第4話 獣人の少女とその家族
997年。つまり702年から295年が経っている計算になる。
それはあらゆる物が変化するのに十分すぎる時間だった。日本で最も長く続いた幕府である江戸幕府でさえ、出来てから265年で滅んだのだから。
つまりこの“ヘイル”の記憶は相当な時代遅れであり、役に立たない可能性が出てきた。無いよりはマシな程度かも知れない。
とすると、ここがアスガイアだとして、他のプレイヤーはどうなっているのだろう。
人間族や獣人族は寿命が普通は70年程度だから、残ってはいないだろう。
ならエルフ族やドワーフ族、竜人族や半精霊族はどうだろうか。
そもそもプレイヤーが残っているのかも分からない。情報が無さ過ぎる。
それに、恐らく新たな国が幾つも興っているだろう。
初期配置だったアルメタリア王国は残っているのだろうか。
そして“英雄の右腕”の国は今一体どうなっているんだろうか。
「……何を驚いているのかは知らないが、こちらの質問にまだ答えて貰っていない。あそこで何をしていた?」
どうやら考えるのに集中し過ぎたらしい。
獣人族の男性がさらに険しい顔をしている。
「すいません、もう一つだけ質問をさせてください。ここはマレロの森の中ですか? そして“あそこ”とはマレロの森にある樫の木に囲まれた、少し開けた場所の事ですか?」
大凡の予想を付けて聞く。 部屋から見えた木々も樫の木ばかりだったし、恐らく“あそこ”とは最後にキャンプを張った場所の事だろう。
「ああそうだ。……お前は何か目的があってあそこに来ていたんじゃないのか?」
やっぱりか。
魔王と戦い、異次元をさ迷って、元の場所に出る。
別におかしな話じゃない。もっとおかしな事が既に起こっているのだから、さして驚きはしない。
しかし、どう説明したものか。
◆ ◆ ◆
「……なるほど。強力な魔物に追われて、逃げ着いた先があそこだったと」
「ええ、なぜマレロの森にあんな強力な魔物がいたのかは分かりませんが……」
今話しているのはでっち上げたストーリーだ。そして話している内に分かった事もある。
これは“ヘイル”の記憶にもあった事だが、この世界にはレベル概念があるらしい。
しかし、普通の人はレベルが上がってもどうやらポイントを割り振る事は出来ない様だ。
レベルが上がると例えば普段足を鍛えている人はAGI(俊敏さ)が上がりやすく、魔法をよく使う人はINT(知力)が上がりやすい。
それに加えてその人が“どんな風になりたいか”と考えている内容に依っても成長率は変わる。種族ごとに成長し易いステータスも違うらしい。
しかし“ヘイル”の記憶では自由に割り振れるポイントは好きに割り振っていたし、記憶の中のユフィ姐達もそうしていた。
この辺も後々調べてみよう。
そして現在確認されている最高レベルは150レベルだと言うこと。
実際100レベルを超えている人は数えるほどしか居らず、それらは例外なく二つ名が与えられ、あらゆる地で最高級の待遇を受ける事が出来る。
戦いの中に身を置かない一般人は精々10レベル程度らしく、この15レベルだと言う獣人族の男性はそれなりに高い方らしい。
勿論冒険者や軍人はもっと高レベルなのだと言っていたが、察するに精々30~40レベル程度だろう。強い人で50かそこら。
そんなのでモンスター――ここでは魔物と言うらしいが、まともに戦えるのだろうか。確か北の方には100レベル近い魔物もいた筈なのだが。
まあ話を聞く限り何とかやっているのだろう。
そしてマレロの森の辺りを治めている“クリステイン王国”は人間至上主義とでも言えば良いのか。とにかく人間族以外への風当たりが強かった。
街で獣人族やエルフ族が襲われても皆知らぬふりをし、犯人は罪にも問われないらしい。それどころか奴隷の売買までが平然と行われていると言うのだから恐ろしい話だ。
当然人間族以外の者がこの国に寄り付く事はなく、逆に“そういう人間”が集まってしまったのがクリステイン王国だった。
ただ、クリステイン王国がこうなってしまったのは10年程前かららしく、それまでは善政が敷かれ、皆が住みやすい国だったらしい。
