パクチー禍
朝の支度を終えて玄関の扉を開けた瞬間、強烈な刺激臭がして、久美子は立ちくらんだ。あわてて扉を閉めて、リビングにいる母に聞こえるように大きな声をあげる。
「お母さん、外、変な臭いがする!」
リビングで朝のニュースを見ていた母は、無言でテレビの音量を上げた。テロップには「都心部で大規模な異臭騒ぎ。大量発生したパクチーが原因か?」と書かれている。冗談ではないのかと目を疑った。
テレビでは農業大学の教授がパクチーについて解説している。
「パクチーは暑さに弱いので、夏には減るはずなのですが……突然変異種が出た可能性があります」
「そんなバカな」
自分の目で見て確かめることを信条とし、メディアには決して踊らされまいと心がけている久美子であったが、パクチーの激臭の前には白旗をあげるしかなかった。
久美子はパクチーが苦手だ。あのカメムシのような強烈な刺激臭を延々と嗅がされていたら、どんどんと頭が重く痛くなって気絶し、最終的には魂までパクチー色に染められて昇天しかねない。
それでも出社はせねばならない。久美子はマスクを二枚重ねにすると、再び玄関の扉を開け、早速えづいた。自分の嗅覚麻痺反応を信じて、こみあげてくる胃液を必死に飲み下して駅へと向かう。どんどん濃くなるパクチーの臭いに気分が悪くなったのか、道に座り込んでいる人たちを何人も見た。
駅に到着しても、電車に乗っても、パクチーの刺激臭がなくなることはなかった。嫌な臭いでも嗅ぎつづけていれば慣れるというが、パクチーが嫌いな久美子はいつまでもその臭いに慣れることはできなかった。決して踊らされない我の強さが、よりにもよってパクチーに惨敗したのである。
気を紛らわせるために見たSNSでも「パクチーやべぇ」「もはやテロ」「給食のときにパクチーを残したから、もったいないお化けが出た?」「マスク会社がまた儲けようとしてる!」とパクチーの緑一色だった。ぞっとして、久美子はSNSを閉じた。
出社してからもパクチーの臭いはおさまらず、えづいた人々によって、トイレには長蛇の列ができていた。外回りの営業担当などは、あまりのパクチー臭さに道端で倒れたという。営業担当から会社にかかってきた電話を受けた久美子は、パクチーでこんな被害が出たことが信じられず、言葉を失った。救急車を呼んで欲しいと言う営業担当の声に「臭いで救急車を呼ぶのは大袈裟では?」という内心を押し殺して「了解しました」と返した。救急は混雑しているようで、なかなか電話が繋がらなかった。
マスクを二枚重ねで使う日々が一ヶ月ほど過ぎたころ、とうとう行政が緊急事態宣言を出した。パクチー駆除補助費が緊急予算として国会で承認された。
パクチーの異常な繁殖で他の農作物が壊滅的被害を受け、パクチー以外の野菜が高騰している。パクチーの影響は個人だけには留まらず、流通網や小売店にまで及んでいた。パクチー禍である。
あまりの刺激臭に人々は引きこもりはじめ、テレワークが増えて、テレビ電話やオンライン会議、オンライン授業などが一気に増え、街を歩く人の姿が消えつつあった。
久美子は「パクチーなにするものぞ」と憤慨した。数ある野菜の一つでしかないパクチーが社会構造を変えてしまうことなど、決して許されない。メディアでは「臭いを緩和する方法」などが取り沙汰されるが、どうせ緩和するための商品を売りたいんだろうと斜に構えた。
突然の増殖から数ヶ月経って、街の喧騒がすっかり消えると、パクチーはますます隆盛を極めた。人の歩かなくなったアスファルトの隙間からたくましくパクチーが芽吹き、歩道はたちまち緑色になった。風が吹くたびにパクチー臭が濃くなる。最初こそ、パクチーを好きな人や気にしない人が出歩いていたものの、さすがにこの惨禍には耐えられなくなったらしい。もはやパクチーを好きと公言するのもはばかられる雰囲気だった。街にはシャッターの下りた店が増え、失業者も増えた。突然変異したパクチーの繁殖力はおそろしく、政府の対策予算はあっという間に底をつき、追加予算が組まれた。本来夏の暑さに弱いはずのパクチーは、高温多湿の日本の夏をものともせず、青々と街を覆っていた。
「パクチーなら、食べればいいのではないですか?」
あるとき、一人のタイ人留学生が気づいた。パクチーを日常的に食べる異国の人々はあっという間にパクチーを刈りはじめ、カレーやタイ料理のデリバリーが流行りだした。これまで息をひそめていたパクチー好きたちは、ここぞとばかりに食べた。
政府はこれに目をつけ、留学生に補助金をつける事業がはじまった。久美子は「日本人の失業者を優先しなさいよ!」と憤ったが、襲いくるパクチーの刺激臭の前にはあまりにも無力だった。
やがてパクチー駆除の補助費に「パクチーを食べた人」が追加され、各地でパクチー・フードファイトが開催された。失業して生活に困っていた人々の中には、パクチーを食べることで生計をたてる者もいたほどだ。「パクチー禍は、パクチーを日本の日常に浸透させたい連中の陰謀だ!」「政府は海外留学生を積極的に受け入れる理由を探していたに違いない!」──そんな香草陰謀論者のSNS投稿に、久美子はうっかり賛同しかけてしまった。パクチーを食べ過ぎてげんなりしている留学生を見ていなかったら、拡散していたかもしれない。日常的にパクチーを食べる彼らだってうんざりしているのだ。海外留学生に任せきりにしている社会構造の歪さを、久美子は苦々しく思った。まるで大量のパクチーを食べた後のような気分だ。
季節が移り変わり、冬になると、パクチーは突然枯れはじめた。
「パクチーは一年草ですから、冬には枯れます。今の季節に対策することが重要です」
テレビの中で、すっかりお馴染みになった農業大学の教授がコメントしている。「御用学者」とSNSで叩かれながらも、必死にパクチーの説明をつづけていた教授だ。
街中に充満していたパクチーの臭いがなくなって、人々はパクチー禍前の暮らしにだんだんと戻っていった。
今では日本の主要な輸出品として、パクチーがあるほどだ。「私が作りました」──パクチーのパッケージに写った生産者も笑顔である。多くを輸出にまわしてしまったものだから、国内での流通量が足りなくなり、パクチーの価格が上がって、ちょっとした騒動まで起きた。
久美子は市役所に寄った帰り道、できたばかりの真新しい碑文を読み上げた。
──パクチー禍を忘れるな。
あの夏、大量発生したパクチーの刺激臭が鼻先を漂った気がして、久美子はえづいた。
【おわり】