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第3話 皇女不在、いるらしいダンジョンへ直行

 ラギウスが『原作知識』を手にした翌日の放課後。

 彼は『帝国学校』の中央棟にある生徒会室を訪れていた。


 イリスディーナ・フォン・ニュートグニス。

 ニュートグニス帝国の第二皇女にして、帝国学校の生徒会長。


 学校の地下深くに眠る重要機密エリア。『禁書保管庫』への入室許可証に、生徒会長のサインが必要となる。


 ゲームのストーリーでは、ストーリークリア後の要素である難易度の高い要素、いわゆる『エンドコンテンツ』の中で入ることになる。

 その際も、イリスディーナから許可をもらうことになるのだ。


 禁書と言うだけあってかなり重要な情報が載っている。

 もちろん、プレイヤーが動かすラスターはほとんどの本は無視しているが……その読んだ本の中でも、情報の重要度は高い。


 公式が『ここでこの世界の裏設定をちょっと見せますよ』といった思惑を感じる構造になっている。


(まぁ、ラスターが手に入れた情報が重要だというのなら、別に俺が入る意味はない。情報は情報だ。ただ……本に挟み込まれた『チケット』や『トークン』が、今後の計画に役立つ。早く回収しておきたい)


 ラスターが読んでいなかった様々な本。

 そこに何が記されているのかという興味はあるが、『本の中に挟み込まれたアイテムの回収』という、物理的な収穫物もある。


 それを狙ってのことだ。


 だが。


「……会長は不在だ」


 生徒会室の豪奢なデスクに座っていたのは、会長ではなく副会長の男子生徒だった。

 彼は手元の書類から視線も上げずに、入室してきたラギウスに対して億劫そうに告げる。


「イリスディーナ会長は、側近の方々を連れて……それも、帝国の精鋭騎士団ですら苦戦する『試練のダンジョン』の最深部へ遠征中だ」


 生徒会長の仕事。というよりは、『皇女としてやらなければならない演習』と言ったところだ。


「君のような『平凡』な生徒には、そこへ辿り着くことすら不可能だろうがね。戻られる日は未定となっている」

「未定? 生徒会長の決済が必要な書類はどうしているんだ」

「重要な案件は全て処理済みだ。今の時期、緊急の決裁などないだろう?」


 そこで初めて、副会長は顔を上げてラギウスを見た。


 その瞳にあるのは、成績優秀者が『平均的な生徒』に向ける、隠そうともしない侮蔑の色だ。


「君が何の用事でサインを欲しがっているのかは知らないがね、カルゼラード君。会長は次期皇帝候補としても多忙な身だ。君のような『平凡』の相談事に割く時間はないんだよ。大人しく、帰還を待つことだね」

「……そうか。分かった」


 ラギウスは短く答え、踵を返した。

 侮蔑されたことに腹を立てたわけではない。


 副会長の言葉の中に、「戻る日は未定」「待つしかない」という、極めて非効率な提案が含まれていたからだ。


(待つ? あり得ないな)


 廊下に出たラギウスは、無表情のまま歩き出す。


 日時を調べた結果、今は、ゲーム本編開始の一年前だ。

 この一年間は、ラスターが旅を始めるまでの貴重なボーナスタイム。


 いつ戻るかも分からない女を待って時間を浪費するなど、愚の骨頂。


(ならば、現地に行って書かせればいいだけの話だ)


 ラギウスは懐から『生徒手帳』を取り出し、校則のページを開く。


 そこには、『生徒会長は、緊急時の決裁に備え、魔力認証機能付きのペン型魔道具を常時携帯すること』と義務付けられている。


 あの几帳面で融通の利かない皇女のことだ。ダンジョンの深層だろうと、ペンは必ず持っているはずだ。


 問題は、彼女がいる『試練のダンジョン』が、徒歩で向かうには遠く、かつ危険な魔窟であることだが──。


「……移動手段を調達すればいい」


 ラギウスの脳内で、昨日インストールされた『原作知識』が検索結果を弾き出す。


 この学校の敷地内には、ゲーム内でも屈指の性能を誇る「隠しアイテム」が眠っている。

 性能は高い。だが、その代償があまりに凶悪すぎるため、RTA走者ですら見向きもしない、いわくつきの廃棄物だ。


(だが、今の俺には『最適解』だ)


