第5話【生徒会SIDE】 ラギウスは平均的な男。
イリスはダンジョンから戻ってくるのがいつになるのかは未定。
これは事実だが、ではダンジョンの中で泊まり込みになるわけではない。
ダンジョンの傍に豪華なテントが用意され、その中で休息をとることになる。
演習に集中するために、よほどの案件ではない限り、『イリスの判断を必要とする仕事』が来ることはない。
とはいえ、『生徒会長である以上、知っておかなければならないこと』はいろいろあるわけで。
そういったものを『ダンジョンの傍のテント』に持ってくるのは、副会長だ。
「……会長。申し上げにくいのですが」
報告と、ミーティングが終わって。
沈黙を破ったのは、副会長のキースだった。
彼は眼鏡の位置を指で直しながら、執務机に戻ったイリスディーナに歩み寄る。
「先ほどのカルゼラードへの『禁書保管庫』の入室許可。あれは、いささか軽率だったのではないでしょうか」
キースの声には、明確な非難の色が含まれていた。
彼は手元の生徒名簿を開き、ラギウスのページを指し示す。
「確かに、校則上は生徒会長の独断で許可を出す権限はあります。しかし、それはあくまで『相応の実力と必要性』が認められた生徒に対する特例措置。慣例としては、教授会の承認を経てから行うのが筋です」
「……」
イリスディーナは無言のまま、自分の胸元──魔法で修復した制服の生地を、指先で無意識に撫でていた。
キースは彼女の沈黙を「反省」と受け取ったのか、さらに言葉を続ける。
「百歩譲って、相手が優秀な生徒ならまだ分かります。ですが、相手はあのラギウスですよ? 見てください、この成績を」
彼が示した名簿には、ラギウスの学園での評価が羅列されていた。
基礎魔力:C(平均的)
剣術実技:C(平均的)
筆記試験:B(中の上だが、特筆すべき点なし)
生活態度:独善的であり、協調性に欠ける。
「全てにおいて『平均的』。大貴族の嫡男という肩書以外、見るべきところのない凡人です。そんな彼が、帝国の暗部とも言える禁書庫に入って、一体何が出来ると言うのです?」
キースの言葉に、周囲にいた側近たち──先ほどラギウスに無視され、イリスディーナの覇気に腰を抜かしていた男子生徒たちも、待ってましたとばかりに口を開く。
「全くです! あいつのあの態度、見ましたか? 皇女殿下の御前だというのに、礼儀の一つもなっていない!」
「身の程知らずにも程がある。どうせ『禁書庫に入った』という実績を作って、実家に『僕は優秀です』と報告したいだけでしょう」
「惨めなものだ。実力が平均的だからこそ、そういった『権威』にしがみつくしかないのでしょうな」
口々にラギウスを嘲笑する。
彼らは、ラギウスの「傲慢さ」を「虚勢」だと解釈していた。
平均的な実力を隠すために、あえて尊大な態度を取り、高価な(呪われた)装備で着飾っているだけの、中身のない男だと。
そうやって彼を「下」に見ることで、先ほど彼に完全に無視された自分たちのプライドを、必死に修復しようとしていた。
もっとも、そんなのは彼女にお見通しだ。
「……キース。それに、貴方たち」
ようやく、イリスディーナが口を開いた。
その声は低く、冷ややかだった。
「貴方たちは、彼が……ラギウスが、私の『威圧』を前にしてどうしていたか、見ていなかったのですか?」
「へ……?」
側近たちが顔を見合わせる。
キースは怪訝そうに眉を寄せた。
「威圧、ですか? ええ、確かに会長は少し機嫌が悪かったようですが……カルゼラードは単に『鈍感』なだけでしょう。魔力感知能力が低すぎて、会長の覇気に気づいていなかった。それだけのことです」
──違う。
イリスディーナは心の中で即座に否定した。
あの時、彼女が放ったのは「少し機嫌が悪い」程度のものじゃない。
側近たちが泡を吹いて失禁寸前になるほどの、純粋な殺気だった。
鈍感だから気づかない? あり得ない。生物なら本能で恐怖を感じるレベルの圧だった。
だか、あの男は。
ラギウス・フォン・カルゼラードは。
『サインをくれ。急いでいる』
恐怖はおろか、緊張すらしていなかった。
まるで、道端の石ころに話しかけるかのように、平然としていた。
そして、私の肌を見ても……。
『事実として白いと言っただろう』
イリスディーナの頬が、カッと熱くなる。
羞恥心ではない。いや、それもあるが、それ以上に──「理解できないもの」に触れた時の、背筋が粟立つような感覚。
(あれは、虚勢じゃない。鈍感でもない)
あの目には、意思と、責任が宿っていた。
(彼は、私を……『蒼柩』と呼ばれる私を、本気で『どうでもいい』と思っていた)
それは、イリスディーナがこれまでの人生で一度も向けられたことのない感情だった。
畏怖でもない。崇拝でもない。好意でも、敵意ですらない。
徹底的な「無関心」。
自分が「平均的」だと評価していた男が、自分を「風景」のように扱ったのだ。
「……会長? どうかされましたか?」
「……いいえ、なんでもありません」
イリスディーナは、思考を打ち切るように首を振った。
「とにかく、許可証は発行しました。今更取り消せません」
「はぁ……まあ、会長がそう仰るなら」
キースは呆れたように肩をすくめ、眼鏡を押し上げた。
「まあ、放っておきましょう。禁書庫の文献は、古代語や暗号で記された難解なものばかり。平均的な頭脳の彼に、解読などできるはずもありません」
「そうだな。埃まみれになって、一冊も読めずにすごすごと帰ってくるのがオチだ」
「せいぜい、後で『難しすぎて読めなかった』と泣きつかれないようにしてやりましょう」
生徒会室に、卑俗な笑い声が戻る。
彼らは確信していた。
ラギウス・フォン・カルゼラードには何もできないと。
彼が手にするのは「徒労」と「恥」だけだと。
──彼らは知らない。
今この瞬間、その「平均的な男」が、禁書庫の中で、彼らが一生かかっても理解できない「世界の真実」を解読し、帝国の運命を左右する「力」を手中に収めようとしていることを。
そして、彼らが「無能」と見下したその男が、いずれ自分たちの遥か頭上から、全てを支配する「帝王」として君臨することになる未来を。
まだ、誰も知らなかった。




