第15話 二学期
二学期。
夏の日差しが和らぎ、帝都に秋の気配が訪れる頃。
帝国学校は、ある噂話で持ちきりになっていた。
「おい、聞いたか? カルゼラード領の『北の鉱山』が奪還されたらしいぞ」
「嘘だろ? あそこはアース・ドラゴンが巣食う魔境だぞ。ゼスタ将軍が動いたのか?」
「いや、将軍はずっと帝都にいた。指揮を執ったのは……息子のラギウスらしい」
教室、食堂、中庭。
至る所でラギウスの名前が囁かれる。
だが、その大半は「疑念」と「困惑」に満ちていた。
「あの『平均的』なラギウスがか?」
「どうせ、ゼスタ将軍が裏で精鋭部隊を貸したんだろう。息子の箔付けのために」
「だよな。あいつの実力でドラゴンが倒せるわけがない」
生徒たちは、自分たちの納得できる「解釈」に逃げ込んでいた。
「平均的」な生徒が、ひと夏で英雄的な偉業を成し遂げたという事実を、彼らのプライドが許さなかった。
そもそも、帝国の歴史は長く、『極端な問題を領内に抱えていない貴族』は多いのだ。
もちろん、領内に『裏町』だとか『規制が緩い部分』を作った結果、犯罪組織が暗躍しているようなパターンもある。
あまりにもガチガチに『犯罪が起こらないような町』を作ろうとすると、かえって反発を生む。
現代日本のように、放っておいても夜道にほとんど問題がない『民度』とは違うため、あえてそういう場所を作る必要がある。
いずれにせよ、『鉱山の奪還』といった、『英雄的な行動』を、そもそもとることができない貴族が多いということになる。
嫉妬するのも無理はない。
そんな喧騒の中。
噂の当本人であるラギウスは、シライシを従えて廊下を歩いていた。
(……チッ。視線がうるさいな)
『絶対自我』で感情のノイズは遮断できるが、物理的に集まる視線までは消せない。
彼は無視を決め込み、教室へと向かう。
その時だ。
「──お待ちなさい、カルゼラード」
凛とした声が、喧騒を切り裂いた。
廊下の向こうから歩いてくるのは、燃えるような赤髪の皇女。
生徒会長、イリスディーナ・フォン・ニュートグニスだ。
彼女の登場に、周囲の生徒たちが一斉に道を空ける。
だが、ラギウスは足を止めず、すれ違いざまに軽く手を上げた。
「……おはよう、会長。朝から精が出るな」
「挨拶だけで済ませる気ですか? 夏休みの間、随分と『派手』に動いたようですね」
イリスディーナが、ラギウスの前に立ちはだかる。
その金色の瞳は、以前のような冷徹なものではなく、獲物を値踏みするような、熱っぽい光を宿していた。
「北の鉱山の奪還。公式発表では『カルゼラード軍の奮闘』とされていますが……私の調べでは、貴方が前線に出ていたという目撃情報もあります」
「……見間違いだろう。俺は平均的な学生だ。ドラゴン相手に前線に出れば死ぬ」
北の鉱山の奪還は偉業だが、別にラギウスは名声が欲しいわけではない。
もちろん、辺境。言い換えると『国境』を任される貴族として、隣国から舐められない程度の裏付けは必要になる。
しかし、『偉業を成す』ことが目的になったとき、リソースの配分がおかしくなるのはよくある話だ。
北の鉱山を取り返した次期当主。という評価は、現状、人が周りに集まりすぎる原因となり、非常に邪魔だ。
そのため、カルゼラード軍や、ゼスタに投げられそうな部分は全て投げているが……人の口に、戸は立てられない。
「嘘ですね」
イリスディーナは断言した。
「貴方は、私の『王火』を前にしても眉一つ動かさなかった。……貴方が隠している『爪』、いつまで隠し通せると思っていますか?」
周囲の生徒たちがざわめく。
あの「蒼柩」の皇女が、ラギウスに対してこれほど執着を見せているのだ。
それだけで、噂の信憑性が増していく。
だが、ラギウスは溜息をついた。
「過大評価だ。……それで? 俺の進路を塞いでまで、何の用だ」
「……告知です。貴方も参加しなさい」
イリスディーナは、一枚の羊皮紙をラギウスの胸に押し付けた。
『帝国学校・秋季選抜トーナメント』。
帝国の「武の未来」を内外に示すために開催される、全学年合同の武闘大会だ。
優勝者には皇帝陛下からの直々の称賛と、豪華な賞品が与えられる。
「私は出場します。貴方も出なさい。……そこで、貴方の『本当の実力』を暴いてあげます」
宣戦布告。
だが、ラギウスの反応は冷ややかだった。
「断る。非合理的だ」
彼は羊皮紙を一瞥もしない。
「学生同士のじゃれ合いで怪我をするのも馬鹿らしいし、時間の無駄だ。俺は領地経営の勉強で忙しい」
「怪我ならしませんよ。今回の舞台は『幻影の決闘場』ですから」
『幻影の決闘場』。
古代のアーティファクトを用いた特殊な結界内で行われる試合形式だ。
ダメージを受けると精神的な「痛み」はあるが、肉体的な損傷は一切残らない。
