第10話 カルゼラード領
夏の日差しが、荒涼とした大地を焦がしている。
帝都から馬車を飛ばして数日。
車窓の景色は、緑豊かな平原から、赤茶けた岩肌が露出する険しい山岳地帯へと変わっていた。
あちこちで噴煙が上がり、硫黄の匂いが風に乗って漂ってくる。
時折、遠くの岩陰で、ワイバーンやロック鳥といった大型の魔物が飛翔するのが見える。
ここが、ニュートグニス帝国の北端。
強力なモンスターが跋扈し、帝国の防波堤となる最前線。
カルゼラード辺境伯領だ。
「……相変わらず、可愛げのない土地だ」
揺れる馬車の中で、ラギウスは頬杖をつきながら呟いた。
隣では、長旅の疲れも見せず、ミリアが窓の外を興味津々に眺めている。
「す、すごい……あそこに見えるの、活火山の噴火口ですよね? あんなに火元素が濃い場所、初めて見ました!」
「はしゃぐな。あそこから吹き出す火山灰のせいで、洗濯物が干せないと領民が嘆いている場所だ」
「えぇ……」
そんな他愛ない会話をしている間に、馬車は巨大な城壁に囲まれた領都へと入っていく。
その中央、岩山を削って作られたかのような堅牢な屋敷が、カルゼラード家の本邸だった。
★
「──おかえりなさいませ、ラギウス様」
屋敷の正門前には、整列した兵士たちと、数名の文官が出迎えていた。
その先頭に立つのは、白髪の老紳士。
カルゼラード家の筆頭家老、ヴォルグだ。
彼は恭しく頭を下げるが、その背筋は剣のように伸びており、老いを感じさせない覇気を纏っている。
「ゼスタ様ご不在の間、領内の統治は滞りなく行われております。モンスターの被害も軽微。収穫も例年通りを見込んでおります」
完璧な報告。
兵士たちの規律も乱れがなく、文官たちの目にも迷いはない。
現当主と次期当主が不在でも、組織が自律的に稼働している証拠だ。
(……親父の威光か)
ラギウスは、屋敷の空気を感じ取る。
どこを見ても、父──ゼスタ・フォン・カルゼラードの影がある。
現役の帝国将軍にして、個人の武力でこの過酷な土地をねじ伏せてきた英雄。
領民や兵士が崇拝しているのは、目の前の「平均的な若様」ではない。
遠く帝都にいる「絶対的な英雄」への忠誠心が、この領地を支えているのだ。
『……殺セ……』
ふと、腰に差した『妖刀ムラマサ』が脈動した。
『……憎イ……父ヲ……ゼスタヲ、殺セ……ッ!』
屋敷に飾られた父の肖像画や、使い込まれた武具を目にした瞬間、妖刀の呪い──『近親憎悪』が活性化したのだ。
脳内に響く、ドロドロとした殺意のノイズ。
肉親への憎悪を強制的に書き込まれる精神汚染。
だが、ラギウスは眉一つ動かさない。
(うるさいな。親父は帝都だ。ここにはいない)
『絶対自我』で殺意を遮断し、冷静に思考する。
(それに、今の俺が斬りかかったところで、あの化け物じみた親父には勝てん。非合理的だ)
ラギウスはムラマサの柄を指で軽く叩き、「黙っていろ」と意志を伝える。
妖刀は不満げに唸りながらも、主人の圧倒的な自我に押され、ただの鋭利な刃物へと戻っていった。
「ご苦労、ヴォルグ。下がっていい」
ラギウスは短く告げ、屋敷の中へと歩き出す。
背後から、家老たちの安堵したような、しかしどこか侮るような視線を感じる。
『やれやれ、ラギウス様も無事に帰られたか』
『ゼスタ様の息子にしては、やはり覇気に欠けるな』
『まあ、我々がしっかり支えれば問題あるまい』
そんな声なき声が聞こえてくるようだ。
彼らは信じているのだ。
ゼスタという『柱』がある限り、この領地は安泰だと。
(……脆いな)
ラギウスは、冷ややかな目で領地の「平和」を見渡した。
今のシステムは、ゼスタ個人のカリスマと、精鋭たちの精神論で成り立っている。
だが、『原作知識』にある未来──『魔王軍』という規格外の嵐が来た時、精神論は物理的な暴力の前に崩壊する。
英雄一人が支える塔は、英雄が倒れれば終わる。
あるいは、英雄の手が回らない数で攻められれば、守るべき民の七割が死ぬ。
(必要なのは『英雄への忠誠』ではない。誰でも英雄になれる『装備』だ。それに……)
ラギウスは書類を確認する。
モンスターの出現とそれによる被害をまとめたものだ。
(兆候はあるな。例年通りというより、『誤差の範囲』だ。怪我が増えているし、そのために消費しているポーションも増えている)
医療大国パラケーテルから買っているポーションで怪我を治している。
ポーションの性能は、そのブランド通りだが、やはり高い。
(いつまでもこんなポーションの取引をするわけにはいかない)
ラギウスは立ち止まり、後ろに控えるシライシとミリアを振り返った。
「休んでいる暇はないぞ。これより、領地の『再構成』を行う」
ラギウスの言葉に、家老たちが怪訝な顔をする。
だが、彼は構わず続けた。
「手始めに、資材を調達する。……ヴォルグ、馬車を回せ。俺は出かける」
「は? 到着されたばかりで、どちらへ……?」
ラギウスは懐から、禁書庫で手に入れた「黒塗りのプレート」を取り出し、弄んだ。
「『黒の商会』だ。この領地の隅に、奴らの支部があるはずだな」
その言葉に、家老の顔色がさっと変わった。
黒の商会。
法に触れる禁制品や、危険なマジックアイテムを扱う、裏社会の組織。
統治者たる貴族が、公に関わるべき相手ではない。
「ラ、ラギウス様! あのような輩と関わるなど、ゼスタ様が知れば……!」
「親父なら『使えるものは何でも使え』と言うだろうよ」
ラギウスは家老の制止を一蹴する。
もっとも、ゼスタが『呪われたアイテムは唾棄すべき物』と言っていたのは、ラギウスも知っている。
とはいえ、この商会にあるのは、呪われたアイテムばかりではない。
そういった『裏でしか流通しないアイテム』を求めて接触するのは、問題とは言われないだろう。
求めている『レンズ』は、呪われたアイテムではないし。
「それに、俺が求める『素材』は、表の市場には出回らん。……行くぞ、シライシ、ミリア」
「御意」
「は、はいっ!」
ラギウスは迷いなく歩き出す。
彼が目指すのは、伝説の合金『ジュラルナ』の核となるアイテム──『月光圧縮レンズ』。
英雄のカリスマではなく、圧倒的な「物量」と「性能」で領地を守る。
そのための第一歩を、ラギウスは「邪道」から踏み出した。