 ラギウスは足取り軽く、校舎裏へと向かった。


 ★


 旧校舎の裏庭。

 鬱蒼と茂る木々の影、誰も近づかないその一角に、ラギウスの姿はあった。

 彼は迷いなく、樹齢数百年はあろうかという古木の根元を掘り返す。


 数分後。

 土の中から現れたのは、おびただしい数の封印札が貼られた、禍々しい桐の箱だった。


「『東方将軍の遺産』……まさか、本当に学校の裏に埋まっているとはな」


 ラギウスは躊躇なく封印を剥がし、箱を開け放つ。

 中には二つのアイテムが収められていた。


 一つは、血濡れたような刃紋を持つ打刀。

 もう一つは、どす黒い光を放つ、武骨な指輪。


 箱を開けた瞬間、物理的な突風と共に、濃密な怨念が噴き出した。

 常人なら、この場にいるだけで発狂していただろう。


「……チッ。保管状態が悪いな。ノイズが酷い」


 だが、ラギウスは耳元の羽虫を払うように顔をしかめただけだった。

 彼はまず、打刀──『妖刀ムラマサ』の柄を握る。


『……殺セ……』


 脳内に直接、ドロドロとした声が響く。


『……愛スル者ヲ……肉親ヲ……父母ヲ、ソノ手デ切リ刻メ……ッ!』


 妖刀が所有者に強いる呪いは『近親憎悪』。

 装備した瞬間、最も愛すべき家族への殺意が暴走し、強制的に肉親を殺害しに向かわせるという、ゲーム進行を不可能にする最悪の呪いだ。


「……俺の親父は現役の帝国将軍だぞ? 斬りかかったところで、返り討ちに遭うのがオチだ」


 ラギウスは鼻を鳴らし、刀を腰に差す。


「非合理的な提案だ。却下する。お前はただの剣として働け」


 刀の殺意に怯むことなく、ラギウスは次のアイテム──『シライシの主印』を手に取る。


 伝説の名馬を召喚する指輪だ。

 彼はそれを、右手の指にはめた。


『ウオオオオオオッ! 走レ! 壊セ! 踏ミ潰セェェェェッ!』


 瞬間、血管が沸騰するような破壊衝動が駆け巡る。

 視界が赤く染まり、理性が消し飛ぶ感覚。


 『暴走本能』の呪いだ。これを装備すれば最後、プレイヤーは操作不能となり、壁に激突しようが崖から落ちようが、死ぬまで走り続けることになる。


「……騒がしい」


 ラギウスは溜息を一つつき、『絶対自我』という分厚い壁で、その衝動を遮断した。

 赤く染まりかけた視界が、一瞬でクリアな色彩を取り戻す。


「来い。俺の足」


 指輪に魔力を込める。

 黒い霧が噴出し、空間を裂いて一頭の馬が現れた。

 漆黒の体毛に、筋肉の鎧を纏っている。


 その瞳は血走っており、召喚された瞬間、主であるラギウスを踏み潰そうと前足を高く上げる。


「ヒヒィィィィンッ!」

「……『待て』と言っている」


 ラギウスは動じない。

 手綱も持たず、ただ冷ややかな瞳で、暴れ馬を見上げ──その精神を『絶対自我』の圧で叩き伏せた。


「ッ……!?」


 振り下ろされようとしていた蹄が、ラギウスの鼻先数センチで止まる。

 国馬はビクリと身を震わせ、脂汗を流しながら、ゆっくりと足を下ろした。


 本能が理解したのだ。


 目の前の人間は、自分より遥かに『自我』が強い、逆らってはいけない存在だと。


「行くぞ。目的地は『試練のダンジョン』だ」


 大人しくなった黒馬の背に、ラギウスは軽々と飛び乗る。

 腰には、家族を殺せと囁き続ける妖刀。

 指には、全てを破壊して走れと叫び続ける指輪。


 はたから見れば、狂気そのもののフル装備。

 ……いや、そもそも多くの人間は、この二つが『呪われたアイテム』だと知らない。


 もっとも、『知っている者』も中にはいるだろう。そういった人間からすれば、『気が狂った』としか思われないものだ。


 だが、ラギウスにとっては、ただの移動手段と護身用武器に過ぎない。


書類仕事(サイン)一つ貰うために、随分と手間をかけさせる」


 ラギウスが手綱を引くと、黒馬は弾かれたように駆け出した。


 校舎の壁を垂直に駆け上がり、屋根を飛び越え、一直線に森へ消えていく。


 爆発的な加速。

 平均的な学生には過ぎた力だが、今の彼にはちょうどいい。


 目指すはダンジョン最深部。

 そこにいるはずの皇女の元へ、彼は最速でひた走る。

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