それもこれも陰では“愚王”と呼ばれるブリード・クリステインが原因らしいが、何とも迷惑な話だ。おかげでこちらは人攫いか何かに間違えられていたのだから。
どうやらこの男性が険しい顔をしていたのは、俺が獣人を攫いに来たんじゃないかと疑っていた為だった様だ。
獣人かと聞いた時に、あの少女が躊躇っていたのもそのせいだろう。
今は何とか人攫いではないと信じてくれたようだが。
「しかしよく助けてくれましたね……。いや、俺は感謝してますし、ありがたいんですが……」
「ああ、それなんだがね。君を発見したのは娘なんだよ」
そう言って男性は少し気まずそうに苦笑する。
「木の実を取りに森へ入っていった筈の娘が、代わりに傷だらけの人間を持って帰って来たのには驚いたよ」
「それが……俺なんですね」
「ああ。私はね、本音を言うと君を助けたくなかった。最近の人間には嫌な思い出しか無いからね。しかし娘は頑として聞かなかった。『見捨てるなんて絶対に嫌だ』と言ってね」
獣人の男性は頭をガシガシと掻いて、お茶を一口啜る。
「良くも悪くも、あの子は世間を知らない。……発見したのが私だったなら、迷わず見捨てただろう。君には申し訳ないがね。しかし、今回に限っては……娘が発見者で良かったかも知れないな」
そう言って、男性は右手を差し出す。
「私の名前はヴェスタ、見ての通り獣人だ。……暫く話してみたが、どうやら君は信用出来そうだ」
ヴェスタさんの顔を見れば、さっきまでそこにあったこちらを訝しむ様な雰囲気は消えていた。
信用された事が少し嬉しくて、自然と破顔してしまう。
「俺は、ヘイル。よろしくお願いします」
差し出された手をしっかりと握る。
ただの握手だが、なんだかその手はとても温かかった。
「――キイ。隠れてないで出てきなさい」
不意にヴェスタさんが、俺の後ろを見ながら呼び掛ける。
後ろを振り向けば、そこには半開きの扉に隠れながら、赤い瞳がこちらを伺っていた。
「ほらキイ。お父さんもああ言ってるわよ」
「ちょ、ちょっと待っ!」
何やら叫びながら扉から出てきた先ほどの少女と、母親らしき獣人の女性。
茶色の長い髪を首の横で一つに纏めて、体の前側に下ろしている。瞳も少女と同じ赤色で、父母娘三人揃って同じ色だった。
まあ、家族全員が髪も瞳も同じ色なのは偶然だろう。
「あ、あの……」
キイと呼ばれた先ほどの少女が、チラチラとこちらを見ている。
クルクルと両手の指先を回している姿が可愛らしい。
「わ、私、キイ、です」
俯きながら、恥ずかしそうに、けれど一生懸命に言葉を紡いでいた。
そんな様子を傍らの女性は楽しそうにクスクスと笑っている。
ヴェスタさんと話している間も視線は感じていた。誤解は解けていると思うので、俯いているのは性格故だろうか。
さっきは結構普通に接してくれていたと思うのだが。
「……あの、怪我は、大丈夫……ですか?」
「ん、ああ。もう大分良くなったよ。君が発見してくれたんだってね。俺はヘイル、ありがとう」
すっと右手を差し出すと、キイは驚いた様にくりっとした目をパチクリさせていた。
こちらの顔と右手を何度も交互に見返し、そしてまた顔を俯かせ、おずおずと右手を握ってくれる。
まあ、握られたのが人差し指の先っぽだけだったとしても、それはきっと握手なのだろう。
「ほんとにキイちゃんは可愛らしいわねえ……」
まだクスクスと笑っている少女の母親らしき人。すっと少女の前に出ると、迷わず右手を握られる。
「私はラキ、キイの母親よ。一応そこのヴェスタの妻でもあるわ」
「ラキ、一応って……」
「あら、今はヘイルさんと話してるの。割って入らないでくれる?」
「えええ……」
俺を間に挟んで冗談を交わしあう二人。仲良いんだな。
そのまま落ち込むヴェスタさんと楽しそうに貶すラキさん。それをさっきとは打って変わって呆れた表情で見つめるキイという少女。
恐らくこの光景は日常茶飯事なんだろう。
ラキさんがヴェスタさんの頭を両手の拳でぐりぐりすれば、ヴェスタさんは何か叫びながら必死にラキさんの手を叩いている。キイちゃんはそれを見て苦笑い。
きっとこの少女が俺を助けてくれたのはこの家で育ったからなんだと、そう思った。