第12話 設備作成
カルゼラード家の屋敷の地下。
かつてはワインセラーや食糧庫として使われていた広大な空間は今、異様な熱気と、常人なら即座に発狂するほどの「瘴気」に満ちていた。
ラギウスの産業革命、その心臓部となる『地下第一工房』である。
「……すごい。本当に石ころが、宝玉みたいに変わっていく……」
工房の入り口付近。
比較的「空気」が綺麗なエリアで、ミリアが感嘆の声を漏らしていた。
彼女の目の前にあるのは、先日競り落とした『月光圧縮レンズ』だ。
彼女はレンズの焦点を調整し、そこら辺の河原で拾ってきたただの石ころに、収束させた魔力光を照射している。
ジジジ……という音と共に、無価値な石が、青白く輝く『ルナストーン』へと変質していく。
「魔力制御も安定しています。これなら、私一人でも一日に50個は生成できます!」
「上出来だ。次はそれを『カルゼラード軽絽』と混ぜ合わせろ。比率は設計図通りにな」
「はいっ!」
ミリアは嬉々として作業を続ける。
『ルナストーン』と『軽絽』を溶解し、混ぜ合わせる。
ここまでの工程には、呪われたアイテムは介在しない。
必要なのは「正確な手順」と「根気」だけだ。
だからこそ、ラギウスは手を出さず、技術のあるミリアに一任している。
問題は、そこからだ。
「……ッ、グ、ゥ……」
工房の入口で、筆頭家老のヴォルグが脂汗を流して膝をついていた。
歴戦の老人である彼ですら、これ以上奥へ進むことはできない。
なぜなら、工房の奥──ラギウスが立っているエリアから、濃密な「殺意」と「狂気」が垂れ流されているからだ。
「わ、若様……本当に、それを……?」
ヴォルグの視線の先。
ラギウスの前には、二つの禍々しい『呪具』が鎮座していた。
一つは、煮えたぎるマグマを湛え、周囲に「飛び込め」「死ね」と囁き続ける『|ヘパイストスの嘔吐炉』。
もう一つは、柄を握るだけで「壊せ」「全てを無に帰せ」という破壊衝動を脳内に流し込む『ドワーフ王の嫉妬槌』。
どちらも、近づくだけで精神を汚染し、作業者を自滅させる最悪の道具だ。
「当然だ。ミリアが作った『ジュラルナ合金』は、既存の設備では加工できん」
ラギウスは、シライシに運ばせた巨大な鉄塊──加工前の『金床』の原型を、炉の前にセットさせる。
『ジュラルナ合金』は、完成すれば鉄より硬く、羽より軽い。
だが、その加工難易度は極めて高い。
普通の炉では温度が足りず、普通のハンマーでは弾かれる。
だからこそ、「加工するための道具」を先に作らなければならない。
「始めるぞ」
ラギウスは、躊躇なく『嫉妬槌』を握った。
『……壊セ……壊セェェェッ! ソンナ駄作、叩キ潰シテシマエェェェッ!』
脳内に、ドワーフ王の怨嗟が響き渡る。
同時に、『嘔吐炉』からは、炉内のマグマに顔を突っ込みたいという強烈な自傷衝動が、熱波と共に襲い掛かる。
家老のヴォルグなら、一秒で発狂し、ミリアなら泣き叫んで逃げ出すレベルの精神負荷。
だが。
「……チッ。相変わらず注文の多い道具だ」
ラギウスは、眉一つ動かさなかった。
彼の『絶対自我』にとって、それらは「隣の部屋で騒いでいる酔っ払い」程度のノイズでしかない。
彼は衝動を完全に無視し、淡々と、しかし正確無比に槌を振り下ろした。
ガンッ!!
