第9話 一学期終了。カルゼラード領へ
夏。
帝都の暑さが本格化し始めた頃、帝国学校は長期休暇に入る。
多くの貴族生徒たちが、避暑地へのバカンスや、実家でのパーティーに胸を躍らせて帰路につく中。
一台の漆黒の馬車が、石畳の大通りを滑るように走っていた。
カルゼラード家の家紋が入った、重厚な馬車だ。
それを引っ張るのは、擬態を解いて馬になったシライシだ。
御者は必要ない。
賢く、ラギウスの計画を全て理解しているシライシに対して、御者は不要だ。
そして客車の中には、ラギウスと、遊び疲れた子供のように爆睡しているミリアの姿があった。
「……ふぅ」
ラギウスは足を組み、窓の外へ流れる帝都の景色を眺めながら、手元の手帳を開く。
そこには、彼がこの一学期──ボーナスタイムの序盤で成し遂げた成果と、これからの計画が羅列されていた。
情報の整理。
これは、これから始まる『領地改革』という大事業を前に、彼が自身の思考をクリアにするための儀式。
「まず、現状の確認だ」
ラギウスはペンを走らせる。
【1.俺のスペックと特性】
・素質:平均的(魔力、剣術、座学すべてCランク)
・特性:『絶対自我』(精神干渉完全無効)
「これが全ての前提だ。俺は凡人であり、同時に規格外だ」
凡人だからこそ、正面から勇者や魔王と殴り合えば負ける。
規格外だからこそ、常人が触れれば発狂する『呪われたアイテム』を、ただの道具として扱える。
【2.目的】
・個人的目的:『哀れまれて殺される』という屈辱的未来の回避。
・領主的目的:魔王軍侵攻による『領民七割死亡』という統治失敗の回避。
「この二つはセットだ。俺が生き残るだけでは、領地は守れない。領地を守るだけでは、俺は勇者に殺される」
だからこそ、第三の目的──『手段』が必要になる。
・手段:ルナストーンの量産によるジュラルナ合金の大量生産と、それに伴う、領地で配備する装備の更新。
これがあれば、軍事的な目的は達成できる。
「俺自身の屈辱的な敗北を覆すためには、まだほかにも方法はあるが……重要なのは、俺が呪われたアイテムを使っても、精神が揺らがないことの証明だ」
ラギウスはミリアを見る。
幸せそうに寝ているが、彼の協力者だ。
彼の秘密……絶対自我はともかくとして、呪われたアイテムを使うことは話している。
「ミリアに『呪われたアイテムをどのように認識しているのか』と聞いたが、帰ってきた返答は、『性能が高い反面、頭がおかしくなるアイテム』と言っていた」
それそのものは間違いないではない。
「だが、『頭がおかしくなる』の部分について、具体性が何もなかった」
ムラマサを使っているときは、『家族を殺す』ことに執着する。
シライシを使っているときは、破壊衝動を抑えられなくなる。
呪われたアイテムと言っても、『デメリットは個別に設定されている』のだ。
しかし。ミリアは『頭がおかしくなる』としか知らなかった。
「要するに、俺のムラマサが呪われたアイテムだと知れ渡ったとして、世間的には、『ラギウスは頭がおかしくなった』と思われるだろうが、『家族に刃を向ける』とは思われないということ」
非常に単純な理解が広まっており、それが、『哀れな領主』という評価につながっている。
「仮に情報がしっかり伝わっていれば、『ムラマサを持っても家族に剣を向けようとしない』ことが、『呪いのデメリットを無効化している』という証明になるはず。それがゲームでも、この世界でも実現しない。これが、哀れまれる最大の理由だ」
ムラマサは持っていると、本来なら家族に刃を向けることを辞められない。
それをしないラギウスは、『ムラマサの呪いを跳ねのけている』と言う証明になる。
しかしそれは、呪われたアイテムのデメリットが個別に設定されているということが常識となった上で、ムラマサには家族の刃を向ける衝動を抑えられないデメリットがあると判明した時だ。
「……まぁ、俺自身の話は良い。まずは軍事力だ。そのために、この一学期で何を得たか」
ラギウスは視線を、対面の座席で眠る小柄な少女に向けた。
彼女は夢の中でも何かを組み立てるような手つきをして、涎を垂らしている。
【3.獲得リソース】
・移動/運搬:『シライシ』(機動力の確保)
・護身/武力:『妖刀ムラマサ』(最低限の戦闘力)
・生産体制:『ミリア』(技術的特異点)
「特にミリアの確保は大きい」
彼女がいなければ、ラギウスの計画は「絵に描いた餅」だった。
ラギウスが『狂騒具』を使って強引に作った製造設備を、彼女が繊細な技術で調整し、一般の鍛冶師でも使えるラインに落とし込む。
この『狂気と技術のハイブリッド』こそが、カルゼラード領の産業革命の核となる。
さらに、手帳のページをめくる。
そこには、禁書庫で得た重要な『鍵』が記されていた。
【4.今後のタスク】
・資金/素材:『黒の商会』との接触(紹介状あり)。
→目的:『月光圧縮レンズ』の入手と、『ルナストーン』の量産体制確立。
→結果:『ジュラルナ合金』による全軍の装備更新。
「……完璧だ」
ラギウスは手帳を閉じた。
不安要素はない。『合理的』に計算されており、必要なピースは揃いつつある。
ふと、彼は夜空を見上げた。
窓の外、はるか彼方の夜空に、一筋の流れ星が見える。
「……そろそろか」
ゲームの知識によれば、今の時期、辺境の村に住む少年──ラスターの右手に、『勇者の紋章』が浮かび上がる頃だ。
世界を救う宿命を背負った少年は今、自分の運命に戸惑い、あるいは幼馴染と別れを惜しんでいるかもしれない。
美しい、王道の冒険の始まりだ。
「精々、今のうちに平和な夢を見ておけ、勇者よ」
ラギウスは口角を吊り上げる。
「お前が仲間を集め、聖剣を探して旅に出る頃──この世界の難易度は、俺が管理している」
勇者がレベル1からスライムを叩いている間に、ラギウスはレベル50の装備を量産し、軍隊を組織し、神話級の剣を手に入れる。
それは「卑怯」ではない。
「情報」という武器を使った、正当な戦略だ。
彼の足取りに迷いはない。
平均的な彼は今、誰よりも強固な「意志」と「計画」を携えて、暗闇へと踏み出す。
帝王の夏が、始まる。




