第11話 レンズ確保
領都の歓楽街。
その一角にある、会員制の高級クラブ。
表向きは富裕層向けの社交場だが、その地下には、大陸全土から禁制品が集まる闇の競売所が存在する。
オルオバにおいては、エンドコンテンツの中で立ち寄ることになる場所だ。
「……会員証の提示を」
地下への階段を降りた先、重厚な鉄扉の前には、二人の護衛が立っていた。
身長2メートルを超える巨漢。
その身に纏う魔力の密度は、表の正規騎士団長すら凌駕している。
(ラスターたちの平均レベル40が『ストーリーのラスボスに挑む際の推奨レベル』なのに対して、コイツらはレベル60相当の『門番』か。今の俺が正面から戦えば、三秒で挽き肉だな)
ラギウスは冷静に戦力差を分析する。
『絶対自我』のおかげで、彼らが発する「殺気」や「威圧」には何も感じないが、物理的な戦闘力差という「事実」は覆らない。
ここで騒ぎを起こせば即死。
それが、この場所が「エンドコンテンツ」たる所以だ。
「……」
ラギウスは無言で、懐から『黒塗りのプレート』を取り出し、護衛に見せる。
禁書庫で手に入れた紹介状だ。
護衛の一人がそれを受け取り、刻印を確認した瞬間──。
鉄仮面のような無表情が、驚愕に歪んだ。
「……こ、これは……『始祖』の刻印……!?」
護衛たちは顔を見合わせ、直立不動の姿勢を取ると、恭しく扉を開け放った。
「失礼いたしました。VIPルームへご案内いたします」
「……フン」
ラギウスは、さも当然といった顔で足を踏み入れる。
背後には、燕尾服のシライシと、緊張でガチガチになっているミリアが続く。
★
地下ホールは、静寂に包まれていた。
豪奢なシャンデリアの下、仮面をつけた参加者たちが、声もなくワインを傾けている。
彼らは皆、裏社会の猛者であり、同時に「ルール」を熟知したプロフェッショナルたちだ。
ラギウスたちが通されたのは、ホールを見下ろすバルコニー席だった。
「お初にお目にかかります。カルゼラードの次期当主様とお見受けします」
現れたのは、商会の支部長を務める小柄な老紳士だった。
柔和な笑みを浮かべているが、その目は笑っていない。
彼もまた、この魔窟を取り仕切る実力者だ。
「単刀直入に言おう。俺が欲しいのは『月光圧縮レンズ』だ。在庫にあるな?」
「……ホッホ。耳が早いですな。確かに、本日の目玉商品の一つとして出品予定ですが」
老紳士は、値踏みするようにラギウスを見る。
「ですが、ここは競売所。いかに『始祖の紹介状』をお持ちとはいえ、ルールは絶対。出品を取り下げて直接お売りすることはできません」
「構わん。競り落とすだけだ」
ラギウスはソファに深く腰掛け、シライシに酒を注がせる。
「俺が嫌いなのは『無駄な時間』だ。金ではない」
その言葉通り、競売が始まると、ラギウスの行動は迅速だった。
『月光圧縮レンズ』。
古代文明の遺物であり、魔力を注ぐことで「月の光」を収束させる魔導具。
出品されるや否や、魔術師風の客や、コレクターたちが札を上げる。
「50万!」
「60万!」
「70万だ! 研究用に欲しい!」
価格が吊り上がっていく。
希少なマジックアイテムとしては妥当な推移だ。
だが、ラギウスは『絶対自我』で周囲の熱気を遮断し、冷徹に適正価格を計算する。
(ジュラルナ合金の生産による、今後十年の軍事費削減効果。領地の防衛力向上による損失回避額。それらを試算すれば……)
「200万」
会場の空気が凍り付いた。
現在の最高値70万に対し、いきなり三倍近い値をつけたのだ。
「に、200万!? 馬鹿な、あの程度の遺物に……」
「どこの富豪だ……?」
ざわめく会場。
競合相手たちは、ラギウスのバルコニーを見上げる。
そこには、仮面をつけ、微動だにしない男が座っていた。
威圧などしていない。
殺気も放っていない。
ただ、圧倒的な「財力」という暴力で、他者の介入する余地を物理的に潰しただけだ。
(時間をかけて1万ずつ刻むのは非合理的だ。俺の提示額は、これ以上出せば『赤字』になるギリギリのラインではない。彼らが『割に合わない』と感じて撤退する、心理的な壁だ)
ラギウスの読み通り、競合たちは首を振って降りていく。
彼らにとってレンズは「研究材料」や「コレクション」。
200万も出して買うものではない。
だが、ラギウスにとっては「産業革命の心臓部」。
1000万出しても惜しくない『インフラ』だ。
その「価値認識のズレ」こそが、彼の勝因だった。
「……200万G、落札です!」
木槌の音が響く。
ラギウスは、グラスを置いて立ち上がった。
「商品は裏口に回せ。……それと、支部長」
「は、はい。何でしょう」
老紳士の態度が、入室時よりも明らかに畏まったものになっていた。
紹介状の権威だけでなく、この男の狂気的な投資判断に、底知れぬものを感じたからだ。
本来、『商才』と言っていいものではない。
効果的な使い方がわかっていないアイテムに対して、あれほど金を出すなど、普通では考えられない。
「おそらく、商談でここに来るのは最初で最後になる。高額なアイテムが並んでる店舗に案内しろ」
「え、さ、最初で最後とは……」
「ゼスタ・フォン・カルゼラードが、どういう男か、お前は知ってるはずだ」
「現当主……なるほど、確かに、今は帝都に詰めているあの方が領地に返ってきたら、レンズをどこから持ってきたのかを問われる。隠しきれるものでもありませんし、『招待状』は、現当主様が『回収』されるでしょうね」
ククク、と微笑む。
「俺の推測では、今日、集めきれるアイテムだけで、俺の計画は達成できる。『こういった場所の作法』がわからん親父ではあるが、まぁ、気が向いたらよくしてやってくれ」
「畏まりました。では、店舗に案内しましょう」
競売所を出ると、ラギウスは店舗に行って、いくつかのアイテムを見繕った。
★
帰りの馬車の中。
ミリアは、手に入れた『月光圧縮レンズ』を抱きしめ、うっとりとした表情を浮かべていた。
ラギウスは窓の外を見る。
黒の商会での振る舞いは、あくまで「ルール」に則ったものだ。
威圧も脅迫もしていない。
ただ、大貴族としての財力を、最も効果的なタイミングで投入したに過ぎない。
だが、その「合理的」な行動が、裏社会の住人たちに「カルゼラードの若様は、とんでもない『太客』にして『怪物』だ」という印象を植え付けたことは、言うまでもない。
「帰ったらすぐに設備を組むぞ。ミリア、お前は徹夜だ」
「望むところです! ……あ、でもシライシさん、夜食はお願いしますね」
「御意」
漆黒の馬車は、夜の闇を切り裂いて走る。
彼が手に入れたのは、単なるレンズではない。
未来を変えるための、最初の一石だった。