『嫉妬槌』が鉄塊を打つ。
その能力は「不純物の強制排出」と「分子結合」。
「壊したい」という呪いの力が、逆説的に鉄塊の密度を極限まで高め、鋼鉄以上の強度へと変質させていく。
(壊したいなら壊してみろ。ただし、俺が許可した形に『壊れる(変形する)』ならな)
ラギウスは心の中で毒づきながら、槌を振るう。
一打ごとに、鉄塊が形を変えていく。
それは武器ではない。
防具でもない。
彼が作っているのは、ミリアや、領地の鍛冶師たちが使うための『作業台(金床)』と『調整された炉』だ。
ガンッ! ガンッ! ガンッ!
リズムは一定。狂いはない。
汗一つかかず、呼吸も乱さない。
その光景を、ヴォルグは信じられない思いで見つめていた。
(な、なぜだ……!?)
ヴォルグは知っている。ラギウスの魔力も、体力も、全てが「平均的」であることを。
特別な加護も、聖なる守りも持っていないはずだ。
なのに、なぜ彼は、歴戦の騎士すら忌避する『呪い』の奔流の中で、あのように平然と作業ができるのか?
(我慢しているのか? いや、あのような顔色は、苦痛に耐えている者のそれではない。まるで……『何も感じていない』かのような……)
ヴォルグにとって、それは恐怖に近い感情だった。
理解不能。
論理的説明がつかない。
だが、目の前の事実は一つ。
「平均的」な若様が、「狂気」を飼いならし、何かとてつもないものを生み出そうとしているということだけ。
「……よし。焼き入れだ」
数時間の作業の末。
ラギウスは槌を置き、『嘔吐炉』で熱した完成品を、冷却水へと沈めた。
ジュウウウウッ……!
大量の蒸気と共に、一つの『設備』が産声を上げた。
それは、銀色に輝く金床と、それにセットされた小型の炉だった。
一見すれば、ただの美しい鍛冶道具。
だが、その表面には目に見えない『加工補正』のタグが焼き付けられている。
「完成だ。『生産ライン1号』」
ラギウスは、組み上がった金床をポンと叩いた。
「この金床の上でなら、素人の鍛冶師でも『ジュラルナ合金』を紙粘土のように加工できる。炉の温度管理も自動だ」
呪われたアイテム(嫉妬槌)で作られたというだけで、この金床自体には呪いはない。
あるのは、「不純物がなく、絶対に歪まない」という異常な性能だけ。
『汚い道具』で、『綺麗な設備』を作る。
ラギウスの計画通りだ。
「……ミリア。試してみろ」
「は、はいっ!」
呼ばれたミリアがおそるおそる近づき、完成したばかりの金床の上に、生成した合金のインゴットを置く。
そして、普通のハンマーで軽く叩いた。
カァン!
澄んだ音が響く。
硬いはずの合金が、ミリアの意図通りに素直に変形した。
力を入れたわけではない。金床が、衝撃を完璧に制御し、加工をサポートしたのだ。
「す、すごいです……! これなら、私じゃなくても……見習いの職人でも、最高級の盾が作れます!」
「だろうな。そのための『施設』だ」
ラギウスは満足げに頷き、汗を拭った。
彼が作ったのは「最強の剣」ではない。
「誰でも最強の装備が作れる環境」だ。
ヴォルグは震える声で尋ねた。
「若様……これを、領内の鍛冶場に配備するおつもりで?」
「そうだ。今作ったのは試作機だ。夏休みの間に、あと50台は作る」
ラギウスは、地獄のような熱気を放つ『嘔吐炉』と『嫉妬槌』を振り返り、ニヤリと笑った。
「材料は揃っている。労働力もある。技術者もいる。……そして、この騒がしい道具どもを黙らせる『俺』がいる」
その言葉に、ヴォルグは言葉を失い、ただ深く頭を下げた。
彼は理解したのだ。
この若き主人は、父ゼスタのような「個の英雄」ではない。
狂気すらもリソースとして管理し、組織全体を底上げする、冷徹なる「統治者」なのだと。
こうして、カルゼラード領の地下で、世界のパワーバランスを覆すための「工場」が稼働し始めた。




