第3話 記憶と今
「あの……」
「ん?」
どこか遠慮がちに話かけてくる獣人族の少女。
先ほどとは違い、何故かこちらの顔を見ようとしなかった。
「お父さんとお母さんが……目が覚めたら呼んで来なさいって」
なるほど。向こうにしてみれば得体の知れない人物だからな。
先ほどの記憶には“ヘイル”の過去の全てが記録されていた。
その殆どは俺が“ヘイル”を操作し、“キングダム”で歩んだ道のりと同じ物だった。
強いて違う部分があるとすれば、ユフィ姐や九龍、ロイやケフィアが直接声を発していたこと。
そして元々の世界でしか通じない様な会話の記憶は無かった事。例えばロイと話した、浅草の料理の美味い店の話なんかは記憶に入っていなかった。
そして唯一、俺の元々の記憶に無かった部分。
それは俺がマレロの森でログアウトした後の記憶。
ベタか話だとは思うが、どうやら“ヘイル”は一人で魔王なる存在と戦っていたらしい。
マレロの森でキャンプを張った後、急に浮遊感を感じたかと思うと、次の瞬間には何処かの毒々しい雰囲気の城の中に居た。
そして目の前には魔王を名乗る魔物。
自慢気に話す内容からすると、力ある者をそうして転移させ、順に一人ずつ殺していき、最後にアスガイアを侵略する算段らしかった。
記念すべきその最初の犠牲者がヘイルだった訳だ。
しかし幸か不幸か、いや魔王にとっては不幸だったのだろう。
相手が前衛職ならば配下の大量の魔物に魔法を使わせて追い込んだだろう。
相手が後衛職ならば数に物を言わせて魔力(MP)切れを狙っただろう。
しかし呼び出した相手はヘイルだった。
物理攻撃と魔法攻撃の両方が最高レベルで、さらには宝具“アンリヴァル”の効果でダメージが大幅に削られていたし、自然回復力が五倍になっていた。ヘイルには波状攻撃も物量作戦も意味を成さなかった訳だ。
結局魔王は自らの策が自らを滅ぼす事になり、ヘイルによってその野望は人知れず潰える事となったのだ。
しかしその魔王は絶命の際、城ごと消滅する仕掛けを施していた様で、その余波を受けてヘイルは長い長い間異次元空間をさ迷っていたらしい。
と、まあ何ともゲームに出て来そうなストーリーだが、どうにも腑に落ちない点がある。
ただし大前提として、ここが“キングダム”の中だとしての話だが。
まず“キングダム”には“魔王”なんていう敵は存在しなかった点。
そもそも“キングダム”は、村や街、国単位の戦争とそこでの対人戦闘が一番の特徴だった。
勿論300レベルまで育て上げるのに必要な高レベルモンスターは居たし、それらが配置されたダンジョンもあった。
しかし俺が最後にログアウトするまで魔王というものは実装されていなかった筈だ。
二つ目はウィンドウのタブが消えている事。メッセージタブやお知らせタブ、システムタブといった物が無くなっていた。
残っているのはアイテム、そしてステータスの欄のみだ。
ここで最後の疑問。
ステータスの項目を開くと、何故かレベルが“302”になっていた事。
それは“キングダム”では決して有り得ない数字だった。
加えてそれに合わせてSTR(筋力)・VIT(生命力)・DEX(器用さ)・AGI(俊敏さ)・INT(知力)・MIN(精神力)の各ステータスが上昇していた事。
詳しく言えば、300レベル時点では全ステータスが900という数値を示していたのが、今では1020になっていた。
この数値は驚異的だ。
確かに“英雄”の300レベル直前のステータスの伸びは凄まじかったが、たった2レベルで全ステータスが120も伸びているのは俄かには信じがたい光景だった。120×6で合計720ポイントも伸びているのだから。
これは“英雄”以外の普通の人間族ならば60〜70レベルの上昇が必要な量だ。
何より“キングダム”では各ステータスの限界数値は1000だった。
そしてどんな育て方をしても全ステータスを1000にする事は、取得出来るポイントの関係で絶対に不可能だった。
それが今、こうして目の前で覆されている。
分からない。ここは“キングダム”の中じゃないのか?
もしも違うのならば、一体ここは何処なんだ。
……いくら考えても答えは出ないか。
ともかく、今はやれることをしよう。そしてこの世界を歩いてみよう。
これが夢物語ならばそれも良い。
一番避けるべきなのは『これを夢だと思い込んで、本当に現実だった場合』だ。
どうせ夢だからと無茶をして、愚かな結末を迎える事は避けたい。
ならば最初からこれが現実だと認識しておいて行動する。それが最善手だろう。
「ああ、分かった。すぐに行くよ」
そう言ってベッドから起き上がり、すぐ横に置かれていた靴を履く。
それが終わると、少女が先導するように歩き始める。
“ヘイル”の記憶から大分時間が経っている可能性もある。まずは世界の状況を聞いてみるか。
「おや、もう大丈夫なのかね?」
「あ、はい。おかげさまで」
「そうか、それは良かった。これはあまり上等ではないが、良ければ飲んでくれ」
そう言って目の前に陶器のコップに入ったお茶を出してくれる。
色は少々薄いが、ほうじ茶のような香りがして気分が落ち着く。
「あ、おいしい」
思わずそう口にすると、目の前の男性の顔が僅かに綻ぶ。
先ほどの少女と同じ茶色い髪と赤い眼は親子の証だろう。
何よりその頭に生える一対の犬耳が、言外にそうだと示していた。
「これはこの周辺に生える野草を煮詰めた物でね。野草と言うと聞こえは悪いが、物を選べば案外美味しい物なんだ」
どうやら栽培したりしている訳では無いらしい。
「へえ、元手がタダなんですね……。街で露店でも開けばボロ儲けなんじゃないですか?」
それはとっさに出た言葉だった。
悪気なんて一切無かった。
「……それは嫌味かい?」
だからその言葉の意味が分からなかった。
ただ、彼の笑みが一切消えたその厳しい表情から、先ほどの言葉が冗談などでは無い事が容易に感じ取れた。
「……そういえばまだ聞いていなかったな。お前はあそこで何をしていたんだ?」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
本当に意味が分からない。どうしてあれが嫌味になるんだ?
「あの、先にお聞きしたいんですが、今は一体何年の何月何日ですか?」
“キングダム”は地球と同じ時間設定で、1年が12月365日、1日24時間だった筈だ。
そして“ヘイル”の記憶の最後では天上歴702年5月12日だった。少なくとも1年は経っていそうだが――
「……おかしな事を聞くんだな。今は997年9月3日だ」
――――事態は思ったよりも深刻な様だ。