HPがゼロになった判定が出た時点で、強制的に結界外へ転送される。
つまり、死なない殺し合いができる場所だ。
要するに……『めっちゃゲームみたいなステージ』ということだ。
まぁゲームの世界なのでそれはそうなのだが。
「安全は保障されています。……逃げるのですか?」
「逃げるも何も、興味がないと言っている」
ラギウスは、挑発に乗るつもりなど毛頭なかった。
『絶対自我』を持つ彼にとって、他者からの評価や名声など、無価値なノイズに過ぎない。
帝都で「俺TUEEE」をする暇があったら、領地でミリアと新兵器の開発をしていた方が、よほど建設的だ。
「……そうですか。残念です」
イリスディーナは、フッと笑みを浮かべた。
それは、あらかじめ用意していた「切り札」を切る時の顔だった。
「優勝賞品には、貴方の好きそうな『ガラクタ』も含まれています」
「……ガラクタ?」
「ええ。古代の遺跡から発掘された、用途不明の石板です。魔力を吸うだけで何も起きない。学園長は『歴史的な価値はある』と言っていましたが、実用性は皆無……」
イリスディーナが羊皮紙を裏返し、賞品リストを見せる。
その一番上に記されたアイテム名を見た瞬間。
ラギウスの目が、わずかに細められた。
『転移の座標石』。
一般的には、魔力を食うだけのただの石板だ。
だが、『原作知識』を持つラギウスには分かる。
これは、対となる石と共鳴させることで、二点間を瞬時に繋ぐ『固定転移門』を形成する、失われた古代技術の核だ。
(……!!)
ラギウスの脳内で、瞬時に計算式が走る。
現在、領地で量産された『ジュラルナ合金盾』や、今後開発される新兵器を帝都や他の戦線へ輸送するには、シライシや馬車を使って数日のタイムラグが発生する。
山道は険しく、天候にも左右される。
「物流」の遅れは、統治における最大のボトルネックだ。
だが、この『座標石』があれば。
帝都の別邸と、領地の地下工房を『門』で繋ぐことができる。
(物流革命だ。資材の搬入、製品の出荷、人材の移動……すべてが『ゼロ秒』になる。これが手に入れば、俺の産業革命は『完成』する)
ラギウスの『目的合理主義』の天秤が、ガタンと傾いた。
「時間の無駄」だったトーナメントが、一瞬で「必須の業務」へと書き換わる。
「……気が変わった」
ラギウスは羊皮紙を奪い取るように受け取った。
「参加する。そのガラクタ、俺が引き取ろう」
「……ふふっ。やはり、貴方は『そういう』人間ですね」
イリスディーナは満足げに微笑む。
彼女は勘づいていたのだ。この男が、「名誉」には興味を示さないが、「実利(特に誰も見向きもしない道具)」には異常な執着を見せることを。
もちろん、『転移の座標石』と言う名前からも、紙を見せている彼女自身、『使いこなせば転移が可能となるアイテム』であることはわかる。
その上で、誰も使い方がわからないはずのアイテムなのだ。
それを、名前を聞いただけでここまでラギウスが反応するとなると、『本当の使い方があるのだ』ということを示している。
ある意味、この時点で……彼女の目的の一つは達成されたといえる。
まだまだ『禁書保管庫』には、彼女が読めていない本もあるし、それらの中に使用方法が書かれている可能性もある。
端的に言えば、アイテムの名前から、ラギウスがどのように反応するのかが見たかったのだ。
「楽しみですね、カルゼラード。決勝で会いましょう」
「……善処する」
ラギウスは、ヒラヒラと手を振って去っていく皇女の背中を見送った。
周囲の生徒たちが「おい、ラギウスが出るってよ」「ボコボコにしてやろうぜ」「平均的な奴が調子に乗るからだ」と囁き合っている。
だが、ラギウスには聞こえていない。
彼の頭の中はすでに、優勝賞品をどう運用し、領地の物流をどう最適化するかという、建築計画で埋め尽くされていた。
「シライシ。スケジュールを調整しろ。トーナメント期間中、他の予定はキャンセルだ」
「御意。……して、マスター。戦闘スタイルはいかがなさいますか?」
「決まっている」
ラギウスはニヤリと笑った。
「俺は『平均的』な生徒だ。だから、『道具』を使って勝つ。……ルール上、アイテムの使用は禁止されていないな?」
「はい。自身の所有物であれば、武器防具の制限はありません」
それはつまり。
あの『妖刀村正・血桜総大将』も。
夏休みの間に調達した『新型の狂騒具』も。
全て持ち込み可能ということだ。
「教育してやろう。精神論だけの温室育ち共に、本当の戦い……いや、『アイテム課金』というものを」
こうして、ラギウスの二学期は、波乱と共に幕を開けた。
帝国の武の未来を示す神聖なトーナメントは、間もなく、一人の帝王による「新兵器見本市」へと変貌することになる。




