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第4話 絶対自我は、美少女の谷間にも興味がない。

 『試練のダンジョン』。


 帝国学校の裏山に存在するその魔窟は、本来であれば、騎士団の護衛なしに学生が立ち入ることは禁止されている危険地帯。


 だが今、その闇の中を、一陣の黒い暴風が駆け抜けていた。


「ヒヒィィィィンッ!!」

「……うるさい馬だ。少しは静かに走れんのか」


 漆黒の毛並みを持つ巨馬──『シライシ』は、行く手を阻むオークの群れを、ひづめで粉砕しながら突き進んでいた。


 常人なら発狂する『暴走本能』の呪い。


 だが、鞍上のラギウス・フォン・カルゼラードにとって、それはアクセルの効きすぎる乗り物を制御する程度の作業でしかなかった。


(……急がねばならん)


 ラギウスの脳裏にあるのは、恐怖でも興奮でもなく、冷徹な「ソロバン勘定」だ。


 昨日手に入れた『原作知識』によれば、現在のカルゼラード領の軍備は、対モンスター戦において消耗が激しすぎる。


 特に兵士の負傷率が高い。

 その治療に使われる『ポーション』は、医療大国パラケーテルからの輸入品であり、そのコストが財政を圧迫している。


(金の無駄だ。非合理的極まりない)


 解決策はある。


 学校の地下、『禁書保管庫』にある一冊の『呪本』。

 その中に挟まれている紹介状を使えば、帝国独自の『軽量合金』をに関わる重要な取引をすることができる。


 その合金で「壊れない盾」を量産し、全兵士に配備する。

 初期投資は嵩むが、ポーション代の削減を考えれば、半年で黒字になる計算だ。


(盾の配備が一日遅れるごとに、我が領地の予算がドブに捨てられている。サイン一つ貰うために待っている時間などない)


 ラギウスは手綱を引くことなく、さらに加速する。

 彼の「目的合理主義」の前では、ダンジョンの魔物など、ただの道路工事の障害物にも等しかった。


 ★


 ダンジョンの最深部。

 そこは、青白い炎によって焼き尽くされた、焦熱の広場と化していた。


「……ふぅ」


 一人の少女が、細い息を吐きながら剣を振るう。

 燃えるような赤髪に、鋭い金色の瞳。


 帝国第二皇女にして生徒会長、『蒼柩(そうきゅう)』のイリスディーナ。


 彼女の足元には、この階層の主であるキメラが、炭化して転がっていた。

 彼女の固有能力『青き王火』による、完全な殲滅だった。


「さすがです、イリスディーナ様!」

「あのキメラを単独で……やはり『蒼柩』の二つ名は伊達ではありませんな!」


 戦闘が終わるや否や、後方に控えていた男子生徒たちが駆け寄ってくる。

 彼らは生徒会の役員であり、帝国の名門貴族の子息たちだ。

 口々に称賛の言葉を並べるが、その視線には純粋な敬意以外のものが混じっている。


(……素晴らしい美貌だ。この演習で評価を上げれば、あるいは婚約の座も……)

(次期皇帝に近いのは彼女だ。今のうちに取り入っておかねば)


 私利私欲。


 彼らにとってイリスディーナは、美しいトロフィーであり、出世のための道具だった。

 だが、そんな彼らの打算も、突如として響き渡った轟音にかき消される。


 ドゴォォォォンッ!!


 広間の壁が、内側から粉砕されたのだ。

 土煙と共に飛び込んできたのは、禍々しいオーラを纏った漆黒の馬と、それに跨る一人の生徒。


「な、何だアレは!?」

「魔物か!? いや、人が乗っている……!?」


 側近たちが狼狽える中、黒馬は暴走の勢いのまま広間の中央へ滑り込み、急停止した。

 鞍上の男──ラギウスは、悪びれる様子もなく馬から飛び降りる。


「……チッ。埃っぽいな」


 軍服についた土を払いながら、彼は真っ直ぐにイリスディーナの方へと歩き出した。

 その姿を認めた側近の一人が、呆れたように声を上げる。


「……なんだ、カルゼラードか」


 ラギウスの顔を見て、側近たちの顔に安堵と、露骨な侮蔑の色が浮かぶ。


「迷子にでもなったのか? ここは『平均的』なお前が来ていい場所じゃないぞ」

「空気の読めない男だ。皇女殿下の演習を邪魔する気か? 貴様のような無能は、大人しく寮で震えていればいいものを」


 嘲笑。

 だが、ラギウスは彼らに視線すら向けなかった。


 彼らにとって、側近たちの言葉は意味のない「ノイズ」であり、認識する価値すらなかったからだ。


(……盾の発注期限まであと三日。急がねばならん)


 彼は無言のまま、側近たちの間をすり抜け、イリスディーナの目の前まで歩み寄る。


「……私の演習に土足で踏み込み、側近の言葉も無視ですか」


 イリスディーナが、剣呑な光を瞳に宿す。

 無作法な乱入者に対し、彼女は皇族としての、そして強者としての『威圧』を解き放った。


「答えなさい。何用ですか」


 ドッ、と空気が重くなる。

 物理的な質量すら感じるほどの、濃密な殺気。


「くっ……!?」

「う、ぅぅ……!」


 背後の側近たちが、たまらず膝をついた。

 彼女に求婚しようとしていた野心など吹き飛び、生物としての本能的な恐怖が身体を支配する。呼吸すらままならない重圧。


 ……いや、いくら皇女の圧が強いとはいえ、その『方向』を制御できないなら、殺気も覇気も『武器』にできない。


 彼女自身、『取り巻き』に対しては、『これを機にまとめて押しつぶしてしまおう』という、どこか投げやりな思考だ。


 それほど、自分の現状と、普段から周囲にいる人に対して、うんざりしているともいえる。


 ──だが。


「サインをくれ。急いでいる」


 目の前の男だけは、涼しい顔で紙切れを突き出してきた。


「……は?」


 イリスディーナの思考が停止する。


 この男は今、自身の『覇気』を浴びて、平然としていたのか?

