第7話 シライシ人化
『原作知識』と『禁書庫』での収穫を得て、ラギウスの計画は順調に滑り出していた。
だが、ここで一つ、些細だが無視できない問題が発生していた。
「……不便だ」
学生寮の個室。
ラギウスは、部屋の狭さに眉を顰めていた。
いや、部屋が狭いのではない。
「同居人」となる存在がデカすぎるのだ。
『ブルルルッ! ヒヒィーンッ!』
漆黒の巨馬──『シライシ』が、狭い室内で地団駄を踏んでいる。
呪われた指輪『シライシの主印』から召喚されるこの魔馬は、本来なら用が済めば指輪に戻すのが「合理的」だ。
だが、ラギウスは今、頻繁に学外(領地やダンジョン)へ出る必要がある。
その都度、魔力を消費して再召喚するのはコストの無駄。
それに、いつ襲撃があるか分からない以上、最強の護衛であるシライシを常駐させておきたいという意図もあった。
「だが、馬のままでは寮生活に支障が出る。ドアも通れん」
ラギウスは腕を組み、暴れる馬を見上げた。
普通の学生なら「じゃあ戻せよ」で終わる話だが、彼の思考は常に斜め上を行く。
「おい、シライシ。お前、その図体はどうにかならんのか」
ラギウスは指輪に魔力を流し込み、シライシに命令する。
「この狭い空間で、俺の役に立つ形になれ。……貴族の従僕として、恥ずかしくない姿にな」
詳しく調べてみると、どうやら『擬態』が用意されているらしい。
それがどういう形なのか知らないし、移動においては馬であるべきなので放置していたが、そろそろ見ておく必要がある。
呪いの指輪が過剰反応した。
『ギ……ギギッ……! 主命……形態……変化……!』
黒馬の輪郭がブレる。
漆黒の霧が噴き出し、馬の巨体が圧縮され──人の形へと収束していく。
数秒後。
霧が晴れたそこに立っていたのは、馬ではなく、一人の長身の男だった。
「──お呼びでしょうか、マスター」
深く響くバリトンボイス。
夜の闇を煮詰めたような褐色の肌に、銀色の短髪。
彫刻のように整った顔立ちをした、異国風の美青年だ。
その体には、どこから調達したのか、仕立てのいい漆黒の燕尾服が張り付いている。
白手袋をはめた手で恭しく一礼する姿は、王侯貴族に仕える「完璧な執事」そのものだった。
「……ほう」
ラギウスは感心したように頷く。
馬の時の荒々しさは消え失せ、静寂そのものの佇まい。
だが、ラギウスの脳内には、相変わらず『暴走本能』のノイズが響いていた。
『(走リタイ! 蹴リ殺シタイ! 今すぐコイツの首をねじ切って全力疾走シタイィィィッ!)』
見た目は冷静な執事。
中身は暴走暴れ馬。
そのギャップに、ラギウスはニヤリと笑う。
「悪くない。その姿なら室内でも邪魔にならん」
「はっ。この身は貴方様の忠実なる下僕。移動手段として、盾として、存分にお使いください」
シライシ(人型)は、涼しい顔で殺意を抑え込み、優雅に微笑んだ。
★
翌日。
ラギウスが「新しい従者」を連れて登校すると、学園内はちょっとした騒ぎになった。
「おい見ろよ、あいつ……誰だ?」
「すっごいイケメン……肌が黒いから、南方の貴族かしら?」
「カルゼラードの後ろを歩いてるわ。新しい執事?」
廊下を行く生徒たちの視線が、ラギウスの後ろに控えるシライシに釘付けになる。
190センチを超える長身に、モデルのようなスタイル。
そして、主であるラギウスに絶対の忠誠を誓う、その禁欲的な瞳。
特に、一部の女子生徒たちの反応は劇的だった。
「ねえ、見た? あの執事の、ラギウス様を見る目……」
「ええ。忠誠心以上の『熱』を感じるわ」
「夜もずっとお傍にいるのかしら……」
ひそひそと交わされる囁き。
いわゆる「腐」の素養を持つ彼女たちのフィルターを通すと、主従の姿は全く別の意味を持って映っていた。
そして、ラギウスの『絶対自我』は、そんな彼女たちの会話すらも、正確に「情報」として拾ってしまう。
(……夜も傍にいるか、だと?)
