも拘わらず、ラキさんの顔色は悪くなり、呼吸も荒くなる一方だった。
アウトベアには毒は無かった筈。それは“ヘイル”の記憶でもそうだし“キングダム”でもそうだった。
しかし出血以外に体力を奪う状態異常と言えば毒以外には考えられなかった。
試さないよりはマシだと思い、半信半疑ながらも『状態回復』を掛けると、それは見る見るうちに効果を現した。
青ざめた顔が色を取り戻し始め、数分後には呼吸も穏やかな物になった。
しかしアウトベアの毒はそのレベルに見合った毒性を持っていた様で、レベルの低いラキさんの体には随分と堪えたらしい。
その後も一日中目を覚ます事は無く、現在に至ると言う訳だ。
「……ごめんキイ。まさか毒があるとは思わなかったんだ。もっと早く解毒してれば……」
本当に申し訳無く思う。
直ぐに助けれるだけの力がありながら、それをしなかった事を。
力を隠す事を優先し余計な時間を掛けた。事情があるとは言え、その分ラキさんを苦しめた。
しかしそんな心境を知ってか知らずか、キイはブンブンと頭を振って俺の言葉を否定する。
「そんな事ないよ! ヘイルは時間を稼いでくれたし、傷も治してくれた。本当に感謝してるの! ……もしヘイルが居なかったら、お母さんは……」
そこまで言って僅かに目を潤ませる。
俺が居なければラキさんは今はもう生きては居なかっただろう。その事をわざわざ思い出させてしまった。
失言だったか。
「ごめん、そんなつもりじゃ……」
「……ううん、いいの。とにかくヘイルのおかげでお母さんは助かった。だから謝ったりしないで。ね?」
グイッと顔を近付けてくるキイ。手を掴んで無理矢理引き寄せられる。
その真剣な顔は、了解以外の返答は認めないと言外に訴えていた。
「わ、分かった、分かったから! 近い近い!」
「ん、よし」
そう言ってキイはニッコリと笑い、手を放してくれる。
キイは悲しそうな顔をしていると思えば、急に強気な態度に出たりする。コロコロと表情の変わる彼女は、本当に昨日までのキイと同じ人物なのだろうか。
二日前のオドオドしていた少女は一体何処へ行ったのやら。
もしかしたら、ラキさんを助けた事である程度気を許してくれたのかも知れない。
この表情豊かなキイの一面は、本当なら今も居た筈だった“友達”に見せるべき、彼女の本来の性格なのだと思う。
「あ、そうそう、ヴェスタさんは居る? 『明日の朝、家に来てくれ』って昨日言われたんだけど」
この家に来た元々の目的を告げる。ラキさんの様子も心配だったが、まずは用事を済まそう。
「お父さんは村長さんの家に行ってる筈だよ。何か相談があるみたいだったけど……」
わざわざ呼び付けておいて放置する様な人ではないと思うので、何か急ぎの用件だろうか。
それなら。
「んー、じゃあラキさんの様子を見て行っても良いかな? や、勿論ダメならダメでも良いんだけど」
家族が寝込んでいる姿を見せたくない人もいるだろう。
予め、ダメなら遠慮する事も伝えておく。
「……少しだけね? 入って」
「ん、おじゃまします」
キイに導かれて家の中に入る。
殆ど二日前に見たままだったが、それより多少散らかっている様にも見えた。
「じゃあ付いて来て」
キイが奥に歩き出し、俺もそれに追従する。
すると自然にキイの背後に着く形になり、左右にユラユラと揺れる尻尾が目に入る。
キイが今着ているワンピースタイプの服からはみ出して見えるそれは、毛並みも整っていて手入れがしっかり行き届いているようだ。
獣人族にとっては髪と同じ様な物なのだろうか。
毛質も獣の毛などより余程柔らかそうで、彼女の髪と比べても遜色無い。
あれを思いっ切りもふもふしたい衝動に駆られる。が、それはきっと失礼だろうと思い我慢する。
というか今までドタバタしていて余裕が無かった為に意識していなかったが、こうして少し落ち着いて考えるとこれは本当に凄い事じゃなかろうか。
何せ目の前には犬耳と尻尾の生えた少女がいる。
MMORPGなどでは一般的な、けれど結局はゲームの中の物でしかなかった獣人などと言う一部の男共の妄想が具現化しているのだ。
そして言うなれば、自分自身もその男共の一人だ。
男子なら一度は憧れる空想の物語の世界。剣と魔法、亜人と魔物。
自分は今、そんなファンタジーの世界に居て、ファンシーな少女が目の前にいる。
勿論良いことばかりではない。
元の世界に居る友人や家族は心配だし、こっちの世界の魔物は最早“MMORPGの中の狩りの獲物”ではない。完全なる“敵”だ。
油断すれば怪我も負うし、最悪命をも落とす。
――本当に、来てしまったんだ。
昨日の戦闘を思い出し、改めて実感する。
アイテムウィンドウを見た時は幻覚かと思った。ある程度は信じ始めていたが、正直まだまだ夢見心地だったのだ。
しかし目の前で人が死にかけた事で、ようやく実感が湧いてきた。
ああ、これは現実なんだと。
そうして回想している内に、何時の間にかラキさんの眠る部屋まで来ていた様だ。
目の前ではラキさんが目を閉じて、静かに、規則正しく呼吸を繰り返していた。
――キイは背後から獣の声を聞き、その声に振り返った。するとラキさんが血を流しながら倒れていたそうだ。
何故アウトベアがマレロの森に居たのかは分からない。
しかしそのアウトベアのせいでラキさんは怪我を負い、キイとヴェスタさんは悲しんだ。
だが――俺はある意味安堵していた。
その場しのぎの嘘が現実の物となり、既成事実化したのだから。
それを内心喜んで――――そしてそんな風に考えてしまう自分に、嫌気が差す。
「ヘイル、もう……良いかな?」
「っと。あ、うん。ありがとう、ラキさんも大事はないみたいで安心したよ。じゃあ部屋から出ようか」
きっと今の俺の顔には薄っぺらい笑顔が浮かんでいる。
ラキさんの事よりも、自分の事の安心をしている顔が。
それはそれは醜い顔が。
「けど、お父さんも一体何の用でヘイルを呼んだんだろうね」
「何だろうね、昨日の事ならもう村長さんにも説明したし……これからの事、とか?」
そう言った瞬間、僅かにキイの表情が強張った気がした。
しかしそれも一瞬の事で、今は特にそんな色は見えない。
まあいいか、と再び思考に浸ろうとした瞬間、ガチャリとドアが開く音がする。
「……噂をすれば、かな」
狙っていたんじゃないかと疑ってしまう程にドンピシャなタイミング。
ヴェスタさんが帰ってきたのだ。
「お帰り、お父さん」
「ああただいま。おや、もう来てたんだね」
「すみません、少しお邪魔させて貰ってます」
「いいよいいよ。呼んだのはこちらだしね」
俺とキイが座っているテーブル周りの椅子の一つにヴェスタさんも腰掛ける。
「さて。早速だが、ヘイルを呼んだ理由なんだがね。……頼みがあるんだ」
「……頼み?」
一体何だろう。魔物の駆除か何かだろうか。
ふう、と息を吐いて呼吸を整えるヴェスタさん。
スッとこちらの目を見ると、重々しく口を開く。
多分前の続きで食料になる物を集めて欲しい、とかじゃないかなーなんて考えるが。
「実は……街に行って欲しい」
「……え?」
しかしそれは予想だにしなかった言葉だった。