 いや、それどころか、「早くしろ」と催促した?


「き、貴様! 殿下になんて口を……!」


 腰を抜かしたまま、側近の一人が叫ぶ。

 ラギウスは、そこで初めて面倒くさそうに眉を顰めた。


「うるさいな……会長。これは『禁書保管庫』の入室申請書だ。カルゼラード領の過去の文献を調査する必要がある。当主代行としての正当な権利だ。拒否する理由はないはずだが?」


 事務的かつ、論理的な要求。

 確かに、大貴族の嫡男が領地のために過去の資料を閲覧するのは正当な権利だ。

 だが、イリスディーナが驚愕しているのは、そこではない。


(私の殺気を……無視した? 我慢しているのではない。本当に『感じていない』?)


 彼女の金色の瞳が、ラギウスを凝視する。

 平均的と呼ばれていた男。


 剣も、魔法も、座学も、平均的で、大貴族の嫡男として、領地をまとめられるのかと疑問視される男。


 だが今、目の前にいるのは、自分の全力の威圧を「そよ風」のように受け流す、底知れない怪物だった。


「……分かり、ました」


 イリスディーナは、震える手でペンを受け取った。

 それは恐怖ではない。

 生まれて初めて出会った、「自分を恐れない男」への、抑えきれない高揚だった。


 彼女は無言のまま、書類にサラサラとサインを書き記す。

 ラギウスはそれを冷ややかな目で見下ろしていたが──ふと、その視線が彼女の手元、胸元へと動いた。


「……おい」

「っ!? な、何ですか……」


 突然声をかけられ、イリスディーナはビクリと肩を震わせる。


 まだ何か文句があるのか。そう身構えた彼女に対し、ラギウスは無表情のまま、ペン先で彼女の胸元を軽く指し示した。


「破けているぞ。丸見えだ」

「……え?」


 イリスディーナは、自分の胸元へと視線を落とす。


 そこには、先ほどのキメラとの激戦でついた鋭い爪痕が走っていた。

 制服の生地が裂け、白磁のような肌と、その奥にある豊満な双丘の谷間が、白日の下に晒されていたのだ。


「あ……」


 彼女の顔が、髪色と同じくらい真っ赤に染まる。

 

「ひゃ、ああああああぁぁぁぁっ!?」


 イリスディーナは悲鳴を上げ、バッと両手で胸元を隠した。


 『蒼柩』と呼ばれ恐れられる鉄の皇女が、年相応の少女のように顔を赤らめ、涙目でうろたえる。


 だが、疑問も残る。いくら戦闘中とはいえ、肌が外気に触れれば気づくはずだ。


「な、なんで……私、気づかなかったの……!?」

「当然だ。お前、『鉄血の没入(アイアン・トランス)』を使っていただろう」


 ラギウスは、こともなげに言った。


「『鉄血の没入』……帝国の公式装備に備わる魔法効果だ。戦闘中の痛覚と触覚を遮断し、集中力を極限まで高める。お前は先ほどの戦闘の興奮状態を維持したままだった。だから、服が破れて肌が外気に晒されても、『物理的に』気づかなかっただけだ」


 淡々とした解説。

 まるで講義でもするかのような口調。


 目の前で、絶世の美女の肌が露出していたのだ。

 男であれば、目のやり場に困って赤面するか、あるいは下卑た視線を向けてしまうのが「正常」だ。


 事実、後ろの側近たちは、鼻の下を伸ばして凝視していたのだから。


 だが、ラギウスの瞳には、欲情も、羞恥も、動揺すらもない。


「白いな、とは思ったが。防御力が下がっているぞ。統治者がだらしない恰好を晒すのはマイナスだ。早急に修繕するか、着替えることを推奨する」


 あるのは、「壁のひび割れ」を指摘するような、徹底的な合理性だけ。


「サ、サインは書いた! これでいいでしょう!?」

「ああ、助かる」


 ラギウスは投げ出された書類を受け取ると、中身だけを確認し、彼女の赤ら顔には一瞥もくれなかった。


「では、失礼する」


 彼は踵を返し、待たせていた黒馬へと飛び乗る。


「ま、待ちなさい! 貴方、私の……その、肌を見て、何とも……っ!?」

「何とも? ……ああ」


 ラギウスは馬上で振り返り、不思議そうに首を傾げた。


「事実として『白い』と言っただろう。他に何か言うことがあるか?」

「っ~~~~~~~~!!」


 あまりにも正直で、あまりにも「興味がない」感想。

 イリスディーナは言葉を失い、頭から湯気を噴き出した。


 威圧も通じず、色気すら通じない。

 この男にとって、自分は「ただの人間」以下の、「風景」と同じ扱いなのか。


(……面白いじゃない!)


 羞恥の限界を超え、彼女の中で何かが「逆回転」を始めたことを、ラギウスは知る由もない。


(やれやれ。いちいち悲鳴を上げるとは、やはり感情的な女は騒がしい。さっさと帰って盾の発注書を書かねば)


 彼はあくまで「合理的」に、赤面する皇女と、間抜け面を晒す側近たちを置き去りにして、ダンジョンの闇へと消えていった。

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