ラギウスは歩きながら、内心で首を傾げた。
(当然だろう。コイツは俺の移動手段だ。夜間のダンジョン探索や、領地への強行軍には欠かせない)
彼はシライシに跨り、夜通し荒野を駆け抜けることなど、これからは日常茶飯事だろう。
時には休憩なしで酷使し、朝まで乗り回すこともあるはずだ。
「やっぱり、夜は……激しいのかしら」
(……まあ、馬だからな。揺れは激しいし、しがみつくのにも骨が折れる)
「ラギウス様、あんな華奢なのに……シライシさんの『アレ』を受け止められるの?」
(『アレ(暴走本能)』か。確かに常人なら精神崩壊するレベルの圧だが、俺には通用せん。むしろ心地いいくらいだ)
「キャーッ! やっぱり毎晩跨ってるのね!」
(? 移動するなら跨るに決まっているだろう。徒歩で国境を越えろと言うのか? 非合理的だ)
一部の女子生徒たちが盛り上がっている中、ラギウスは内心で呟くが、決定的にズレていた。
だが、ラギウスが「否定しない」せいで、女子生徒たちの妄想は確信へと変わり、黄色い悲鳴が廊下に木霊する。
……まぁ、腐女子の妄想への理解など、あったところで仕方がないのだが。
「……マスター。周囲が騒がしいようです。排除しますか?」
シライシが、スッと白手袋を直しながら、冷徹な声で囁く。
その瞳には、主を侮辱する羽虫どもを、物理的に掃除しようという「馬の本能」が宿っていた。
……侮辱といっても、シライシの主観ではあるが。
「捨て置け。平和な悩みだ」
ラギウスは手を上げて制する。
「それより、荷物を運ぶぞ。実験機材の搬入だ」
二人が向かったのは、資材搬入口。
そこには、ラギウスが発注した巨大な『錬金釜』や、大量の鉄塊が積まれていた。
本来なら、作業員数人がかりで運ぶ重量物だ。
「お前の脚力を見せてみろ」
「御意」
シライシは燕尾服の裾を翻し、積み上げられた鉄塊の山に近づく。
そして、優雅な動作で、一番下のコンテナを──爪先で軽く「蹴り上げた」。
ドォォォンッ!!
大砲のような音が響き、総重量数トンの鉄塊が、ふわりと宙に浮く。
シライシはそれを片手で軽々と受け止め、肩に担いだ。
涼しい顔で。息一つ乱さずに。
「……これほど軽いとは。準備運動にもなりませんね」
「フン、頼もしいことだ」
馬の脚力をそのまま人の形に圧縮したパワー。
その一撃は、城壁すら粉砕する威力があるだろう。
ラギウスは満足げに頷き、歩き出す。
その背後を、山のような荷物を担いだ美貌の執事が、影のように付き従う。
その光景を見た生徒たちは、誰もが言葉を失った。
「平均的」なはずのラギウスが従える、規格外の従者。
そして、その従者を「道具」として平然と使いこなす、ラギウスの底知れなさ。
──そして、一部の女子生徒たちは、鼻血を押さえて倒れ込んだ。
「あんな力持ちの執事さんに、夜な夜な組み敷かれているなんて……ラギウス様、尊い……!」
誤解は加速する。
だが、ラギウスにとっては、それすらも「どうでもいいノイズ」でしかなかった。
彼にとってシライシは、最高の「足」であり、「盾」であり、産業革命を支える「忠実な道具」。
それ以上でも、それ以下でもないのだから。
……ただ、若干、社会的なコストが発生しているような、そんな気はするラギウスであった。




