第13話 領地の魔物被害が十分の一に
夏の日差しが照りつける、カルゼラード領の北端。
活火山に隣接する防衛ラインでは、今まさに、魔物の群れによる襲撃が行われていた。
「来るぞ! ワイバーンの群れだ!」
「総員、構えッ!」
監視塔からの警鐘と共に、空を覆う黒い影が急降下してくる。
鋭い鉤爪と、岩をも砕く顎を持った飛竜の群れ。
例年ならば、兵士たちが決死の覚悟で特攻し、多くの犠牲を払いながら撃退する場面だ。
いや、過酷な土地ゆえに、命を落とすという意味での『犠牲者』は出さないが、重傷者は多くなる。
それゆえに、医療大国から大量の高額ポーションを購入していた。
だが、今年の彼らは違う。
「盾を構えろ!」
隊長の一喝と共に、最前線の重装歩兵たちが一斉に大盾を掲げる。
それらは全て、ラギウスの『地下第一工房』から出荷されたばかりの新品──『ジュラルナ合金』製のタワーシールドだ。
ガギィィィンッ!!
ワイバーンの鉤爪が盾に激突し、火花を散らす。
だが、盾は凹みすらしない。
それどころか、[衝撃拡散]のタグ効果により、兵士たちは衝撃に吹き飛ばされることすらなく、その場に踏みとどまった。
「か、軽い……! それに、なんて強度だ……!」
兵士たちが驚愕する。
以前の鉄盾ならば、重さで動きが鈍り、ワイバーンの一撃を受ければ腕ごと砕かれていただろう。
だが、この銀色の盾は羽根のように軽く、ドラゴンの爪撃すら弾き返す。
防御が崩れないなら、あとはカルゼラード領の兵士が得意とする「攻撃」の出番だ。
「敵の動きが止まったぞ! 魔法部隊、撃てェッ!」
盾の隙間から、後衛の魔術師たちが杖を突き出す。
この領地は火山地帯ゆえに、火属性の魔法を得意とする者が多い。
ドォォォォンッ!
一斉放たれた火球が、動きの止まったワイバーンたちを直撃する。
悲鳴と共に墜落していく飛竜たち。
それを、歩兵たちが確実に仕留めていく。
一方的な蹂躙だった。
かつては死闘だった防衛戦が、ただの「作業」へと変わっていた。
★
「……被害状況は?」
砦の司令室。
ラギウスは窓から戦況を見下ろしながら、ヴォルグに尋ねた。
「はっ。信じられません。死者ゼロ、重傷者ゼロ。数名が擦り傷を負った程度です」
ヴォルグの声は震えていた。
長年、この過酷な土地で血を流し続けてきた彼にとって、それは奇跡としか言いようのない戦果だった。
ポーションの消費量も、例年の十分の一以下。
「兵士たちの士気も最高潮です。これほどの装備があれば、防衛だけでなく……魔物に奪われた『北の鉱山エリア』の奪還も可能ではないかと、現場からはそんな声まで上がっております」
「……悪くない判断だ」
ラギウスは頷く。
『原作知識』にある「領民七割死亡」という未来図は、この瞬間、完全に書き換えられた。
彼の「産業革命」は成功したのだ。
だが、ラギウスはそこで満足しない。
(軍隊は強くなった。だが、そのシステムを率いるトップが平均的なままでは、いずれバランスが崩れる)
ラギウスは腰に差した『妖刀ムラマサ』に手をやる。
今のままでは火力不足だ。
兵士たちが強くなった分、指揮官である自分もまた、圧倒的な『個の武力』を示す必要がある。
「ヴォルグ。先日、黒の商会から買った『あの小箱』を持ってこい」
「はっ……しかし、あれは……」
ヴォルグが顔をしかめる。
中身を知っているのだ。あれが、ただそこにあるだけで周囲の空気を腐らせる、禍々しい呪物であることを。
だが、ラギウスの眼差しに射抜かれ、彼は無言で小箱を差し出した。
ラギウスは箱を開ける。
中に入っていたのは、赤黒い錆に覆われた、一枚の『鍔』だった。
『狂騒の鍔飾り』。
かつて、千人の兵を斬り殺した将軍が愛用していたとされる呪具。
装備した武器の攻撃力を跳ね上げ、いくつかの魔法効果を付与する代わりに、持ち主を『戦場にしか生きられない修羅』へと変貌させる。
『……斬レ……血ヲ啜レ……』
『……首ヲ刎ネロ……敵ヲ、味方ヲ、全テヲ……!』
箱を開けた瞬間、ムラマサの呪い(家族への殺意)とは異なる、より広範囲で無差別な殺戮衝動が噴き出した。
二つの呪いが共鳴し、部屋の空気がビリビリと震える。
「……チッ。相変わらず騒々しい」
ラギウスは『絶対自我』でそれらを遮断し、ムラマサを抜いた。
そして、その鍔を強引に破壊し、『狂騒の鍔飾り』へと換装する。
カチリ、と音がした瞬間。
ドクンッ!!
刀が脈動した。
刀身に刻まれた刃紋が赤く発光し、まるで血管のように蠢く。
鍔からは桜の花弁のような赤い光が舞い散り、美しいと同時に、見る者に死を予感させるオーラを纏い始めた。
『妖刀村正・血桜総大将』。
二つの呪いが融合し、新たな銘を得た最凶の魔剣。
その能力は「斬撃の威力増幅」と「範囲攻撃(血桜の斬撃)」。
そして呪いは──『無差別殺戮衝動』と『強制戦闘継続』。
一度抜けば、周囲に動くものがなくなるまで、鞘に納めることすら許されない。
『アアアアアッ! 我ハ総大将! 血ノ雨ヲ降ラセェェェッ!』
脳内に響くノイズは、もはや会話すら成立しない絶叫へと変わっていた。
だが。
「……黙れ。少しは品性を学べ」
ラギウスは冷徹に言い放ち、血桜の舞う刀を、パチンと鞘に納めた。
強制戦闘継続の呪いなど、彼の『意志』の前では無意味だった。
刀が「えっ? 納められた?」と困惑するような気配を残して、沈黙する。
「……ふむ。切れ味は良さそうだ」
ラギウスは満足げに頷く。
領地の軍隊は「鉄壁の盾」を得た。
そして帝王たる自分は、「敵を殲滅する矛」を得た。
「準備は整ったな」
ラギウスは窓の外、広大な領地を見渡す。
「これより、領地の拡張を行う。手始めに、北の鉱山エリアを魔物から奪還するぞ」
それは、カルゼラード領が「守る」時代を終え、「攻める」時代へと突入したことを告げる号令だった。
夏休みは、まだ始まったばかりだ。




